勉強に悔悟すれども意欲わき [2014年10月22日(Wed)]
芦田宏直氏という方はよほどの奇才であろうかと思います。私が衝撃を受けたほんの一部を引用しましたが、熱心に読書して勉強しようなんて社会人は学生時代にろくに勉強しなかった証拠だ、という著者の言葉にぐうの音もでません。
≪学生時代に純粋な勉強、無垢な勉強をしなかった≫人は、≪時間や利益や社会性に関係のない勉強(純粋な驚きに発する勉強)というものがあるということに(学生時代に)出会わなかった人たちなのです。そういう人たちに限って歳を取ってから教養書やビジネスノウハウ本(『世界』『文藝春秋』なども含めて)を読み始める。職場の休憩時間に単行本を読んでいたりもする。なんともさもしい"教養"でしょうか。社会人になって、「あの人は勉強好き」というのは、蔑視の言葉です。(中略)単なる後悔の勉強なのです。 どうか、「学生時代、もっと勉強をしておけばよかった」なんて後悔しないようにしてください。(中略)学生時代にしっかりと(=純粋に、無垢に)勉強した人は、学校を卒業してからはもはや書物や学歴、そして教員や教授に頼ろうとはしません。その人たちにとっては、世の中そのもの、職場そのもの、仕事そのものがテキストだからです。いい歳をして<書物>の中に、<教育>の中に、何らかの教えを見出すのではなく、日々の仕事や生活それ自体の中に課題を見出す純粋な能力が備わっているからです。「もっと勉強しておけばよかった」は、したがって、後悔どころか、むしろ諸課題(と諸解決)からの逃亡を意味しているにすぎません。 (中略)若いときの勉強や読書の質は、その人の勉強の一生のスタイルをすべて決めているのです。これからの最後の学生時代、みなさんには心して勉強していただきたいと思います≫ (「掛け算の思考、割り算の思考(2007年4月5日入学式祝辞)より抜粋/『努力する人間になってはいけない―学校と仕事と社会の新人論(芦田宏直著,2013年,ロゼッタストーン)』) 入学式の校長式辞ですから、新入生に勉強させようという強い気持ちが逆説的に強烈な表現をさせたとも考えられます。一方で氏は、学生時代の知識や技術はかつて10年が賞味期限だったが激変する超高度な消費社会のネット時代にあっては1年だと。だから学生時代に勉強したと自負する者も自己を進化させ続けなければ、ストックは陳腐化し時代の波に飲まれるとの警句も別のページで発しておられました。社会人となっても純粋な消費者の身であっても、勉強しなければよりよき生を全うできないということも言えるわけです。 気の向くままにやってきてストックはない、体系を身につけられなかった後悔が私にはあり、今思えば学生時代に苦労を避けてきたと思います。しかし、労苦と使命の中にのみ人生の価値は生まれるとの言葉のとおり、これからだと思い定めていきたいのです。自分の利益だけではなく他人のため社会に貢献するためと覚悟したときに、新たな価値が生まれると信じています。 |