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胆振東部自身に関連して〜11[2018年11月15日(Thu)]
 前回の続き。
 午後からは、段ボールベッドの解体、長机や椅子の撤収など。
 長机は、階段で2階に運び、段ボールベッドは解体し、パーツごとにまとめます。

 みんなやる気満々だから早い早い。
 それに、新しい避難所の設営も終わり、そちらの班もこっちに合流したものだから、14時半にはほとんど終わってしまいましたよ。

 最後に、職員さんからお礼とメッセージがありました。
 来年、2月頃かな、追分地区に道の駅ができるそうです。
 地震で、完成予定が大きくズレてしまったけど、完成したらぜひ遊びに来て欲しい。
 また、当初は、道の駅の完成時にSLも一緒に展示されるはずだったんだけど、道が悪くてSLを運ぶことができず、2月のOP時には間に合わなくなってしまった。
 でも、9月には展示できるし、その時期は、ちょうど震災から1年なので何かイベントをやると思うので、そのときにもぜひ来て欲しいということでした。
 そして、中学校の校舎など、復興に向けて課題はまだまだあるけれど、私たちは頑張るので、これからも私たちを応援して欲しいとおっしゃってました。

 行きますよ、9月。SL大好きですし。

 
 さて、今回も出会いがありました。
 神奈川県から会社の同僚数名で来ているという内の1人、20代と思われる男性です。
 社長さんが社会貢献活動に熱心な方で、11月に行く様に指示があったそうです。
 もちろん、彼は指示があったから仕方なく来たのではなく、積極的に活動していましたよ。

 彼はなぜか、同僚がみんな仮設住宅への引っ越しを担当したのに、1人だけこっちに来ました。
 「なんで」って尋ねたら、「いや、ちょっと出遅れたらなんとなく...」とのこと。
 いいですね、そういうこだわりの無さ。
 
 私の車で現場に移動しましたが、初めて北海道に来たそう。
 明日は同じく安平か厚真での活動を考えているとのこと。
 観光は、月曜日に少しと言っていましたが、宿舎は千歳だそうです。
 札幌まで15分おきに電車が出てるんだから、美味しいもの食べといでとススメました。
 せっかく来たんだからねえ。
 店、3つ教えたんだけど、どうなったかなあ。

 「あまり訛がありませんね」と言うので「そのうち『なまら』とか『○○だべや』とか『○○しょ』とか、『そだねー』とか言い出すから大丈夫」と答えておきました。
 北海道の自然の話(エゾシカが庭に入り込んで裏の家の薮に2泊した。うちから200メートルくらいのところにクマが出た。うちは市内中心部の方です)の話もしましたが、話、盛らないでよとお願いしましたが。
 これまで会ったボランティアさんのことも興味深そうに聞いていましたよ。


 ところで、追分地区には「瀧」というラーメン屋さんがあります。
 古くからある店で、私は店の前の国道を通るたびに「ここは美味しいんだろうか」とずーーーっと気になっていました。
 この日、昼食を、ボランティア初日に昼食を食べた場所でとろうと公民館から国道に出たら、目の前に、この「瀧」さんがあるではありませんか!
 カミさんが作ってくれたおにぎりが3個ありますが、このチャンスを逃すと、もう機会は無いかもしれない...「瀧」に入ることを決めましたよ。

 12時15分くらい前でしたが、7割くらい席が埋まっていました。
 メニューは、スタンダードな札幌ラーメンという感じ。
 札幌ラーメンなら、やっぱ味噌か。

 12時になるとほぼ満席になりました。
 トラック運転手、役場職員、農家さん、近所の人、なじみの夫婦みたいな人(化粧品臭かった。味噌でよかった)。
 カウンター8席くらいも、小上がり3つも、テーブル一つも埋まりました。
 根強いファンに支えられているのですね。

 ラーメンは、「食べログ」じゃないので、小賢しい味の評価なんてしませんが、子どもの頃食べた懐かしいタイプの、「サッポロラーメン!」でした。
 美味しかったですよ、また来たい。

 カミさんのおにぎり?
 店を出て、予定の場所で食べましたよ、2つ。
 当然でしょ。
 残り1個は.帰りの車内で食べました。
 
 さて、安平のボランティア活動記録はこれで終わりです。

 安平、厚真、むかわ。
 仮設住宅で暮らす方は、これからも大変ですが、どうか人のつながりを生かして、健康に過ごしていただきたいと思います。

 また、機会があったら手伝いに来ます。

  
胆振東部地震に関連して〜10[2018年11月08日(Thu)]
 11月3日、.約1ヶ月ぶりに安平に行って来ました。
 片付けや震災ゴミの回収は、.先月で終わっており、これからは仮設住宅へ移る方の引っ越しの手伝いがボランティア活動のメインになります。
 ただし、全壊した住宅の中にはボランティアは入れないので、そういう家の中の家具等はそのままにされていると思いますが。
 
 さて、この日は50名くらいのボランティアが集まりました。
 今日の仕事は、避難所の集約に伴う設営・撤収作業と仮設住宅への引っ越しの手伝いの2種類です。
 私は、避難所での生活や段ボールベッドについて知りたかったので、前者を手伝いました。
 撤収作業は追分地区の公民館の避難所の閉鎖、設営作業はそこから移動する追分駅そばのぬくもりセンターで行います。
 メンバーは18名、公民館とぬくもりセンターに9名ずつ別れて行います。
 私は、最初は公民館で撤収作業の方に。

