死刑執行の可否 [2007年04月28日(Sat)]
合 掌 長勢法務大臣が3人の死刑囚に対する死刑執行命令書に署名をし、刑が執行された。前任の杉浦法相は署名せずだったし、確かその前の南野(のうの)法相は「自分は助産婦であり、誕生の仕事をしてきたから死刑執行は嫌だ」とかいいながらも、「法がある以上は」と何人かの執行を決めたのではなかったか。
私は長勢法相の態度に賛成だ。「国会会期中にもかかわらず」という声もあるようだが、立法、司法、行政はそれぞれ独自に判断していい。
公権力が人命を奪うということについては多いに慎重であるべきだ。しかし、だからといって、法治国家であり、死刑は合憲の処刑法であり、これによって犯罪の防止もなしうる。米国でも死刑を廃止した州のほうが殺人事件が多いという統計もある。
むしろ、大臣の交代によって「人命が左右」されるというのが、むしろ、法治国家ではあってはならないことなのではないか。
これで残る死刑囚は99人。国民感情から言って、中国についていわれているようにワイロで減刑されたり、腎臓を提供すれば死刑を免れるとか、そうしたことをしなければ即死刑を執行するというのはもちろんあってはならないが、これほどの数の死刑囚を、膨大な予算と世話で抱えていると言うのも、どうかと思う。
長勢法相の判断については、今後の議論を注目したい。
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吹浦 忠正
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政治・社会 |
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台湾の聖火拒否は残念 [2007年04月28日(Sat)]
「聖火リレー」について、台湾の態度はいかがなものか。
北京五輪の聖火が、アテネから北京に送られ、そこから、ピョンヤン、ホーチミンを経て、台北、香港・・・と進むことに台湾が、これは中国が台湾を国内扱いすることであるから、それなら拒否すると声明を出した。
私にはいささか解せない。「北京から台北に来てまた上海に戻る」とでもいうなら話は別だが、ホーチミンはベトナムだし、香港は中国とは別のNOC(オリンピック委員会)のあるところではないか。
台湾が狭量すぎる。私は北京五輪組織委員会の提案に賛成だ。台湾が過剰に政治を意識して少々あせっているとしか思えない。
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吹浦 忠正
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意見 |
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ロストロさん逝く [2007年04月28日(Sat)]
今年3月、モスクワで80歳の誕生日を迎えたときのロストロポーヴィッチ氏。(産経新聞より) ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ氏が27日、モスクワの病院で亡くなった。享年80歳。まずもってご冥福を祈る。
2000年2月12日、錦糸町のすみだホールで、難民を助ける会(相馬雪香会長)がチャリティ・コンサートを主催したときに、私は責任者だったので、当時、「スラーーヴァ」「タディ」と呼び合う親しいお付き合いをさせていただいた。
そのときのコンサートは、チェチェン難民に毛布などをおくることを目的に開催されたもので、ロストロさんがチェロ、小澤征爾さん指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏で、「ドンキホーテ」(リヒアルト・シュトラウス)や「チェロ協奏曲」(ドヴォルザーク)といった曲目だった。
会場には、折から日露外相会談のため来日していたイワノフ外相が河野洋平外相とともに出席、橋本龍太郎元首相にもお越しいただいた。イワノフ氏は1970年代、世界経済国際研究所のイノゼムツェフ所長のかばん持ちだった。73年から、わが師匠の末次一郎が安全保障問題研究会を率いて日露専門家会議を始めた当時、同じかばん持ち同士で知り合っていたので、懇親会で旧交を温めた。
入場券は5時間で完売、関係方面の支援もいただいて、純益は2600万円にもなった。
問題は税金である。スラーヴァ、小澤さんと話し合った結果、「難民を助ける会は正規にすべての出演者に出演料を支払う。但し、お二人は全額を難民を助ける会に寄付する」という形にし、日本の税制に風穴を空け、今後、志ある演奏家がチャリティに協力しやすくしようということで、私と3人で記者会見をした。新聞にも大きく取り上げられた。
その後、紆余曲折があり、事実上、これが達成された形になったが、これにはお二人の影響力が抜群であること、収益がすべて即刻、国際救援・支援活動に使われたことによる。
純益の一部の使用につき、スラーヴァから希望が出された。「ロシアでは今、演奏家がみな困っている。何かしてあげられないか」というのだ。
