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北方領土問題入門C [2010年06月21日(Mon)]





  色丹島から、北方領土の最高峰・国後島の爺々岳(ちゃちゃだけ)を臨む。









しかし、1985年、ゴルバチョフが政権の座に着くや、
改革派は大きく政権の中枢に位置するようになったのです。

ソ連側の主催者である世界経済国際関係研究所(IMEMO)の
歴代の所長であるA・ヤコブレフ(後にソ連国家顧問)、
E・プリマコフ(後の首相)といった人たちを中心に、
私たちのカウンターパートは
ペレストロイカ、グラスノスチといった
改革のリーダーとなっていったのです。

 1991年4月、ゴルバチョフは、
かの国の最高首脳として初めて来日します。そして、
ヤコブレフの助言に従い、
ハバロフスクで日本人墓地に献花し、
海部首相とは6回にわたり領土問題を真剣に話し合い、
共同声明には4つの島の名前を挙げて、その解決を目指すとし、
自ら、国境未確定の北方領土には
ビザや旅券を持たないでの渡航を提案してきたのです。
これを受けて、同年11月、
日ソ両国の外相による交換公文という形で、
この特別の相互訪問が約束されました。

 しかし、翌12月27日、クレムリンに翻っていた
鎚と鎌(労働者と農民の象徴)に
黄色で縁取られた赤い五稜星という赤旗が引き降ろされ、
白青赤の横三色旗という、帝政時代の国旗と交代したのです。

ソ連国旗の星は世界中に共産主義が拡大するという
「理想」の象徴ということであったのですが、
人権の抑圧と経済破綻で、
冷戦に破れたソ連の「理想」は見事に幻想だったことが
明らかとなりました。

現在のロシア国旗はかのピョートル大帝が
17世紀末に西欧を視察したとき、当時、
世界の海に進出していた一大海洋国家であった
オランダの赤白青の横三色旗に魅入られ、
これに似たものということで決められたという秘話が
伝わっているものです。

15の共和国から成っていたソ連邦は
エリツィンを盟主とするロシアをはじめ
主要4連邦国家の離脱という形で崩壊してしまいました。

連邦を離脱したかつての構成国はいずれも、
ロシア国旗とは似ても似つかないデザインの国旗を
採択しました。これまたこの連邦が
いかに無理なものであったかをうかがわせるものがあります。
                         (つづく)


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