胆振東部地震に関連して〜7[2018年10月30日(Tue)]
さて、9月24日。
この日も、私は戸別訪問を希望していましたが、前日のボラセンからのメールで、訪問対象件数は少ないと聞いていました。
当日、とりあえず、戸別訪問のグループに入りましたが、あらためて、残り件数は少ない、そして今日は、ゴミの回収に力を入れたい。そっちは、何人居てもいい、特に男性は...。
私は、男気を見せるべく「ゴミの方行きます!」と手を挙げました。
そもそも、体格、体力的にはそっち方面。
いつ、そっちにまわってくれと言われてもいい様に、安全長靴を履いて、革手袋、耐油手袋を用意して来ていますからね。
ゴミの回収は6つのグループに分かれ、私のグループは2台のトラックで回ります。
メンバーは13名くらいだったかな。
移動のために私は車を出し、私の車には福岡市近くのある街、大阪市、夕張市、そして私の4名の男です。
行き先は、安平町の安平地区。
トラックにくっついて出動です。
一軒一軒を回るわけですが、ゴミは道路脇にまとめられています。
基本的に、地震で壊れた家具等が対象なのですが、「この際だからゴミ」も沢山出されていましたよ。
布団袋6玉とかね。
農家だから、物置から漬物樽から、臼まで出されてた。
臼は重かったあ、木の幹の皮を向いて、突く部分を丸くくりぬいただけだもの。
杵はなかったわ。
衣装ケースがあって、誰かが「空かー?」って開けたら
「わー
」って。
中に、ひからびたネズミの死骸。
そっと引き出しを閉じました。
誰が運ぶか、衣装ケースルーレット。
それにしても、各家庭から古いものが出てくるわ。
レコードなんて普通のもの。
元阪神、西武の田淵が大学生だった頃の新聞(50年前だよ!)とか。
石原裕次郎の若い頃の芸能記事とかね。
タンスの敷き紙として、16年前に閉店した苫小牧のデパート「鶴丸」の包装紙が出て来たんだけど、包装紙だけ取っておけばよかったなあと。
あれは貴重だ、博物館でもらってくれたんでないかなあ。
そして、私が回った家のほとんどから出て来たのが「サケをくわえた木彫りのクマ」。
昔はどの家にもあったもなあ、北海道土産なのに。
うちは、テレビの上にレース敷いて、その上にあった。
捨てられてるのは、今、買ったら1万円以上の大きさのものばかりだよ。
大きな家具やテーブルは、荷台の端に置いて、余計に荷物が載せられる様に壁の様にして使うんだけど、そういう配置やゴミの置き方が上手なのが、福岡市近くから来たAさん。
この人からタンスの壊し方を教わった。
自然とリーダー格になってたね。
東日本大震災も、熊本も今年の広島も行ったって言ってたから経験が豊富。
Aさんから、被災地ボランティアの逸話も聞いた。
東日本のときの話だけど、IT企業から職場動員されたらしい人たちが居て、そのうちの1人が不平ばかり言って真剣にやっていなかった。
一緒に活動していた人たちが「あいつはケガするなあ」と思っていたら、本当にケガをした。救急車を呼ぶほどのケガじゃないんだけど、本人が騒ぐから救急車を呼んだ。
Aさんがが一年後に来て、食堂(だったかな?)でご飯を食べていたら、横の席の方から、その時と似たような話が聞こえて来た。聞き耳を立てていると、まさしくその時の話。
しかも、自己犠牲的な美談になっている!!
