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ソロプチミスト日本財団 年次贈呈式に出席[2018年12月25日(Tue)]
 福島〜宮城の旅の最後は、仙台で行われる「ソロプチミスト日本財団 平成30年年次授与式」への参加です。

 このブログを読んでくださる方には、「ソロプチミスト日本財団って何?」と思う方も居ると思うので、ちょっと説明します。


 ソロプチミスト日本財団(以下 S日本財団)とは、日本のソロプチミスト会員によって設立された公益財団法人で、「ソロプチミスト精神に則り、さまざまな奉仕活動に対する援助や協力を行うことにより、より豊かな生活を実現し、国際相互理解の促進に寄与すること」を目的しています。
 ソロロプチミスト精神とは「社会的・経済的エンパワーメントをもたらすプログラムを通じて女性と女児の生活を向上させる」使命を持つものです。
 ※エンパワーメント・・・ひとりひとりが,発展や改革に必要な力をつける こと。

 なお、世界的な組織として国際ソロプチミストという組織があり、日本のソロプチミスト会員は国際ソロプチミストアメリカ連盟に属しており、日本には5つの組織(リジョン)があって、フクとまを支援してくれている「国際ソロプチミスト苫小牧はまなす」は「国際ソロプチミストアメリカ日本北リジョン」に属しています。


 さて、フクとまは、「国際ソロプチミスト苫小牧はまなす(以下 Sはまなす」さんの推薦で、S日本財団の「災害復興援助」に応募し、Sはまなすさんの応援もあって、援助金をいただけることになりました。
 
 フクとまは2021年まで保養を続けると公言していましたが、最後の1年の資金が無く、どうしようか困っていた所だったので、とても助かりました。
 S日本財団のみなさんにも、Sはまなすのみなさんにも本当に感謝です。
 
 授与式には、全国から会員が集まります。
 もちろん日本中の全会員ではないですが、この日の仙台国際センターには、2000名近くの会員が集まったそうです。

DSCF7518.JPG

 そうそう、ソロプチミストの会員は女性だけ。
 会場には、センター職員等を除けば、男性は20名も居たでしょうか?
 女性99:男性1。
 すごいアウエー感でした。
 ちなみにこれは、昭和51年の衆議院議員の男女比の逆とほぼ同じ。
 ちなみに今の衆議院の男女比は、女性7:男性93。
 女性の議員の方、大変ですね。

 贈呈式は、予想していた感じとは全く違っていたものでした。
 なんとなく、事務的に淡々と進行するのかなと思っていましたが、違いましたね。

 贈呈される方も推薦したクラブも、とても晴れやかな顔をしていて、特に贈呈された方々のスピーチは、夢や目標がしっかりとしていて、そして自分が活動を始めた理由も明確に伝えていて、強い意志を感じました。
 それに、フクとまが贈呈された「災害復興援助」に、同じ保養活動をしている「川崎市民の会」さんが選ばれていたのも心強かったですね。
 お会いすることはありませんでしたけれど。

DSCF7520.JPG

DSCF7521.JPG 

 贈呈式終了後、次の日は遅くても午後から出勤しなくてはならないので、...仙台の夜...残念ながら、フェリーで帰路につきました。

 船内で、今回の旅を振返って頭の中をいろいろ整理しました。
 本当にいろいろあった旅でした。

 特にフクとまは、あと3年を「無事に保養ができれば」と思っていましたが、終わるとしてもそれだけではこれまでの多くの方の支援に応えたことにはならない、そう感じました。
 では、どうするのか。

 まとまったら、掲載します。

 
南三陸町と山元町〜その2[2018年12月24日(Mon)]
 南三陸町の後は、山元町に。

 山元町は、震災からそんなに時間が経っていない、5月24日から26日に行ったところ。
 私が、初めて本格的なボランティアをしたところです。
 このボランティアで、知らない土地の人のために自分の時間を使い、知らない土地の人たちと一緒の目的を持って活動するということを学びました。

 これまで、人生の転機って2回ありましたが、これは3回目のできごとでした。
 私は「パラレルワールド」という概念が好きなのですが、自分については、人生の転機(選択の機会)ごとに、まあ大きな間違いはしていないだろうなと、数えきれなく分岐した私の世界の中で、まあ、いい方の世界に居るんだろうなと思っています。
 比較のしようがないんですけどね。

