御柱祭りは真澄で祝おう! [2010年03月31日(Wed)]
小欄でおなじみの石田良介画伯が、 (なんと!)空前のイケメンで、広告に登場したのです。
3月27日付、信濃毎日新聞です。
小欄既報のように、石田画伯は御柱祭りのツーなのです。
のみならず(いや、飲むんです)、日本酒のツーでもあるのです。
その石田画伯はもう十数年前から、毎年、私に 諏訪の銘酒・真澄を御下賜くださるんです。
醸造元にもご案内くださいました。酒も美味しかったけれど、 奈良漬もよかったですよ。
さあ、まもなく真澄の季節、もとい、御柱祭り。 「祭りには、それにふさわしい酒がある」とは石田画伯70年の 結論とか。真澄はHPで申し込むことが出来ます。
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吹浦 忠正
at 12:10 |
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モスクワ地下鉄爆破事件の近くで会議 [2010年03月30日(Tue)]
「わが師」を池上清子さんが [2010年03月30日(Tue)]
郷農彬子さんは同じく日赤語学奉仕団のメンバーだった人で、 今は、同時通訳・国際会議運営のバイリンガル・グループ社長。 右の池上さんと郷農さんは同じ4月24日が誕生日。ここ数年、 3人で互いに祝い合っている。 3月12日、わが誕生日(3月17日)を繰り上げて、お二人が ARGOのランチョンでお祝いしてくれた。感謝。 われらが仲間の池上清子さんは 国連人口基金東京事務所長の要職にある。
趣味の三味線演奏も、国立劇場で弾くほどの腕前。
その上、 なかなかの文筆家であり、 東京新聞の夕刊のコラムニストでもある。 2010年3月16日(火)の【放射線】という欄に、 共通の・橋本祐子(さちこ)先生のことを「わが師」と題して 次のように書いている。
☆☆ ★ ☆ ★★ ☆ ★ ☆☆
人の役に立つ仕事をしたいと漠然と考えるようになったのは、 大学生のときに赤十字語学奉仕団でボランティアを したころからだと思う。
そこで出会った橋本祐子(さちこ)先生は、私の恩師である。
東京五輪後に開かれたパラリンピックで、 通訳が不足していたのを知り、 外国語ができるボランティアを募り、その後、 赤十字語学奉仕団として組織したのが、橋本先生。
当時、日赤で青少年課長をされていた。1968年には 第1回・世界青年の船の副団長として、 若い人たちが海外と交流する事業にあたった。7 2年には日本人として初めて「アンリ・デュナン記章」を 受章されている。
常に、はつらつとしていて明るく、 私たちはいつも温かく励まされていた。 青年の船は、当初、若い男女の船上での共同生活は 何かと問題が起こりかねないともいわれたが 「私が責任をとる」と言って押し切った、とご本人から聞いた。
橋本先生のボランティア論は、 「人の役に立ちたいという気持ちは大事だけれど、 それだけでは十分じゃない。
人に提供できる知識・技術が伴わない限り、 気持ちだけではボランティア活動にはならない」だった。
学生時代にボランティアをしていい気になっていた私は、 自分の甘さを厳しく指摘された気がした。
役に立ちたいという気持ちを相手に押しつけるのではなく、 自分に何ができるのかを常に問い直す。
国連機関で仕事をしている今でも、考え続けている。
☆☆ ★ ☆ ★★ ☆ ★ ☆☆
青年の船の一件は、時の佐藤栄作首相を官邸に訪ね、 「女は青年ではないのか」と迫り、自らも 副団長として乗り込んだのであった。
池上さんは近く、新たな大任にも就くらしい。祝杯の機会が また増えそうだ。そうですよね、郷農さん?!
