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朝日新聞の見出しが抜群 [2010年06月30日(Wed)]



















 私は自宅で朝日と産経の両紙を精読し、
ユーラシア21研究所にきてから
何種類かの内外の新聞に目を通すのが普通だ。

 今朝のこの3紙、
朝日の見出しが光ってますよね。

 全部漢字というのは、「中国の新聞みたいだ」とタブー視されて
きたようですが、きょうのこれは途中に空白があることもあり、
実にいい見出しだと、思います。

 産経、読売も愛読紙、頑張ってください。
密使・若泉敬と末次一郎A [2010年06月30日(Wed)]






  1970年代の末次先生と吹浦。今ではウクライナとなったソ連時代の
 キエフで



 若泉先生が文藝春秋社から
『他策ナカランヲ信ゼムト欲ス』を出された時の
末次先生の失望の大きさを
私は、身近にいたものとしてよく知っているし、
そのことは
NHKのディレクターにははっきりとお話した。

 若泉先生が沖縄に「はまった」のは末次先生の誘導にないし、
指導によったのが最初である。そしてお二人は
私には本当に同志という関係に見えたのであった。

東京の学界でいささか孤立した感のある若泉先生が
出身地である福井県鯖江に隠遁のような形で戻られてからも、
主として若泉先生からの電話で、
お二人は少なくとも週一回は
何時間も話し合っていた。

家族や秘書たちは、
椅子、お茶、灰皿、タオルなどを運んでサポートした。

 ところが、若泉先生がこの書を、何の前触れや連絡もなく、
「大著の執筆に取り組んでいるので・・・」と私に伝えたまま、
上梓されたのはこれだった。末次先生と、仕える私はてっきり
初の大論文でも執筆しているのではないかと話をし、期待もし、
そう思い込んでいた。

「沖縄のことはあの世に持ってゆく。キミにも全部は語らない。
恕せ。密なることは密をもって成り立つのだ」。

 これが末次先生から私への言い方だった。
                 (つづく)
サッカー日本チームの「日の丸」 [2010年06月29日(Tue)]










    写真は読売新聞の広告から。   












 いよいよ日本が決勝トーナメントに登場!

 今夜はなんと8時から若い人たちとの勉強会に
参加するが、まさか、そのままサッカー観戦とは
ならないことを願う。

 もしかして、若者たち、サッカーまでの時間つぶしに
私を招いて研究会かな? ごめん、そんなことは絶対ない
超まじめな連中であることをよく知っている。

 でも、まぁ、それも時間の有効活用かも。

 ところで、その日本チーム、
青いユニフォームに付いている
「日の丸」が貧弱ではないかというメールを
福井県在住の方からいただいた。

 確かにそういう印象を与える。これは是非、
是正さるべきデザインだと思う。

きょうの朝刊、全国紙全部にAdidasが全ページの
カラー広告を出している。

 よくみれば、「日の丸」の周囲に黄色の枠があり、
おそらく黄色い糸で縫い付けたと思われるが、
白と黄色が青地では区別しにくく、
貧弱な「日の丸」という印象を与えているのかもしれない。

 なにはともあれ、ここは一番、
日本中の期待に応える結果を出してくれることを
切望したい。
 
賭博力士はみな日本人 [2010年06月28日(Mon)]


             


         「日の丸」に黒い喪章をつけたいくらいだ






 野球賭博で処罰の対象となった力士は、
全部、日本人力士だと思う。
「日の丸」を掲げての「国技」が泣く。

 なぜ、日本人力士ばかりなのか、
これは専門家に是非、分析してほしい。

 日本の若者の自己責任のなさ、
群れたがり、未熟さ・・・ではないのか。

 みんなでやっても怖いということを
この際、しっかり示してほしい。
エルトゥールル号展 [2010年06月28日(Mon)]



























  
 このチラシにこんなに詳しく書いていますから、
もはや説明は不要でしょう。

 必見の展覧会が夏に、船の博物館で開催されます。

 暑さにめげず、これは見逃すわけにはゆきません。
聖心札幌です! [2010年06月28日(Mon)]











