特別支援学校における通学支援
[2009年06月24日(Wed)]
大分の特別支援学校に見学に行った。
「百聞は一見に如かず」はここでも実感することとなった。
私の知るところでは、通学バスの運営には1台あたり年間約1千万円というのが相場であった。ところが、である。
大分は、福岡のビルメンテナンス会社など、バス運転手のOBが再就職した会社が受託し、年間300万円で通学支援を実施していた。ヘルパー経験のある添乗員の人件費(ビルメンテナンスが雇用)や年間20回の校外学習やPTA行事にも使えるように条件をつけられていた。バスは宝くじの収益金を活用したものだ。
佐賀の場合、春日園と金立特別支援学校、くろかみ学園と伊万里特別支援学校の間だけ各1台バスが出されているが、この予算があれば1校当たり2台のバスで巡回が可能である。今、毎日通学を支援している母親に支給しているガソリン代もその財源としてよい。
バスに乗り込む子供たちの笑顔がすばらしかった。「みんなと通学たのしか?」と聞くと「うん。先生も一緒に行くと?」と聞かれてしまった。みんな乗車したところで3時30分過ぎだったと思うが、校長先生も含め先生が全員お見送りのため玄関に出てこられ、一斉に手を振って「またあしたねー」「ばいばーーい」とほほえましい光景だった。歩いて帰る児童、路線バスで帰る児童、リハビリ等のため事業所のバスで帰る児童と本人の自宅のある場所や都合や能力に合わせて色々である。
佐賀県では「通学支援」は寄宿舎の運営を意味する。
しかし、他県ではほとんどの特別支援学校が通学バスやタクシーを走らせることで「通学支援」を実施している。
地域で生活する力を身につけるように教育するのが特別支援学校だと信じているが、寄宿舎は健常児では考えられないくらい早く母子分離をしてしまい、卒業後は入所施設へまっしぐらという環境を、本人にも、親たちにも与えてしまうのである。寄宿舎が特別支援学校の教育になじむことは、ノーマライゼーションを進める現代においては、もはやない。
「地域で生きる」ためには、健常児同様、高校生までは親の愛情に包まれて育ち、高校卒業と同時に独立していく普通の生活を根本から支えることが特別支援学校のもっとも重要な役割だと思う。
県の各地域に特別支援学校が配置された今、通学支援のメインは通学バスやタクシーによる住み慣れた自宅からの日々の通学を支援することにシフトすべきだ。みんなそうして大きくなったはずだ。なぜ障害があるだけで寄宿舎で母子分離になってしまうのか。
自宅から路線バスを利用して通える児童は、バス会社にも協力を要請し、可能な限りそれができるようになるまで支援するのが教育だ。歩ける距離に自宅があるなら、児童が歩く可能性のある道の沿線の住民の方々には声をかけておいて自分で通わせるのが教育だ。そうすることで、障害者のことがみんなに知られることになる。障害者理解も進むというものだ。
「地域で生きる」ように教育して欲しい。
「百聞は一見に如かず」はここでも実感することとなった。
私の知るところでは、通学バスの運営には1台あたり年間約1千万円というのが相場であった。ところが、である。
大分は、福岡のビルメンテナンス会社など、バス運転手のOBが再就職した会社が受託し、年間300万円で通学支援を実施していた。ヘルパー経験のある添乗員の人件費(ビルメンテナンスが雇用)や年間20回の校外学習やPTA行事にも使えるように条件をつけられていた。バスは宝くじの収益金を活用したものだ。
佐賀の場合、春日園と金立特別支援学校、くろかみ学園と伊万里特別支援学校の間だけ各1台バスが出されているが、この予算があれば1校当たり2台のバスで巡回が可能である。今、毎日通学を支援している母親に支給しているガソリン代もその財源としてよい。
バスに乗り込む子供たちの笑顔がすばらしかった。「みんなと通学たのしか?」と聞くと「うん。先生も一緒に行くと?」と聞かれてしまった。みんな乗車したところで3時30分過ぎだったと思うが、校長先生も含め先生が全員お見送りのため玄関に出てこられ、一斉に手を振って「またあしたねー」「ばいばーーい」とほほえましい光景だった。歩いて帰る児童、路線バスで帰る児童、リハビリ等のため事業所のバスで帰る児童と本人の自宅のある場所や都合や能力に合わせて色々である。
佐賀県では「通学支援」は寄宿舎の運営を意味する。
しかし、他県ではほとんどの特別支援学校が通学バスやタクシーを走らせることで「通学支援」を実施している。
地域で生活する力を身につけるように教育するのが特別支援学校だと信じているが、寄宿舎は健常児では考えられないくらい早く母子分離をしてしまい、卒業後は入所施設へまっしぐらという環境を、本人にも、親たちにも与えてしまうのである。寄宿舎が特別支援学校の教育になじむことは、ノーマライゼーションを進める現代においては、もはやない。
「地域で生きる」ためには、健常児同様、高校生までは親の愛情に包まれて育ち、高校卒業と同時に独立していく普通の生活を根本から支えることが特別支援学校のもっとも重要な役割だと思う。
県の各地域に特別支援学校が配置された今、通学支援のメインは通学バスやタクシーによる住み慣れた自宅からの日々の通学を支援することにシフトすべきだ。みんなそうして大きくなったはずだ。なぜ障害があるだけで寄宿舎で母子分離になってしまうのか。
自宅から路線バスを利用して通える児童は、バス会社にも協力を要請し、可能な限りそれができるようになるまで支援するのが教育だ。歩ける距離に自宅があるなら、児童が歩く可能性のある道の沿線の住民の方々には声をかけておいて自分で通わせるのが教育だ。そうすることで、障害者のことがみんなに知られることになる。障害者理解も進むというものだ。
「地域で生きる」ように教育して欲しい。