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酒井法子がかわいそう! [2009年09月17日(Thu)]












 「酒井法子がかわいそう」
と言ってはいけないのでしょうか。

 偶然、実況生中継を見ました。なぜ、あんなにもマスコミが集中し、
NHKさえも7時のニュースの2番目に報じなくてはいけないのでしょうか。

 憲法は「法の前の平等」を説いています。

 ほかにも同じような罪を犯した人が
大勢いるはずなのに、
その人たちは報道されないし、
されても顔は隠したままです。

 もちろん、とんでもない罪を犯しましたが、
ここまで社会的制裁を科していいのでしょうか。

有名人も所詮は一個人であり、
人権が保護されるべきは当然です。

 幼い子供もいるんですってね。
あとは、法の裁きをうけるだけにしてあげましょうよ。

 これが私の率直な感想です。
五木寛之氏と拙著(最終) [2009年09月17日(Thu)]










 20年近く前の拙著『捕虜の文明史』(新潮選書)を引用しての
五木寛之氏のエッセイの前半最終の記事である。つづきは
この表紙の本をお求めください。拙著はAMAZONでかな?

   =======================

 このような事件の細密正確な真相を確かめることは
きわめてむずかしい。しかし、
当時の参謀総長、有栖川宮熾仁親王が現地に要求した
機密報告に対して、
大山司令官はその一部をはっきりと
肯定していることからみても、
事件は幻ではなかったはずだ。

 それから10年後、日本政府と軍は、
あらためて代表的な学者を多数各軍に配し、
前出の有賀長雄は総司令部の首席法律顧問として従軍した。

 乃木・ステッセル間の通訳をつとめながら
旅順開城の規約作成、交渉の件にあたったのも、
この有賀である。

 ロシアとの戦いで再び欧米諸国の批判をあびては
国運にかかわりかねない。

まして相手は赤十字条約、
国際戦法規の整備に熱心なニコライU世の帝政ロシアである。

万が一にも国際世論の批判をこうむるようなことが
あってはならない。それは日本を危うくする。

 政治の立場からすると、そういう一面があった。しかし、
この問題にひそむもう一方の人間的側面を忘れては
大きなまちがいを犯すことになるだろう。

   ☆☆ ★ ☆ ★★ ☆ ★ ☆☆

 さすが、見事に拙著をお読みくださっている。著者として
こういう読者に情報を提供できたというのは
嬉しい限りだ。
五木寛之氏と拙著A [2009年09月17日(Thu)]







 昨日に続き、五木寛之氏が
拙著『捕虜の文明史』を引用されたエッセイを
ご紹介したい。

    =======================

 日露戦争の開戦直後に、寺内陸軍大臣はいちはやく
34ヵ条からなる《陸軍俘虜取扱規則》を制定したという。

 この《俘虜規則》の根本精神は、
<俘虜ハ博愛ノ心ヲ以テ之ヲ取扱ヒ決シテ侮辱、虐待ヲ加ヘルヘカラス>
と、いうものだ。<虐待>は当然禁止さるべきだとしても、ここで
<侮辱>という問題をあえて冒頭においた姿勢には
感心させられるところがある。

 つづいて、
《俘虜取扱規則》、《俘虜労役規則》、《俘虜収容所条令》、
《俘虜自由散歩及民家居住規則》などの勅令や通達が
つぎつぎとだされている。

 捕虜が母国へ送る郵便料金がすべて無料サービスだったのも、
《俘虜郵便規則及俘虜郵便為替規則》によって定められたものだった。


 こうして見てくると、
明治の政府・軍部がいかに細心の注意をはらって
戦時国際法を遵守しようと努力していたかがうかがえる。

 吹浦氏の紹介ではじめて知ったのだが、
作家の小田実氏はその著作
《「民」の論理と「軍」の論理》のなかで、
日露戦争のころ出征軍人が携行した当時の
<軍隊用手帳>をはじめて見たとき、
ある種のショックをうけたと書いているという。

<軍隊用の手帳というので、まず
「軍人勅諭」でもあるのかと思ったら、
そういうたぐいのものはいっさいないので意外に思った>
 というのである。手帳を開けると最初に「戦時国際法」の条文が
でてきた。そして、
<われわれは文明国人として捕虜と非戦闘員に接するように>と、
くどいほどその取扱い方法が述べてあった、というのだ。

このエピソードを読んで、
小田さんならずとも意外な気がするといえば、
明治の人たちに叱られるだろうか。

 日露戦争に先だつ明治27、8年の日清戦争の際に、
あまりに簡単に占領できたことが、
10年後のロシアとの戦争の際の乃木軍の旅順攻撃計画に
不幸な先入観としてあったらしい。

 それはともかく、この日清戦争の旅順口占領にあたって、
日本軍は欧米各国のジャーナリズムから
袋叩きにあう不祥事を起こしている。

旅順口の清国人に対する無差別攻撃事件がそれだった。

司令官大山巌の第二軍とともに参加した第一線の国際法学者、
有賀長雄は《日清戦役国際法論》のなかに
このように記録しているという。

<市の北の入口より其の中央に在る
天后宮と称する寺(航海保護の神を祭る処)まで
道の両側に民屋連列せり。而してその戸外及戸内にあるものは
屍体ならざるはなく、
特に横路の如きは累積する屍体を踏み越ゆるに非ざれば
通過し難かりき(後略)>

 この事件の直後から、
アメリカの新聞がセンセーショナルに報道した
<6万人虐殺説>をはじめ、各国記者、観戦武官などの痛烈な報告が
世界中に打電される。

<条約改正をして文明国の仲間入りをしようとしていた
日本にとって致命的ともいえる悪評が、たちまち世界に拡がった>
と、吹浦氏はその反響について述べている。
                     (つづく)
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