 さて、このボランティアの経験が、フクとまに繋がって行くのです。

 あの時訪れた山元町は、ガレキと壊れた家と車、海水が混じった池、泥だらけの荒野でした。
 初日に行ったのは石巻だったんだけど、行った所は住宅地が集まっているところで、そこに車や船がひっくり返ていて、その時は戦争があったのか、爆弾が落ちたのか、と思うような状態だった。
 しかし山元町は、平坦なまちなので、ああみんな波に持って行かれたんだなって、確かに「津波」が来たんだなって思った。
 休憩時間に、辺りを歩いて、落ちている車のおもちゃとかを見つけると、一人一人の生活を感じて、そしてそれが一瞬で流されて行ったんだなって、悲しくて。

 今回訪れたのは、現在「大地の塔」という慰霊碑の立っている、旧山下駅跡。
 現在の山下駅は1kmくらい山側に移っています。
 震災の年の5月25日に私が活動した場所は、おそらく旧山下駅から東か西(全く反対方向だけど、全然分からない)へもう少し行ったところだと思うんだけど状態はそう変わらないでしょう。
 
 7年ぶりに訪れた山元町のその場所は、あの時とほとんど変わっていなかった。
 もちろん、ガレキや壊れた車もなく無くなっているんだけど、駅から海に向っ行くほど原野に家がぽつんぽつんと建っている風景は変わらない。
 駅から山に向って、家の数は多くなるけど、津波の前から建っていた家ばかりで新しい家は見当たらなかった。
 津波に襲われた時のままになっている家もあったし。

 ボランティアでうかがった家はどうなっただろうと、多分場所は違うんだよなと思いながらも、付近に立っていた古い案内図(個々の家の姓が表示されている)を頼りにうろうろ歩いていたら、2回すれ違った女性に「どちらかお探しですか?」と尋ねられた。
 この付近でボランティアをしたこと、その時うかがった家はどのようになっているか、住んでいた老夫婦に会わなくていいから、遠くから確かめたいと思っていることを伝え、老夫婦とボランティアと一緒に撮った写真を見せて、その夫婦の名字を伝えたけど、「申し訳ないけど、このお二人は存じ上げないですね」とのことだった。
 
 声をかけてくれた女性は、依頼を受けて他の地方で震災の様子を話す語り部のようなこともしていると言っていた。
 また、この付近で活動したボランティアの中には、活動した家のおばあさん(だったかな?)とつながりができ、毎年必ず会いに来る人も居ると教えてくれた。
 そんなふうに被災地の人とボランティアのつながりができるって、きっと他にもあるんだろうね。
 何気ない一言がきっかけで関係が深まるってことがあるからね。
 もちろん逆のパターンもあるんだけどさ。

 もう一回来ることが合ったら、その時は、あのお宅の付近を訪問できればいいな。

 最後に、大地の塔の写真。
daitinotou.png

DSCF7515.JPG
 
南三陸町と山元町〜その1[2018年12月17日(Mon)]
 11月12日は東日本大震災の起きた年にボランティアに行った、南三陸町と山元町に行きました。
 両方とも、電車の便が悪く、南三陸町に行くのは今回はあきらめていたのですが、親戚が車を出して運転手もしてあげると言ってくれ、2カ所に行くことができました。
 感謝です。

 最初に行ったのは南三陸町。
 震災の年、私は、11月7日にここに来ていました。
 ちょうど7年前ですね。

 私は、歌津地区と志津川地区で活動しましたが、特に印象に残っているのは歌津。
 あの時の歌津は、こういう風景でした。
 minamisanriku1.png
 左側に見えるのは、防災庁舎です。
 下が今の様子。
minamisannrikunoima1.png
 土地のかさ上げが進み、護岸も高くなり、防災庁舎が沈んだ様に見えます。
 私が行ったとき、プレハブで乾物屋さんが開いてました。
 油麩とかをお土産に買ったような記憶があります。
 もちろん、今はありません。

 今は、歌津駅から海を望む。
 この白い建物はマリンバンクだったと思います。
 ここから海に向って奥が商店街になりました。
 あの時は、私たちボランティアにも「ここは商店街になるらしいよ」って情報が入り、頑張らなくちゃという思いと、ここに商店街ができてどうするんだろうかという思いが交差したような気がします。
minamisanriku12.png

