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福島県本宮市〜その2[2018年11月30日(Fri)]
 美味しいソースカツ丼をいただいた後は、白沢地区の白沢ふれあいホールへ。
 ここには、白沢地区の養蚕農家(国登録有形民俗文化財)が使っていた本物の道具類が展示されています。
 北海道には養蚕文化が無いので、なかなか興味深かったです。
 でも、もっと楽しかったのは、小学生の絵画の展示。
 学年ごとにテーマが決まっていたのだとは思いますが、大胆な発想の絵が多く、なかなかでした。

 さて、再び本宮市中心部に向かい、歴史民俗資料館に行くのですが、その前にTさんが偶然発見した除染土置き場に行ってみることに。

 jyosendo1.png
 これはTさんが、偶然見つけた場所を探しているうちに私が偶然見つけた除染土置き場。
 丘の上に並んでいるのが分かります?
 運転手の視界には入らない場所にあり、フェンスで目隠ししています。

jyosendo2.png

jyosendo3.png

 なかなかTさんが見つけた場所が見つからないけど、その途中で見つけた除染土。
 黒いシートがかぶせてありました。
jyosendo4.png

 周辺は確かに表示のとおりでしたが、近づいて地面から90センチくらいの高さで諮ると、
jyosendo5.png
 という数値です。
 ただし、そこからずれて何カ所か測りましたが、場所によって数値が大きく変わりました。
 シートの中は分からないので、袋が破けてるのか?
 それとも、除染土が原因ではなく、そもそもこの場所の環境なのか?

 また、見つけました。
 前の2カ所は近くには人家はありませんでしたが、ここは人家のすぐそば。

jyosendo6.png

jyosemdo7.png

 うーん、複雑な思いだろうなあ。


 さて、本宮中心に戻ったのは16時15分くらい。
 最後の見学場所、歴史民民俗資料館に。
 大正13年に建設された、本宮市の非木造建物としては、最も古い洋風建築物だそうです。
 市内の天王壇古墳などで出土した、埴輪や土器等の考古資料などを展示しているそうです。

 見学時間は16時半までだったと、行って気付いたのですが、管理人の女性が、「いいよいいよ見てって」と。
 すると、「あっ、あなたTVで見たことある。ほらあの...」と。
 いやいや、私、TVに出てません。
 ハンチング帽にメガネとアゴ髭、吉田類あたりと間違えた?
 
 北海道から来たというと、娘さんが千歳に居ると言い、先日の胆振東部地震の話に。

 1階は、土器や埴輪などの展示でした。
 なかなか興味深かったのですが、2階の方がおもしろかった。
 江戸時代位からこれまでの歴史が、本宮市の町の成り立ちや風俗とともに紹介されています。
 太平洋戦争の頃の資料もあり、とてもよかったですね。
 これは、来た甲斐がありました。

 実はTさんはあまり乗り気じゃなかったんですよね。
 でも、これはいいところだ、今度、子ども達を連れて来るって喜んでくれました。
 私は、博物館が大好きなので、たいていの所で楽しめるのですが、今回は地元の人が喜んでくれて、すごくうれしかったです。

 さて、もう別れの時間です。

 本宮駅はすぐそばです。

 福島市と本宮市で過ごした2日間は、充実した、そしていろいろ考えさせられた2日間でした。
 多分、フクとまにとってこれからの課題は、まだ保養を必要と考える人たちと、もう福島は大丈夫と思っている人たちとの架け橋になれるような存在になれるか(小さくていいから)、そういうことかなと感じています。

 Tさんは改札口で、白石市に向う列車の乗降口に立つ僕を見送ってくれました...。

 こういうの、やってみたかったんだよね。
 夢のよう。

福島県本宮市〜その1[2018年11月29日(Thu)]
 福島市での交流会が終わった後は、午後から福島県本宮市に行きました。

 フクとまの現地スタッフTさんが案内してくれました。

 途中、二本松の国道4号線沿いの道の駅に寄ったのですが、この時期に、まだ庭用の花を売ってました。北海道では考えられませんね。
 ここで、美味しい「みそパン」を買いました。
 北海道のみそパンはこんな感じ ↓ ですが、
39543c.png

