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稟議書に判子をついたら共同で [2013年05月29日(Wed)]

__tn_20130529180911.jpgなるほど、と思う。稟議とはそんな意味があるのか。根回しとは日本人の民主主義なのか、と納得してしまう。

≪何かものごとを行なう場合、独断で行なったというかたちをできるだけ避けるために、日本人は限りなく話し合いに近いかたちをとろうとします。
 そのひとつの方法として、日本には「稟議書」というのがあります。(中略)会社というのは、社長が何もかも一人でやるわけには行かないから、いろいろな分野に対してさまざまな部門を設け、その部門のセクションの担当者に権限を委任して(中略)上司には報告し、部下には命令すればそれでよいはずなのです。ところがそれをやると、日本では「ワンマン部長」と言われ評判を落としてしまいます。
 ワンマン部長と呼ばれることがなぜ「悪」なのかといえば、それは十七条憲法に違反しているからです。つまり一人で決めているからです。(中略)組織の中で細かい議案まで一々話し合いの席を設けていたのでは、体がいくつあっても足りません。そこで、稟議書を回すことによって、話し合いのようなかたちを作り出しているのです。
 また稟議書なき稟議というのが根回しであり、この稟議書的考え方こそが、日本人が民主主義と呼んでいるものの本当の姿なのです。≫
 (井沢元彦著『点と点が線になる〜日本史集中講義』平成16年,祥伝社)

稟議書を下から回す。そこに判子をつく。修正点があれば起案者に伝えるなり書き込むなりして内容に修正を加える。さらに上位者に回す。決裁が終わると成案となり文書や口頭でもって組織の意思を表示する。大事な案件はあらかじめ会議の場で了解をとっておく。。。。。連綿と長きにわたって官僚的組織は動いてきた。意思決定のスピードアップを図れ、責任者を明確化しろ、融通をきかせよなど官僚組織への文句は多い。しかし、日本人の民主主義のあり方が今のままであれば、要望に応えることはおそらくできないだろう。それでいい場合もあるだろうし、改革を図らねばならない場合もある。とかくこの世は難しい。
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