 今です。
 あの白い建物は無くなり、奥に商店街があります。
 ここは、かさ上げされてないんですよね。
minamisannrikunoima2.png

 歌津駅です。
 ここは確かに朽ちてきているけど、時間が止まったようでもあります。
minamisanriku10.png

minamisannrikunoima3.png
 ちょっと分かりにくいけど、奥のトンネルには駅の下側から登ってくる舗装道路が繋がっています。だから、ここにはもう電車は通らない。

 ボランティア作業の休憩中、私はしばしばこの駅から海までを眺めていました。
 ボランティアには、石巻市(半日)、七ヶ浜町(1日)、山元町にも行ったのだけど、もう一度立ちたかった「場所」はココ。
 周囲で繰り広げられている工事が終わった頃、また来たい。
 
 オリンピックも万博も要らない。
 一瞬の経済効果なんて、国全体で見れば虚しい。
 早く、静かに、落ち着いて暮らせる様にして欲しい。

 次は、山元町に行きます。


(付記)
 胆振東部地震のブログでは写真が無いのに、ここでは使っています。
 街の変化を知っていただきたくて、使いました。
 心を痛めている方がいらっしゃいましたら、お詫びします。
    
福島県本宮市〜その2[2018年11月30日(Fri)]
 美味しいソースカツ丼をいただいた後は、白沢地区の白沢ふれあいホールへ。
 ここには、白沢地区の養蚕農家(国登録有形民俗文化財)が使っていた本物の道具類が展示されています。
 北海道には養蚕文化が無いので、なかなか興味深かったです。
 でも、もっと楽しかったのは、小学生の絵画の展示。
 学年ごとにテーマが決まっていたのだとは思いますが、大胆な発想の絵が多く、なかなかでした。

 さて、再び本宮市中心部に向かい、歴史民俗資料館に行くのですが、その前にTさんが偶然発見した除染土置き場に行ってみることに。

 jyosendo1.png
 これはTさんが、偶然見つけた場所を探しているうちに私が偶然見つけた除染土置き場。
 丘の上に並んでいるのが分かります?
 運転手の視界には入らない場所にあり、フェンスで目隠ししています。

jyosendo2.png

jyosendo3.png

 なかなかTさんが見つけた場所が見つからないけど、その途中で見つけた除染土。
 黒いシートがかぶせてありました。
jyosendo4.png

 周辺は確かに表示のとおりでしたが、近づいて地面から90センチくらいの高さで諮ると、
jyosendo5.png
 という数値です。
 ただし、そこからずれて何カ所か測りましたが、場所によって数値が大きく変わりました。
 シートの中は分からないので、袋が破けてるのか?
 それとも、除染土が原因ではなく、そもそもこの場所の環境なのか?

 また、見つけました。
 前の2カ所は近くには人家はありませんでしたが、ここは人家のすぐそば。

jyosendo6.png

jyosemdo7.png

 うーん、複雑な思いだろうなあ。


 さて、本宮中心に戻ったのは16時15分くらい。
 最後の見学場所、歴史民民俗資料館に。
 大正13年に建設された、本宮市の非木造建物としては、最も古い洋風建築物だそうです。
 市内の天王壇古墳などで出土した、埴輪や土器等の考古資料などを展示しているそうです。

 見学時間は16時半までだったと、行って気付いたのですが、管理人の女性が、「いいよいいよ見てって」と。
 すると、「あっ、あなたTVで見たことある。ほらあの...」と。
 いやいや、私、TVに出てません。
 ハンチング帽にメガネとアゴ髭、吉田類あたりと間違えた?
 
 北海道から来たというと、娘さんが千歳に居ると言い、先日の胆振東部地震の話に。

 1階は、土器や埴輪などの展示でした。
 なかなか興味深かったのですが、2階の方がおもしろかった。
 江戸時代位からこれまでの歴史が、本宮市の町の成り立ちや風俗とともに紹介されています。
 太平洋戦争の頃の資料もあり、とてもよかったですね。
 これは、来た甲斐がありました。

 実はTさんはあまり乗り気じゃなかったんですよね。
 でも、これはいいところだ、今度、子ども達を連れて来るって喜んでくれました。
 私は、博物館が大好きなので、たいていの所で楽しめるのですが、今回は地元の人が喜んでくれて、すごくうれしかったです。

