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中国に自衛隊機 [2008年05月29日(Thu)]








 中国側が、自衛隊機でも結構だから、救援物資を搬送してほしいと要請したという報道が、29日の朝刊各紙に出揃った。

 その背景や理由を各紙は次のように挙げている。
@ 地震による被害が予想以上に大きく、外国に強力な援助を仰ぐ必要がある。
A 日中関係の改善や両国間の防衛交流が活発化している。
B 地震直後に日本の国際救援隊が被災地に入り、多くの人々に高官を持って受け入れられた。
C 北京五輪を前に中国が国際協調重視の姿勢を国内外に示したい。
D 国民の対日感情好転の効果を生む。
E 江沢民前国家主席をはじめ対日強硬派を政治的に抑える効果も期待できる。

しかし、心配なこともないわけではない。
日本からの自衛隊機による支援がコントロールされない形での反日感情を呼び、それが国内の混乱につながる恐れはないのかということだ。

反日強硬派、自衛隊アレルギーが中国にないわけがなく、これらの人々が、ナショナリズム興隆期の中国にあって、黙っているとは考えられない。

自衛隊は国際緊急援助隊派遣法により、これまでに1998年のホンデュラスから始まって、トルコ、インド、イラン、タイ、インドネシア、ロシア(潜水艦事故救助)、パキスタン、インドネシアへと9回にわたって、自衛隊を派遣して医療や、救援物資の輸送などに当たってきた。

これに中国が加わるとなると、輸送機の大型化を始め、一気にこうした活動への対応体制の整備が必要であろう。

韓国の防空圏域の通過や給油地の問題などを調整・解決し、早ければ今週内にも自衛隊機が中国入りする可能性が高い状況になってきた。

罹災者の利益を優先した人道的な配慮の具体化に向けて日中両国政府が強力な協力関係を築くことを期待したい。

ところで、日本の「親中・自衛隊海外派遣反対原理主義者」たちは、この変化にどう対処するのだろうか。
チベットの声を聞こう [2008年05月29日(Thu)]




チベットの「国旗」







ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学教授





ユーラシア21研究所では、ダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当初代代表のペマ・ギャルポ氏(桐蔭横浜大学教授)を講師にお迎えし、下記により、第16回虎ノ門フォーラムを開催いたします。

テーマは「チベットは主張する」。
どなたでも参加できます。
ご出席をお待ちします。

と き: 2008年6月17日(火) 18:00〜19:30
ところ: 海洋船舶ビル10階ホール
一  般  ・・・・・・・・ 2,000円
学  生  ・・・・・・・・ 無    料

* 人数の把握のため、ご参加いただける方は
「ご芳名、ご連絡先、所属等」を、
MailまたはFaxにてお知らせください。

ご連絡を頂戴した時点で受付完了とさせていただき、
返信はいたしませんのでご了承ください。

虎ノ門フォーラム事務局 Mail: t-forum@eri-21.or.jp / Fax: 03-3500-0215
中国が自衛隊機を? [2008年05月28日(Wed)]










 朝日新聞の夕刊が1面5段抜きで、四川大地震救援のため、中国が自衛隊機の派遣を要請してきていると報じている。

 これは大変なスクープか、大誤報、つまり、三振かホームランである。

 諸般の情勢を考えるに、私には、にわかに信じられない。こういう報道は、
スッパ抜くより、もう少し説得力のある形で記事にしてもらいたい。


夜の9時過ぎになって、日経ネットも下記の原稿を流している。

  ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

  政府は28日、中国でおきた四川大地震の被災者支援のため、航空自衛隊のC130輸送機でテントや毛布、医薬品などを輸送する検討に入った。

  中国政府から物資支援の要請があったのを受けたもので、自衛隊が最も迅速に対応できると判断している。実現すれば、自衛隊の部隊が中国に派遣される初めてのケースとなる。

  町村信孝官房長官は28日の記者会見で、中国政府から27日に在北京の日本大使館に要請があったと表明。「自衛隊のテント、毛布などを自衛隊機で中国の空港まで運んでほしいという趣旨と理解している」と述べた。

