• もっと見る

«爛熟の季節は夏へ気配濃し | Main | 恋をしてカエル歌えや春をいけ»
<< 2024年04月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
検索
検索語句
月別アーカイブ
カテゴリアーカイブ
最新コメント
ふみハウス
よき冬日空輝いて玉磨く (03/30) 男子寮でお世話になりました
よき冬日空輝いて玉磨く (01/20) ふみハウス
年月日いつのことやら過去記す (06/10) 小笠原 由紀子
年月日いつのことやら過去記す (05/09) YM
崩れてく正しく着けてもマスクなり (04/21) 錦織 孝
箱根まで100キロつなぐ襷なり (01/03) ふみハウス
心地よし父の胸にて寝入る子よ (02/05)
心地よし父の胸にて寝入る子よ (01/27) ふみハウス
冷たくて濡れそぼる雨陽気待つ (01/26)
冷たくて濡れそぼる雨陽気待つ (01/23)
https://blog.canpan.info/fumihouse/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/fumihouse/index2_0.xml
最新トラックバック
道急ぐもはや行く道なき人か [2015年04月24日(Fri)]

fumihouse-2015-04-24T19_33_48-1-thumbnail2.jpg駅への道を急ぐわたしは、「助けて・・」と力のない声を聞いた。見まわして声の主を探すと、あのおばあさんだった。日中がまだ長く暖かい頃に道路をオタオタと歩く人だった。手押しの四輪車にへばりつくようにして危なげに歩いていた。挨拶するとたまに返答があって、穏やかに老いをやしなっているように見えた。

冬場になるとさすがに姿を見ることがなかった。仕事納めのその日、わたしはおばあさんを久方ぶりに見たのだった。玄関の手すりにつかまって足を外へ向けようとしていたのか、それとも家の中に入ろうとしていたのかはわからなかったが、声の主はおばあさんだった。

わたしは駆け寄って手をさしのべた。「どうしますか」と聞いたが答えはなかった。玄関から30才くらいの若い家人が頭を出した。面倒くさげにおばあさんの手を引いていった。孫だろうか。彼は無言だった。わたしはそのまま駅への道を急いだが、帰りの列車を一つ逃してしまった。もやもやした気分が残った。

春になって暖かくなっても、おばあさんは出てこなかった。草が伸び放題の家の庭に、おばあさんが使っていた四輪車が置き捨ててあった。しかも逆さまになって投げ捨てられたかのような風情である。しばらく前からデイサービスの送迎車を見かけるようになった。おばあさんは要介護の認定を受けて定期的に通っているのだろう。虐待されているわけではなく安心していいのだろうが、不安はある。家の前で四輪車を見るたびに、大事にされていない老人が哀れに感じてならない。

(ピンクの芝桜は明るい。おばあさんは花を愛で、星や月を楽しみ、他人と会話して弾むひとときがあるだろうか)
コメントする
コメント