その結果、私たちはサハリンの州都ユジノサハリンスクのチェホフ記念国立劇場にヤマハのコンサートピアノを贈った。そして、我孫子の女性コーラスグループ「めばえ」(酒井玲子リーダー)と桐朋音大をトップで出たピアニストの西本梨江さん(2007年8月31日、浜離宮ホ−ルでリサイタルを予定)と、同じく東京芸大をトップで出た(安宅賞受賞者)チェリストの丸山朋文くんとともにサハリンに行き、同劇場のピアノ披露記念コンサートを行なった。サハリン側からも同地の芸術家たちが出演し、すばらしい友好の一夕を共にすることが出来た。
チェチェンの関係では、堀江良彰(のぶてる)難民を助ける会事務局次長(現・事務局長)を隣接地域に派遣し、毛布や医薬品、生理用品の配布などなどさまざまな救援活動を行なった。
ロストロさんはまさに「巨匠」という名にふさわしい音楽家であり、小澤さんに言わせれば「音楽の兵士」だそうだ。91年8月の保守派による「クーデター騒ぎ」のときにはエリツィンらとともにロシア共和国の庁舎(通称ホワイトハウス)に籠もって、自由と民主主義のために闘ったこともあるし、それ以前のソ連時代には、反体制派の象徴的人物であったソルジェニーツィンを自分の別荘にかくまったりして支援し、1978年にはソ連の市民権を剥奪されると言うことにまでなった。
親日家ぶりも印象に残る。ホテルの部屋には「とらや」の羊羹が欠かせなかった。これをナイフフォークで、まるでステーキを食べるように召し上がる
同じような人にもう一人出会ったことがある。ソ連を崩壊させたときのロシアの国務相ブルブリス氏を招聘したときだ。彼を銀座の天国に案内したとき、斜め前の「とらや」から羊羹を取り寄せ、デザート代わりにしたら、「てんぷらより美味い」とばかり、同じくナイフ、フォークで一本食べてしまった。
「巨匠逝く」「巨星落つ」の感、誠に淋しいが、きょうはせめてあの人のCDを聞いて追悼したい。 合掌
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吹浦 忠正
at 10:28 |
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チベット問題への提言 [2007年04月27日(Fri)]
首都ラサにそびえるポタラ宮殿。2007年4月、信頼する友人ののA氏撮影。この記事に使わせていただく場合にご迷惑をおかけしたくないので、あえて匿名にさせていただきました。 東京財団の2006年度研究事業の1つに「アジアの人権」があった。 プロジェクトリーダーは35年来の友人・山田寛嘉悦大学教授。 読売新聞にこの人ありと言われた記者で、 サイゴン、バンコク、パリ、ワシントンで働いた人だ。
余談だが、東大時代は野球部で大活躍、 あわやリーディング・ヒッターというところまでいった人だ。
その研究プロジェクトの一員に、 ペマ・ギャルポ桐蔭大学教授がいる。 ダライ・ラマの駐日代理人というべき、 その精神を強く受け止めておられる方だ。
まずは、この研究プロジェクトのうち、 ペマ・ギャルポ教授が中心になってまとめた 、チベット問題に関する提言を列挙しよう。
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提言T.中国の人権抑圧に対し、 日本が非難決議を採択することは難しいであろう。 まず「EUや米国の決議を支持する」 という決議を採択することが望ましい。
提言U.日本がアジアでリーダーシップをとるには、 まずアジアの問題に勇気を持って発言することである。 その対象が中国であっても、基本姿勢を貫くべきだ。 それが、国際社会から尊敬される重要な条件である。
提言V.チベットに鉄道が通り、 日本のマスコミでも取り上げられている。 鉄道開通は決して悪いことではないが、 それでチベット人が得るもの、 失うものに関心を持ってほしい。 関心を持つことも、 中国の植民地化に対して警告を発する一歩である。
提言W.先進7か国では、 日本以外、ほとんどの首脳がダライ・ラマ法王と会っている。 日本の首脳もまず法王との会談を実現してほしい。
(オーストラリアなどは、 首脳が法王と会った際に中国から国交断絶とい う脅しを受けた。 しかし、今日に至るまで大使の引き上げはなく、 外交の断絶もない。 そのことを日本政府も十分に認識してほしい。)
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NGOの特質と手法 [2007年04月27日(Fri)]
1997年、対人地雷全面禁止運動ノリーダーとしてノーベル平和賞を授与されたジョディリアムズさんと。2006年4月、早稲田大学での講演を前に椿山荘の庭園を散策したとき。 ジョディはパソコン1つで世界を動かしたといっても過言ではない。 拙著『NGO海外ボランティア入門』を引っ張り出し、加筆修正して、NGOの特質ないしそれゆえの心がけるべき手法について前回の続きを書きたい。
第3は、マスメディアの協力であるが、これにはもちろんNGOが直接マスメディアを持っているわけではなく、取材や記事化について強制力がないという限界がある。しかし、人的なつながりとともにインターネットによる発信の拡充は、この限界に大きな風穴をあけることになるのではないか。
NGOの手段の第4は、国単位の外交では接触しにくい相手との関係を持てる、つまり、NGOは、国益中心のGO(政府機関)と違い、“人類益(人類共通の利益)”に立つことのできるので、政府の枠を超えて、国際的な協力ができるということである。確かに、NGOは国益より“人類益”“地球益”を考える道義外交を展開できる。