それとは違い、蒸しパンって感じでした。

 つづいて、二本松の美味しい日本酒「大七」近くの「花月堂」に。
 ここでは、Tさんが、おすすめの「あげまんじゅう」を「お土産に」って買ってくれました。
 
 このまんじゅうも、香ばしくて美味しかったですよ。
 家族にも大好評でした。
 二本松で菊人形展をやっていたせいもあるのでしょうか、13時くらいに行ったのですが、あげまんじゅうが4つ、ごまあげまんじゅうが3個しか残っていませんでした。

 買い占めちゃった。

 二本松には3回行ってるし、大七のすぐそばに泊ったことも、大七に見学に行ったこともあるのに、知らなかった。
 ショーケースにあったココアロールケーキもうまそうだったんだよね、ここ、いいお菓子屋さんですよ。

 本宮市には13時半くらいに入りました。
 まず、昼食にしようと言うことで、柏屋食堂さんへ。
 ここはソースカツ丼が有名だそうです。
 交差点を右折して駐車場に入ろうと思ったら、来る対向車がみんな左折して柏屋さんの駐車場へ入って行き入れない。
 やり過ごして、ターンして左折して入ろうと思ったら、駐車場は一杯で外に4人くらい並んでる。
 日曜とはいえ、13時半なのに。
 案内してくれたTさんも、ここまで込んでいるとは思ってなかったようで、まだお腹は持つので、先に「スマイルキッズパーク」に見学に。
 
 ここは、原発爆発事故の後に建てられた子どもの屋内遊び場。
 沢山の親子が遊びに来ていました。
 室内に砂場があり、他にボールプールやトランポリンみたいなものや滑り台、ロッククライミングみたいなものがあったりと、赤ちゃんから小学生高学年まで、年齢に合わせて遊べます。
 利用は小学生迄。
 みんなすごく楽しそうでした。

 ここから地下道をくぐって道路の反対側に出ると、アスレチックと庭園のある公園になってます。
 先ほどのスマイルキッズパーク(屋内遊び場)とこの屋外公園を会わせて「プリンス・ウィリアムズ・パーク」と言うのだそうです。
 こちらにも、沢山の親子が来て子ども達は元気に遊んでいました。
 そんなに広くない公園ですが、勾配があって、体力が付くと思いますよ。
 スクリーンショット(2018-11-26 6.55.32).png

 あ、記念植樹からアスレチックへの写真は撮ったけど、庭園内部の写真を撮るのを忘れた。

 屋内公園と屋外公園を結ぶ地下道入り口で空間放射線量を計りました。
 0.09μSv/hでした。
 もし、泊原発で爆発事故が起きて苫小牧がこうなったら、私はどうしているだろう...。

 さて、もういいかな?と柏屋さんに戻ります。

 相変わらず、駐車場に車が止まっていますが、かなり減った。
 店内に入ると、座敷も含めて8割くらい埋まってる。
 もう、3時なんだけどなあ...、人気店なんですね。
 地元の人らしき人、市外から来たと思われる人...。

 店は、時代を感じさせるいい雰囲気です。
 こういう店って、北海道にはなかなかないんだよねえ。
 特に苫小牧にはない。

 やはり、ここは「名代 ソースカツ丼」です。
 これの「上」があり、「厚切り」とあります。
 でも、ここはスタンダードにね。

 20分ほど待ったかな。
 出て来ました。
 塗りの丼のごはんの上に薄くキャベツが敷いてあり、その上に2枚のトンカツが載ってます。
 大きく1枚ではなく、2つにカットされて。
 あれ、でも、細かくはカットされてない。
 かぶりつくんだね、こういうの初めてだ。
 厚さは、衣を含めて1.5〜2.0センチ。
 充分、厚いよね。
 これの「上」って、相当じゃん!