「日本以外の複数の国に要請が出ているようだ」とも語った。

☆⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒★

 官房長官は記者団に確認を迫られて内容を少し提供したもののようだが、
これはせっかくホームランになりそうなのを、
下手をしたらつぶしかねないことにもなりかねない。

 中国の人民にはいろいろな人がいて、ネットの猛烈な攻勢で、
日中間のこの「いい話」を、このニュースを知ったらつぶしにかかるに違いない。


 この話、実現したら、自衛隊の「海外派遣」に反対してきた人たちは、
なんていうのだろう。それだけに町村さん、もっと大事に扱ってもらいたい。
麦秋、竹の秋、楠落葉 [2008年05月27日(Tue)]





  一面の麦畑。まさに麦秋。
 5月27日、滋賀県米原駅付近で。
 新幹線車中から撮影。














  入れ替わるように
 田植えが始まっていた。








「老生」はまたまた初体験をしました。

「麦秋」です。麦の秋、
すなわち麦の収穫期ですよね。

 新幹線で滋賀県を通っていて、
ちょうど、麦刈りと田植えが同時に行われている様子を、
初めて見たのです。

 稲とは違った、もっと濃い黄色(黄金色)の麦畑、
そしてその隣では水を張って
稲の田植えが始まっているのです。

 わが故郷の秋田は、稲の単作地帯。ですから、
麦秋を言葉でしか知らなかったのです。

 それを聞いた家人は、あきれた顔をしつつ、
「竹の秋も楠の秋もある」とのたまうのです。

 少々調べてみたところ、
竹の葉もまた、春に黄色に変わり、
やがて新しい葉に入れ替わるのです。

 竹の秋どこも寝る灯のやすらけし   豆城

 一方、楠(クスノキ)は
他の木々が新緑から若葉の季節に、
古い葉が赤くなり落葉するのだそうです。

 楠は常緑樹のはずですが、
ほかの樹木の若芽が伸びるころ、紅葉し、
やがてぱらぱらと葉を落とすのです。

 これも「楠落葉」として、5月の季語にもなっているようです。

いやはや、浅学非才の身に、
日々、勉強は尽きないものです。
加藤日出男の若い根っこ [2008年05月27日(Tue)]




 
   







   



   情熱の男・加藤日出男先輩




5月23日、市谷のアルカディアで開催された
加藤日出男先輩の祝賀会に出た。

若い根っこの会(詳細はHPなどでご覧ください)の創立者であり、
爾来、55年、
そのカリスマ的会長として、
当初は集団就職でやってきた若者たちを、
いまは、
「人は老いやすく、若返ることは困難ですが、
若者よりも、夢やロマンを追求し、
創造的生涯青春の英気を持続させることはできます。
生涯青春!!という意気込みを持続し
陽気に
知的好奇心を旺盛に!」との思い(著書『障害青春』)で、
老若男女を集めて「生き方」指導している。

 鷲尾悦也元「連合」会長、橋本五郎読売新聞政治コラムニスト、
川崎二郎元厚生労働相、山谷えり子首相補佐官など
各界からの名士がすばらしい挨拶をした。

 特に鷲尾さんが
「本来、労働組合がやらねばいけなかったことを、
加藤さんに依存してきた」と述べ、
300人近い参加者が一様にうなづいていた。

 鷲尾さんとは「連合」時代からお付き合いがあり、
松浦晃一郎駐仏大使(現ユネスコ事務総長)の公邸で
一緒に食事に招かれたこともある。

 橋本五郎氏は、われらが母校・秋田県立秋田高校の3年ほど後輩だが、
その東京同窓会長を引き受けてくれている。

 加藤さんを「先輩」と書いたのは
その秋田高校の話より11年か12年かの先輩なのである。 

 明石 康(元国連事務次長)先輩のさらに1,2年上のはずだ。

 まもなく79歳だとか。長髪を黒くし、意気、ますます盛んである。

 確か1962のことだったと思う。

 池田内閣のキャッチフレーズだった「人づくり」に対し、
「人づくりブームにもの申す」と題して、
フジTVが長い時間の番組を作ったとき、
ご一緒に出演したときが最初の出会いだった。

 評論家の大宅壮一、扇谷正造の両大家に、
加藤日出男さん、
当時、東大の学生だった江田五月(現・参議院議長)さん、
紛争校だった実践女子大の学生自治会長・崎山光子さん、
そして憲法調査会の中央公聴会で青年代表として公述した私の
4人が加わると言うものだった。