 さて、もう別れの時間です。

 本宮駅はすぐそばです。

 福島市と本宮市で過ごした2日間は、充実した、そしていろいろ考えさせられた2日間でした。
 多分、フクとまにとってこれからの課題は、まだ保養を必要と考える人たちと、もう福島は大丈夫と思っている人たちとの架け橋になれるような存在になれるか(小さくていいから)、そういうことかなと感じています。

 Tさんは改札口で、白石市に向う列車の乗降口に立つ僕を見送ってくれました...。

 こういうの、やってみたかったんだよね。
 夢のよう。

福島県本宮市〜その1[2018年11月29日(Thu)]
 福島市での交流会が終わった後は、午後から福島県本宮市に行きました。

 フクとまの現地スタッフTさんが案内してくれました。

 途中、二本松の国道4号線沿いの道の駅に寄ったのですが、この時期に、まだ庭用の花を売ってました。北海道では考えられませんね。
 ここで、美味しい「みそパン」を買いました。
 北海道のみそパンはこんな感じ ↓ ですが、
39543c.png

それとは違い、蒸しパンって感じでした。

 つづいて、二本松の美味しい日本酒「大七」近くの「花月堂」に。
 ここでは、Tさんが、おすすめの「あげまんじゅう」を「お土産に」って買ってくれました。
 
 このまんじゅうも、香ばしくて美味しかったですよ。
 家族にも大好評でした。
 二本松で菊人形展をやっていたせいもあるのでしょうか、13時くらいに行ったのですが、あげまんじゅうが4つ、ごまあげまんじゅうが3個しか残っていませんでした。

 買い占めちゃった。

 二本松には3回行ってるし、大七のすぐそばに泊ったことも、大七に見学に行ったこともあるのに、知らなかった。
 ショーケースにあったココアロールケーキもうまそうだったんだよね、ここ、いいお菓子屋さんですよ。

 本宮市には13時半くらいに入りました。
 まず、昼食にしようと言うことで、柏屋食堂さんへ。
 ここはソースカツ丼が有名だそうです。
 交差点を右折して駐車場に入ろうと思ったら、来る対向車がみんな左折して柏屋さんの駐車場へ入って行き入れない。
 やり過ごして、ターンして左折して入ろうと思ったら、駐車場は一杯で外に4人くらい並んでる。
 日曜とはいえ、13時半なのに。
 案内してくれたTさんも、ここまで込んでいるとは思ってなかったようで、まだお腹は持つので、先に「スマイルキッズパーク」に見学に。
 
 ここは、原発爆発事故の後に建てられた子どもの屋内遊び場。
 沢山の親子が遊びに来ていました。
 室内に砂場があり、他にボールプールやトランポリンみたいなものや滑り台、ロッククライミングみたいなものがあったりと、赤ちゃんから小学生高学年まで、年齢に合わせて遊べます。
 利用は小学生迄。
 みんなすごく楽しそうでした。

 ここから地下道をくぐって道路の反対側に出ると、アスレチックと庭園のある公園になってます。
 先ほどのスマイルキッズパーク(屋内遊び場)とこの屋外公園を会わせて「プリンス・ウィリアムズ・パーク」と言うのだそうです。
 こちらにも、沢山の親子が来て子ども達は元気に遊んでいました。
 そんなに広くない公園ですが、勾配があって、体力が付くと思いますよ。
 スクリーンショット(2018-11-26 6.55.32).png

 あ、記念植樹からアスレチックへの写真は撮ったけど、庭園内部の写真を撮るのを忘れた。

 屋内公園と屋外公園を結ぶ地下道入り口で空間放射線量を計りました。
 0.09μSv/hでした。
 もし、泊原発で爆発事故が起きて苫小牧がこうなったら、私はどうしているだろう...。

 さて、もういいかな?と柏屋さんに戻ります。

 相変わらず、駐車場に車が止まっていますが、かなり減った。
 店内に入ると、座敷も含めて8割くらい埋まってる。
 もう、3時なんだけどなあ...、人気店なんですね。
 地元の人らしき人、市外から来たと思われる人...。

 店は、時代を感じさせるいい雰囲気です。
 こういう店って、北海道にはなかなかないんだよねえ。
 特に苫小牧にはない。

 やはり、ここは「名代 ソースカツ丼」です。
 これの「上」があり、「厚切り」とあります。
 でも、ここはスタンダードにね。

 20分ほど待ったかな。
 出て来ました。
 塗りの丼のごはんの上に薄くキャベツが敷いてあり、その上に2枚のトンカツが載ってます。
 大きく1枚ではなく、2つにカットされて。
 あれ、でも、細かくはカットされてない。
 かぶりつくんだね、こういうの初めてだ。
 厚さは、衣を含めて1.5〜2.0センチ。
 充分、厚いよね。
 これの「上」って、相当じゃん!