 さて、かぶりつくと、「サクッ」っと切れます。
 あー、なるほど。
 こりゃ、カットしなくてもいいわ。
 
 肉の本当のおいしさは「脂身」ですが(苫小牧のB1トンちゃんは脂身が本当にうまい)、この脂身もうまい。
 これは、いいですねえ、美味しかった。
 ボリュームも十分。
 Tさんは、煮込みカツ丼でしたが、それは卵でとじた一般的なカツ丼。
 一切れいただきましたが(こっちは切ってる)、これもうまかった。

 ここいいですね、酒の肴もあるし。
 絶対また、来たいココ。

 満喫して店を出ました。
 玄関の引き戸を開けた一歩目が、階段(2段)になっているという、危険なトラップがある不思議な店ではありますが。
 (転倒者続出だと思うんだけどなあ)

 後半は、次回。

 
 
 
福島市での交流会〜2[2018年11月19日(Mon)]
 昨日の続きです。

 後半は、過去に保養に参加したことのある子ども達へのインタビュー結果の紹介でした。
 
 どの子も複数回保養に行ったことのある子でした。
 「楽しかったことは?」という質問に考え込んじゃった子はいたそうですが、「嫌だったことはない」のは共通していたので、それなりに保養は楽しく過ごしてくれているのでしょう。
 
 インタビューされているのが中学生だということもあるのでしょう、保養の目的はきちんと理解していましたし、「親がリラックスできる」ということを挙げている子もいました。
 保養の基本的な目的以外の効果として、地理に詳しくなれて、学校の発表等に役立つということを挙げている子もいましたね。
 友だち同士の会話の中には、保養は登場しないそうです。
 同時に、保養に行くことを伝えても、それで学校生活で何かあるということもないそうです。

 おもしろいなあと思ったのは「保養に関する質問」で、子ども達全員から「なぜ、保養をするのですか」という質問があったことですね。
 当日、このことについて話し合う時間がなかったのは残念でしたね。
 他の保養団体がどう思っているのか聞いてみたかったです。
 この日出席していた、ひまわり大使経験者(前回ブログ参照)の子ども達も興味がある所だったのではないでしょうか。

 いい機会なので、フクとまの代表としての考えを示したいと思います。
 「代表として」とするのは、他のスタッフは、それぞれ別の思いがあると思うからです。

 私が保養に取り組むのは、「大変な状況にある福島の子どもを助けたいと思っている、そういう自分の思いを実現したい」からです。
 つまり、「○○したい(ここでは『助けたい』)」と思う自分を満足させるためです。
 福島の人達に「保養をした方がいいですかね?」って聞いて始めたわけではなく、自分がしたいからしただけです。

 では、なぜしたいのか?
 うーん、ここは難しいのですが、多分第一は「自分の子どものため」。
 「情けは人のためならず」ってやつですね。(この言葉は「情けは人のためにならない」って意味じゃないからね!)
 他には、贖罪ってのもある。
 善い行いをして過去とこれからも起こすだろう過ちを帳消しにしてもらおうといういやらしい部分。
 それから、自分の心の中の女性的な部分が作用しているのかもしれない。
 
 いずれにしても、「思い」を突き詰めて行くとこういうことになる。

 決して自己犠牲とかではなく、自己満足に限りなく近い。
 (自己満足だろ!って言われたら、そうなんだけど、ちょっと腹が立つのはなぜかな(笑))
 ナルシーも入っているのかも...ヤだな。

 なので、「福島のために、ありがとう」とかって言われると、なんだかくすぐったいというか、ばつが悪い、いやそんなことしてないって思っちゃう。
 でも、人間って不思議なもので、というか勝手なもので、自分がやりたいからやってるはずなのに、あまり無理なことを言われると、「なんでそこまで」とかって思ったりするんですけど。
 フクとまでは、まず、そういうことはなかったですけどね。
 
 まあ、そういう矛盾を抱えているから人間なんで。

 「あなたがそんな人と思わなかった!」
 「ごめんなさい、そういう自分を必死に隠して来たのですけれど...」
 あ、話が道に逸れた。

 とにかく、したいからするんです。
 だから、子ども達には遠慮なく思いっきり遊んでほしい。
 目一杯遊んで、汗まみれになって、服を汚して、草っ原に寝転んで、お腹空かして、調子に乗って大人に叱られて、コロンと寝てしまう、そうしてほしい。

 それを見たいからコレをするのです。


 
《付記》
 長谷川町子のマンガ「いじわるばあさん」で、ばあさんが珍しくいいことをして「善行した」って鼻歌を歌っていたら、それを見た神様が「その程度で...」っていうシーンがあったのを覚えています。
 それを読んだのは、小5くらいだったと思うけど、将来の自分を感じていたのかなあ。
福島市での交流会〜1[2018年11月18日(Sun)]
 11月10日〜11月13日迄、福島市、本宮市、南三陸町.山元町、仙台市に行って来ました。
 まずは、11月11日午前中に行われた保養団体の交流会「ほよっと福島交流会」の模様について紹介します。