 公民館には11名の方が避難されていました。
 個人の所有物は、ご自身で荷造りが済みそれぞれの車に積込んであるので、みなさんはぬくもりセンターの設営完了待ちです。
 私たちの午前中の作業は、食料や生活用品の運び出し、様々なお知らせや目隠しに使っていたパネルの搬出です。
 公民館には、ヤマト運輸さんのトラックが横付けされていました。

 館内の掲示スペースには、震災被害、健康、イベント等の情報の他に、避難所での生活者の人数も貼り出されていました。
 地震の翌日が一番多く200名くらい、それから少しずつ減って行って、閉鎖する今日は11名になっていました。
 運び出す食料や生活用品を見ると、様々な所から支援があったのだろうなあと思いました。
 (缶詰好きの私は「一個ほしい...」と思うものも)
 でも、やはり不自由な生活だったと思います。
 広くて比較的新しい施設だとはいえ、ここに100人以上の人が生活していたなんて、実際にそこに行き、そこで生活の様子を見て、そこで暮らす人数を考え、そこに自分を置いてみないと分からないと思います。
 新聞やテレビの情報で、想像はできるけど、実際のそこの空気に触れないと(それでも所詮想像なんだけど)やっぱり分からないです。
 仕事で厚真町に行ったとき、地震から2週間くらい経っていたと思いますが、避難所や福祉?施設で「報道関係者入室お断り」「取材は受けられません」という紙が貼ってありました。 
 そうなった経過や原因は知りませんが、報道関係者の頻繁な出入り、もしかしたらマスコミの一部の人の自制心が働かない行動があったのかもしれません。

 それにしても、みなさん働き者です。
 職員さんが考えていたよりもどんどん仕事は進み、受入れ側のぬくもりセンターも進んでいるようで、予定よりも早く荷物の運び込みを行うことになりました。

 ぬくもりセンターは玄関が狭いので、トラックから玄関内部まで並んで手渡しで運び込むことにしました。
 これを順調にやるには、渡すものが何か、または重さを声かけしながら行うことが肝心です。
 だって、すごく大きい段ボールなのに、中身は発泡スチロールのお椀だったり、その次にその5分の1の大きさだけど中身は真空パックのお米20キロだったり。
 でも、その意外性がおもしろくて作業ははかどりましたけど。

 段ボールベッドを初めて実際に見ました。
 土台は、段ボール9箱とそれを3つずつにまとめる枠だけなのですね。
 秘密は。一つ一つの箱の中に対角線に入れる1枚の段ボールの板。
 これで、全部で18個の三角柱で支えることになって、人が乗っても崩れない強度になるわけです。はあ、なるほど〜と思いました。 
 でも、これ、一緒に活動したボランティアさんに訊くと1組
1万円以上するそうです。なかなかお高いものなのですね。

 さて、搬入は終わり、次は公民館に戻り撤収作業に入ります。
 12時前ですが、ここでお昼休みになりました。

 今日までここに居た避難者のみなさんが、13時にここを出ると職員が伝えたとき、1人の女性の方が、多分ゆとりセンターには行かないと思われる方にすがり、別れてしまうこと、これからの生活の不安を訴え、相手の方が「大丈夫だよ」と元気づけている姿が目に入り、私はそこをすぐ離れたのですが、今もたびたび思い出します。

 午後の活動は次回に。

胆振東部地震に関連して〜9[2018年11月05日(Mon)]
 10月8日です。
 この日は、ゴミ回収の方に回りました。

 この日の私のグループのリーダーは、大きな瞳で目元がキリッとした女性。
 しっかりとした説明をされていました。
 メンバーはリーダー含め12人くらい。
 私ともう1人苫小牧が居て、リーダーは倶知安・ニセコ方面、他は地元の方と...忘れちゃった。確かリーダー以外は、みんな比較的近かったような。
 震災から1ヶ月ですが、初参加というボランティアも多く、みんな忙しい中で機会を見つけて来ている、新聞記事等を見て「自分も何か」と思って来ていることが分かります。

 大型トラック2台、ハイエース1台、そして私が運転する軽トラで出動です。
 そういえば、トラック類はオリンピックその他の需要でなかなか手配が付かず、町内の農家さんから借りて用意したと行っていました。
 私の軽トラもそう。
 今日は同乗者無しなので、今日はラジオと一緒。
 集合住宅から出された、タンス群などを大型トラックに積込んで行きます。
 大きな家具やテーブルは荷台の縁に積んで、より多くの荷物を載せるための壁として使います。
 2回以上来ている人は、その辺りの要領は分かっているようです。
 この日は7、8カ所くらい回ったかな。でも1カ所ごとの量はそんなに多くなく、途中で集積所に置きに行くとは無かったように記憶しています。
 私の軽トラに荷物を載せることになったのは、本当に最後、洗濯機1台だけでした。

