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福井章さんの英断 [2011年03月23日(Wed)]






 持つべきものはよき友よ、とつくづく思う。

 今度は、大阪の福井章さん、
高級住宅地として名高い帝塚山で
有名なステーキ店ボヌールを営み、
パチンコホールもいくつか経営しておられる。

 私の話を聞いただけで、
ポンと3千万円。タオル3万、手ぬぐい2万、
風呂敷3千枚を、自ら京都まで行って調達し、
車両を手配し、スタッフがきょうの零時に大阪を発ち、
今朝、難民を助ける会で
緊急車両の通行証を受け取り、
夕方、17時には仙台の
宮城女子学院大学構内に設けた
同会の臨時救援倉庫で荷降ろしした。

 会の担当である五十嵐君(仙台出身)が
受け取り、今夜から配布にあたる。

 この3つ、初期救援活動の決め手となる
品々であることを私は阪神淡路大震災で学んだし、
今回も、現地スタッフと調整してのことだ。

 それにしてもの誠意とスピード。

 私はこういう友人を持つことが嬉しく、
誇りに思い、充足感を感じる。

 福井さん、ありがとう。
半鐘乱打のまま行方不明に [2011年03月23日(Wed)]









 毎日新聞電子版が報じている
この話は感動です。

 みなさん、全文をご覧ください。

 頑固爺さんの老生も目に涙、
胸がいっぱいです。

   ☆☆ ★ ★ ☆ ☆ 


東日本大震災で
1000人を超える死者・行方不明者を
出した岩手県大槌町で、
大槌町消防団
第2分団(越田弘分団長、28人)の
団員たちは、
防潮堤の門扉を閉じ、
住民を避難させようと
最後まで海辺にとどまった。

任務を果たした結果、
4人が死亡し、7人が行方不明。

その中の一人、
越田冨士夫さん(57)は
団の象徴である「半鐘」を鳴らし続け、
津波にのみ込まれた。
内閣不信で日本民族大移動? [2011年03月23日(Wed)]

      





熊「春休みってこともあるだろうけど、
  西日本に帰省したり、
  海外に出かけている人が増えているとか」

八「放射能だよ、放射能。
  でもな、危ないんだかどうか、不明確だよ」

熊「出荷停止の野菜の数は増えたし」

八「魚も危なさそうだ。東京の水道水で乳児のミルクを
  溶くのは危険だってさ」

熊「家畜への影響も大きい」

八「それでいながら人体に影響はないって?」

熊「これじゃ信用しろったって無理だよな」

八「菅さんか、枝野さんがテレビの前で
  福島産のホーレンソウのお浸しを食べ
  牛乳を飲む」

熊「それの出荷を禁止してんだよ」

八「じゃ、得意の視察を裸でやる」

熊「おぞましい! その前に少しはテレビに出て
  国民に語るべしだね」

八「マジな話、といにかく補償の内容を
  早く発表すべきだね」

熊「農家や酪農家をだいじにしなくちゃ」

八「遅いんだよね、そういうところが」

熊「<安全>は安全、<危険>は危険と」

八「目に見える形でやってもらいたいね」

熊「そうでなくちゃ、民族大移動は止まらないよね」。
昔の写真が出てきました [2011年03月23日(Wed)]







 いつもは、毎日毎晩のように
研究会や会合があるのですが、
この時期、ほとんどが延期・中止となりました。

 ユーラシア21研究所が3月30日に行う
宮家邦彦氏を講師に招いての講演会
「虎ノ門フォーラム」は、
緊迫の続いている中東情勢、リビア情勢を
テーマにしていますので、
予定どうり、6時から、海洋船舶ビル10階で
開催します。

救援活動にいろいろ協力していますが、
たまたま時間が空くときもあります。

そんな時、懸案の写真を整理していたら、
懐かしい写真が2つ出てきました。

1つは、近衞忠W現・日赤社長といっしょに、
ポルポト政権がプノンペンから去った直後の
1980年、カンボジアの南部で救援物資を
配った時の写真。

私のカメラを地元の人に渡して
撮影してもらったもので、
朝日新聞の1面トップに掲載されたものです。

当時、朝日の記者が言っていたセリフが
最高です。

「ウチの1面に短パンやジーンズで写真が載ったのは、
カーター大統領とあなたたちだけ。カーター
は東京サミットの直前にジョギングしている様子」。

二人で応えて曰く
「カーターはえら〜いひととしてだね」
「われらはスタイル抜群だからだね」。

私(中央)も近衞さんも若かった!
民主党衆院議員からのメール [2011年03月23日(Wed)]


     

     挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
    掲載させていただいております。禁無断転載。




官邸崩壊。

誤った政治主導。

専門家の否定。

手が付けられません。

  ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

 民主党所属の衆議院議員からこういってくるのです。

 これは、限りなく無政府状態に向っている
ということではないでしょうか。

 さあ、こうなったら落ち着いて、
団結して、
日本国民の矜持を示そうではないですか。



菅政権のお粗末B [2011年03月23日(Wed)]



      






 ベテラン・ジャーナリストQ氏からの
鋭い分析です。以下は、今回の最終回です。

 菅さん、わかるかな?