特に、近年、武力紛争が主権国家単位に行われないことが多くなり、国の威信やそれまでの政府への信頼が低下する傾向が多く、NGOの役割やNGOへの期待が大きく浮上している。国連やASEANといった地域機関、政府機関などは、反政府団体、反政府勢力とは接触しにくいからだ。
私自身、ベトナム戦争の終盤にICRC(赤十字国際委員会。スイスのNGO。25名の委員は全員スイス国籍)の駐在代表として北ベトナム軍やベトコン(南ベトナム解放民族戦線)勢力と接触を持ち、NGOならではとの実感を強くした。
しかし、一般的には、ビザの取得、事務所開設の許可、無税による機材の搬入、通路の安全など、現実の主権の壁をどう克服するかが、少なからぬ課題だ。
それでも、わが国にもチェチェンとの関係で一定の成果をあげ、予防外交の研究で成果を挙げ、99年6月、「日本予防外交センター」を立ち上げ、早速、人材育成に取り組む日本国際フォーラム(現在はまったく別組織)、旧ユーゴから北朝鮮問題にも取り組む日本財団、日ロ関係の改善に多年、役割を担っている安全保障問題研究会などさまざまなNGOがあるが、赤十字にあきたらず分離してできたMSF(国境なき医師団)、国際援助NGOとして世界最大の予算規模を有しているOXFAM、緊急時の予防外交のみを主眼とするインターナショナル・アラート(英)、アフリカのほとんど全部の国に支部を構え、知恵と工夫で平和と和解を目指しているサーチ・フォー・コモン・グラウンド(米)、NGOの特性を生かして積極的な予防外交にあたり、紛争発生後には、その解決に努めるアコード(南ア)、元米国大統領の信頼と力を背景にしたカーター・センター(米)、国連の平和外交を実践し、人材の育成にもあたっているピアソンPKO訓練センター(カナダ、ノーベル平和賞受賞NGO)は、この意味で世界に範たる活躍をしているNGOといっていいだろう。
なお、海外NGOと紛争処理やPBOの実態については、クマール・ルペシンゲ(吉田康彦訳)の『地域紛争解決のシナリオ』(スリーエーネットワーク)、首藤信彦東海大学教授の「ピアソンPKO訓練センター研修体験レポート」(「外交フォーラム」98年8、9月合併号)を参照されたい。
第5は、同様の理由で、同じ理想、志を持つ人々との人脈がNGOの力の源泉であるということだ。NGOにとって大きなカードは長期間にわたる活動で築いた内外の政、財、官、学、言論、女性、青少年、宗教、労働、法曹等各界の有力者との濃密な人的関係、人脈である。人脈は信用となり、NGOの宝である。
6番目は、NGOならではの融通無碍(柔軟性の高い組織)な点である。臨機応変、キメ細かさ、柔軟な発想と考え方が、人道的救援・支援活動や国際協力活動の推進には特に必要である。これが時に「国」や「官」と衝突する場合、ないしは齟齬を来たす場合もなしとしないが、NGOにとって融通無碍は運営の基本であるといっていい。■資料リンク NGO・海外ボランティア入門―難民を助ける会20年の軌跡から
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吹浦 忠正
at 22:55 |
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アラームでごめんなさい [2007年04月27日(Fri)]
わが愛用の携帯電話。海外でもそのまま使えるのがありがたい。もっとも、それで先般は親友の高野國夫氏からの電話がラオスにかかってき、「今、東京駅にいるけど今晩どう?」。きのうは反対に私がドイツにいる高野氏を、もう帰国したころと思って電話し、真夜中にたたき起こしてしまった。紳士たらんとするもの便利さを礼節とマナーで味付けしなくちゃね。 東京からはどこに行くにも新幹線が便利だ。ただ、高崎、宇都宮、静岡辺りに行くときには、心配で眠れなった。それがいまや「文明の利器」、携帯電話はまことにありがたい。
これで到着時間の1〜2分前にアラームを設定しておく。隣のお客にはさぞご迷惑かとは思うが、「旅の恥は掻き捨て」とばかり、重宝させていただいている。あしからず。
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吹浦 忠正
at 16:37 |
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長野、仙台、新潟、名古屋 [2007年04月27日(Fri)]
昨今、仙台といえば「牛タン」。新幹線のホームでこんな表示を見た。 以前は、「笹かま」「萩の月」が定番。今は駅の売店でも、3つが並んでいた。我が母は、仙台といろいろご縁があったようだが、「笹かまは阿部に限る」といっていた。「mother tongue」が、私の場合は、「母国語」ではなく、文字通り「母の舌(味)」となっている。 急に用事ができて仙台に行ってきました。近いですね。帰りはノンストップで東京駅までわずか96分(1時間36分)でした。私のような古い人間には、夢みたいな話というほかありません。
ところで、都内から主要都市である、名古屋、新潟、長野、仙台、どこが一番近いでしょう?