 海外で困っている人のために何が出来るかと
聖心女子大学の授業で学生に聞いたところ、
ある2年生の学生から、メールでこんな答えが
帰ってきました。

   ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

 一番簡単に出来る行動としては募金だと思います。

 私が中・高校生の時、
学校で梅干し募金というのがあり、
月に一回、お弁当をおにぎりにして募金をするという
行事がありました。

 これは、満足に食べられない人たちの気持ちになって
ご飯を食べるのとお昼代を集めて、
海外の学校に募金するというものでした。

 そのため、募金という方法が実行しやすいと思いました。

    ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 この学生に、「そんなすばらしい教育をしている学校はどこ?」
と返信したところ、すぐ、
「聖心札幌です」とまた返事が
返ってきました。メールが胸を張っていました。

 今度、9月に関東甲信越の高校教師たちの研修で
私は講演します。この方式は、各地で広めましょう。

 立派です。聖心札幌高校!!!
NHKスペシャル密使若泉敬@ [2010年06月28日(Mon)]
         

                 若泉敬先生



 NHKスペシャル「密使・若泉敬」を
NHKからおくられたDVDで,
放映後8日目のきょう、
6月27日になってようやく拝見できた。

 オン・エアの時(6月19日)に
見ることができなかったのは、
わが家に急遽、数人の友人が集まり、
日本対オランダのW杯サッカーを見て
盛り上がっていたからだ。

そして、DVDをおくっていただけたのは、
この番組の制作に多少、
協力したということによる。

 番組に出演していた方々のほとんど、
すなわち
佐藤信二(栄作元首相の次男)元代議士、
田宮甫弁護士、
福留民夫氏(若泉先生の学生時代以来の友人)、
鰐淵信一氏(最晩年に若泉先生が
最もお世話になった一人)、
斎藤邦彦元外務事務次官・・・と私は
程度の差はあれ、
相当に深いお付き合いがあったので、
テレビ番組がこの程度の描き方で
終わったことについて
ほっとした気分と、
ものたりなさと両方を感じた。

 しかし、この番組があまりに経過や思いを
単純化していることには
驚きの念を禁じ得ない。また、
これは当時からの学者仲間の一人が
オン・エア直後に私に言ってこられたことだが、
「番組が本人(若泉先生)と同じくらいに、
自己顕示をし、他を無視している」というのが
私にとっても率直な印象だ。

 この番組の制作にあたり、
私は何度か担当ディレクターの訪問を
受けたし、
沖縄返還に大きな貢献をし、それ故に
浦添市には9年前の逝去のすぐあと
胸像が設置された
わが師・末次一郎先生の遺品を調べることにも
協力した。

すなわち、かつては末次先生の秘書でもあり、
今は私の秘書であるM嬢とともに、
管理している先生の二女である
川野典子さん(番組の最後に協力者として表示)の
お宅にディレクターと一緒に行き、
遺品のほぼ全てを点検したが、
若泉先生からの書簡や関係文書は
1通も出てこなかった。

 のみならず、両先生が一緒に映っている写真は
国際会議で、たまたま数人と
円卓を囲んでいる1枚しかなかった。

 ディレクターにはその意味を感じてほしかった。

 末次先生は、若泉先生や沖縄返還に関する
写真、文書のいっさいを自らの手で、
この世から消されたのだ。
                      (つづく)
サッカー、オランダ選手の胸に [2010年06月28日(Mon)]













朝日新聞(6月27日付)の「声」欄に
すばらしい投書が紹介されていた。
「会社役員 深田典将(埼玉県上尾市 68)」とある。

 同じ世代であるのもまた嬉しい。
 それにしては私は感度が悪く、
テレビ中継を見ていたのに気付かなかった。

   ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 サッカーのワールドカップ(W杯)デンマーク戦、
日本は3得点し決勝トーナメント進出を決めた。
19日のオランダ戦とは打って変わって、
日本の失点を恐れぬ果敢な攻めに熱くなった。
そのオランダ戦では、攻防とは別に
「あっ、何で何で」と言葉にならない驚きの声を
上げてしまった。

 両チームがピッチに入場。国歌斉唱が始まった時である。
オランダ選手のユニホームの左胸に
一瞬「日の丸」が見えたのだ。まさかと思い、
ゲームが始まっても何度も何度も
オランダ選手のユニホームを追い続けた。

ようやくハーフタイムにオランダの国旗と日の丸が
並んで付いているのを確かめた。

 再び「何で?」と疑問が浮かんだが、
すぐに打ち消し、
素直に自分の感じた気持ちを胸の中で言葉にした。

「オランダは対戦国に対し尊敬の念を持ち、
敬意を示し、正々堂々と戦う。その気持ちの表れだ」
 
何と素晴らしい。スポーツマンの原点ではないか。
スポーツの国の威信をかけた激しい戦いの中で、
オランダが日の丸に込めて表現したメッセージは、
政治家の平和演説より、はるかに説得力がある。