 前日の10日には、保養団体を中心にした団体「311受入全国協議会」の保養ワーキンググループが企画した「こころつなぐ広場」が福島市内で行われていました。
 チラシは市内の小学校に配布したそうですが、企画者の話では、「保養相談よりもマルシェ的な部分を強く打ち出したのが裏目に出てしまった」そうで、相談のための来場者は10組程度だったそうです。

 11日は、保養団体6組(参加団体名称確認中)とひまわり大使派遣事業を行う福島市のNPO法人シャロームが参加して「ほよっと福島交流会」が行われました。
 最初に、ひまわり大使として派遣された経験のある高校生と小学生が、事故時のこと今の思いを話してくださいました。
 ひまわり大使とは、ひまわりプロジェクトをとおして交流のできた市町村に、福島県の現在の様子を伝えることを目的として行われている事業です。
 ※ひまわりプロジェクトについては→コチラ

 今の思いについて、その内容の一部を紹介すると、まず「福島はもう大丈夫」なのだそうです。
 除染が進み、食品検査も充分に行われている、みんな普通に生活していると言っていました。
 自分は、そういう復興に向けて頑張っている福島の姿を伝えていきたいということです。
 もちろん大丈夫ではない部分もあると話していましたが、それが何かは、今日の報告では具体的に挙げていませんでした。

 お話をしてくれた高校生の通う高校の先生は、この事業のもう一つの効果を上げていました。
 報告を行うには事故時にどのようなことが起きていたのか、それをしっかりと知る必要があるのだが、多くの家庭が、家族でそのことについて話し合ったことはないのだそうです。
 この報告を行うためには、親が当時を振り返らなくてはなりません。
 親が振返り、それを子どもに伝えて行くことで、当時の様子や自分の気持ちを子どもに伝えて行くことでき、それが子どもの財産になって行くということなのだそうです。
 また、各地に子ども達が派遣されることで、子ども達がそれぞれ学んで来るという効果もあるそうです。
 例えば、農家との交流の中では、土ができるまでの年月やそれに含まれているもの等を学び、いかに貴重で大切なものかを知るということもあるそうです。
 福島では、除染作業で大量の土を剥がされています。
 2つをつなげて考えることで、ただ「剥がした」だけでなく、そのことで何が失われたのかを深く考えることができるのだそうです。

 ある保養受入れ団体からは、このような意見がありました。
 平たく言うと、「福島にはまだ大丈夫だと言えない面が多くあるはずなので、『福島はもう大丈夫』とアピールすることには、ちょっと違和感がある」ということだったと思います。

 私は、空間線量計を持って福島に行きましたが、駅や県庁周辺で0.09〜0.14μSv/hありました。
 もちろん、事故時に比べれば9割位減っているのですが、事故前の2倍くらいの数値なわけです。
 保養受入れ団体の意見は、除染されないまたは徹底できない場所があること、原発事故が終結していないことも踏まえてのものなのでしょう。

 こども達のお話と保養受入れ団体からの意見、この2つは「視点の違い」によるものだと思います。ここでは、特に議論になりませんでしたが、とても大事な視点ですので、後日、別な形で取り上げたいと思います。

 さて、後半は、保養参加経験のある子どもたちへのインタビュー結果の紹介です。
 
 うーん、長くなったので、続きは次回。
胆振東部自身に関連して〜11[2018年11月15日(Thu)]
 前回の続き。
 午後からは、段ボールベッドの解体、長机や椅子の撤収など。
 長机は、階段で2階に運び、段ボールベッドは解体し、パーツごとにまとめます。