最短時間で単純に比べれば、 長野 85分 仙台 96分 新潟 97分 名古屋 98分
となります。なんと、仙台、新潟、名古屋がそれぞれ1分違いなのです。ですから、難民を助ける会の相馬雪香会長(95歳)が軽井沢からしばしば上京されるのも納得できるし、前の文部科学大臣小坂憲次衆院議員が「おとといなんて長野との間、2往復しちゃったよ」というのも、現実にありうるのである。
但し、そういう電車がそう頻繁にあるわけではなく、平均(頻繁に走っている所要時間の短い列車の標準的な所要時間)でいうと・・・ 長野 101分 仙台 102分 新潟 135分 名古屋 100分
名古屋からは品川に停車する列車も多いが、それでも1、2分しか変わらない。目黒の住人である私にはほんとうに助かる。
わが学生時代には故郷の秋田から急行で11時間50分もかかった。それが特急列車が走るようになって8時間40分、それが、新幹線の「はやて33」号ではなんと3時間50分(230分) 東京→大宮→仙台(こまちと併結)→盛岡→大曲、そして終点秋田である。
交通・通信の進歩・発展というのはもちろん20世紀の大きな特徴であるが、2冊読めるはずだった本が1冊がようやくだった。かくもすごい時代になったとは、いまさらながら感心してしまった。
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吹浦 忠正
at 16:01 |
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弔問外交またも不発 [2007年04月26日(Thu)]
エリツィン元大統領の葬儀が25日、モスクワの救世大聖堂で行われた。
プーチン大統領をはじめ、ゴルバチョフ元大統領やロシアの要人が列席したのは当然であるが、外国からも、米国からはブッシュ元大統領、クリントン前大統領、英国からはメージャー前首相など、エリツィンが活躍した1990年代を主導した政治家たちが多数参列した。こうした世界の指導者だった著名人が、未亡人となったナイナ夫人を抱きしめて弔意を示す映像や写真が世界に流れると、ジーンと来るものがある。
残念なのは日本。ロシアに赴任してまだ1年という斎藤泰雄大使のみで、特使の派遣もなかった。中国、インドも要人の出席が間に合わなかったとはいえ、またも「弔問外交」の機会を逃した。
23日に亡くなってから葬儀までの期間がなんとも早かった。何事にもゆっくりのロシアがどうしてこんなに早いのかは、地下鉄のエスカレーターの速さ(日本の3倍)とともに不思議だ。
しかし、普段からの構えや備えがあれば、その日のうちに決定して24日の飛行機でモスクワに向かうことは可能だったのだ。
ただ、小欄では、1993年にエリツィンとの間で「東京宣言」をまとめた細川護煕元首相が一番適任だと言ったが、政界を離れている、野党だからまずいなどということなら、1990年代に大使だった枝村純郎、渡辺幸治といったエリツィンと何度も会っている人や、外相経験者くらいは参列してよかったのではないか。
かつてソ連のアンドロポフ首相が亡くなったとき、就任からほどない中曽根首相は果敢にモスクワに飛んで「弔問外交」を行い、継承したゴルバチョフ氏らとの関係をよくした。
しかし、4年前、サハリン州のファルフトジノフ知事が航空機事故で亡くなったときにも、7時間の時差をこらえてプーチン大統領が州都ユジノサハリンスク(戦前の豊原)までやってきたが、日本からは、交代期で総領事がいなかったこともあり、30代半ばの総領事代理が出席しただけだった。
こういう場合は、せめて北海道知事とか、主要な閣僚経験者などが参列すべきではないか。
せめてしかるべき人大使館に弔問にでかけるとは、数時間でもいいから半旗を掲げるとか、やりようはいくらでもあろう。日本人はこういう場合、本来、決して冷淡な国民性ではないはずなのに。
外交問題では外務当局や官邸にこういう形であまり文句をいうのは私の趣味には合わないが、どうも残念なことが多すぎるように思われてならないので、きょはあえて書いた。
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Posted by
吹浦 忠正
at 11:09 |
日本外交 |
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