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日中首脳会談に思う [2010年11月14日(Sun)]










熊「中国の首脳は、『釣魚島は中国のものだが、
  今回の衝突事故は、内の愚かな船長が
  故意に船をぶつけて、貴重な日本の
  国有財産である巡視艇2隻を傷つけてしまった。
  まことに申しわけない』と
  なぜ言わないんだろう?」

八「それに対して菅さんは、どう言えばいい?」

熊「『いやぁ、尖閣諸島は日本固有の領土だ。
  そのことは話し合うつもりもない。それはそうと
  今回の事件について詫びるのは当然のことだ。
  当然のことをそこまで
  はっきり言ったわけだから、あなたの国は
  世界でこれまでと違った評価を得るだろう』
  くらいででいいんじゃないかい?」

八「『財政難の中で、実に迷惑なことだが、
  2隻の巡視艇の補修費は友好のシンボルとして
  折半しよう』っていうのは、どうかな?」

熊「八の甘さそのものだよ。お人好しだと
  世界に笑われるぞ。修復費用は
  厳しく請求すべきだ」
「A級戦犯」須磨弥吉郎のことなど [2010年11月14日(Sun)]


          

          晩年の須磨弥吉郎(東京・荻窪の自邸にて)





    

        須磨弥吉郎




極東軍事裁判(東京裁判)の「A級戦犯」と
いわれた人たちのこと。

実は、巣鴨に3年いて、不起訴となった
「A級戦犯」須磨弥吉郎は私の母方の近い親戚。

外交官で、戦時中はスペイン公使として
欧米情報蒐集で中心的役割を果たし、
内閣情報部長を務めた。

暗号解読で本国への通報は
ほとんど明らかにされていたが、
その蒐集力はかなりものでとされ、
例えば、ガダルカナルに向かう連合軍の
艦艇の数まで把握していた。

須磨たちが刑死した東條英機や松井石根、
そして笹川良一、岸信介らとともに逮捕・収監された。

東條たちが「A級戦犯」として起訴されたのが
1946(昭和21)年4月29日、
すなわち昭和天皇の誕生日、
そして内、東條英機、広田弘毅両元首相ら
7人が処刑されたのが2年後の10月23日、
当時の皇太子・明仁親王(今上陛下)の
誕生日である。

未来永劫に亘り、日本人が反省するように
この日を選んだという説もあるようだが、
単なる見せしめに過ぎまい。

先日、ゾルゲの処刑のことについて書いた時に、
このあたりについては触れた。

笹川、岸らとともに須磨は3年間を巣鴨プリズンで
過ごさせられたが、不起訴。
しかし、公職追放の処分を受けた。

サンフランしすこ講和条約でそれが解けたとき、
秋田1区から衆議院に立候補して当選、
2、3期務め、
草創期の自民党の総務などになった。

中央大学の理事もしておられ、
私が同大学法学部に合格した時に、
荻窪の自邸にあいさつに行くと
たいそう喜んで下さり、
「末は弁護士かな」とか行って励ましてくれた。

それより少し前、秋田での選挙戦で
実に名演説をしていた。母校・秋田高校でも
全校生を前にすばらしい講演をしてくれた。

富山と並んで、秋田のような田舎から
須磨の令息(2008年に満90歳で亡くなられた
須磨未千秋駐カナダ大使など)や
明石康氏(国連事務次長)をはじめ、
外交官や国連職員になった人がかなり多いのも
あるいは
須磨の影響が間接的ではあったにせよ、
影響しているのではないかと
密かに思っている。

秋田で聴いた講演や演説は
国際情勢に精通し、かつ、
類いまれと思うほどの名演説で
私ども若者たちを興奮させたが、
いかんせん、
地元の関心は「八郎潟の干拓」や
米価の行方であったので、
選挙では苦労した。

街頭演説で農民に野次られ、農業問題で
返事に困って立ち往生する姿も覚えている。

私が政治に大きな関心を抱き続けながら
ついぞ政治家になろうとしなかったのは、
カネも地盤もないことに加え、
この、国際的に活躍した須磨が
農政を知らずして苦戦している姿を
身近に見てきた原体験が
影響していると思う。

当時の我が家は広く、屋敷内に須磨も所属した
改進党や後の自民党県連などがあり、
父のところには何度も顔を出していた。

「秋田の連中はほんとに世界を知らん!」と
父に愚痴っていたのを何度も聴いた。

ところで、そんな縁を思い出していたところ、
きょうの産経新聞を読んでいて
本間雅晴陸軍中将のことが出ている野に気付いた。

マッカーサーは戦後、来日するとすぐ
同中将を戦争犯罪人として出頭させ、
マニラに送り、約1か月の裁判を経て、
翌年の2月11日、つまり
当時の紀元節(現在の建国記念日)に
死刑の判決を言い渡し、
バターン総攻撃の日であるに4月3日に
刑を執行した。