 爾来、今日まで私は加藤さんに「可愛いがられてきた」
という関係である。

申し訳ないが、この間、ほとんど一度も、
私は加藤さんに協力したことがない。

それでも、あの並外れた情熱には惹かれるし、賛同するが、
偉大なる先輩はあまりに遠い。

 この日は、
「人間は時間を食べる動物だ。生きることに恋をしよう」
「テレビや携帯はどんどん薄くなるし、社会も軽小短薄になっている。
しかし、生命や人間まで、軽く扱われたり、
薄っぺらになってどうするんだ」・・・と呼びかけていた。

 加藤さんは、東京農大での学生時代に「大根踊り」を創案したことでも
知られているが、その後、65冊の著書を刊行、
青年とともに洋上研修を100回、全国を飛び回っている。

 その姿は心身ともに実に凛々しい。惚れ惚れする。

 しかし、参加者がみんなで心配していたのは、
この「若い根っこの会」、
次世代に「加藤さん」はいるのか。

 ご本人がカリスマ性の強い人であるだけに、
早く、その心配を解いてほしいとみんなが注目している。
自民党による「国辱」 [2008年05月27日(Tue)]










 これは愚行ではないか。

 26日、自民党は100万円を在日ミャンマー(ビルマ)大使館に「お見舞い」として届けたと言う報道が各紙に出ている。

 サイクロンの被害直後に、某一流企業は1千万円を同様に大使館に持っていった。

 相手がどんな政権か、官吏の汚職が恒常的に行われている国ではないのか、そのくらいのことがわからなければ、これは単なる自己満足に過ぎない。

国際的視点で見れば、「国辱」ものである。
井上幸春県議から続報 [2008年05月26日(Mon)]





    挿画「風薫る」は石田良介画伯の
   特段のご厚意で掲載させていただいております。
   禁無断転載。





朝、PCを立ち上げてみると、井上幸春県議(福岡県苅田町選出)から
さらに続報が入っていました。

日本人全体の、食生活・今と昔を端的に描いていると思いました。

わが秋田は米どころ、それに、
埋め立て(干拓)前の八郎潟は、日本第2の湖沼として、
わかさぎ、しらうお、シジミを産し、男鹿半島では
ハタハタがふんだんにとれていました。

春の山菜、秋のきのこ、種類も量も遥かに豊富でした。

今ではそうした食文化も生活構造も大きく変わりました。
はたしてどちらが幸せなのでしょう。

各地でどんな風に変わったのでしょうね。

☆//☆///☆/★\\\\☆\\☆


竹の子談義の続きですが、
我々の時代本当に貧しく、食べる物がないので、
竹の子を乾燥させたり、
塩漬けにし
御飯のおかずにしていました。

山には椎茸や木耳が沢山ありましたので、
よく取りに行きました。

秋は自然の山芋堀に行ったものです。

最近は山の仕組みを知らない人達が根こそぎ取っていくので
自然の物がなくなってきています。

今、思い出しましたが、
昔は赤身、
これは鯨の冷凍品ですが、
これを我々はよく食べていました。

当時は安く、刺身といえば鯨の赤身でした。

今では高級品でなかなか手に入りません。

時代が変わり、鯨の赤身なんて言っても
田舎の若い人は知りません。

物が豊かになり、本当に何が美味しいのか、
見直す必要があるかも知れませんね。

ここから、下関が近いので、
時々鯨料理やふぐを食べに行きます。

我々の所は海の幸あり、山の幸ありでいいところですよ。

新北九州空港九州が開港して大変便利になりました。
一度遊びと講演を兼ねて来て下さい。

一寸足を延ばせば、福沢諭吉生誕の中津市、
それから湯布院に行き、
日田を廻り福岡へ抜けて帰る方法、
若しくは湯布院、湯の町別府へと行くルート、
別府まで車で約1時間、
佐賀市に行くより、別府の方が近いです。
さもなければ、門司、下関への散策と見る物は沢山あります。

是非、お越し下さい。お待ちしています。
                     井上幸春
竹の子との幸せ [2008年05月26日(Mon)]