 みんなやる気満々だから早い早い。
 それに、新しい避難所の設営も終わり、そちらの班もこっちに合流したものだから、14時半にはほとんど終わってしまいましたよ。

 最後に、職員さんからお礼とメッセージがありました。
 来年、2月頃かな、追分地区に道の駅ができるそうです。
 地震で、完成予定が大きくズレてしまったけど、完成したらぜひ遊びに来て欲しい。
 また、当初は、道の駅の完成時にSLも一緒に展示されるはずだったんだけど、道が悪くてSLを運ぶことができず、2月のOP時には間に合わなくなってしまった。
 でも、9月には展示できるし、その時期は、ちょうど震災から1年なので何かイベントをやると思うので、そのときにもぜひ来て欲しいということでした。
 そして、中学校の校舎など、復興に向けて課題はまだまだあるけれど、私たちは頑張るので、これからも私たちを応援して欲しいとおっしゃってました。

 行きますよ、9月。SL大好きですし。

 
 さて、今回も出会いがありました。
 神奈川県から会社の同僚数名で来ているという内の1人、20代と思われる男性です。
 社長さんが社会貢献活動に熱心な方で、11月に行く様に指示があったそうです。
 もちろん、彼は指示があったから仕方なく来たのではなく、積極的に活動していましたよ。

 彼はなぜか、同僚がみんな仮設住宅への引っ越しを担当したのに、1人だけこっちに来ました。
 「なんで」って尋ねたら、「いや、ちょっと出遅れたらなんとなく...」とのこと。
 いいですね、そういうこだわりの無さ。
 
 私の車で現場に移動しましたが、初めて北海道に来たそう。
 明日は同じく安平か厚真での活動を考えているとのこと。
 観光は、月曜日に少しと言っていましたが、宿舎は千歳だそうです。
 札幌まで15分おきに電車が出てるんだから、美味しいもの食べといでとススメました。
 せっかく来たんだからねえ。
 店、3つ教えたんだけど、どうなったかなあ。

 「あまり訛がありませんね」と言うので「そのうち『なまら』とか『○○だべや』とか『○○しょ』とか、『そだねー』とか言い出すから大丈夫」と答えておきました。
 北海道の自然の話(エゾシカが庭に入り込んで裏の家の薮に2泊した。うちから200メートルくらいのところにクマが出た。うちは市内中心部の方です)の話もしましたが、話、盛らないでよとお願いしましたが。
 これまで会ったボランティアさんのことも興味深そうに聞いていましたよ。


 ところで、追分地区には「瀧」というラーメン屋さんがあります。
 古くからある店で、私は店の前の国道を通るたびに「ここは美味しいんだろうか」とずーーーっと気になっていました。
 この日、昼食を、ボランティア初日に昼食を食べた場所でとろうと公民館から国道に出たら、目の前に、この「瀧」さんがあるではありませんか!
 カミさんが作ってくれたおにぎりが3個ありますが、このチャンスを逃すと、もう機会は無いかもしれない...「瀧」に入ることを決めましたよ。

 12時15分くらい前でしたが、7割くらい席が埋まっていました。
 メニューは、スタンダードな札幌ラーメンという感じ。
 札幌ラーメンなら、やっぱ味噌か。

 12時になるとほぼ満席になりました。
 トラック運転手、役場職員、農家さん、近所の人、なじみの夫婦みたいな人(化粧品臭かった。味噌でよかった)。
 カウンター8席くらいも、小上がり3つも、テーブル一つも埋まりました。
 根強いファンに支えられているのですね。

 ラーメンは、「食べログ」じゃないので、小賢しい味の評価なんてしませんが、子どもの頃食べた懐かしいタイプの、「サッポロラーメン!」でした。
 美味しかったですよ、また来たい。

 カミさんのおにぎり?
 店を出て、予定の場所で食べましたよ、2つ。
 当然でしょ。
 残り1個は.帰りの車内で食べました。
 
 さて、安平のボランティア活動記録はこれで終わりです。

 安平、厚真、むかわ。
 仮設住宅で暮らす方は、これからも大変ですが、どうか人のつながりを生かして、健康に過ごしていただきたいと思います。

 また、機会があったら手伝いに来ます。

  
胆振東部地震に関連して〜10[2018年11月08日(Thu)]
 11月3日、.約1ヶ月ぶりに安平に行って来ました。
 片付けや震災ゴミの回収は、.先月で終わっており、これからは仮設住宅へ移る方の引っ越しの手伝いがボランティア活動のメインになります。
 ただし、全壊した住宅の中にはボランティアは入れないので、そういう家の中の家具等はそのままにされていると思いますが。
 