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吹浦 忠正
at 08:05 |
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郷隼人氏、また朝日歌壇に [2010年03月29日(Mon)]
3月13日に、カリフォルニアで終身刑に服している、 歌人・郷隼人氏からお手紙を頂戴し、 翌日からモスクワに行っていたとはいえ、 お返事をお送りしたのは、26日になってからでした。
正直に言って、胸が詰まってどう書いたらよいのかわからず、 自分の人間性というか、人間力の不足を痛感しました。
そうこうしているうちに、 きょうの朝日歌壇に、また、郷さんの歌が 選ばれていましたね。ことのほか嬉しいです。
渺茫たる葡萄農園(ワインヤード)より吹いてくる 春風うららイースター・サンデー
馬場あき子先生の選でした。
「葡萄園から吹いてくる春風によって一気に雰囲気が醸成され、 復活祭の気分が生まれる」 これは、馬場あき子先生の評である。
また、近々にこの悦びを郷さんに、書き送ろうと思います。
「渺茫(びょうぼう)」という言葉は、 ようやくわが語彙に入った 言葉です。昨日も合唱の練習に参加した「大いなる秋田」の 第3楽章に 「見渡す曠野は渺茫霞み」という歌詞が あったからです。郷土・秋田の 黄金に実る稲田を讃える部分です。広い稲田は豊かに穂をつけ、 見渡す限りぼうっとするほどはてしなく広がっている といった意味でしょうか。
郷さんはほんとうに豊かな語彙をお持ちですね。
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吹浦 忠正
at 22:26 |
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国際事件記者 [2010年03月28日(Sun)]
「国際事件記者」大森実氏の逝去にあたり、 紙誌各社から取材を受けた。
気付いたことの第一は、50歳より少し下の記者は 書いたものはおろか、その名をほとんど知らず、 上から言われてネットで見て、 取材開始という世代であるということだ。
ベトナム終戦から35年、 沖縄返還から38年、 日韓国交回復から45年、 安保改定から50年・・・、 激動の時代、しかも、この人が最も得意とする 依然さまざまな危険な要素を抱え込んでいるとはいえ、 環太平洋の主たる動乱が去って、 こんなにも時間が経過しているのだ。
おまけに、大森氏がカリフォルニアに居を移してから でも40年近い年月を経ている。ということは、 日本のテレビを中心とする映像メディアには まず出てこなかったということだ。
この人のモットーである、国際政治、国際的な緊張の場を 足で周るという取材能力の卓抜さは、 誰にとっても容易に継げるものではないが、 類似の手法の先駆者として、国際派のルポライターが その後、わが国でも多数、輩出した。
大森氏は、メニエル氏病をはじめとする健康上の負担で、 自由に世界を飛び回ることができず、さぞ 悔しかったのではなかったかと思うが、 その分、元秘書だった恢(ひろこ)夫人の 献身的アシストもあっての 歴史の真相究明の分野で、大きな業績をあげてこられた。
表面上、あまりにタフでしたし、 悲報が信じられないほどだが、 合掌するほかない。 合掌
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吹浦 忠正
at 21:12 |
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愛唱歌と日露戦争@ [2010年03月27日(Sat)]
挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で 掲載させていただいております。無断転載を お断りします。 ともしび近く 衣(きぬ)縫う母は 春の遊びの楽しさ語る 居並ぶ子供は 指を折りつつ 日数かぞえて 喜び勇む 囲炉裏火(いろりび)はとろとろ 外は吹雪
囲炉裏のはたに 縄なう父は 過ぎしいくさの手柄を語る 居並ぶ子供は ねむさ忘れて 耳を傾け こぶしを握る 囲炉裏火はとろとろ 外は吹雪
この文部省唱歌、いまではしばしば、
囲炉裏のはたに 縄なう父は 過ぎし昔の思い出語る
となっているのです。
これではどうして子供たちがこぶしを握るのでしょうか。
今と違って当時といわず、 大東亜戦争の敗戦後でさえ、 戦争も終わってしまえば 昔話の1つのようになっていたのではないでしょうか。
そのことの良し悪しは別として、 歌として多年、愛唱されてきた文化を ひんまげてはいけませんよね。
そのことは、拙著 『歌い継ぎたい日本の歌―愛唱歌とっておきの話』(海竜社)で 詳述しましたが、要するに、日露戦争という戦は、 どこをとっても大苦戦でしたが、それだけに、 日本の津々浦々にさまざまな影響を残したということです。
先日、小欄で書いた、陸軍の 乃木さんが 凱旋し・・・ の俗謡については、これが文字通り津々浦々にさまざまな形で 伝承されており、何人もの方からメールをいただきました。
ありがとうございます。
そこで、少し、ご紹介したいと思います。
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吹浦 忠正
at 22:16 |
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メドヴェージェフの大統領府 [2010年03月27日(Sat)]
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吹浦 忠正
at 21:56 |
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モスクワは尖塔の街 C [2010年03月27日(Sat)]
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吹浦 忠正
at 21:40 |
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