こうした見せしめ的な嫌がらせは
確かまだまだあったように記憶している。

お心当たりの方は是非、教えてほしい。

アメリカ人を恨むためではない。
アメリカ人を知るためにである。
東京の秋D 大隈庭園 [2010年11月14日(Sun)]

































細野豪志議員という「密使」 [2010年11月14日(Sun)]









 以下は、国際派ジャーナリストP氏からの
返信です。示唆と含蓄に富む見解と、
拳拳服膺しました。

  ☆☆ ★ ★ ☆ ☆ ★★ ☆ 

細野豪志議員が「密使」として訪中の際、
「映像を公開しないことで合意した」とのことが
責められているようですが

今頃になって
彼をあげつらうのは
相当インテリジェンスの劣る人たちでは
ないでしょうか?

それとも
細野議員個人に悪意を持つか

意図的に問題の焦点を彼に向けようとする
拙劣な発想の人ではないでしょうか?

@彼を責めるのであれば
先ず彼の訪中時に
菅総理なり仙谷官房長官なり
或いは前原外務大臣なりが
「越権行為」として批判すべきでしょう。

Aそれをしないのは
彼ら自身が「合意」なり、
「要請」していたからでしょう。
そう考えるのが自然です。

Bまた
「映像は公開しない」で合意したとしても
時の政権(総理、官房長官、外務大臣)が
了承しない限り何の効力も持ちません。

もし、
その合意が不満であれば
細野議員にそう言うか
改めて交渉しなおすか、
告げれば良いだけのことです。

C細野議員と官邸の間に
何の意志の疎通も無かったとは
言わせません。

何の連絡も取らなかったとすれば
それこそ政権担当者として
無責任極まりないことで
即刻総辞職するべきものでしょう。

D菅直人内閣が当時、
藁にもすがる思いで
中国側との関係改善を模索して
醜態を演じていたのは
全国民が知っています。

そんな自分の御粗末さを棚に上げて
支援をすがった相手に
今頃になって責任をなすりつけよう、
などとすると
人は徹底的に不信感を抱き
もう二度と協力しようとはしないでしょう。

大手メディアを使って
細野議員に罪をきせようとすれば
その代償は計り知れないでしょう。

少なくともインテリジェンスが働く者は
菅政権全体に信頼を置かないであろうし
世界各国からも馬鹿にされ
ますます
日本の地位の低下を招くだけです。

馬鹿な事を繰り返さない内に
きちんと反省しないと
菅内閣は
ますます泥沼にはまり込む
そんな恐れがあると
思っています。
中国漁船故意衝突事件 [2010年11月14日(Sun)]










「尖閣諸島周辺における中国漁船による故意の衝突事件」
というのが今回の事件の正しい表記であると
私は思います。

略して「中国漁船による故意の衝突事件」、
さらには「中国漁船故意衝突事件」でしょうか。

このたびは事件を起こした主体が中国漁船であることを
常に明確にしたうえで、首脳会談でもなんでも
やってもらいたいものです。

「恋」は素敵でも、「故意」はいけません。

閑話休題(それはさておき)。

VTRの公開は中国にとってあまりに不利、
そこをカードに細野豪志議員が官邸の「密使」として
北京を訪問し、問題の鎮静化にあたったというのが
真相のようです。

この交渉内容よりも私は日本がこういう場合に
秘密外交ができる国であるという証明をした
ということではこれは1つの評価であろうと
思います。

ただ、海保の「青年将校」には、
「自分たちは文字通り命がけで仕事をしているのだ。
こうもやすやすと中国に妥協するとはけしからん」
という声もたくさんあります。当然です。

そうでなくては「海猿」は「海豚」にすぎません。

VTRを積極的に「流出」させたか、
「漏洩」してしまったのかはともかく、
かなりの確信犯であるならば、
それはそれで、本件については
かなりの判断と勇気をともなってのことでしょう。

船長のみを逮捕し、保釈期限前に
釈放してしまったことには
日本中が怒っていいます。

そのあたりについて、
小欄でおなじみの国際ジャーナリストP氏に
見解を質してみました。
          (つづく)
晩秋の日光 中禅寺湖畔 [2010年11月14日(Sun)]





































東京の秋C 世田谷 [2010年11月14日(Sun)]





































東京の秋B 目黒 [2010年11月14日(Sun)]

















































 錦秋の秋。

 仲間が練馬区光が丘周辺を歩いていて
ふと、
紅葉の美しさに魅せられたと知らせてくれました。

 負けじとばかり私も目黒や世田谷を散策して、
今年の紅葉の素晴らしさを堪能しました。
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