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一兵士の愚行が [2012年04月20日(Fri)]



life1.jpg






平時でも人間はいろいろ愚行を犯す。
ゆえに人間だとさえいえるのかもしれない。

それにしても、ほんの一人のお粗末さが
大きな問題に発展することもしばしばある。

この衝撃的な写真は戦時中、米誌「LIFE」に掲載され、
日本軍の捕虜取り扱いの残酷さとともに、後方に
それを見て笑っている兵がいることが大きな問題となった。
場所はニューギニア、殺害されたのはオーストラリアの飛行兵だった捕虜。

ところが、4月19日の産経新聞の報道によれば、
<米紙ロサンゼルス・タイムズ『電子版』は18日、
アフガニスタン駐留米兵らが
2010年に自爆した武装勢力メンバーの遺体のそばで
笑顔をみせるなどした写真を撮影していたと報じた。
今年1月には海兵隊員がタリバン兵とみられる遺体に
小便をかける映像がインターネットに流出。
2月には基地内でコーラン焼却事件があり、
3月には民間人17人が犠牲になった銃乱射事件が起きたばかりで、
アフガン国民の駐留米兵への反発が一層強まる可能性がある>。

こういうことが、70年も経ってまだ起こっていることが悲しい。
熊谷直実の話が、おそらく今のNHK大河ドラマ
「平 清盛」にもでてくるのであろうが、
人類は進歩しているのだろうかと、情けなくなる。

日本人は緊張する場面で微笑するという傾向があると、
一般論を言った心理学者がいる。
それはとんだ誤解を外国人には与えてしまうことになる危険性が
あるということを、お互いに注意したいものだ。
中曽根元首相の右腕・小林克己さんを偲ぶ会 [2012年04月20日(Fri)]


kobayashi.jpg

  祭壇はなく、小林さんがお気に入りだった写真がたくさんの花に
  囲まれていた。こういうのはいいですね。




nakasone1.jpg

    中曽根元首相は1960年医以来の秘書だった小林さんを
    知識人であり、記者であり、読書家だったと懐かしむ。




nakasone2.jpg

   読売新聞の「ナベツネ」会長らと。





 小林克己さんが亡くなったのは去る1月4日、享年82でした。
東大の国史を出て、すぐ中曽根康弘事務所に秘書として入り、
途中で防衛研修所の教官になったり、ロサンゼルスタイムズの記者されましたが、
生涯、「オヤジ(中曽根元首相)」の懐刀としてささえておられました。

 19日、東京・永田町のキャピトル東急ホテルで偲ぶ会が開催されました。
もちろん、中曽根元首相や令息の弘文元外相をはじめ、中曽根家の皆様も参加しました。

 中曽根元首相は自分の秘書を追悼するというより、仲間の逝去を悼む、
謝意をこめた素晴らしい追悼の辞を、もちろん原稿も何もなしに語り、
感動の波を起こしてくれました。
次にあいさつした、「ナベツネ」こと渡辺恒雄読売新聞会長が、
故人が学生時代に渡辺家に住んでいたという古い関係から
小林さんの若いころのことを中心に、思い出を諄々と語っていました。

私は、巨人軍はきらいですし、この人のワンマンぶりで冷や飯を食わされた
友人をたくさん知っていますし、「嫌な老人」の代表のように思ってきましたが、
政治記者としての抜群の発想力、頭の良さに加え、
意外に暖かい人柄にも触れる思いでした。

 小林さんのもとで同じく秘書をしていた与謝野馨元経産相談役、
島村宜伸元農水相、渡辺秀央元郵政相など、いうならば一族郎党100人ほどの
「同窓会」の雰囲気でした。

 ナベツネさん、小林さんをはじめ、60年安保の前後まで、結構、
「左」のリーダーとして学生運動をしていた人たちがその後、
方向を変えて中曽根氏の周辺にいたことも、あらためて知りました。

 元首相に挨拶すると「もう、キミとは半世紀だね」と感慨深く声をかけられました。
あまり役立ってこなかったと自省しているのですが、毎年1回ずつくらい、
大事なことでお世話になってきた50年です。

 小林さんは読書家で、人を差別せず、誰でも優しく迎えるいかにも紳士という人でした。
令夫人はアートフラワーの故・飯田深雪さん。その弟さんがまた姉の夫を悼む、
いい話をしていました。大きな家族のなかで小林さんが暮らし、
おくられた様子がよく解りました。

 酔うほどに、「それにしても、昔のほうが人材がいたなぁ」「ここ20年の政治はなんだ」
という声があちらこちらから聴こえるまま、
首相官邸の裏通りをゆっくり歩いて帰路についたのでした。
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