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ソロプチミスト日本財団 年次贈呈式に出席[2018年12月25日(Tue)]
 福島〜宮城の旅の最後は、仙台で行われる「ソロプチミスト日本財団 平成30年年次授与式」への参加です。

 このブログを読んでくださる方には、「ソロプチミスト日本財団って何?」と思う方も居ると思うので、ちょっと説明します。


 ソロプチミスト日本財団(以下 S日本財団)とは、日本のソロプチミスト会員によって設立された公益財団法人で、「ソロプチミスト精神に則り、さまざまな奉仕活動に対する援助や協力を行うことにより、より豊かな生活を実現し、国際相互理解の促進に寄与すること」を目的しています。
 ソロロプチミスト精神とは「社会的・経済的エンパワーメントをもたらすプログラムを通じて女性と女児の生活を向上させる」使命を持つものです。
 ※エンパワーメント・・・ひとりひとりが,発展や改革に必要な力をつける こと。

 なお、世界的な組織として国際ソロプチミストという組織があり、日本のソロプチミスト会員は国際ソロプチミストアメリカ連盟に属しており、日本には5つの組織(リジョン)があって、フクとまを支援してくれている「国際ソロプチミスト苫小牧はまなす」は「国際ソロプチミストアメリカ日本北リジョン」に属しています。


 さて、フクとまは、「国際ソロプチミスト苫小牧はまなす(以下 Sはまなす」さんの推薦で、S日本財団の「災害復興援助」に応募し、Sはまなすさんの応援もあって、援助金をいただけることになりました。
 
 フクとまは2021年まで保養を続けると公言していましたが、最後の1年の資金が無く、どうしようか困っていた所だったので、とても助かりました。
 S日本財団のみなさんにも、Sはまなすのみなさんにも本当に感謝です。
 
 授与式には、全国から会員が集まります。
 もちろん日本中の全会員ではないですが、この日の仙台国際センターには、2000名近くの会員が集まったそうです。

DSCF7518.JPG

 そうそう、ソロプチミストの会員は女性だけ。
 会場には、センター職員等を除けば、男性は20名も居たでしょうか?
 女性99:男性1。
 すごいアウエー感でした。
 ちなみにこれは、昭和51年の衆議院議員の男女比の逆とほぼ同じ。
 ちなみに今の衆議院の男女比は、女性7:男性93。
 女性の議員の方、大変ですね。

 贈呈式は、予想していた感じとは全く違っていたものでした。
 なんとなく、事務的に淡々と進行するのかなと思っていましたが、違いましたね。

 贈呈される方も推薦したクラブも、とても晴れやかな顔をしていて、特に贈呈された方々のスピーチは、夢や目標がしっかりとしていて、そして自分が活動を始めた理由も明確に伝えていて、強い意志を感じました。
 それに、フクとまが贈呈された「災害復興援助」に、同じ保養活動をしている「川崎市民の会」さんが選ばれていたのも心強かったですね。
 お会いすることはありませんでしたけれど。

DSCF7520.JPG

DSCF7521.JPG 

 贈呈式終了後、次の日は遅くても午後から出勤しなくてはならないので、...仙台の夜...残念ながら、フェリーで帰路につきました。

 船内で、今回の旅を振返って頭の中をいろいろ整理しました。
 本当にいろいろあった旅でした。

 特にフクとまは、あと3年を「無事に保養ができれば」と思っていましたが、終わるとしてもそれだけではこれまでの多くの方の支援に応えたことにはならない、そう感じました。
 では、どうするのか。

 まとまったら、掲載します。

 
南三陸町と山元町〜その2[2018年12月24日(Mon)]
 南三陸町の後は、山元町に。

 山元町は、震災からそんなに時間が経っていない、5月24日から26日に行ったところ。
 私が、初めて本格的なボランティアをしたところです。
 このボランティアで、知らない土地の人のために自分の時間を使い、知らない土地の人たちと一緒の目的を持って活動するということを学びました。

 これまで、人生の転機って2回ありましたが、これは3回目のできごとでした。
 私は「パラレルワールド」という概念が好きなのですが、自分については、人生の転機(選択の機会)ごとに、まあ大きな間違いはしていないだろうなと、数えきれなく分岐した私の世界の中で、まあ、いい方の世界に居るんだろうなと思っています。
 比較のしようがないんですけどね。

 さて、このボランティアの経験が、フクとまに繋がって行くのです。

 あの時訪れた山元町は、ガレキと壊れた家と車、海水が混じった池、泥だらけの荒野でした。
 初日に行ったのは石巻だったんだけど、行った所は住宅地が集まっているところで、そこに車や船がひっくり返ていて、その時は戦争があったのか、爆弾が落ちたのか、と思うような状態だった。
 しかし山元町は、平坦なまちなので、ああみんな波に持って行かれたんだなって、確かに「津波」が来たんだなって思った。
 休憩時間に、辺りを歩いて、落ちている車のおもちゃとかを見つけると、一人一人の生活を感じて、そしてそれが一瞬で流されて行ったんだなって、悲しくて。