 高齢者のお宅に伺うと、物置から荷物を出すのを頼まれることがよくありました。
 大きなものが高い所にあり、梁にスキーなど板系が、しばしば梁に渡してあります。
 きっと、まだダンナさんが若い時に収納したものなんでしょうね、子供用のスキーが多かった。
 使わなくなって十数年、もしかしたら数十年間そのまま。
 モノを降ろすと、時代を経て土ぼこりとなった埃も降って来ます。(笑)
 高い所から荷物を降ろすのは私の出番、そして福島県二本松で裏山の除染を手伝ったときに使った防塵マスクの出番です。
 コレ、息が楽でメガネが曇らず、優秀なんですよ。

 終了の時間近くになり、軽トラ以外はゴミ集積所にゴミを降ろしに。
 軽トラは、一度行ったがゴミが出ていなかったところで(生ゴミが出ていたが、それは本部から連絡して断った)、あらためて出しているかもしれないという本部の指示で、リーダーと共にもう一度そのお宅にうかがうことに。
 リーダーが同乗するというので、私は、いそいそと車内を片付けました。
 軽トラは狭いので、私の分身である私のリュックを抱っこしていただきました。(←なんだこの文章)

 さて、そのお宅に向おうとしましたが、私はもちろんのこと、リーダーまでがそのお宅の場所が思い出せません。結局、ゴミ集積所に行って、ゴミを降ろし終わった一台が場所が分かるというので、その車の先導で目的の場所に行きました。
 そして、そこにはゴミは出ていなかった、というオチでした。

 リーダーの彼女は、今日が6回目だそうで、なんと50CCで通っているそうです。
 3時間位かかるって言っていたかな、国道276号線が最短ルートだけど。
 すごい頑張り屋さんだけど、本当に「気をつけてよー」って思いましたよ。
 そんなに話をする時間はなかったですが、お互いに、「安平に来るモチベーションを仕事にも維持しなきゃね、上司には聞かせられないね〜」と笑ってました。

 
 さて、この後、私はしばらくボランティアに行っていません。
 家には車が1台しかないので、家の用事で車を使えないことが続き、またボランティアの募集が無い週もありました。
 震災ゴミの収集は10月一杯で終わり、いよいよ仮設住宅への引っ越しが始まります。

 では、次回。
 
胆振東部地震に関連して〜8[2018年11月03日(Sat)]
 次に安平町に行ったのは、10月7日。
 高一の息子を連れて行きました。

 あくまでもボランティアだから、強制するつもりは無かったけど、「フクとまで世話になっている地域だし、自分の経験にもなると思うから、行ってみる?」って聞いたら、「うん」って言うので。
 いや、本人にしたら「なんかプレッシャーかけてたじゃん」って言うかもしれないけど。あせあせ(飛び散る汗)

 でも、親のひいき目無しで、積極的に働いてましたよ。

 この日は、もう住まないという住宅に残された荷物や家具等の運び出し。
 私のグループは、リーダー以外8人で、札幌4、苫小牧3、剣淵(だったかな?)1。
 剣淵は「絵本の町』として有名で、うちの家族も寄ったことがあります。

 運び出したものは全て廃棄処分するということでした。
 食品や洗剤、レコード、アルバムからタンス、ふすま、そして台所まですべて運び出したのですが...。

 おばあちゃんが一人暮らしだったそうなのですが、子ども達と一緒に暮らしていた頃からのものも処分できずにそのまま残されていたのでしょうね。
 お子さんのものと思われる幼稚園時代のお絵描きや記録、それから成長とともに変わって行くおもちゃなども出て来て、捨てちゃっていいのかなあと思いつつ、この家と家族の「時の流れ」が感じられて、なんかせつなくなりました。

 それにしても、よくまあ、こんなにこの家の中にあったなあって言うくらいのモノが出ましたよ。
 1階部分は、多分前日のグループが運び出したのでしょう、ストーブや流し台、電灯、煙突くらいしかなかったけれど、2階がすごかった。
 多分、前日のグループは1階だけで手一杯だったのでしょう。
 沢山のモノが2階から下ろされたけど、玄関と階段の階段の空間を最大限に使わないと下ろせない家具等が沢山ありました。
 ココに暮らしていたおばあちゃん、絶妙な空間感覚だわ。
 でも、どうやっても、階段から下ろせないタンスがあって、みんな「どうやってここに上げたんだ、コレ???」って。
 上げたんだから下ろせるはずなんだけどね〜、魔術だわ。
 結局、2階で解体。
 Aさん(前の記事参照)から学んだ解体技術が生かせました。

 それにしても、沢山の荷物が出たわ。
 この住宅の敷地内に全部置けるのか?って感じだった。
 「もう一度室内に戻して」って言われても、入らないよコレ。
 お年を召してからは、処分することもままならなかったんでしょうね。
 高齢化が進む今、こういう家が各地にあるんだと思います。

 それにしても、震度6の凄まじさをあらためて思い知らされました。
 玄関は沈んで基礎と離れ、モルタル壁は裂けて外が見えていました。
 すごく怖かっただろうなあと思います。
 どこに移られたのかは分からないけれど、これからは安心して健康に暮らしていただくことを願います。

