• もっと見る
« 2009年07月 | Main | 2009年09月»
<< 2009年08月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
石田良介画伯 [2009年08月25日(Tue)]
























  スケッチはいずれも石田良介画伯の特段のご厚意で
 掲載させていただいております。禁無断転載。

















 先日、「小欄でおなじみの石田良介画伯」と書きました。
すると、新潟県在住の木下様という方から、
「日本剪画協会会長であることはHPでわかりますが、
もう少し、生活臭のある紹介をしてほしい」

 石田画伯は、群馬県沼田のご出身で、
もう随分前から八ヶ岳南麓に群馬県の農家を改築した
大きな邸宅と
新潟県の土蔵を移築した見事なアトリエを構え、
芸術作品の製作に明け暮れておられます。

 それ自体まことに敬服するほかありませんが、
かたわら、邸内では数百種類の植物(野菜を含む)を育て、
南麓中の小鳥たちが集まってきているのではないかと
思われるほど、小鳥が舞っています。

 どうやら、邸内のあちらこちらに
木炭をど〜っと置いてあるのが、奏功し、
「銀座の香水の香り」に夜な夜な舞いつどう紳士?のように、
小鳥も虫も集まってくる秘訣のようです。

 その上、石田画伯は本格的に農業を勉強され、
八ヶ岳農業大学校に出入りし、真夏の農業塾に毎年、
勉強に行くのです。

 机上の空論に明け暮れる私の対極にある
尊敬すべき大先輩なのです。

 この夏も、こんな感じで、研修を積まれたそうです。
国会議員を先生と呼ぶまい [2009年08月25日(Tue)]










 8月24日付、笹川陽平日本財団会長のブログを読んで、
思うことを直接、コメントととしてお送りした。しかし、小欄にも転載したい。

 笹川会長は鋭くも柔軟思考の人、「戯れ歌」もなかなか。

   ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

「先生と呼ばれたい候補者は、一票のためには走る、走る。
一ケ1万2千円の議員バッチを求めて」

「先生と呼ばれたい候補者は、一票のためには
心にもないことでもしゃべる、しゃべる」

「先生と呼ばれたい候補者は、一票のためには
一生のお願いを一日に数十回も平気でする、平気でする」

「先生と呼ばれたい候補者は、一票のためには
泣いたり笑ったり、土下座まで平気でする、平気でする」

  〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 ほかの秀作は直接、会長のブログをごらんください。
以下は私のコメントです。

国会議員を「先生」と呼ばない運動をしませんか。
私は原則、先生とは呼んではいません。
そんな心にもないことが出来ないからです。

中でも、小渕優子少子化対策大臣とは
あの人が中学生の頃からですから、「優子ちゃん」ですし、
中曽根外務大臣とは「弘文さん」です。
民主党にも「〜くん」と呼ぶ関係の人が何人もいます。

小池百合子さんとは「兄妹の関係」と言い合うほど古い
(私の師匠・末次一郎と小池さんのご尊父・勇二郎氏が親友)
のですが、
この人は当選したときから「小池先生」といったら、
「エコ募金」に千円入れていただくと公言してやってきました。

民主党さん、もし、政権をとったなら、全員で、
「先生」を返上したらいかがですか。

そしたら、こんな「戯れ歌」でひやかされることもなくなり、
国民とともに、国民の目線で政治活動が出来るようになりますよ。

国会議員を先生、先生と奉るから、いい気分になり、
指導者のようなつもりに変身かつ変心してしまうのでは
ないでしょうか。

私はこれからも国会議員を原則として
「先生」とは呼びません。
旧ソ連邦内の”独立国” [2009年08月24日(Mon)]










 旧ソ連邦の域内においては、
本来の複雑な民族構成に加えて、
人口の移動、
特に構成国にロシア人が大挙して移住してきたことから、
連邦崩壊後、いくつかの独立国内に民族問題が
深刻に惹起せしめることになった。

 2008年の北京五輪の開会式の翌日(7月8日)、
グルジアとロシアが先端を開き、
グルジア領のアブハジアと南オセチアが独立を宣言した。

 ロシアとニカラグアが国家承認。
ベラルーシがロシアの承認に対する支持を表明した。

 ソマリアも国家承認したという報道があるが、
確認されていない。

 「独立」から1年を経た2009年8月にアブハジア入りした
朝日新聞の副島英樹記者の報告(8月21日付)では、
@「独立」を支える投資はロシア以外に望めなくなった、
Aアブハジアが世界とつながるにはロシアという窓を
使うしかなくなった、
B通貨はロシアのルーブル。商品の流通も主にロシアを経由する、
C住民の9割がロシアのパスポートを持つとされる、

