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鳩山ブランドへの危惧 [2009年09月07日(Mon)]




       



   対露外交、この人、鳩山由紀夫氏の本当の顔はわからない。
 これまでの発言からは、期待より不安が大きいのは
 筆者だけか。









<「鳩山ブランド」で進展狙う=北方領土解決に意欲−対ロ外交>
時事通信が昨日午後に配信した記事の見出しである。

<鳩山由紀夫代表はロシアとの関係強化を
外交の重要課題の一つに据えている>ことは確かだ。

<1956年にソ連との国交回復を果たした
鳩山一郎元首相の孫に当たるというブランド力を最大限に生かし、
日ロ間のトゲとなっている北方領土問題を進展させたい考えだ>
というから大いに期待したい。

「日ロ協会」の会長も務める鳩山氏(早急に退任の予定)であるから、
ロシアではそれなりに名も知られているし、
これまでも何度か、
北方領土問題や日露関係について発言してきた。

但し、その発言は揺れにゆれており、真意はわからない。

時事通信も報じているように、これまで、鳩山氏は
@ 北方4島の主権が日本にあると確認されれば、
返還の時期や方法は柔軟に対応すべきだとの立場を表明。

A 2005年の訪ロ時に4島返還までの
過渡的な「共同統治」の検討に言及、
B 祖父一郎氏が署名した56年の「日ソ共同宣言」で引き渡しが
定められた歯舞、色丹2島の先行返還に前向きな姿勢を示した。

おそらくは柔軟な姿勢を示すことにより、
ロシア側の譲歩を引き出そうとするであろうが、
そこに危険がいっぱいなのである。

 9月下旬に国連総会に出席する際、
ロシアのメドべージェフ大統領と会談するかと思われるが、
1993年の「東京宣言」で築いたわが国の交渉の起点さえ
うしないかねないような怪しげなアプローチは絶対にやめてほしい。

「鳩山・一郎」内閣の「・」以下が、
日露関係に絡んだ最悪の一件については、
小欄では既に書いたので、省く。

この人には外交に関わってほしくない。
さあ、どうする鳩山さん!
国旗のデザイナー [2009年09月07日(Mon)]













「国旗をデザインしたのは誰?」という質問もよく来る。

「日の丸」は遅くとも武家社会の成立までには大事なしるしとされ、
その後もさまざまな色や形で受け継がれてきたが、
最終的には、島津斉彬、水戸斉昭、阿部正弘の合作で
「日本の総船印」として幕末に制定された。

 同様に、為政者や特定の人がきっかけを作ったり、
考案したり、承認したりしたという例を挙げてみよう。

 1882年、朴泳孝(1861〜1939)らが考案したのが、
韓国の「大極旗」。金玉均らと共に開化党(独立党)を結党。
1882年7月、壬午事変(壬午軍乱)の謝罪のために
派遣された修信使節団員の一人として来日する船上で、
そのデザインのオリジナルな案を考えたとされる。

 しかし、帰国後、1884年12月に甲申政変を起こして
閔妃派からの政権奪取を図るが失敗、
日本に亡命した。

 金は都内、小笠原の父島、北海道などに隠れるが、
上海で惨殺。朴は1910年の日韓合併以降、
日本側に重用された典型的「親日派」。

それでも、何度かの修正を見たとはいえ、
「大極旗」は内外で定着している。

 ガンジーが考案し、ネルーが修正したのがインドの国旗。
最初は、国産品の普及を図ろうとして
スワラジ運動を起こしたガンジーその象徴として街頭でまで用いた
糸紡ぎ車(チャルカ)が国旗の中央にあったが、
それではいかにも貧弱であるとして、
ネルーがアショカ王の第3回仏典結集記念塔から、
同じようなイメージの法の輪(チャクラ)に変えたもの。

 中華民国(台湾)の旗は、1906年、辛亥革命(1911)を導いた孫文が
考案したとされる「青天白日満地紅旗」、略して「青天白日旗」。
この旗が正式に国旗として制定されたのは1928年。

 日本人・青木文教デザインを指導したのがチベットの旗。
 
 カダフィ国家元首が一晩で変えたのはリビアの国旗、
イスラム教の色・緑一色というのはこの人でなくては
選べない“デザイン”。

 ロシアの白青赤の横三色旗は
ピョートル大帝がオランダの赤白青の横三色旗に刺激を受けて
取り入れたとされる。

 フランス革命期に、パリの色である青と赤の二色に
ラファイエットがブルボン王家の色であった白を入れたのが
フランス「三色旗」。市民と王家の和合を図ったはずだったが、
その後の歴史はご存知の通り。

「星条旗」を考案したのはフィラデルフィアの裁縫名人といわれた
ベティ・ロス。アメリカでは超有名人。
初代大統領ジョージ・ワシントンらが直接頼んで考案した様子は、
記念切手にもなっている。

 湾岸戦争で敗北したサダム・フセインがアラビア語で
「アラー・ホ・アクバル(アラーは偉大なり)」と書き込んだ
「ご親筆」が現在のイラク国旗。ただし、イラク戦争後は
その文字をアラビア語の活字体にした。
 
 旧ベルギー領コンゴの旗は空色に黄色い星だった。
探検家スタンレーの発案になる。コンゴ民主共和国の今の国旗にも
それが活かされている。

 最後は皇帝にまでなった中央アフリカの首領ボカサが
デザインしたのが中央アフリカ共和国の国旗。ボガサは
小中学生の制服もデザインして着用を強制した。

 国旗の専門家ホイットニー・スミス博士(ハーヴァード大学教授)に
頼んだのがガイアナ。「9.11事件」直後に、ボストン近郊で
お目にかかった。幕末期の日本で発行された国旗関係の文書を
多数所有され、その”鑑定”を依頼され、イタリア料理をごちそうになり、
尽きぬ旗談義は深更に及んだ。

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