 さて、かぶりつくと、「サクッ」っと切れます。
 あー、なるほど。
 こりゃ、カットしなくてもいいわ。
 
 肉の本当のおいしさは「脂身」ですが(苫小牧のB1トンちゃんは脂身が本当にうまい)、この脂身もうまい。
 これは、いいですねえ、美味しかった。
 ボリュームも十分。
 Tさんは、煮込みカツ丼でしたが、それは卵でとじた一般的なカツ丼。
 一切れいただきましたが(こっちは切ってる)、これもうまかった。

 ここいいですね、酒の肴もあるし。
 絶対また、来たいココ。

 満喫して店を出ました。
 玄関の引き戸を開けた一歩目が、階段(2段)になっているという、危険なトラップがある不思議な店ではありますが。
 (転倒者続出だと思うんだけどなあ)

 後半は、次回。

 
 
 
福島市での交流会〜2[2018年11月19日(Mon)]
 昨日の続きです。

 後半は、過去に保養に参加したことのある子ども達へのインタビュー結果の紹介でした。
 
 どの子も複数回保養に行ったことのある子でした。
 「楽しかったことは?」という質問に考え込んじゃった子はいたそうですが、「嫌だったことはない」のは共通していたので、それなりに保養は楽しく過ごしてくれているのでしょう。
 
 インタビューされているのが中学生だということもあるのでしょう、保養の目的はきちんと理解していましたし、「親がリラックスできる」ということを挙げている子もいました。
 保養の基本的な目的以外の効果として、地理に詳しくなれて、学校の発表等に役立つということを挙げている子もいましたね。
 友だち同士の会話の中には、保養は登場しないそうです。
 同時に、保養に行くことを伝えても、それで学校生活で何かあるということもないそうです。

 おもしろいなあと思ったのは「保養に関する質問」で、子ども達全員から「なぜ、保養をするのですか」という質問があったことですね。
 当日、このことについて話し合う時間がなかったのは残念でしたね。
 他の保養団体がどう思っているのか聞いてみたかったです。
 この日出席していた、ひまわり大使経験者(前回ブログ参照)の子ども達も興味がある所だったのではないでしょうか。

 いい機会なので、フクとまの代表としての考えを示したいと思います。
 「代表として」とするのは、他のスタッフは、それぞれ別の思いがあると思うからです。

 私が保養に取り組むのは、「大変な状況にある福島の子どもを助けたいと思っている、そういう自分の思いを実現したい」からです。
 つまり、「○○したい(ここでは『助けたい』)」と思う自分を満足させるためです。
 福島の人達に「保養をした方がいいですかね?」って聞いて始めたわけではなく、自分がしたいからしただけです。

 では、なぜしたいのか?
 うーん、ここは難しいのですが、多分第一は「自分の子どものため」。
 「情けは人のためならず」ってやつですね。(この言葉は「情けは人のためにならない」って意味じゃないからね!)
 他には、贖罪ってのもある。
 善い行いをして過去とこれからも起こすだろう過ちを帳消しにしてもらおうといういやらしい部分。
 それから、自分の心の中の女性的な部分が作用しているのかもしれない。
 
 いずれにしても、「思い」を突き詰めて行くとこういうことになる。

 決して自己犠牲とかではなく、自己満足に限りなく近い。
 (自己満足だろ!って言われたら、そうなんだけど、ちょっと腹が立つのはなぜかな(笑))
 ナルシーも入っているのかも...ヤだな。

 なので、「福島のために、ありがとう」とかって言われると、なんだかくすぐったいというか、ばつが悪い、いやそんなことしてないって思っちゃう。
 でも、人間って不思議なもので、というか勝手なもので、自分がやりたいからやってるはずなのに、あまり無理なことを言われると、「なんでそこまで」とかって思ったりするんですけど。
 フクとまでは、まず、そういうことはなかったですけどね。
 