 独立国というにはかなりの無理があるというほかない。

 同様に、ロシア系住民の多い沿ドニエストル共和国が
モルドバから一方的に独立を宣言。

 平和維持を理由にロシア軍が駐留している。

 アブハジア共和国、南オセチア共和国及び
沿ドニエストル共和国は相互に国家承認している

 ナゴルノ・カラバフは アゼルバイジャンから事実上、独立。
アルメニア軍が駐留している。

 それぞれが、己の判断で「国旗」と称するものを採択し、掲げている。
衆院選の総括・ご案内 [2009年08月24日(Mon)]












 ユーラシア21研究所では第29回虎ノ門フォーラム開催の
ご案内をしています。
 
 今回は、花岡信昭先生をお迎えし、
「衆院選の結果とこれからの日本政治」 をテーマに
お話していただきます。
万障お繰り合わせのうえ、
ご出席賜りますようお願い申し上げます。

                 記

講  師: 花岡 信昭 先生
  (拓殖大学大学院教授、政治評論家、
 元産経新聞論説副委員長)

テ ー マ: 「衆院選の結果とこれからの日本政治」

と  き: 2009年9月10日(木)1
8:00〜19:30(開場17:30) 
と こ ろ: 海洋船舶ビル10階ホール

     東京メトロ銀座線・虎ノ門駅4番出口から、
    桜田通りを神谷町に向かい4つ目のビル。

聴 講 料: 虎ノ門フォーラム会員無料(年会費12,000円)
       一          般  ・・・・・・ 2,000円
学        生(学生証をご提示ください) 無料

*当日受付にて2009年9月〜2010年8月(2009年度)
虎ノ門フォーラム会員を募集いたします。
会員にご入会いただきますと、年会費12,000円にて
毎回の聴講料が無料となります。
詳しくは、HPをご覧ください。

* 人数の把握のため、ご参加いただける方はHPに従い、
「ご芳名、ご連絡先、所属等」を、MailまたはFaxにてお知らせください。
衆院選を総括・勉強会のご案内 [2009年08月24日(Mon)]










 ユーラシア21研究所では第29回虎ノ門フォーラム開催の
ご案内をしています。
 
 今回は、花岡信昭先生をお迎えし、
「衆院選の結果とこれからの日本政治」 をテーマに
お話していただきます。
万障お繰り合わせのうえ、
ご出席賜りますようお願い申し上げます。

                 記

講  師: 花岡 信昭 先生
  (拓殖大学大学院教授、政治評論家、
 元産経新聞論説副委員長)

テ ー マ: 「衆院選の結果とこれからの日本政治」

と  き: 2009年9月10日(木)1
8:00〜19:30(開場17:30) 
と こ ろ: 海洋船舶ビル10階ホール

     東京メトロ銀座線・虎ノ門駅4番出口から、
    桜田通りを神谷町に向かい4つ目のビル。

聴 講 料: 虎ノ門フォーラム会員無料(年会費12,000円)
       一          般  ・・・・・・ 2,000円
学        生(学生証をご提示ください) 無料

*当日受付にて2009年9月〜2010年8月(2009年度)
虎ノ門フォーラム会員を募集いたします。
会員にご入会いただきますと、年会費12,000円にて
毎回の聴講料が無料となります。
詳しくは、HPをご覧ください。

* 人数の把握のため、ご参加いただける方はHPに従い、
「ご芳名、ご連絡先、所属等」を、MailまたはFaxにてお知らせください。
事実上の”独立国”@ [2009年08月24日(Mon)]



  キプロスの国旗。但し、領内ではギリシャ国旗や「トルコ国旗が
巾を利かせている。











世界には国連には加盟していないが、
事実上、独立国のような存在になっている“国”がある.
そうした国の“国旗”はどうなっているのか、
そういう質問もよくいただく。

 マルタ騎士団は領土を失って数世紀を経ているが、
世界の約90ヶ国と外交関係を持ち、
在外公館を保有し、条約を締結している。
特殊ではあるが、国際法の主体と言えよう。

 国連では総会において総会常駐オブザーバーの筆頭
と言う扱いを受けている。

 南太平洋のクック諸島とニウエとは共に
ニュージーランドとの自由連合を形成しており、
特にニウエは外交関係を持つ国が中華人民共和国のみであるが、
国連は国家として承認しており、
対人地雷全面禁止条約などいくつかの多国間条約の
締約主体となっている。

 キプロスは人口の8割近くを占めるギリシャ系が実効支配している。
その広範な部分はEU(欧州連合)に加盟しているが、
トルコ系は独自の“国旗”(トルコ国旗の色を逆にし、
上下に赤い線をいれたもの)を掲げている。

