• もっと見る
« 2010年02月 | Main | 2010年04月»
<< 2010年03月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
モスクワ地下鉄爆破事件の近くで会議 [2010年03月30日(Tue)]



 日本側代表団。左手前から、袴田団長、佐瀬教授、
上月公使、木村教授、御厨教授、清水東京新聞論説副主幹、
伊奈日経新聞同上、平岡民主党衆院議員、宮腰自民党衆院議員、
青木前文化庁長官。私は佐瀬教授と袴田団長の中間に座っていたので、
この写真にはない。









手前から議長席に着いた吹浦、
基調報告をするディンキン世界政治国際関係研究所長、
ニコノフ・ロシア世界基金総裁など。


































 昨日、モスクワの地下鉄で自爆テロらしき事件が発生。
事件の10日前、
そのすぐ近くのアララットホテルで2日間、会議を
行い、ルビヤンカ(広場)駅の前を何度か通った者としては、
少々、背中が寒くなる思いだ。


 まずもって、犠牲となられた方々に哀悼の意を表し、
ご冥福をお祈りする。

 青木保前文化庁長官や御厨貴東大教授など、
モスクワのジャズ事情探索と称して、
夜の地下鉄も体験したので、きっと、今頃、
冷や汗を流しているに違いない。

 こちらは背中も頭も厚い会議だったが、
会議の写真を紹介しつつ、
この2,300m先での事件の犠牲者を
追悼したい。

 北方4島の返還を実現して
日ロ間に真の友好協力関係をきずこうという、
わがユーラシア21研究所として、
ロシアの枢要の人々に
弔文を送らせていただいた。


「わが師」を池上清子さんが [2010年03月30日(Tue)]










 郷農彬子さんは同じく日赤語学奉仕団のメンバーだった人で、
今は、同時通訳・国際会議運営のバイリンガル・グループ社長。
右の池上さんと郷農さんは同じ4月24日が誕生日。ここ数年、
3人で互いに祝い合っている。
3月12日、わが誕生日(3月17日)を繰り上げて、お二人が
ARGOのランチョンでお祝いしてくれた。感謝。









 われらが仲間の池上清子さんは
国連人口基金東京事務所長の要職にある。

 趣味の三味線演奏も、国立劇場で弾くほどの腕前。

 その上、
なかなかの文筆家であり、
東京新聞の夕刊のコラムニストでもある。
2010年3月16日(火)の【放射線】という欄に、
共通の・橋本祐子(さちこ)先生のことを「わが師」と題して
次のように書いている。

     ☆☆ ★ ☆ ★★ ☆ ★ ☆☆

 人の役に立つ仕事をしたいと漠然と考えるようになったのは、
大学生のときに赤十字語学奉仕団でボランティアを
したころからだと思う。

そこで出会った橋本祐子(さちこ)先生は、私の恩師である。

 東京五輪後に開かれたパラリンピックで、
通訳が不足していたのを知り、
外国語ができるボランティアを募り、その後、
赤十字語学奉仕団として組織したのが、橋本先生。

当時、日赤で青少年課長をされていた。1968年には
第1回・世界青年の船の副団長として、
若い人たちが海外と交流する事業にあたった。7
2年には日本人として初めて「アンリ・デュナン記章」を
受章されている。

 常に、はつらつとしていて明るく、
私たちはいつも温かく励まされていた。

青年の船は、当初、若い男女の船上での共同生活は
何かと問題が起こりかねないともいわれたが
「私が責任をとる」と言って押し切った、とご本人から聞いた。

 橋本先生のボランティア論は、
「人の役に立ちたいという気持ちは大事だけれど、
それだけでは十分じゃない。

人に提供できる知識・技術が伴わない限り、
気持ちだけではボランティア活動にはならない」だった。

学生時代にボランティアをしていい気になっていた私は、
自分の甘さを厳しく指摘された気がした。

役に立ちたいという気持ちを相手に押しつけるのではなく、
自分に何ができるのかを常に問い直す。

国連機関で仕事をしている今でも、考え続けている。

      ☆☆ ★ ☆ ★★ ☆ ★ ☆☆

青年の船の一件は、時の佐藤栄作首相を官邸に訪ね、
「女は青年ではないのか」と迫り、自らも
副団長として乗り込んだのであった。

 池上さんは近く、新たな大任にも就くらしい。祝杯の機会が
また増えそうだ。そうですよね、郷農さん?!

| 次へ