 さて、この日は50名くらいのボランティアが集まりました。
 今日の仕事は、避難所の集約に伴う設営・撤収作業と仮設住宅への引っ越しの手伝いの2種類です。
 私は、避難所での生活や段ボールベッドについて知りたかったので、前者を手伝いました。
 撤収作業は追分地区の公民館の避難所の閉鎖、設営作業はそこから移動する追分駅そばのぬくもりセンターで行います。
 メンバーは18名、公民館とぬくもりセンターに9名ずつ別れて行います。
 私は、最初は公民館で撤収作業の方に。

 公民館には11名の方が避難されていました。
 個人の所有物は、ご自身で荷造りが済みそれぞれの車に積込んであるので、みなさんはぬくもりセンターの設営完了待ちです。
 私たちの午前中の作業は、食料や生活用品の運び出し、様々なお知らせや目隠しに使っていたパネルの搬出です。
 公民館には、ヤマト運輸さんのトラックが横付けされていました。

 館内の掲示スペースには、震災被害、健康、イベント等の情報の他に、避難所での生活者の人数も貼り出されていました。
 地震の翌日が一番多く200名くらい、それから少しずつ減って行って、閉鎖する今日は11名になっていました。
 運び出す食料や生活用品を見ると、様々な所から支援があったのだろうなあと思いました。
 (缶詰好きの私は「一個ほしい...」と思うものも)
 でも、やはり不自由な生活だったと思います。
 広くて比較的新しい施設だとはいえ、ここに100人以上の人が生活していたなんて、実際にそこに行き、そこで生活の様子を見て、そこで暮らす人数を考え、そこに自分を置いてみないと分からないと思います。
 新聞やテレビの情報で、想像はできるけど、実際のそこの空気に触れないと(それでも所詮想像なんだけど)やっぱり分からないです。
 仕事で厚真町に行ったとき、地震から2週間くらい経っていたと思いますが、避難所や福祉?施設で「報道関係者入室お断り」「取材は受けられません」という紙が貼ってありました。 
 そうなった経過や原因は知りませんが、報道関係者の頻繁な出入り、もしかしたらマスコミの一部の人の自制心が働かない行動があったのかもしれません。

 それにしても、みなさん働き者です。
 職員さんが考えていたよりもどんどん仕事は進み、受入れ側のぬくもりセンターも進んでいるようで、予定よりも早く荷物の運び込みを行うことになりました。

 ぬくもりセンターは玄関が狭いので、トラックから玄関内部まで並んで手渡しで運び込むことにしました。
 これを順調にやるには、渡すものが何か、または重さを声かけしながら行うことが肝心です。
 だって、すごく大きい段ボールなのに、中身は発泡スチロールのお椀だったり、その次にその5分の1の大きさだけど中身は真空パックのお米20キロだったり。
 でも、その意外性がおもしろくて作業ははかどりましたけど。

 段ボールベッドを初めて実際に見ました。
 土台は、段ボール9箱とそれを3つずつにまとめる枠だけなのですね。
 秘密は。一つ一つの箱の中に対角線に入れる1枚の段ボールの板。
 これで、全部で18個の三角柱で支えることになって、人が乗っても崩れない強度になるわけです。はあ、なるほど〜と思いました。 
 でも、これ、一緒に活動したボランティアさんに訊くと1組
1万円以上するそうです。なかなかお高いものなのですね。

 さて、搬入は終わり、次は公民館に戻り撤収作業に入ります。
 12時前ですが、ここでお昼休みになりました。

 今日までここに居た避難者のみなさんが、13時にここを出ると職員が伝えたとき、1人の女性の方が、多分ゆとりセンターには行かないと思われる方にすがり、別れてしまうこと、これからの生活の不安を訴え、相手の方が「大丈夫だよ」と元気づけている姿が目に入り、私はそこをすぐ離れたのですが、今もたびたび思い出します。

 午後の活動は次回に。

胆振東部地震に関連して〜9[2018年11月05日(Mon)]
 10月8日です。
 この日は、ゴミ回収の方に回りました。

 この日の私のグループのリーダーは、大きな瞳で目元がキリッとした女性。
 しっかりとした説明をされていました。
 メンバーはリーダー含め12人くらい。
 私ともう1人苫小牧が居て、リーダーは倶知安・ニセコ方面、他は地元の方と...忘れちゃった。確かリーダー以外は、みんな比較的近かったような。
 震災から1ヶ月ですが、初参加というボランティアも多く、みんな忙しい中で機会を見つけて来ている、新聞記事等を見て「自分も何か」と思って来ていることが分かります。