==================


 アメリカだけでなく、核大国で
チェルノブイリの原発事故や
チェリヤビンスクの核事故などの
苦い経験を持つロシアと、ウクライナ、
モルロアでの核実験で地元の人たちに
多くの被害者を出したフランスも
支援を発表して、防護服や作業に
必要な物品、薬品などを贈ってきましたが、
菅政権は、いずれも人の受け入れを拒否し、
自力解決に固執しました。

 その結果、放射能漏れを拡大させて
広い地域の大気と水道水を汚染し、
21日、22日の雨で広い地域の土壌まで
汚染させました。

 首都圏農業に打撃であるだけでなく
これから輸出を増大させる、
この地域の農業の近未来の計画も
駄目にしました。

 ロシアは雨による放射能被害を防ぐため、
雨雲の行方を変える技術を持っているのを
利用すれば土壌被害は避けることが
出来たと見ています。

 また、ロシアの科学者、技術者の
経験から得た智識や技術を借りれば、
膨大な水を使用することなく
放射能汚染水の大量の海洋投棄も避けられた
可能性があります。

現場では数十人の作業員が昼夜を徹して、
文字通り、命がけの作業をしています。

 天野さんが事務局長となっている
IAEAも事態を放置できず、
日本政府に採算情報開示と
正確な情報の提供を申し入れ、
究極的に本部対応機能を日本に
異動させました。

 その前にアメリカ政府などが
放射能汚染の自主計測を始めたり、大
使館職員の関西避難や
自国民の退去などを促すことになりました。

 CNN、BBC、Spiegel、F2など
海外メディアはいずれも、
日本政府(内閣、経済産業省官僚)の
情報隠ぺい体質、政治的な対応、
原子力産業(電力業界)との癒着体質、
東電の事故隠し、隠ぺい工作などが
一斉に報道されました。

 知らないのは肝心の日本人だけ。
大手メディアがきちんと報道していないからです。

 菅政権は官僚機構と大手メディアが
背後についているので安泰だと思っているのか、
官僚依存体制になっていたのか判りませんが、
情報を小出しにしてきたツケが
こうして国民の知らない間に
国際社会に明らかにされました。

日本の恥を全世界に晒したようなものです。

 これまでの経過の一部を辿っただけでも、
国民に謝罪すべきです。

 いわゆる「体内会被ばく」、
放射性物質が体内に入ったら、
後は体内にロシアンルーレットのような
時限爆弾を持ったようなものです。

 刻々と細胞を、そしてDNAを
傷つけていきます。

 放射性ヨウ素は半減期が8日であっても
甲状腺に入って様々な被害を引き起こすと
言われます。

 セシウムに至っては半減期30年、
ストロンチウムはもっと長く続きます。

 不幸にして当たってしまうと
十年後にガン発生率が飛躍的に高まると
言われます。

 特に将来がある新生児、乳幼児、子供たちに
影響が深刻にでるのが放射能の
恐ろしいところです。

 少々長くなりましたが、
必要以上に被災者を苦しめ、
必要以上に被災地以外の国民をも巻き込んだ
放射能災害の責任は
やはりきちんと取るべきでしょう。

 少なくとも4月末か5月初めまでに
初期救援活動に程度の目鼻を付けて
菅総理は謝罪するべきです。

 具体的にどんな責任を取るか否かは
彼の見識、力量次第ですが、
総理として最低限のけじめ、
(メディアでなく)国民が納得する責任は取
るべきでしょう。
菅政権のお粗末A [2011年03月23日(Wed)]









