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けんかして またけんかして 仲良しに [2010年12月05日(Sun)]



  





「けんかして またけんかして 仲良しに」

 これは昨日、小布施の北斎ホールで
いただいた資料の中にあった
人権同和教育の推進に関する
入選標語の優秀賞の1つ、
小学5年生の保科圭佑くんの作品だ。

 わかるんだな、この気持。

 個人と個人、男と女でも、
そして国と国でも。

 私は日本とロシアは
実に対称的な国柄だと思う。

 日本にないものの多くがロシアにあり、
ロシアにないものが日本にはある。

 石油や希少金属が日本にはなく、
資金、効率、安全、市場性、
民主主義的価値観、
先端技術が日本にあり、
安全保障上の脅威たりえず、
人口圧を加える国でもない。

 その日本とロシア、
北方領土をめぐって
「けんかして けんかして」きた。

 それでもまだ十分にけんか(議論)が
かみ合っていない。

 ロシア側に誠実に議論する姿勢が
ないからだ。

 しかし、この問題がきちんと解決、
すなわち「4島一括返還決定」が実現すれば、
この優れた補完性が十分発揮され、
両国は「プラスサムゲーム」を
堪能できるのである。

「けんかして またけんかして 仲良しに」

 日本とロシアは必ず仲良くなれる。
中国さん、仲良くしましょうね [2010年12月05日(Sun)]











長野市に隣接する小布施町に行ってきました。

新幹線長野駅に降り立って思い出すのは、
1998年の長野冬季オリンピックのこと。

私は組織委の式典担当顧問として
国旗の製作や掲揚を担当しました。

それともう一つ思い出すのが
その10年後、つまり2年前の
2008年の北京オリンピックに合わせて行われた
長野市での聖火リレー。

中国の国旗である「五星紅旗」が街を
埋め尽くしたのでした。

 あの時、
私が北京五輪の組織委に関わっていたら
そんなことはしなかったと思います。

中国、日本、オリンピックの3種類の旗を
掲げるようにしたはずです。

それによってオリンピックを賛美し、
日中友好を演出できたではないでしょうか。

どんなにすばらしいことだったでしょうにと
悔やまれます。
     
2008年8月、北京五輪の開会式の入場行進で、
日本選手団は日中両国の小さな国旗を持って
入場をしました。あれはよかったですね。

ところが、その少し前、長野で北京五輪を
記念する聖火リレーが行われました。

善光寺前の通りが、中国の「五星紅旗」で
埋まったのです。この年の3月、
チベット人たちの示威行動を武力で
制覇したことについて、
中国は世界から厳しい非難を受けました。

私ももちろん糾弾しました。

当初は善光寺の境内からスタートするはずの
この聖火リレーでしたが、
同じ仏教系の宗教を奉じるチベット人が
抑圧されている中での混乱を忌避した善光寺が
それを拒否、
商店街の広場からの出発となったのでした。

長野市内の主要な道路は「五星紅旗」で
埋め尽くされました。

中国は在日留学生に動員をかけ、
こうした行動に出たのでした。

私の親しい留学生も「参加しないと帰国ビザを
もらえない可能性があるから仕方ない」と言って、
アルバイトも中断して出かけました。

 あれは好くなかったです。

 中国と、真の日中友好のために
残念なことでした。

「五星紅旗」だけではなく、どうして
「日の丸」と五輪旗と三つを
掲げなかったのでしょうか。
悔やまれます。

逆の場合を想定してみてください。
北京なり上海なりの主要道路を
全部「日の丸」が埋め尽くしたら
どんな印象を与えるでしょう。

中国さん、日本には
「過ぎたるは及ばざるがごとし」という諺があることを
お伝えしておきましょう。





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