列車から桜並木を見るに能わず [2013年04月03日(Wed)]
一週間前にそぞろ歩いた玉造温泉の桜並木。あのころ花はまだ2分咲き程度。昨日の暖かさで満開になったであろう。わたしはJRの列車から桜の群列を観るために進行方向窓際に座った。桜が見えてくるまでは十分時間がある。『インド夜想曲』(アントニオ・タブッキ著,須賀敦子訳)を鞄から取り出して読み始めた。インドに失踪した友人を探すうち「僕」の前には解釈不能な幻想が次々と現れる。魂の大国インドそのものが幻想なのか、僕の存在が幻想なのか、わからなくなってしまうミステリアスな体験。不思議な浮遊感に満たされて、わたしは夢中に読み進めた。ふと気がつくと、桜並木はとうに過ぎていた。
今夕、今度こそ玉作川沿いに延々と続くソメイヨシノを観るぞと、進行方向に席を得た。すぐに現れた宍道湖の夕日。太陽は半分隠されてはいるが、穏やかな湖面を朱に染めて、まがうことない一級の景観を楽しむ。車内は暖かい。今日一日の疲れで瞼が重くなっていく。いかん寝ては、と本を出して読み始める。『わかりやすいはわかりにくい〜臨床哲学講座』(鷲田清一著)。「各人にとってもっとも遠いもの、それは自己自身である」というニーチェの言葉を反芻するうちに、気持ちよく眠り込んでいた模様。ふと目が覚めると玉造温泉の次の駅、「来待」に到着。来たるを待つ来待。玉造の桜はわたしを待っていてくれたのに、その期待に応えることができなくて残念無念。 玉造温泉の桜たちよ、明日もまた待っていてくれ給え。 (写真は松江大橋南詰めの大桜。こんもりとした小山のようだ) |