おもわず、「それは違う」と本当のことを伝えたそうです。
いや、それはあなたが悪者になったかも(笑)、って突っ込んでおいたけど。
でも、なんでも嫌々やってるとケガや間違いをするよね。
Aさんは、泊まり込んでやってるって言ってたけど、お酒が好きみたいなので、一緒に呑んでみたかったなあ。
近所のお宅からは、「物置を解体した」というゴミが出た。
初めは、「コレは廃材でボランティアによる回収の域を超えてるんでない〜?」って言ってたんだけど、なんせモチベーションの高いボランティアたち。
ボラセン本部に問合せ、持って行くことに。
それがまた早いんだわ〜、あっという間に物置一棟分の廃材をトラックに積込んだ。
つくづく感じたのは、ボランティアが、本当に「やる気まんまん」なこと。
ゴミ置き場から離れて置いてあるブロックのガレキを指して、「アレも持って行かなくていいのかなあ」って言うのです。それも、そう言う人が1人じゃないんだよね。
多分、ボランティアは16時迄に本部に帰るのが基本だと思うんだけど、時間が押し迫ってても、片付けてしまいたいんだよね、「明日のボランティアに任せればいいっしょ」と言っても、とにかく自分が片付けてしまいたい。
本当に、モチベーションが高いです。
これだも、どんどん片付くわ〜。
この日も、私は戸別訪問を希望していましたが、前日のボラセンからのメールで、訪問対象件数は少ないと聞いていました。
当日、とりあえず、戸別訪問のグループに入りましたが、あらためて、残り件数は少ない、そして今日は、ゴミの回収に力を入れたい。そっちは、何人居てもいい、特に男性は...。
私は、男気を見せるべく「ゴミの方行きます!」と手を挙げました。
そもそも、体格、体力的にはそっち方面。
いつ、そっちにまわってくれと言われてもいい様に、安全長靴を履いて、革手袋、耐油手袋を用意して来ていますからね。
ゴミの回収は6つのグループに分かれ、私のグループは2台のトラックで回ります。
メンバーは13名くらいだったかな。
移動のために私は車を出し、私の車には福岡市近くのある街、大阪市、夕張市、そして私の4名の男です。
行き先は、安平町の安平地区。
トラックにくっついて出動です。
一軒一軒を回るわけですが、ゴミは道路脇にまとめられています。
基本的に、地震で壊れた家具等が対象なのですが、「この際だからゴミ」も沢山出されていましたよ。
布団袋6玉とかね。
農家だから、物置から漬物樽から、臼まで出されてた。
臼は重かったあ、木の幹の皮を向いて、突く部分を丸くくりぬいただけだもの。
杵はなかったわ。
衣装ケースがあって、誰かが「空かー?」って開けたら
「わー
中に、ひからびたネズミの死骸。
そっと引き出しを閉じました。
誰が運ぶか、衣装ケースルーレット。
それにしても、各家庭から古いものが出てくるわ。
レコードなんて普通のもの。
元阪神、西武の田淵が大学生だった頃の新聞(50年前だよ!)とか。
石原裕次郎の若い頃の芸能記事とかね。
タンスの敷き紙として、16年前に閉店した苫小牧のデパート「鶴丸」の包装紙が出て来たんだけど、包装紙だけ取っておけばよかったなあと。
あれは貴重だ、博物館でもらってくれたんでないかなあ。
そして、私が回った家のほとんどから出て来たのが「サケをくわえた木彫りのクマ」。
昔はどの家にもあったもなあ、北海道土産なのに。
うちは、テレビの上にレース敷いて、その上にあった。
捨てられてるのは、今、買ったら1万円以上の大きさのものばかりだよ。
大きな家具やテーブルは、荷台の端に置いて、余計に荷物が載せられる様に壁の様にして使うんだけど、そういう配置やゴミの置き方が上手なのが、福岡市近くから来たAさん。
この人からタンスの壊し方を教わった。
自然とリーダー格になってたね。
東日本大震災も、熊本も今年の広島も行ったって言ってたから経験が豊富。
Aさんから、被災地ボランティアの逸話も聞いた。
東日本のときの話だけど、IT企業から職場動員されたらしい人たちが居て、そのうちの1人が不平ばかり言って真剣にやっていなかった。
一緒に活動していた人たちが「あいつはケガするなあ」と思っていたら、本当にケガをした。救急車を呼ぶほどのケガじゃないんだけど、本人が騒ぐから救急車を呼んだ。
Aさんがが一年後に来て、食堂(だったかな?)でご飯を食べていたら、横の席の方から、その時と似たような話が聞こえて来た。聞き耳を立てていると、まさしくその時の話。
しかも、自己犠牲的な美談になっている!!
おもわず、「それは違う」と本当のことを伝えたそうです。
いや、それはあなたが悪者になったかも(笑)、って突っ込んでおいたけど。
でも、なんでも嫌々やってるとケガや間違いをするよね。
Aさんは、泊まり込んでやってるって言ってたけど、お酒が好きみたいなので、一緒に呑んでみたかったなあ。
近所のお宅からは、「物置を解体した」というゴミが出た。
初めは、「コレは廃材でボランティアによる回収の域を超えてるんでない〜?」って言ってたんだけど、なんせモチベーションの高いボランティアたち。
ボラセン本部に問合せ、持って行くことに。
それがまた早いんだわ〜、あっという間に物置一棟分の廃材をトラックに積込んだ。
つくづく感じたのは、ボランティアが、本当に「やる気まんまん」なこと。
ゴミ置き場から離れて置いてあるブロックのガレキを指して、「アレも持って行かなくていいのかなあ」って言うのです。それも、そう言う人が1人じゃないんだよね。
多分、ボランティアは16時迄に本部に帰るのが基本だと思うんだけど、時間が押し迫ってても、片付けてしまいたいんだよね、「明日のボランティアに任せればいいっしょ」と言っても、とにかく自分が片付けてしまいたい。
本当に、モチベーションが高いです。
これだも、どんどん片付くわ〜。