 もとはといえば、1974年7月15日にギリシャ軍の指導による
クーデタが起き、これに対する対応としてトルコ軍が
同月21日に北部に進駐、83年11月15日には
トルコ軍支配地域に「北キプロス・トルコ共和国」を樹立した。

 北キプロス・トルコ共和国は、国連に加盟し、
EUの構成国であるキプロスから一方的に独立を宣言、
トルコのみが国家承認を行い、自国の軍を駐留させている。

 トルコは逆にキプロスを承認していない。
トルコがEU加盟を果たす前に
解決されねばならない課題の1つである。

 一方、
キプロスは2004年5月1日にEU(欧州連合)に加盟を果たし、
国連は、2008年7月14日にダウナー前豪州外相が
国連事務総長特別顧問として調停に当たり、
2008年2月に新しく当選したフリストフィアス大統領の
柔軟な姿勢とあいまって、
36年に及ぶ対立解消に向けた話し合いが
少しずつ歩み始めた。

 ギリシャとトルコは
同じNATO(北大西洋条約機構)の構成国であるが、
積年の対立となってきたキプロス問題の解決が進めば、
トルコにとっての悲願であるEU加盟にも
新たな可能性が開けるかもしれない。

 ちなみに、キプロスの国旗は白地の中央にキプロス島を
金色のシルエットで描き、平和の象徴であるオリーブの枝を配した、
国連旗のデザイン方式によるもの。国土の平和を願っての国旗である。

 しかし、現実には北キプロスの領域内ではトルコ国旗が多く経由され、
外国では、トルコにある代表部でのみ北キプロスの旗が掲げられているに過ぎない。 
                          (つづく)

国とは? [2009年08月23日(Sun)]





      パレスチナの”国旗”







 国旗と言うからには国の旗。そもそも国とは?

 領土、領民、継続的統治機構の3条件がそろえば
国家であるというのは国際法の古典的な定義だ。

 継続的統治機構というのは、
一定の境界線で区切られた地縁社会に居住する人々に対して
排他的恒常的統治機能を有する政治組織があるということだ。

 国際社会の行動主体は、古典的には
一定の領域に基盤を置く主権国家とされてきた。

 基本的には21世紀においてもこれは踏襲されている。

 1648年のウェストファリア条約で
神聖ローマ帝国が有名無実に近い状況になり、世俗君主が
自分の統治領内の宗教を決定できるようになり、
政権が教権に優越することが確認された。

 また、これにより欧州各国が平等な主権国家として確立された。
オランダは当時、世界に冠たる経済力を誇っていたが、
スイスとともに欧州で正式に国家とみなされたのは
この条約による。各国がそれぞれに国旗を確立していったのは
まさに、この17世紀のことである。

 16世紀半ば、イギリスにおいて清教徒革命による
君主制を停止した時期があったが、
1979年のフランス革命で共和制の国家が誕生し、
国民国家という概念が確立され、この後、
新大陸に続々と国民国家が誕生し、
19世の後半までにドイツやイタリアでも
細分化していた地域が統一し、ドイツ帝国、イタリア王国が誕生した。

 一定の地域が国であるかないかを決めるのは
相対的なものである。ある国がそこを独立国として承認すれば、
国家であるということになる。それが一定数を超えたならば、
国際社会において、常識的に国とみなされる。とはいっても、
法的な(de jure)承認はなされていなくとも、
事実上の(de facto)承認を行っている例もある。

 日本の首相は二度にわたり北朝鮮を訪問したことは、
国際法で言う事実上の承認には至らないが、
大きく踏み出した一歩とみなすことができる。

 東京にはパレスチナの代表部があり、
ほぼ、他国の大使館に準じた扱いを受けている。

 麻生首相が2009年2月にメドヴェージェフ大統領の急な招聘に応じ、
ユジノサハリンスクで会談したことは、
1999年の総領事館開設と並んで、
日本が放棄したとはいえ帰属先未定のサハリン(樺太)に対する
ロシアの領有を事実上、認めたことになる。

それだけより慎重であってほしかったという声も出ている。
                          (つづく)
アンパンマンの愛と勇気 [2009年08月22日(Sat)]







 幼稚園児が国立大学の付属小学校受験の時、
「<あ>から始まる言葉を言ってごらん」と尋ねられ、
一瞬考えてから、やおら「アイ」と答えました。

 口ひげを蓄えたいかめしき教師は、
「?」
 それから、そわそわし始め、ついには立ち上がって、
他の教師と相談しました。ほどなくして咳払いをひとつし、
「他には?」。
「アカ、アキ、アサ、アシ・・・」
「よし、大丈夫だ」。

 この秋田大学付属小学校の(かわいい!)受験生こそ、
65年後の私です。

 こっちは、<ア>の後に五十音を順番につけ、
藍、赤、秋、朝、足と言ったつもりなのに、
あとで知ったのですが、このいかめしき先生
(綽名はなんと「狂犬」)は
文学の大家で、なかなかのロマンチスト。

 アイを愛と誤解し、慌てたのだったそうです。

 ところが、NHK大河ドラマ「天地人」では
「愛の鎧」の直江兼続が大活躍、
それよりも、皆さんご存じの「アンパンマンの歌」
(やなせたかし作詞、三木たかし作曲)の2番、
「愛と勇気だけがともだちさ」は、
いまや3,4歳の幼児が歌っている。

なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!

忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも

そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

 私は「アイ」で危うく受験に失敗するところでした。
でも、今なら「愛と勇気」を口にしない幼児はいない、
この間、やっぱり人類は進歩したということですかねぇ
看護生活の最終日 [2009年08月21日(Fri)]







 私は31歳のときに、
日本赤十字中央女子学短期大学(現・日赤看護大学)の助教授に
なったのが教職についたはじめです。

 それ以来、看護界とはさまざまなお付き合いが
今日まで続いています。心から尊敬する看護婦さんと
何人も出会いました。Mさん、Tさん、Kさん、Hさん・・・
いろいろ思い出されます。

 生涯、臨床のみという方もおられます。国際的に活躍された方も、
研究・教育分野で尽くされた方、大学作りに邁進されている方も
いらっしゃいます。

 そうそう、昨今は、看護婦ではなく看護師だそうですが、
私のイメージはいつまでも、
温かい語感のある「看護婦さん」です。お許しください。

 心から尊敬する看護婦さんたちに共通しているのは、
徹底した根性の持ち主だということです。芯のある優しさに
頭が下がります。そして、
後を継ぐ人をみな懸命に育てられておられます。

 同世代のある看護婦さんが今月いっぱいで引退すると、
こんなご挨拶状をいただきました。私の大好きな
朝顔の写真を付けて。

「お疲れ様でした」というのは、本来、
こういうときに衷心から発すべき言葉なのではないでしょうか。

 看護婦の仕事というのは、文明発祥から人類の滅亡まで続く
といった人がいます。人間がいる限りの職業、すばらしいですよね。

 続く若い看護婦さんたちにも、大いに期待したいものです。

     ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

 朝顔の花が暑い日差しの中に咲くのもあと少し、
今年は来週あたりから秋らしくなるとか、
待たれます。でも、先生は選挙戦がおわるまでは、
そんなのんきなこと気持ちは感じられないかもしれませんが・・・。

 九月一日が看護生活の最終日になりました。
体調を損ね、最後の何ヶ月かは闇の中をさ迷っているような
状態でした。あと少しというところまで頑張ってきました。

 今は再びコルセットをつけなければ歩けなくなっている状態です。

時々発熱したりします。そんなときはアイスノンをつかって
 眠っています。こんな状態で辛い一日一日を過ごしています。

 最後に勤務した病院では
「これが私のやりたかった看護」を、
癌の患者さんをはじめ多くの病人を相手に実践できました。

 自分で言うのもなんですが、
惜しまれながら幕引きを迎えようとしています。

 最後の一日まで何があっても
底力で責任をはたしたいと思うのみです。

 先生のブログを病院で読んでいます。ハラハラしたり、
納得したりしながら。ご健勝と活躍を祈ります。

    ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

 全病気経験者を代表して「ありがとう!」といいたい気持ちです。

終戦から3日目 [2009年08月21日(Fri)]







    北千島慰霊の会『国土を護った最後の戦い』の表紙より。
   今も残る日本軍戦車の残骸







 さて、野坂さんの詩
「敗戦の日から三日目 
僕はひとりぼっち」

 小林亜星さんの朗読を聞いたとき、
私はここで固まってしまった。

 1945年8月18日早暁、
つまり終戦から3日たった朝、
ソ連軍が千島列島最北端の占守島島に砲爆撃を開始し、
竹田浜に上陸作戦を敢行した。

 迎え撃つは、堤 不夾貴中将麾下の第91師団。
一部を南方に転戦させたとはいえ、
アリューシャン列島のキスカ島から無血撤収した部隊を加え、
無傷の精鋭だった。

 激戦すること3日間、札幌の北部方面軍司令部からの
停船命令を受け取ったとき、彼我の死者は、
2,000以上と600、日本軍がソ連軍の侵攻に大きな打撃を
与えたのであった。

 つまり、野坂さんの「敗戦の日から三日目」は
堤 不夾貴中将以下にとって「ひとりぼっち」の戦いの
始まった日であり、
きょうはその停戦した日なのだ。
                 (つづく)