 午後からは、もう1グループと合流して行動です。
 ゴミの集積所にも、軽自動車の助手席に乗って行きました。
 余談ですが、軽トラックは、この運転手さんがボランティアで持ち込んだもの。
 動き始めるときにものすごい音が(サスペンションの悲鳴のような)...。
 訊くと、もう購入費用のモトを数回とったくらい使い込んでいるとのことでした。
 この方は、十勝方面から来ているとのこと。
 無事に帰れるんだろうかと心配してたら、帰りに厚真町の「あづまジンギスカン」で有名な市原精肉店に寄ったら、そこでも会いました。
 「煮込みジンギスカン食べた?なまらうまいよ」って。
 おすすめに従って買ってみました。
 いや、ホントうまかった!!
 とても良い方でした。

 話を戻して、ゴミの集積所は公園の一角を使って、基本的に木質類、その他燃やせるもの、金属類、家電系と別れていました。
 それにしても大量のゴミ。
 ゴミの中からゲームかなにかの電子音が聞こえて来て、なんか寂しい感じがしましたね。
 テレビ置き場には、懐かしい「実際に回すことができるチャンネル」が付いているものがありましたよ。

 ある一軒では、2階からスチールデスクを縄でしばって降ろしましたよ。
 男4人で、先頭の私が下の様子確認と調整、次の人が補助、後ろ二人が錨。
 降ろしながら、この手すりが外れたら、オレも「わー」って落ちてコントだなあって思いながら。ホントになったらコントで済まないけど。
 この作業の時だけは、写真に撮って欲しかったなあ。

 息子には、ゴミの集積所にも行かせました。
 帰り、安平から厚真へに向う道路で、地震による影響と思われる舗装道路の蛇行や崩れた丘、倒木を見せました。
 最近は車内でもスマホをいじってるばかりでしたが、この時はしばらく車外を見てましたよ。
 大切に育てすぎたのか、純粋に育てすぎたのか、考え方や精神的な成長が遅い彼ですが、各地から集まる大人達と一緒に行動して、そして災害の痕跡を実際に見て、何か感じてくれたかなあと思いました。

 また、続きます。
 
 
胆振東部地震に関連して〜7[2018年10月30日(Tue)]
 さて、9月24日。

 この日も、私は戸別訪問を希望していましたが、前日のボラセンからのメールで、訪問対象件数は少ないと聞いていました。

 当日、とりあえず、戸別訪問のグループに入りましたが、あらためて、残り件数は少ない、そして今日は、ゴミの回収に力を入れたい。そっちは、何人居てもいい、特に男性は...。
 私は、男気を見せるべく「ゴミの方行きます!」と手を挙げました。
 そもそも、体格、体力的にはそっち方面。
 いつ、そっちにまわってくれと言われてもいい様に、安全長靴を履いて、革手袋、耐油手袋を用意して来ていますからね。

 ゴミの回収は6つのグループに分かれ、私のグループは2台のトラックで回ります。
 メンバーは13名くらいだったかな。
 移動のために私は車を出し、私の車には福岡市近くのある街、大阪市、夕張市、そして私の4名の男です。
 行き先は、安平町の安平地区。
 トラックにくっついて出動です。

 一軒一軒を回るわけですが、ゴミは道路脇にまとめられています。
 基本的に、地震で壊れた家具等が対象なのですが、「この際だからゴミ」も沢山出されていましたよ。
 布団袋6玉とかね。
 農家だから、物置から漬物樽から、臼まで出されてた。
 臼は重かったあ、木の幹の皮を向いて、突く部分を丸くくりぬいただけだもの。
 杵はなかったわ。
 衣装ケースがあって、誰かが「空かー?」って開けたら
「わーどんっ(衝撃)あせあせ(飛び散る汗)」って。
 中に、ひからびたネズミの死骸。
 そっと引き出しを閉じました。
 誰が運ぶか、衣装ケースルーレット。

 それにしても、各家庭から古いものが出てくるわ。
 レコードなんて普通のもの。
 元阪神、西武の田淵が大学生だった頃の新聞(50年前だよ!)とか。
 石原裕次郎の若い頃の芸能記事とかね。
 タンスの敷き紙として、16年前に閉店した苫小牧のデパート「鶴丸」の包装紙が出て来たんだけど、包装紙だけ取っておけばよかったなあと。
 あれは貴重だ、博物館でもらってくれたんでないかなあ。
 そして、私が回った家のほとんどから出て来たのが「サケをくわえた木彫りのクマ」。
 昔はどの家にもあったもなあ、北海道土産なのに。
 うちは、テレビの上にレース敷いて、その上にあった。
 捨てられてるのは、今、買ったら1万円以上の大きさのものばかりだよ。
 
 大きな家具やテーブルは、荷台の端に置いて、余計に荷物が載せられる様に壁の様にして使うんだけど、そういう配置やゴミの置き方が上手なのが、福岡市近くから来たAさん。
 この人からタンスの壊し方を教わった。
 自然とリーダー格になってたね。
 東日本大震災も、熊本も今年の広島も行ったって言ってたから経験が豊富。
 