地震発生以来の問題点、特に
菅内閣のお粗末さについて
長文の分析をいただきました。

前回につづきご紹介します。

それにしても阪神淡路大震災の時は
村山喜一郎内閣。あれもひどい内閣でした。

そうそう、その時の厚生大臣が菅さん。

なんとわが社会福祉法人さぽうと21は
その時の活動で菅厚生大臣に
大臣室に招ばれ、表彰状なるものを
いただきました。

先にもあとにも、一言でも
菅さんと口をきいたのはその時だけです。

さて、Qさんのレポートの続きです。

  ==============

1.災害発生の翌12日朝、
 事故対応で最も重要な
初動対応を急ぐべき時に
(理由は判りませんが)菅総理が
突然ヘリで原発事故現場を
 訪れたことです。

 総理の突然の訪問で現場は
緊急対応の大事な時を30分程度
無駄にしたと言われます。

 原子炉が緊急停止したとしても、
使用済核燃料も含め
核分裂は時間に関係なく
どんどん進んでいるからです。

2.東京に戻った菅総理が記者会見をして
 何事もなかったかのように
「原発から放射能漏れは
無い(ので安心せよ)と
発言しました。

未曾有の大震災であるなら当然、
原発内部にかなりの影響が
及んでいるとの想定に立って
検証作業を急がせるべきでした。
 
3.その後、菅総理や枝野官房長官の発言と
原発事故の実態との相違が
顕著になるにつれて
不安を感じたアメリカ政府が、
核分裂を減速させるのに必要なホウ素の提供など
協力支援を申し出たのに、
何故か、それを拒否しました。
 (この判断の誤りがその後の
事態の悪化の大きな要因になりました)

4.すると原子力災害に関する
総理大臣の責任を棚に上げたかのように、
東電に怒鳴りこんで行き、
事故から数日たってようやく政府と東電の
「統合対策本部」を  作っています。

その統合対策本部がこれまで
満足に機能せず、後手後手、判断の誤りの
連続が続きました。

  事故対応の誤りが事態を悪化させ、
現場環境が厳しくなった時点で
自衛隊に出動命令、
それでも駄目で東京消防庁の
ハイパーレスキュー隊の出動を要請する
有様です。

 自衛隊にせよ、東京消防庁にせよ、
「危険が増す前に、
何故もう少し早く言ってくれないのか?!」
と考えるのも当然です。

   ==============

 Qさんのご高見に、まったく同感です。

 今活躍している、自動操作で
50mの高さから放水できる放水車を
なぜ、早々に使用しなかったのか。

 地上から30mしか水が飛ばない
機動隊の放水車を持って行くなんて、
だれが考えても、マンガチックではないか。

  菅政権、
やることにムダと不合理が多すぎますね。

 まるごと事業仕分けしましょうよ。

菅首相のお粗末@ [2011年03月23日(Wed)]



         

    これは首相就任時の写真。少しは期待もしたんですがね。





ジャーナリストのQ氏から
地震発生以来の問題点、特に
菅内閣のお粗末さについて
長文の分析をいただきました。

3回に分けてご紹介します。

  ☆☆ ★ ★ ☆ ☆

東北地方、関東地方を襲った
大地震と大津波災害が
未曾有の災害であるのは
誰の目にも明らかです。

加えて
原子力発電所事故による放射能汚染が広がり
広い地域での住民の集団避難、
農作物の出荷停止などの
原発災害が併発したのは
歴史上初めてのことです。

震災発生時からまだ2週間も経たない時点で
救出、救援、支援活動が大混乱であるのは
やむを得ないと思います。

津波被災が圧倒的な規模に達した一方
地震で倒壊した建物がどの程度であったかも
判っていません。

阪神淡路大震災より遥かに
力が強かったのは確かですが
直下型でなかったため
地上の揺れよりは
海底のずれから来る津波の方が
大きくなったとも言われていますが
より正確な科学的把握はこれからです。

原発事故も今は
これ以上の悪化を防ぐために手いっぱいで
構造的弱点も含め原因究明はこれからです。

それであっても
菅直人内閣の致命的判断ミスや
失態が重なって
後手後手、問題を複雑にした事が
多々あります。

大震災、大津波の被災地が
複雑な地形の広範な地域に広がり、
実態把握を急がなければならない時に
初動指揮が十分でなく
実態が整っていないのに
「全力」とか「総力」などと言う言葉を乱用して
如何にも政府が救出、救援活動を
充実させているか、
実態が伴っていないのに、
その姿勢を協調するだけに終始しました。
(思考停止状態だったのかは不明)

原発事故で何よりも政府の重大な誤りは
当初から事態を軽視したと
見られる対応です。

菅直人総理は、
政府内で原子力のことを一番知っているのは
自分だ、とか
自慢していたように聞いていますが。
それであるとすればなおさら、
お粗末としか言えないような対応が
続いています。    (つづく)
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