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政府要員増員のムダ [2010年01月11日(Mon)]











 首相補佐官、政務官・・・自民党時代よりずいぶん増えています。

 どこかのメディアがそれに伴う諸費用がどれだけ増えているか、
追ってくれてもいいと思うのですが。

 つまり、増員による給与の増加、秘書官の増員、事務の諸経費、
電話、自動車などなど大変な費用じゃないでしょうか。

 私が仕分け人なら、政務官は、
「政務見習い」としたいところですが、それでは
かわいそうですから、
「大臣付」「大臣補佐官」くらいで、諸費用すべて自弁とします。

 授業料なしで、選挙用の肩書きがつくんですから、
それで十分です。

 かつては大臣に盲腸と言われた政務次官1、2名、
それで間に合っていたんですから、この
わけのわからない増員は即刻やめるべきです。
ソルフェリーノの戦い・宝塚 [2010年01月11日(Mon)]















赤十字の発祥を導いた
イタリア統一戦争、
その竿代の激戦だった
ソルフェリーノの戦いについては、
明日から、何度かに分けて書くことにしますが、
とりあえずは、宝塚雪組のHPでご覧ください。

   ☆☆ ★ ★ ☆ ☆ ★★ ☆ ★ ★ 

 この生命は人の光なり
 光は闇を照り 闇はこれを悟らす(聖書)

 長年のオーストリアの圧政から
独立を試みるイタリアと同盟国フランスとの連合軍
とオーストリアの間で
第2次イタリア独立戦争が勃発、
最後のソルフェリーノの決戦に挑んでいた。

 1859年。イタリア・ロンバルディア地方ソルフェリーノ。
両軍共に死力を尽くし、
ソルフェリーノの荒野には累々と負傷者が横たわっていた。

 小さな田舎町のサン・ニコラ教会。
 急拵えの野戦病院となっていて、
戦死者や負傷者が次々と運ばれていた。
数少ない医師たち。

その数少ない医師の中にジャン・エクトールや、
看護婦のアンリエットがいた。そして
イタリア師団長マンフレッド・ファンティや
参謀長アンドレ・ポルリノの指揮の下に
連合軍の負傷者を必死で看病していた。

運ばれてくる負傷者も入り口で選別され、
教会に入れる者と野晒しの広場に寝かされる者とに
分けられていた。

それは、フランス軍やイタリア軍の連合軍と
オーストリア軍の相違だった。敵軍は治療の必要もないと、
粗末に扱われていたのだ。

傷の痛さに呻く者、水を求める者、
それは一刻の猶予もなく危急を要していた。

 その有り様に立ち塞がったのが
アンリー・デュナンだった。彼は
ジュネーブからパリに行く途中に
偶然通りかかったのである。

デュナン『兵士たちである前に同じ人間です!
尊い生命を助けなくては!』

ファンティ『敵軍など治療の必要はない!』

アンリエット『そうです!私の両親は
オーストリア軍に殺されました』

ポルリノ『通りかかりの者が一人前の口を利くな!』

 ファンティやポルリノやアンリエットは、
デュナンの意見に耳を貸そうとはしなかった。

反対ばかりの周囲の情勢に悩むデュナン。しかし、
デュナンの意見に賛成したのが医師のエクトールだった。

敵味方の別け隔てなく傷病者の手当に手を貸してくれた。
しかし、アンリエットの受けた傷は癒えることなく
デュナンの犠牲的な精神にも冷たく眺めているだけで
一向に心を開こうとはしなかった。

蔭で優しく支えるエクトール。そこには
アンリエットへの深い思いが込められていた。

また、傷ついても敵と味方には大きな壁があり、
命の危険に晒されているときでも敵と味方は
二つのグループに別れて決して協調しようとはせず、
毎日のように事件は起こった。

対立するデュナンやエクトールとポルリノとアンリエット。

『人間は争うことしか出来ないのか!
歴史はそれを繰り返している。
いつになったら争いの愚かさが分かる時が来るのだ!』

理想は理想として
現実には越えられない壁のあることに悩むデュナン。

 そんな月夜のある日。
捕虜のオーストリア少年兵ポポリーノの親を思い、
故郷を思う“アベマリア”のハーモニカの音色が
野戦病院の庭に流れた。
モズではなくヒヨドリでした [2010年01月11日(Mon)]






これがモズ(吹浦仁くん提供の切手)












   これが拙宅のオリーブを食い荒らしたヒヨドリです。









浅学非才をまたしても証明してしまいました。

先日、わがベランダのオリーブの実を
全部食べたのはモズかなと思うと写真付きで紹介しましたが、
あれは、ヒヨドリでした。

みなさまからいろいろメールをいただきましたが、
なんと、決定的なのは仙台在住の
わが甥・吹浦 仁くんからの
モズの記念切手付きメールでした。

この甥は薬剤師らしく、以下の説明が論理的です。

     =================


ブログの写真はモズではなくヒヨドリではないでしょうか?

モズは肉食なのでオリーブの実は食べません。

120円切手にもなっています。

                   仙台 吹浦 仁

     =================

 「負うた子に教えられ」のクチかもしれませんが、
要は、私の無知と先入観がいけません。

 マンションのベランダは「枯れ木」のようなものであり、
「枯れ木」にはモズのような美しい鳥よりも、
ヒヨドリのような地味な姿が似合うということなのですね。

「これだから文科系は困る」と仁くんには軽蔑されそうですが、
世の中、「少(小)を見て大を思ってはいけません」。

要するに、私が無知蒙昧なだけですから。


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