 大型トラック2台、ハイエース1台、そして私が運転する軽トラで出動です。
 そういえば、トラック類はオリンピックその他の需要でなかなか手配が付かず、町内の農家さんから借りて用意したと行っていました。
 私の軽トラもそう。
 今日は同乗者無しなので、今日はラジオと一緒。
 集合住宅から出された、タンス群などを大型トラックに積込んで行きます。
 大きな家具やテーブルは荷台の縁に積んで、より多くの荷物を載せるための壁として使います。
 2回以上来ている人は、その辺りの要領は分かっているようです。
 この日は7、8カ所くらい回ったかな。でも1カ所ごとの量はそんなに多くなく、途中で集積所に置きに行くとは無かったように記憶しています。
 私の軽トラに荷物を載せることになったのは、本当に最後、洗濯機1台だけでした。

 高齢者のお宅に伺うと、物置から荷物を出すのを頼まれることがよくありました。
 大きなものが高い所にあり、梁にスキーなど板系が、しばしば梁に渡してあります。
 きっと、まだダンナさんが若い時に収納したものなんでしょうね、子供用のスキーが多かった。
 使わなくなって十数年、もしかしたら数十年間そのまま。
 モノを降ろすと、時代を経て土ぼこりとなった埃も降って来ます。(笑)
 高い所から荷物を降ろすのは私の出番、そして福島県二本松で裏山の除染を手伝ったときに使った防塵マスクの出番です。
 コレ、息が楽でメガネが曇らず、優秀なんですよ。

 終了の時間近くになり、軽トラ以外はゴミ集積所にゴミを降ろしに。
 軽トラは、一度行ったがゴミが出ていなかったところで(生ゴミが出ていたが、それは本部から連絡して断った)、あらためて出しているかもしれないという本部の指示で、リーダーと共にもう一度そのお宅にうかがうことに。
 リーダーが同乗するというので、私は、いそいそと車内を片付けました。
 軽トラは狭いので、私の分身である私のリュックを抱っこしていただきました。(←なんだこの文章)

 さて、そのお宅に向おうとしましたが、私はもちろんのこと、リーダーまでがそのお宅の場所が思い出せません。結局、ゴミ集積所に行って、ゴミを降ろし終わった一台が場所が分かるというので、その車の先導で目的の場所に行きました。
 そして、そこにはゴミは出ていなかった、というオチでした。

 リーダーの彼女は、今日が6回目だそうで、なんと50CCで通っているそうです。
 3時間位かかるって言っていたかな、国道276号線が最短ルートだけど。
 すごい頑張り屋さんだけど、本当に「気をつけてよー」って思いましたよ。
 そんなに話をする時間はなかったですが、お互いに、「安平に来るモチベーションを仕事にも維持しなきゃね、上司には聞かせられないね〜」と笑ってました。

 
 さて、この後、私はしばらくボランティアに行っていません。
 家には車が1台しかないので、家の用事で車を使えないことが続き、またボランティアの募集が無い週もありました。
 震災ゴミの収集は10月一杯で終わり、いよいよ仮設住宅への引っ越しが始まります。

 では、次回。
 
胆振東部地震に関連して〜8[2018年11月03日(Sat)]
 次に安平町に行ったのは、10月7日。
 高一の息子を連れて行きました。

 あくまでもボランティアだから、強制するつもりは無かったけど、「フクとまで世話になっている地域だし、自分の経験にもなると思うから、行ってみる?」って聞いたら、「うん」って言うので。
 いや、本人にしたら「なんかプレッシャーかけてたじゃん」って言うかもしれないけど。あせあせ(飛び散る汗)

 でも、親のひいき目無しで、積極的に働いてましたよ。

 この日は、もう住まないという住宅に残された荷物や家具等の運び出し。
 私のグループは、リーダー以外8人で、札幌4、苫小牧3、剣淵(だったかな?)1。
 剣淵は「絵本の町』として有名で、うちの家族も寄ったことがあります。