今年最後?の竹の子に、
まさか会えるとは思いませんでした。

福岡県の井上幸春県議ご夫妻からのまたまたの贈り物です。

わが人生、
ここまで好物の竹の子を堪能できるとは思いませんでした。
ありがとうございます。

「長生きしてよかった\(^_^)/」の心境です。
ソラマメもグリーンピースも、時節柄、美味しかったです。

ところが、もうひとつ、正体不明の魚の皮のようなものが
入っているんです。

「これはなんでしょうか?」と、おそるおそるメールしました。

「水に戻すのでしょうか? このまま自慢の歯でかむんでしょうか?」
「それとも火で炙るのでしょうか?」

なまくさくもなく、微妙な味と香りですね。

週末とはいえ、当選5回の中堅県議と「老生」とが、
こんなやり取りをしているのも、珍しいですが、
「怪物」への対応に困ってしまったのです。

早速、井上県議から返事が来ました。


 ▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲

それは干した竹の子です。

水につけ一晩以上浸し、圧力鍋で煮てみて下さい。

味付けは生竹の子と同じ様方法でいいと思います。

竹にも色々な種類があるように竹の子も同じように
竹の種類ごとに生えてきます。

我々子供の頃は
朝の味噌汁に竹の子、
昼の弁当に竹の子(給食の経験なし)、
夜、また竹の子。

竹の子の季節が終わったら、干した竹の子・・・
と嫌になるくらい竹の子が食卓に並びました。

ですから、子供の頃は竹の子は大嫌いでした。

魚は一週間に一度食べればいい方で、
肉は月に一度程度、蕨やゼンマイ、蕗が主食のおかずでした。

本当に不味かったです。

でも、我々の地域は当時みんな同じような物を食べていました。

しかし、今は田舎でも贅沢になり、
肉や刺身を毎日食べているようです。

歳のせいか、最近は、昔一番嫌いであった竹の子や蕗が
美味しく感じています。

子供の時に、不味い物を食べておくと
後で本当の美味しさが分かるのかもしれません。

と同時に、日本人の智慧で、健康食だったのかもしれません。

兎に角、美味しく召し上がって下さい。
                     井上幸春

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

それにしても、動物か植物かも区別がつかなかった私は、もはや
「C級グルメ」でさえないと、認めるほかありません。

なにはともあれ、
今年のように各地・各種の竹の子に親しめるのは、
こううんというほかありません。加えて、偶然とはいえ、
満開の桜も各地で次々と堪能できました。

日本の「老生」、止められませんね。極楽、極楽。
ナンマーダブ、ナンマーダブ・・・
剪画展へどうぞ [2008年05月25日(Sun)]







  案内状には、石田良介画伯の
「里景色 夏」(部分)が印刷されている。






 第24回日本剪画美術展が
6月14日(土)から18日(水)まで、
10時〜18時(最終日は16時)、
山手線大崎駅前の
O(オー)美術館(電話:03−3495−4040)で
開催されます。

 主催するのは、小欄でおなじみの、
石田良介画伯が会長を務めるNPO法人
日本剪画協会。

文化庁と東京都が後援し、
芸術文化親交基金の助成を受けています。

 今年のテーマは「Circle−円−」。

 日ごろ、「円」と「縁」のない身には、
「また為替の話か、
所詮、
持つものがなければ
円が上がろうと下がろうと関係ねぇやい!」と
タンカのひとつも切りたくなりますが、
ここは剪るのは、カッター1本。

 これだけで、「白黒」の芸術的決着を付けようと言うのです。

 初日の午後1時から、石田会長による公開の作品講評という、
厳しい指導が行われます。

 内緒の話ですが、
自分では何も出来ないクセに、
これが楽しみで会員を止められません。

 ただ、今年は残念なことに、
先約があり、これを聴講できないので、
弱っています。

 また、15日(日)の13時30分からは
剪画ワークショップも行われ、
材料費500円のみで、
石田会長自らが懇切に指導してくれるそうです。

 私の講演でよく言うのですが、
国旗「日の丸」の大きな旗は、
白布の真ん中を切抜き、
そこに丸く切った赤い布地を縫い付けるのです。

 これが、歪んでしまってなかなか難物なのです。

 剪画では黒と白で「日の丸」をどうやって表すのでしょうね。

 今年の剪画展の目玉は、
会長の特別出展『霜夜狸』(朗読は、森繁久弥)と、
吉岡澄さんの『青い鳥』とあります。

 「青い鳥」を白と黒でどのように表現するものやら、
こちらも楽しみです。

 みなさん、お出かけください。入場無料。
これは何でしょう [2008年05月25日(Sun)]












 福岡県議の井上幸春君から、
今度はこんなものを頂戴しました。

 奥様が36年前の私の学生だったときからのご縁ですから、
思えば長い付き合いです。

 感謝と当惑と・・・つまり肝腎の、
これがなんだかわからないのです。

 貝の紐? 干しイかの輪切り?

 私も解らず、本人に問い合わせました。

 正解は、明朝。おたのしみに。