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サポセン@仙台
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2015年06月23日(Tue) 「助かる命を助けたい・福住町方式」


全線がようやく復旧したJR仙石線の福田町駅(仙台市宮城野区)から徒歩10分。仙台の東部を流れる梅田川の堤防添いに「菅原動物病院」(同区福住町)がある。

病院の院長であり、福住町の町内会会長を1999年から勤めている菅原康雄さん(67)は、「防災・減災」を掲げた地域活動のリーダーとして地元を引っぱってきた。

災害が起きても「一人の犠牲者も出さない」を信念に2003年、独自の防災マニュアルを作成。行政に頼らず、住民同士の支え合いやほかの地域との連携に重きを置いた災害時相互協力協定などの活動事例を書籍『仙台・福住町方式 減災の処方箋』(新評論)にまとめ、今年4月に刊行した。

東日本大震災当日、梅田川にも津波が押し寄せた。幸い津波が堤防を越えることはなく、集会所に避難した住民には物資も行き渡った。10年以上の積み重ねで、個人が己の力で助かる「自助」、身近な人とともに助け合う「共助」の考え方が根付いていたからだ。

震災以前の8年間で、福住町町内会は大規模訓練を8回も繰り返していた。菅原さんが目指したのは「お祭りの減災」だ。夏祭りのようなイベントを通して住民同士や他の町内会のメンバーとの交流を深めておけば、いざというときに町内会の内でも外でも人と人が支え合える。お祭りのような楽しい交流を通じた、顔の見える関係こそ、有事の際の確かな命綱になるのだという確信が、菅原さんにはあった。

夢想は現実になった。震災4日目、以前から協定を結んでいた山形県と新潟県の町内会が、避難所となる集会所に救援物資を届けてくれた。交通網がまひしている最中の支援に「友がいる」と励まされた。

今年の防災訓練の開催日は11月8日(日)に決定している。「部外者大歓迎ですよ。ぜひいらっしゃい」と菅原さん。炊き出し訓練を兼ねたサバイバル飯も振る舞い、絆を強める。

地震、風水害、火山の噴火…。災害大国で備えが不要な地域はない。「自助・共助」に他の人たちへの支援「他助」がプラスされた福住町方式が広がれば「助かる命」は増えるに違いない。


「助かる命を助けたい・福住町方式」.jpg
▲2015年4月刊行の自著「仙台・福住町方式 減災の処方箋」を手にする菅原さん。「読んで頂きたいのはもちろん、ぜひ実践につなげてほしいですね」



(仙台市宮城野区 大林紅子)
2015年06月23日(Tue) 受講生の記事が、ぞくぞく公開中! 【第1弾】河北×サポセン市民ライター講座2015


先日、無事全員完走した、市民ライター講座2015・第1弾。
(1日目報告→ 2日目報告→ 3日目報告→ 4日目報告→ 最終日→)

限られた時間の中で、座学、取材、執筆、3回の添削を経て、ついに記事公開にこぎつけました!
公開先は、河北新報社が運営するコミュニティサイトkacco。
2014年からの市民ライターのみなさんの活躍もご覧いただけます。
『河北×サポセン 市民ライター講座』

今回は、「震災を経て」というテーマで5つの団体、お店を取材しました。
・おはようシアター
・おにぎり茶屋ちかちゃん
・福住町町内会
・南蒲生復興部
・一般社団法人ReRoots くるまぁと 

受講生のみなさんの記事を通じて、地域で奮闘する方々たちをぜひ知ってください。
また、記事にはコメントを寄せることができます。
動き始めた市民ライターの皆さんの応援もよろしくお願いします!









2015年06月23日(Tue) 夢は「親子で劇場へ」ー「おはようシアター」の幼児参加型プログラムー


 〈未就学児入場不可〉。劇場を訪れた人の多くは、こんな注意書きを見たことがあるだろう。演目や上映時間によって、小学生未満の入場を制限するものだ。そんな切ない思いをしている子どもたちにこそ芸術に触れる機会を提供しようと誕生した劇団が、仙台市に拠点を置く「おはようシアター」だ。

子ども向けに午前中に公演を行うのが名の由来。代表の川熊美貴さん(33)を含め、俳優、ダンサー、児童館職員ら様々な職種の12人が集う。

結成は、東日本大震災直後の2011年6月。震災以前から、従来の「長時間じっとしていなくてはならない劇場鑑賞」とは一線を画した、「子ども参加型のプログラム」を模索していた。震災で遊び場を失った子どもたちの姿に胸を痛め、急ぎ劇団を旗揚げした。

 「幼児参加型」を銘打って、東北各地の保育所や幼稚園、児童館などを巡演する。キャラクターに扮した役者が手遊びや体操、歌を披露すると、子どもたちは大喜び。アコーディオンやウクレレなどの音楽は役者による生演奏で、子どもたちは役者を真似て体を動かしたり、演奏に合わせてリズムを刻んだり、ノリノリだ。

 津波被害の大きかった宮城県内の沿岸地域をはじめ、岩手、福島で上演を重ねてきた。当初は以前からつながりのある施設を回っていたが、始動2年目以降は各地から上演依頼が舞い込むようになった。

活動の継続には、人手不足や資金難などの課題もある。稽古の傍ら、役者が自ら運営作業や広報誌作成まで担っている。震災直後は、全国の劇団が東北を訪れたが、継続しているのは数えるほど。「被災地の劇団」としての自負は強まっている。

6月に結成5年目を迎え、新たな目標を掲げた。「いつか自前の劇場を持って、幼い子が親と一緒に気軽に足を運べる場にしたい」。子どもたちの待つ施設に〈未就学児大歓迎〉のプログラムを届けるため、挑戦を続ける。


「おはようシアター」.jpg
▲ステージと客席の垣根を越えた「おはようシアター」のプログラム。子どもたちも体を動かし、一緒に舞台をつくる。



(東松島市 生沼未樹)
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