 Aさんから、被災地ボランティアの逸話も聞いた。
 東日本のときの話だけど、IT企業から職場動員されたらしい人たちが居て、そのうちの1人が不平ばかり言って真剣にやっていなかった。
 一緒に活動していた人たちが「あいつはケガするなあ」と思っていたら、本当にケガをした。救急車を呼ぶほどのケガじゃないんだけど、本人が騒ぐから救急車を呼んだ。
 Aさんがが一年後に来て、食堂(だったかな?)でご飯を食べていたら、横の席の方から、その時と似たような話が聞こえて来た。聞き耳を立てていると、まさしくその時の話。
 しかも、自己犠牲的な美談になっている!!
 おもわず、「それは違う」と本当のことを伝えたそうです。
 いや、それはあなたが悪者になったかも(笑)、って突っ込んでおいたけど。

 でも、なんでも嫌々やってるとケガや間違いをするよね。

 Aさんは、泊まり込んでやってるって言ってたけど、お酒が好きみたいなので、一緒に呑んでみたかったなあ。

 近所のお宅からは、「物置を解体した」というゴミが出た。
 初めは、「コレは廃材でボランティアによる回収の域を超えてるんでない〜?」って言ってたんだけど、なんせモチベーションの高いボランティアたち。
 ボラセン本部に問合せ、持って行くことに。
 それがまた早いんだわ〜、あっという間に物置一棟分の廃材をトラックに積込んだ。

 つくづく感じたのは、ボランティアが、本当に「やる気まんまん」なこと。
 ゴミ置き場から離れて置いてあるブロックのガレキを指して、「アレも持って行かなくていいのかなあ」って言うのです。それも、そう言う人が1人じゃないんだよね。
 多分、ボランティアは16時迄に本部に帰るのが基本だと思うんだけど、時間が押し迫ってても、片付けてしまいたいんだよね、「明日のボランティアに任せればいいっしょ」と言っても、とにかく自分が片付けてしまいたい。

 本当に、モチベーションが高いです。
 
 これだも、どんどん片付くわ〜。
 
 
胆振東部自身に関連して〜6[2018年10月29日(Mon)]
 なんで、ボランティアをするのでしょう?

 困っている人が居れば助けたいという気持ちが起きるのは普通でしょう。
 それは、別に高尚なことではなく、うずくまっている小鳥を見れば助けたい、怪我して動けないでいる人を見れば介抱しなきゃと思う、基本的にそれと同じことだと思います。

 同時に、自分が誰かの役に立っている(社会の一員である)という承認欲求を満たすという面もあると思います。
 
 それに、自分の存在の確認という面もあると思います。
 ボランティアをするというのは、全くの自分の意志。
 自分の意志で、その現場に来て、そこで同じ思いを持つ人たちと仕事をする。
 求められている仕事を自分はこなしたのか、誰かに評価されるのではなく、自分で自分を評価する。
 お金を得るための仕事にだってそういう面があるはずなんだけど、仕事には他者との関係性の中で仕方なく自分を変化させる場面が多いから。

 というわけで、安平町1日目のボランティアは終わりました。

 
 コンビを組んでくれた彼女とは、地震のこと以外にも、仕事のこと、家族のこと、その他くだらない話からまじめな話まで、いろいろな話をしましたよ。
 彼女から聞いた話も興味深いことでしたが、個人を特定されたら困るので書けませんけど。
 ボランティアの魅力の一つに、知らない世界の話が聞けるという事もあるんですよね。

 昼食に、彼女は「2日前に作ったポテトサラダを、保冷剤をのせていたとはいえ車内に放置していた。それを食べる」という、自らリスキーだと認めるチャレンジをしようとしていたので(この日は天気がよく暖かだった。車内は当然...)、それは思いとどめましたよ。
 そのため、彼女はお菓子しか食べていなかったので、彼女のリクエストで、追分の帰路の途中に「そば哲」によりました。(評判なんですよ、ココ)
 15時頃なので、お客さんは他に無し。
 中休みが無いのは嬉しいですよね、落ち着いて食事ができました。

 入店したときに、お店の方が「あら、まあ!」とすごく歓迎してくれたような表情を見せたのが不思議でしたが、地震で厨房等が醤油の海のような状態になっていたときに、ボランティアが来て片付けや清掃を手伝ってくれたとのこと。
 とても感謝していますと、そのときには参加していない私たちにまでお礼を言ってくださいました。その時のボランティアさん達は、きっとよい仕事をしたのですね。
 私たち二人は、「安平町災害ボランティア」の大きなシールを服に貼付けたままだったので、「あっ!」と思ってくれたのでしょう。
 そばはもちろん美味しかった、彼女が食べた「そばプリン」も美味しかったそうですよ。

 ボラセンに行って調査結果を報告し、函館方面に行く彼女にどうやって行くのか聞いたら苫小牧からはJRで行くとのこと。
 紳士たる私は、苫小牧駅まで先導して行くことを申し出(ほぼ一本道だけどな)、お土産としてかわいくて高くない、とまちょっぷ水(苫小牧の水はおいしいのだ)とポンエペーレというお菓子を渡して駅で別れたのでした。

 翌日が休みだったら、函館方面まで送ってあげたかったな〜。
 それが紳士の役目だよな〜。
 でも、そこまでする理由がカミさんには説明ができないわ。
 ぜったい、「紳士の務め」という理由は立たないよな、逆の理解にはなりそうだけど雷

