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愛するは能動にして与えたし [2014年07月19日(Sat)]

fumihouse-2014-07-19T22-03-08-1-thumbnail2.JPG綾瀬はるかが愛読しているという雑誌の記事があったので、『愛するということ/新訳版(エーリッヒ・フロム著,鈴木晶訳)』を読む気になりました。こんな甘ったるくて大仰な題名の本があるんだな。ナチス時代にあった社会の狂気を分析した『自由からの逃走』を書いた著者がどんな内容で書いているのか。男女の愛や兄弟愛、郷土愛、人類愛をどう定義するんだろうか…そんな印象をもって冒頭を読み始めたら仰天したのです。

≪自分の人格全体を発達させ、それが生産的な方向に向くよう、全力をあげて努力しないかぎり、人を愛そうとしてもかならず失敗する。(中略)愛する能力を身につけることは容易ではない≫(はじめに)、という記述があるではありませんか。原題を見れば確かに『THE ART OF LOVING』。「努力」「能力」「容易ではない」と、生半可な気持ちでは愛やら恋を語ってはならないようです。ロマンチックに恋に落ちるままにまかせていてはなりません。プログレッシブ英和中辞典(第4版)で調べると、「art」とはよく使う訳の芸術や美術のほかにも、技術やコツ、要領、技巧、あるいは文化系の教養という意味もあります。

≪愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏みこむ」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。≫(第2章愛の理論/以下引用箇所同じ)

そして「与える」ことをフロムはこう定義しています。

≪自分自身を、自分のいちばん大切なものを、自分の生命を、与えるのだ。これは別に、他人のために自分の生命を犠牲にするという意味ではない。そうではなくて、自分のなかに息づいているものを与えるということである。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ。
 このように自分の生命を与えることによって、人は他人を豊かにし、自分自身の生命感を高めることによって、他人の生命感を高める。もらうために与えるのではない。与えること自体がこのうえない喜びなのだ。だが、与えることによって、かならず他人のなかに何かが生まれ、その生まれたものは自分にはね返ってくる。ほんとうの意味で与えれば、かならず何かを受け取ることになるのだ。(中略)愛とは愛を生む力であり、愛せないということは愛を生むことができないということである。≫

グループからないがしろにして除外する。グループから外されて無視というイジメを受ける。少なからぬ青少年が、小さな仲間うちの関係を保つために必死になってスマホにかじりつき、多くの時間を費やす。メールの着信がないからといって、相手が不機嫌になっているのではないかと疑心暗鬼に悩む・・・・。仲間意識が非生産的に高じてしまい、不毛な時間の蓄積が日本の将来を危うくするのではないかと私は心配しています。これらの不安はいずれも、受動的な状態で他者からの「愛」を期待しているから生じているのではないでしょうか。愛とは能動的な活動である、愛とは与えることであるというフロムの言葉を心に留めたいと思います。
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