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北方領土―一滴豆本刊行 [2010年11月30日(Tue)]



























畏友・大沼芳徳氏がこんな素敵な本を
発行してくれました。

なんと言うんでしょう、「手乗り豆本」、古いなぁ!

「ミニ本」「21世紀の巻紙小本」・・・

「一滴豆本」、
なるほど製作者は、そんなかっこいい名前を
付けてくださっています。

 いいでしょう、限定33部。まるで江戸時代の
国旗の本みたいだなぁと、私は感激しています。

 ちなみに、ペリー来訪以前を含めて世界の国旗に
関する書物はこんな形で刊行されているのです。

 私もむりに無理をして数冊所蔵していますが、
この「一滴豆本」はそれに勝らずとも劣らない
家宝です。

 その第1冊目という証明のあるものを
いただいて、我ながらご機嫌です。

 1月には、北海道に出かけ、
大沼氏と、「豆」でもつまみながら
「一滴」ならぬ「万滴」を注ぎあい、
「本」気で、ミニ出版記念会をすることになりました。

 ご厚意に深謝すると共に、
もっとしっかり北方領土問題に取り組めという
叱咤激励と受け止めて、
粉骨砕身、
頑張ってまいりたいと誓います。

 
熱唱?! 浜辺の歌 [2010年11月30日(Tue)]
































 写真の会合で、
林古渓作詞・成田為三作曲「浜辺の歌」を
独唱しました。伴奏は、佐々木菜穂子さん。

 11月27日(土)の午後、港区と秋田県の協力で
白瀬矗(しらせ・のぶ)以下による南極探検隊隊が
開南丸(約200トン)で
ちょうど100年前、東京・港区の
今の江南地区から出発したことを
杵しいて、こんなイベントが開かれ、
ほぼ満員の聴衆を前に、
秋田を代表してのような形で、老生が
この歌を歌いました。

 なぜ、老生が、と思うでしょう。 
理由は簡単です。  

 @ 白瀬矗と成田為三は秋田県出身なのです。

 A 老生もまた秋田の出身で、
港区で働いているのです。

 で、「歌がうまくて、暇そうだから」と、主催者は
いいませんでした。

 ゲネプロは5分でも、それまでには
佐々木さんとリハをしたのみならず、
専門家にの力も借りました。

 下手をすれば、「秋田の奴はみんなオンチ」
などと、都民に馬鹿にされかねませんから、
責任は重かつ大!

「なかなかの熱唱でした。拍手!!」というのが
「大方の印象」(のはず)。

 佐々木さんにお礼のご挨拶も出来ないうちに、
品川駅(これも港区! ついでに目黒駅も港区!)に
駆けつけて、三重県桑名へと向いました。
JR名古屋駅での対応 [2010年11月30日(Tue)]





   三重県狸展望台から的矢湾を臨む









 

 先週末から月曜日にかけて、
伊勢神宮での領土問題についての講演と
その他もろもろで、三重県に行ってきました。

 思ったより順調に仕事が進み、
交通渋滞もなく名古屋発21:30の
予定が約3時間早く、名古屋駅に
戻ることができました。

 そこで、近鉄からJRへの乗り換え口で
新幹線の切符の予約変更をしようとしたところ、
「これはJTBで買った切符なので
変更は不可です」。
「差額を払うとか、グリーン車にするとか、
何とかなりませんか?」
「どうにもなりません」。

 せっかく早く用事を済ませたのに、
3時間も名古屋駅で留め置かれるのはと
少しオーバーにいえば
「頭が真っ白」になりましたが、
ふと考えると、
「まてよ、のぞみ号にだって
自由席はあったかも」「だめなら光号で
少し時間がかかっても昔のことを考えれば・・・」
と落ち着きました。

 でも、
旅慣れない人は、ほんとうに
途方に暮れるかもしれません。

 もう少しいいようがないでしょうか、JRさん。

 例えば、
「どの列車も1,2,3号車自由席ですから、
並んでお待ちになってはいかがでしょう」
「のぞみ号ではなく、ひかり号なら必ず
空いてますよ」・・・

 ところで、
 わが師・橋本祐子(さちこ)先生は、
昔、GHQに行ったとき、
廊下の突き当たりのドアが閉鎖されていて、
右側のドアからは要らなくてはならない状況で、
正面のドアには「→」が大きく書いてあり、
それですぐ判ったのだそうです。

 当時、勤務していた日赤本社に戻ったら
同じ状況のところに「閉」という字が1つ
書いてあることに気付いたのです。

 これではそのドアが閉鎖されていることは
判っても、ではどうすればいいのか、
来客はとまどってしまうのです。

「ああ、こんなところにも敗戦の原因が
あったのか」と、
妙な気付き方をされたそうです。

 名古屋駅でやりとりで、
ふと、師のこの話を
思い出してしまいました。

 何でもアメリカがいいとは
毛頭、思いませんが、
「いいこと」は「いい」のです。
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