 運び出したものは全て廃棄処分するということでした。
 食品や洗剤、レコード、アルバムからタンス、ふすま、そして台所まですべて運び出したのですが...。

 おばあちゃんが一人暮らしだったそうなのですが、子ども達と一緒に暮らしていた頃からのものも処分できずにそのまま残されていたのでしょうね。
 お子さんのものと思われる幼稚園時代のお絵描きや記録、それから成長とともに変わって行くおもちゃなども出て来て、捨てちゃっていいのかなあと思いつつ、この家と家族の「時の流れ」が感じられて、なんかせつなくなりました。

 それにしても、よくまあ、こんなにこの家の中にあったなあって言うくらいのモノが出ましたよ。
 1階部分は、多分前日のグループが運び出したのでしょう、ストーブや流し台、電灯、煙突くらいしかなかったけれど、2階がすごかった。
 多分、前日のグループは1階だけで手一杯だったのでしょう。
 沢山のモノが2階から下ろされたけど、玄関と階段の階段の空間を最大限に使わないと下ろせない家具等が沢山ありました。
 ココに暮らしていたおばあちゃん、絶妙な空間感覚だわ。
 でも、どうやっても、階段から下ろせないタンスがあって、みんな「どうやってここに上げたんだ、コレ???」って。
 上げたんだから下ろせるはずなんだけどね〜、魔術だわ。
 結局、2階で解体。
 Aさん(前の記事参照)から学んだ解体技術が生かせました。

 それにしても、沢山の荷物が出たわ。
 この住宅の敷地内に全部置けるのか?って感じだった。
 「もう一度室内に戻して」って言われても、入らないよコレ。
 お年を召してからは、処分することもままならなかったんでしょうね。
 高齢化が進む今、こういう家が各地にあるんだと思います。

 それにしても、震度6の凄まじさをあらためて思い知らされました。
 玄関は沈んで基礎と離れ、モルタル壁は裂けて外が見えていました。
 すごく怖かっただろうなあと思います。
 どこに移られたのかは分からないけれど、これからは安心して健康に暮らしていただくことを願います。

 午後からは、もう1グループと合流して行動です。
 ゴミの集積所にも、軽自動車の助手席に乗って行きました。
 余談ですが、軽トラックは、この運転手さんがボランティアで持ち込んだもの。
 動き始めるときにものすごい音が(サスペンションの悲鳴のような)...。
 訊くと、もう購入費用のモトを数回とったくらい使い込んでいるとのことでした。
 この方は、十勝方面から来ているとのこと。
 無事に帰れるんだろうかと心配してたら、帰りに厚真町の「あづまジンギスカン」で有名な市原精肉店に寄ったら、そこでも会いました。
 「煮込みジンギスカン食べた?なまらうまいよ」って。
 おすすめに従って買ってみました。
 いや、ホントうまかった!!
 とても良い方でした。

 話を戻して、ゴミの集積所は公園の一角を使って、基本的に木質類、その他燃やせるもの、金属類、家電系と別れていました。
 それにしても大量のゴミ。
 ゴミの中からゲームかなにかの電子音が聞こえて来て、なんか寂しい感じがしましたね。
 テレビ置き場には、懐かしい「実際に回すことができるチャンネル」が付いているものがありましたよ。

 ある一軒では、2階からスチールデスクを縄でしばって降ろしましたよ。
 男4人で、先頭の私が下の様子確認と調整、次の人が補助、後ろ二人が錨。
 降ろしながら、この手すりが外れたら、オレも「わー」って落ちてコントだなあって思いながら。ホントになったらコントで済まないけど。
 この作業の時だけは、写真に撮って欲しかったなあ。

 息子には、ゴミの集積所にも行かせました。
 帰り、安平から厚真へに向う道路で、地震による影響と思われる舗装道路の蛇行や崩れた丘、倒木を見せました。
 最近は車内でもスマホをいじってるばかりでしたが、この時はしばらく車外を見てましたよ。
 大切に育てすぎたのか、純粋に育てすぎたのか、考え方や精神的な成長が遅い彼ですが、各地から集まる大人達と一緒に行動して、そして災害の痕跡を実際に見て、何か感じてくれたかなあと思いました。

 また、続きます。
 
 
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