 
 ボランティア活動記事の終わり方としてはどうなんだ、コレ。

 あ、次回に続きます。

 
胆振東部地震に関連して〜5[2018年10月28日(Sun)]
 胆振東部地震に関連した記事を書いていますが、これまで写真が一切出ていません。
 
 地震の影響が分かるところを撮影すると、どうしても住宅が入ります。
 壊れた自分の家が、ネット上に掲載されるのは、誰だっていい感じはしませんよね。
 それに、東日本大震災の時も、記念撮影をするボランティアが居て、本当に記録として残したくて撮影をしていたボランティアも批判され、結局、撮影は基本的に禁止となっていったということもあります。
 なので、今回はカメラは持って行きませんでした。
 よって、最後まで写真は出て来ないので、ご了承ください。


 さて、一戸建ての家が並ぶ地区に移りましたが、最初に、昔の町営住宅?というような4階建ての建物があります。
 近寄って見ると、建物の基礎部分土砂が崩れて埋まっていたコンクリート部分が見えます。
 2つある玄関も、上がり口のコンクリートが大きく沈んでいます。
 建物の壁にひびが入っています。
 各戸を訪問しましたが、どの部屋も不在でした。
 「検針不要」とシールが貼ってある水道メーターが幾つもあり電気メーターが取り外されている部屋も幾つもありました。
 もしかしたら、そもそも誰も住んでいなかったのかもしれません。
 私たちは、そういう情報も調査票に記載しましたが、一回目の訪問の際にそういう情報が記録されていれば、あらかじめ訪問対象から外せたかもしれませんね。

 担当した地域は、昭和40〜50年代前半に建てられた家が多いよう。
 ブロック塀をまわしている家が多く、そのブロック塀は、鉄筋が入っていても軒並み崩れています。中には、ブロック作りの煙突が倒れている家も。
 今は、壁から排気口が出ているだけという家が殆どですから、煙突がある家ということ自体、時代を感じさせます。
 訪問した中で、崩れたブロック塀を出すのだけが、ゴミ回収に間に合わなかったという家が一軒有り、ブロック塀のガレキを玄関前に集めましたが、それ以外のお宅では片付けやゴミ出しを手伝うことはありませんでした。
 壊れた家具等の室内からの運び出しは終わって玄関前に出ており、ちょうど、ゴミ回収班が回って来ていて、それをどんどん回収していってました。

 この日は、町外の高校の野球部とサッカー部が合同でボランティアに来ていて、彼らに、どんな状況?って聞いたら「いつ終わるのか分かんないっす」と答えが。
 追分地区は、ブロック塀等のガレキが多く、大変な様です。
 高校生、大活躍でした。

 また、ちょうど、罹災証明の関係で家屋の被害調査も行われていました。
 調査が済んだ家には、調査終了を示す紙が貼られていました。
 被害調査は、苫小牧など町外から応援が来て行われているとのこと。
 いろいろな人が、いろいろな形で被災地に応援に来ています。

 訪問していると地震発生時のことを聞くこともありました。
 1人暮らしのおじいさんは、こんな話をしてくれました。
 いつもなら夜中に目を覚ますことなんか無いのに、あの日は、地震の数分前に目が覚めてトイレに行った。
 寝室に戻ったら、ずいぶん前に亡くなった妻の服が入ったままのタンスはそのままだったが、その脇に立てかけていた家具が、ちょうど枕と足の部分に倒れていた。もし、起きていなかったら...と笑いながらも目に涙をためて話していました。
 ありがちな表現でしかないですが、私もコンビを組んだ彼女も「それは奥さんが守ってくれた...」と励ますしかありませんでした。

 町内の将来に対する不安を感じている方も居ました。
 道端で話をした男性は、地震の前に、立て続けに近所の男性が亡くなった。そこで地震でこんなに被害が出ては...この古いまち...誰もいなくなっちゃうんじゃないのかなと話していました。

 外見では、被害がよくわからないですが、風除室や玄関がいびつになって戸やドアがきちんとしまらなくなっている家は沢山あります。また、室内のペチカが崩れて冬の暖房をどうしようと困っている方も居ました。
 家の建てられた時代による被害の差は明らかで、新しい家ほど被害は小さく、またブロック塀をまわしていないので、片付けにかかる労力も少なくて済んでいるようでした。

 
 ほっとしたのは、訪問したお宅のみなさんが、体調面は問題はないよと言っていたことです。
 もちろん、初対面の、しかも看護婦でも医者でもない者に、自分の体調を詳しく伝える人はなかなかいないと思いますし、相手がボランティアなら余計な心配はかけたくないと思うのは人情でしょう。
 でも、みなさん基本的に「子どもも含めて、みんな落ち着いたし、そんなに心配ないよ」と言っていたのは、ボランティアとしてはとても嬉しかったですね。

 訪問に夢中になり、昼食をとるのが遅くなって13時を過ぎてしまいました。
 コンビを組んでくれた方に悪いことをしてしまいました。
 休憩も取っていなかったし。

 そんなこんなで、15時迄に割当の地域の訪問は済ませ、ボラセンに戻ったのでした。
胆振東部地震に関連して〜4[2018年10月27日(Sat)]
 ようやくコンビが決まり、訪問する地区の地図をもらってスタート。