 今回訪れたのは、現在「大地の塔」という慰霊碑の立っている、旧山下駅跡。
 現在の山下駅は1kmくらい山側に移っています。
 震災の年の5月25日に私が活動した場所は、おそらく旧山下駅から東か西(全く反対方向だけど、全然分からない)へもう少し行ったところだと思うんだけど状態はそう変わらないでしょう。
 
 7年ぶりに訪れた山元町のその場所は、あの時とほとんど変わっていなかった。
 もちろん、ガレキや壊れた車もなく無くなっているんだけど、駅から海に向っ行くほど原野に家がぽつんぽつんと建っている風景は変わらない。
 駅から山に向って、家の数は多くなるけど、津波の前から建っていた家ばかりで新しい家は見当たらなかった。
 津波に襲われた時のままになっている家もあったし。

 ボランティアでうかがった家はどうなっただろうと、多分場所は違うんだよなと思いながらも、付近に立っていた古い案内図(個々の家の姓が表示されている)を頼りにうろうろ歩いていたら、2回すれ違った女性に「どちらかお探しですか?」と尋ねられた。
 この付近でボランティアをしたこと、その時うかがった家はどのようになっているか、住んでいた老夫婦に会わなくていいから、遠くから確かめたいと思っていることを伝え、老夫婦とボランティアと一緒に撮った写真を見せて、その夫婦の名字を伝えたけど、「申し訳ないけど、このお二人は存じ上げないですね」とのことだった。
 
 声をかけてくれた女性は、依頼を受けて他の地方で震災の様子を話す語り部のようなこともしていると言っていた。
 また、この付近で活動したボランティアの中には、活動した家のおばあさん(だったかな?)とつながりができ、毎年必ず会いに来る人も居ると教えてくれた。
 そんなふうに被災地の人とボランティアのつながりができるって、きっと他にもあるんだろうね。
 何気ない一言がきっかけで関係が深まるってことがあるからね。
 もちろん逆のパターンもあるんだけどさ。

 もう一回来ることが合ったら、その時は、あのお宅の付近を訪問できればいいな。

 最後に、大地の塔の写真。
daitinotou.png

DSCF7515.JPG
 
南三陸町と山元町〜その1[2018年12月17日(Mon)]
 11月12日は東日本大震災の起きた年にボランティアに行った、南三陸町と山元町に行きました。
 両方とも、電車の便が悪く、南三陸町に行くのは今回はあきらめていたのですが、親戚が車を出して運転手もしてあげると言ってくれ、2カ所に行くことができました。
 感謝です。

 最初に行ったのは南三陸町。
 震災の年、私は、11月7日にここに来ていました。
 ちょうど7年前ですね。

 私は、歌津地区と志津川地区で活動しましたが、特に印象に残っているのは歌津。
 あの時の歌津は、こういう風景でした。
 minamisanriku1.png
 左側に見えるのは、防災庁舎です。
 下が今の様子。
minamisannrikunoima1.png
 土地のかさ上げが進み、護岸も高くなり、防災庁舎が沈んだ様に見えます。
 私が行ったとき、プレハブで乾物屋さんが開いてました。
 油麩とかをお土産に買ったような記憶があります。
 もちろん、今はありません。

 今は、歌津駅から海を望む。
 この白い建物はマリンバンクだったと思います。
 ここから海に向って奥が商店街になりました。
 あの時は、私たちボランティアにも「ここは商店街になるらしいよ」って情報が入り、頑張らなくちゃという思いと、ここに商店街ができてどうするんだろうかという思いが交差したような気がします。
minamisanriku12.png

 今です。
 あの白い建物は無くなり、奥に商店街があります。
 ここは、かさ上げされてないんですよね。
minamisannrikunoima2.png

 歌津駅です。
 ここは確かに朽ちてきているけど、時間が止まったようでもあります。
minamisanriku10.png

minamisannrikunoima3.png
 ちょっと分かりにくいけど、奥のトンネルには駅の下側から登ってくる舗装道路が繋がっています。だから、ここにはもう電車は通らない。

 ボランティア作業の休憩中、私はしばしばこの駅から海までを眺めていました。
 ボランティアには、石巻市(半日)、七ヶ浜町(1日)、山元町にも行ったのだけど、もう一度立ちたかった「場所」はココ。
 周囲で繰り広げられている工事が終わった頃、また来たい。
 
 オリンピックも万博も要らない。
 一瞬の経済効果なんて、国全体で見れば虚しい。
 早く、静かに、落ち着いて暮らせる様にして欲しい。

 次は、山元町に行きます。


(付記)
 胆振東部地震のブログでは写真が無いのに、ここでは使っています。
 街の変化を知っていただきたくて、使いました。
 心を痛めている方がいらっしゃいましたら、お詫びします。
    
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