 まあ、そういう矛盾を抱えているから人間なんで。

 「あなたがそんな人と思わなかった!」
 「ごめんなさい、そういう自分を必死に隠して来たのですけれど...」
 あ、話が道に逸れた。

 とにかく、したいからするんです。
 だから、子ども達には遠慮なく思いっきり遊んでほしい。
 目一杯遊んで、汗まみれになって、服を汚して、草っ原に寝転んで、お腹空かして、調子に乗って大人に叱られて、コロンと寝てしまう、そうしてほしい。

 それを見たいからコレをするのです。


 
《付記》
 長谷川町子のマンガ「いじわるばあさん」で、ばあさんが珍しくいいことをして「善行した」って鼻歌を歌っていたら、それを見た神様が「その程度で...」っていうシーンがあったのを覚えています。
 それを読んだのは、小5くらいだったと思うけど、将来の自分を感じていたのかなあ。
福島市での交流会〜1[2018年11月18日(Sun)]
 11月10日〜11月13日迄、福島市、本宮市、南三陸町.山元町、仙台市に行って来ました。
 まずは、11月11日午前中に行われた保養団体の交流会「ほよっと福島交流会」の模様について紹介します。

 前日の10日には、保養団体を中心にした団体「311受入全国協議会」の保養ワーキンググループが企画した「こころつなぐ広場」が福島市内で行われていました。
 チラシは市内の小学校に配布したそうですが、企画者の話では、「保養相談よりもマルシェ的な部分を強く打ち出したのが裏目に出てしまった」そうで、相談のための来場者は10組程度だったそうです。

 11日は、保養団体6組(参加団体名称確認中)とひまわり大使派遣事業を行う福島市のNPO法人シャロームが参加して「ほよっと福島交流会」が行われました。
 最初に、ひまわり大使として派遣された経験のある高校生と小学生が、事故時のこと今の思いを話してくださいました。
 ひまわり大使とは、ひまわりプロジェクトをとおして交流のできた市町村に、福島県の現在の様子を伝えることを目的として行われている事業です。
 ※ひまわりプロジェクトについては→コチラ

 今の思いについて、その内容の一部を紹介すると、まず「福島はもう大丈夫」なのだそうです。
 除染が進み、食品検査も充分に行われている、みんな普通に生活していると言っていました。
 自分は、そういう復興に向けて頑張っている福島の姿を伝えていきたいということです。
 もちろん大丈夫ではない部分もあると話していましたが、それが何かは、今日の報告では具体的に挙げていませんでした。

 お話をしてくれた高校生の通う高校の先生は、この事業のもう一つの効果を上げていました。
 報告を行うには事故時にどのようなことが起きていたのか、それをしっかりと知る必要があるのだが、多くの家庭が、家族でそのことについて話し合ったことはないのだそうです。
 この報告を行うためには、親が当時を振り返らなくてはなりません。
 親が振返り、それを子どもに伝えて行くことで、当時の様子や自分の気持ちを子どもに伝えて行くことでき、それが子どもの財産になって行くということなのだそうです。
 また、各地に子ども達が派遣されることで、子ども達がそれぞれ学んで来るという効果もあるそうです。
 例えば、農家との交流の中では、土ができるまでの年月やそれに含まれているもの等を学び、いかに貴重で大切なものかを知るということもあるそうです。
 福島では、除染作業で大量の土を剥がされています。
 2つをつなげて考えることで、ただ「剥がした」だけでなく、そのことで何が失われたのかを深く考えることができるのだそうです。

 ある保養受入れ団体からは、このような意見がありました。
 平たく言うと、「福島にはまだ大丈夫だと言えない面が多くあるはずなので、『福島はもう大丈夫』とアピールすることには、ちょっと違和感がある」ということだったと思います。

 私は、空間線量計を持って福島に行きましたが、駅や県庁周辺で0.09〜0.14μSv/hありました。
 もちろん、事故時に比べれば9割位減っているのですが、事故前の2倍くらいの数値なわけです。
 保養受入れ団体の意見は、除染されないまたは徹底できない場所があること、原発事故が終結していないことも踏まえてのものなのでしょう。

 こども達のお話と保養受入れ団体からの意見、この2つは「視点の違い」によるものだと思います。ここでは、特に議論になりませんでしたが、とても大事な視点ですので、後日、別な形で取り上げたいと思います。

 さて、後半は、保養参加経験のある子どもたちへのインタビュー結果の紹介です。
 
 うーん、長くなったので、続きは次回。
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