 訪問するのは追分地区。

 安平町は追分町と早来町が合併してできた自治体です。
 追分町は、室蘭、苫小牧から岩見沢方面へ向かう室蘭線と夕張から千歳へ向う夕張線(現在は石勝線)が交差する地点にあって、交通の要衝として、明治後半から大正、そして昭和の30年代(石炭がエネルギーの中心だった時代)、とても栄えた町でした。
 今は、当時のような勢いはありませんが、SLが保存されている鉄道資料館もあり、国鉄時代の香りが残る、落ち着いた良い街です。

 さて、コンビを組んだ女性は、十勝方面のある町から休暇を取って函館方面にある実家に帰る途中に安平町に寄ったという方。
 前のブログに「何かの縁?」と書いた帽子のイニシャル「b」はロックバンド「back number」のイニシャルだそうです。確か、来ていたシャツも、コンサート会場で買ったっと言っていたような...。
 back numberなら、最近、うちの子どもが聴いていたバンド。
 少しだけ分かります。
 確か、カーステレオに入れてあるSDカードに入ってました。
 (いろんなのが入ってる中で「コレはいいな」と思ってたのがback numberだったということが後に判明)

 ところで、私の帽子の「C」は広島東洋カープ(carp)の「C」。
 アルファベット順以外の関連性は無いのでした。
 洋楽が中心だった私とは、「名前は知っています」という位のつながりだけど、コミュニケーションの入り口には役立ちましたよ、帽子のイニシャル。

 追分にはボラセンから車で15分くらい。
 
 町営住宅と一軒家を回ります。

 最初に5階建て(だったと思う)の町営住宅から。
 比較的新しい建物の様ですが、訪問して話を聞く中で、通路の壁のあちこちにひびが入っているのが分かりました。
 部屋の中にもひび割れがあると言うお宅もあり、やはり震度6というのはすごい衝撃だったんだなあと分かります。
 私たちが担当したのは、前回の訪問で留守だったお宅なのですが、町営住宅は半分くらいが今回も留守でしたね。
 カーテンがあり生活感はあるけど電気メータが止まっているという部屋も多く、やはりどこかに避難している世帯が多かったのかもしれません。

 殆どの家庭で、壊れ物の片付けやゴミ出しは終わっていて、そのことに関連する要望はありませんでした。
 体調面も、特に心配があると言う方はいませんでした。
 今は、通院もちゃんとできるようになっているということでした。
 子どもが居る世帯もありましたが、子ども達はしばらくは怖がって落ち着かなかったけれど、今は問題ないと言っていました。
 玄関前には、水が入った2ℓ、4ℓのペットボトルが並んでいるお宅もあり、「水道は出てるんだけど、しばらくはね」と言っているお宅もありました。
 避難していて、ちょうど今日、戻って来たという方がいたと思います。
 9/22の時点では、私たちが担当した地区は水道も復旧していたので、「日常」が戻り始めた頃だったのかもしれません。

 安平町は、厚真やむかわに比べると、町民の生活のケアに関する対応が早く、混乱も少ない様な印象を持っていたのですが、訪問した中で「町は何も情報を流してくれない」という声もありました。
 また、後日、別な支援に入った人から「地震後ちょっとしてから、役場じゃないところからいきなり文書が投函されて、なんだか要領をえなくて混乱したという人たちが居た」という話も聞きました。(ボラセンがボランティアに依頼して配布した震災ゴミ回収等のチラシだったらしい)
 情報を確実に流すのは、本当に難しいですね。

 地震当日は、苫小牧でも「11時から断水」というデマがネット上で流れたし。
 それを、SUVに乗った男二人組が触れ回っていたという話も。
  ↑ コレもデマの可能性も。

 戸別訪問は、同じようなことを仕事でもしている私から始めました。
 5、6件ごとに交代する形でやりましたが、コンビを組んだ方は、教師をされているとのことでしたが、訪問の仕方がとてもキレイでかつ親身で、困っている人の心を推し量れる人なんだなあと思いました。
 
 そういえば、その方の年齢を、上に見ても30代半ばと思っていたら、「4○(←秘密)才ですけど」と言われてびっくり。
 どうりで、洋楽も「名前は聞いたことある」と言っていたわけですねえ。

 次は、戸建ての地区に移ります。
 
胆振東部地震に関連して〜3[2018年10月26日(Fri)]
 さて、前の記事で「9時半スタート」って書いたけど、9時からオリエンテーションで9時15分からボランティアのマッチング作業だったかな。

 ボランティアセンター(以下 ボラセン)職員から、安平町の現在について説明がありました。
 水道等、生活基盤はほとんど回復したけど、避難所生活を強いられている人は多く、避難所から保育園や学校に通う子ども達が多く居ること。
 校舎が使えなくなった小学校もあり、その学校に通っていた子ども達は中学校で授業を受けていること。(小一の子が中学生のトイレを使ったりするわけです)
 校舎が使えなくなった中学校もあり、そこに通っていた子ども達は避難所で授業を受け、体育の授業ができないなどの問題が起きていること。また、野球等、外でやる部活動は、冬期間にトレーニングする場所がないことや学校祭を行えるかどうかも分からないということ。
 去年、受験生を抱えていた親としては、中三の子たちの受験勉強も心配です。