日本は、そのオランダとの再戦の夢をつないだ。
これまで以上に両チームの活躍に拍手を送ろう。

   ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

 大賛成。私もオランダにも声援を送ろう。今週は
寝不足が続きそうだ。

 日本が北京五輪のとき、日中両国の小さな国旗を
持って、開会式の選手入場を果たした。あれはよかった。

 その少し前、長野で聖火リレーを行った。
善光寺前の通りが、中国の「五星紅旗」で埋まった。

 あれはよくない。どうして「日の丸」と五輪旗と
三つを掲げなかったのか。中国と、真の日中友好のために
惜しむ。
力士と記者と賭けごと [2010年06月27日(Sun)]





    悪いことは×







 大関・琴光喜が入幕したころ以来、
何度も歯がゆい思いをしながらも、
私はこの力士に期待した。

 その夢はかなりかなえられ、久々に
日本人横綱が出るならこの人かとさえ
思ったこともある。

 ただ、ここ2,3年は実にふがいなかった。
挙句は、この野球賭博である。大関の責任というまえに、
社会人としての責任を負うべきである。

 で、ありながら、本人から部屋に引退届が
出された模様とスポーツ紙は報じている。

 あるいは、解雇・懲戒免職のまえに出して
推定5500万円という退職金を狙ったものかとさえ、
おもってしまう。

 それにしても、私は報道関係者の猛省も促したい。

 私が初めて首相官邸を訪ねたのは佐藤内閣の時代だった。
旧官邸の正面玄関から入るとすぐ、玄関に面して左側に
官邸記者クラブがあった。玄関の小窓からも見える。

 そこで行われていたのは、賭け麻雀、花札のたぐい。

 その習慣は、今ではほとんど影をひそめたが、
古手の記者諸公に
その経験がないという人は少ないのではないか。あるいは、
形を変えて、賭けゴルフや賭け将棋などが
今でも記者クラブで続いていることはないと断言できるのか。

 もうひとつ、今回の日本相撲協会全体の体質ともいうべき
野球賭博事件について、
そういうことが、かなり多くの部屋や力士の間で行われていた
ということについて、これまで、相撲記者たちは、
まさか、
知らなかったということはないはずである。
加わっていたかどうかは別として、
ホントに知らなかったなら、目はあっても節穴同然
ということになる。年から年中、記者として
力士や協会関係者などの周辺にいたはずなのに、
野球賭博の横行に気付かなかったというなら、
そういう記者はジャーナリストとして
無能というほかなく、そんな記者の書く新聞の
購読を止めるほかない。

 それがにわかに、この騒ぎ。
おそらく協会関係者の中には、
日ごろ何かとやり取りをしている記者たちに。
手のひらを返したような態度に出られていると、
怒り心頭に達している人もいるのではあるまいか。

 協会には抜本的な改革を期待するほかないが、
記者諸公も、自らの職業的体質について
見直すきっかけとしてほしい。
北方領土問題入門 (完) [2010年06月27日(Sun)]






         色丹島から国後島の爺々岳を臨む。ES氏撮影。







 北方領土の返還を実現して、
日ロ平和条約を締結するということに、
日本はあわてることはありません。

 辛抱強く、矜持を保ちながら、機会を待つことです。

 今は外交安保を担当しているメドヴェージェフ大統領が
まだ非力です。しかし、2年後、
おそらくプーチンが再び大統領として復活するでしょう。

 強い政権が出来、双方が輝く経済的発展を
遂げつつあるときが、両国の窓の開くときです。

 それまでになすべきことは、
お互いの国民や政治家が相手国をよく理解することです。

 日本は4島返還の矜持を保ちつつ、
政治と経済の安定を図りつつ、
世界に尊敬される国づくりを進めることが
この難問を解決する決め手になるのです。

 来るべき日を目指して、
日本としては「民」も「官」も、「政」も「経」も、
そして文化やスポーツの分野の人も、
それぞれの果たすべき役割を積極的に担うことが肝要です。

「面積2等分」「2島ずつ分割」「共同開発」などの
小手先の怪しげな提案に惑わされることなく、
歴史と世界情勢と北方4島の状況を
しっかりと把握して、「その日」にそなえるべき時期が
今だと思います。機は熟しつつあるのですから。
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