 また、町民はおしゃべりになっているので、話を聞いてあげてくださいとも言っていました。
 子ども達は遊びの中で不安を昇華させることができるけど、大人にはそれができない。
 話しをすることが、不安を和らげることになっているということなのです。
 そういえば、私が通っている民謡教室でも、地震後の教室では、お姉様達がみんないつもよりずっとおしゃべりになっていましたからね。

 子ども達の遊びには、「地震ごっこ」があるそうです。
 例えば「震度6だ、逃げろー」とさわいでみたり、「ハイ、お水」と給水活動のマネをしたりする、どこから来たの?」と大人がボランティアに尋ねるのをマネしたりするそうです。
 子どもは、そうやって不安な気持ちを調整して行くそうです。

 さて、作業ごとに別れてマッチング作業です。

 前の記事に書いたとおり、私は、戸別訪問という仕事を選びました。
 二人一組で行動するということで、私は、同じような仕事の経験があり、車を出せるということで二人一組のリーダー格の方に。
 リーダー格の方が先に決まり、最初に並びます。(リーダーは性別関係無し)

 そこで、マッチング作業の担当者が、
「二人一組で動いていただきますが、男女のペアになってください。では、残っている方、コンビを組む方をえらんでくださーい!」
 ...おいおい。
 選ばれなかったらショックじゃないか。
 「ねるとん」か?(←古い)
 「ラブアタック」か?(←古いなあ)
 「フィーリングカップル5VS5(プロポーズ大作戦)」かよ!(←どんどん古くなってく)

 幸い、私を早めに選んでくれる方がいました。
 しかし...

 「訪問結果は、スマホで入力していただきます」
 いかん、私はガラケー。
 でも、今は、ほとんどの人がスマホだからね。
 「私、ガラケーなんですが、スマホですよね?」と私を選んでくれた、男性を見る目が確かな方(笑)に確認すると、
 「いえ、私もガラケーなんです」

 ...二人の意志に関係なく破談となりました。
 
 私は、次のコンビ決めの方に回り、今度はスマホを持っている方が私を選んでくれたのでした。
 私を選ぶという、紳士を確実に選ぶことができる(一般的には「彼女チャレンジャーだな」という評価になる様ですが)能力を持った女性が、こんなに続いて現れるとは...
 まさしく、「神のみぞ知る」といったところです。

 選んでくれた、女性のキャップには「b」と。
 そして、この日、私がかぶっていたキャップには「C」。
 おお、本当に神の計らいでしょうか。

 次の記事に期待! ←早く、どんな仕事をしたのか書けよ。
胆振東部地震に関連して〜2[2018年10月22日(Mon)]
 地震の被害が大きかった厚真町、安平町、むかわ町は、東胆振を代表する、お米や青果、乳製品などの産地です。
 フクとまの食事でも、JAとまこまい広域さんからお米、味噌の提供を受け、大変お世話になっています。

 フクとまを代表してというわけではありませんが、私もボランティアとして、9月23、24日、10月8、14日と安平町で、戸別訪問や室内片付け、ゴミ回収の作業をして来ました。

 最初は、フクとまでも個人的にも世話になっている人がいる厚真町に行こうと思ってました。
 震度7、そしてあの山の崩壊のニュースやはり衝撃でした。
 土砂崩れにより家が崩壊し、亡くなった人が出た、吉野、富里地区は、昔、よく通った道路、よく通った場所でした。
 しかし、やはり厚真町は集まるボランティアも多く、ボランティア登録する電話もお話中で繋がりません。
 また、多く集まり過ぎて仕事が無いこともあったということで、行き先を安平町に変更したのでした。

 安平町も、事前にボランティア登録が必要でしたが、HP上で、ボランティア作業の種類や内容が表示されており、自分の能力を生かす作業を選ぶことができるということが、厚真町、むかわ町と大きく違うところでした。
 もちろん、当日、その作業が必ず当たるというわけではないのですが、自分を生かす作業があるということは、ボランティアに取ってはモチベーションが上がることです。

 私が選んだ作業は、9月23日は、家を一軒ずつ訪問して、求めている支援を確認し、困り事や家族の体調等を聞いてくる個別調査。
 困りごと等の話を聞いたり、生活状況を確認する仕事を経験して来ましたから、その経験が生かせるかなと思ったのです。
 本来は体力勝負の仕事が適任なんですけどね、でも、その仕事はこれからも沢山あると思ったので。

 実際にやってみると、健康での不安やその他心配事を相談されるということはほとんどなかったです。地震から2週間過ぎて片付けも進んでいたということもあるのでしょう。
 少し拍子抜けしましたが、カミさんから、「『知らない家を訪問するのを苦にしない』ということが、普通はなかなかできないことだよ」と言われました。
 仕事上、戸別訪問は多々ありましたし、フクとまその他の市民活動でも初対面の人と話をすることが多くありましたから、いつの間にかそういうことになれていたんですね。

 仕事と市民活動、両方の経験が生かせましたよ。
 ( ↑ 年齢を重ねてずうずうしくなっただけでは?)

 ということで、当日は9時からオリエンテーションと各ボランティアが担う作業のマッチングをし、9時半過ぎにはスタートです。

 続きは、次回。
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