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どう読む「日本」 [2009年07月02日(Thu)]







   駒沢公園の東京オリンピック記念資料館で撮影。








「にっぽん社会党」に「にほん共産党」、
NIPPON GINKOと印刷されている紙幣を
発行しているのは、「にほん銀行」、
「大にっぽん帝国憲法」に「にほん国憲法」、
「にほん大学」や「にほん女子大」の学生が
「にっぽんチャチャチャ」と応援する・・・。

 6月30日の閣議で、
わが国の国名「日本」を「にっぽん」と読むか
「にほん」と読むべきかについて、
「いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」
とする答弁書を決定した。

民主党の岩國哲人衆院議員の
「日本国号に関する質問主意書」に答えたもの。

 朝日新聞の報道によれば、
内閣府によると、「日本」の読み方は、
戦前の1934年に当時の文部省国語調査会が
「にっぽん」に統一しようと提案したが、
法律などで決定するには至らなかった、そうだ。

 岩國議員は質問主意書で
「70年7月に佐藤内閣が『にっぽん』で統一する旨の
閣議決定を行った」と指摘したが、
答弁書では「そのような閣議決定は行っていない」と否定した。

 1964年の東京オリンピック当時、これは一大議論になり、
結局、ご覧のユニフォームとなった。
私は組織委の式典課にいたので、
議論の雰囲気はよくわかる。

 記者会見での説明がふるっていた。
「真ん中でNIPとPONが分かれるから、これがいいんです」。
確かに「NIHON」では困るのではあるが、
さてはて、おそらく世界で唯一、
自国語で国名を2種類に発音する国、
それがわが国ではあるまいか。

 そしてまた、それも結構と申し上げておきたい。
ハンガリー動乱 [2009年07月02日(Thu)]






現在の、そして1919年以降のハンガリー王国時代の国章。
ハンガリーは現在、共和国だが、王冠のついた紋章を
採用している。映画では、王冠のない紋章のついた旗が
メルボルン五輪の水球表彰式で掲揚されていたが・・・。
 1990年、共産政権崩壊後の国会開会式を
たまたまブダペストで見る機会があったが
傍聴席に旧王族が並んでいるのにはいささか驚いた。、








「君の涙ドナウに流れ―ハンガリー1956年」を0DVDで見た。

 ハンガリー動乱50周年を期して、ハンガリーが製作した作品。

 自由を求めナジ政権を樹立したが、ワルシャワ条約機構(ソ連)軍に制圧されるという大事件と、その直後に行われたメルボルン五輪の水球でのハンガリーとソ連との流血の対戦を描いている。

 当時のハンガリーの国旗は、赤白緑の横三色旗の中央に、共産主義国であることを表す麦、歯車、赤い星などから成る紋章を付けたもの。人々はその紋章を繰り抜いた国旗を掲げて抵抗した。

 その12年後にチェコスロヴァキアのプラハで同じような悲劇があり、さらに12年後にはポーランドのワルシャワでも自由を求める大きな波があった。

20世紀は共産主義の隆盛と崩壊の悲劇だったとつくづく思う。そして、いまなお、それを標榜する国々が日本の周辺にあり、日本共産党があることが私には十分理解できないでいる。

ハンガリーは水球でオリンピック大会で二連覇した。1952年のヘルシンキとこのメルボルンで、である。

その表彰式、映画ではハンガリーの国旗の紋章が共産主義以前のものになっている。これは実際にあったことだろうか。ちょっと信じられない。せいぜい、メルボルン五輪組織委ができたとすれば、共産主義国家らしい紋章をとりはずすくらいではなかったのか。

その8年後の東京五輪で、すべての三各国の国旗を用意した者として、これは一度、公式記録でチェックしなくてはなるまいと思う。

実はGWのころ、あることを調べたくて、日本体育協会まで行って、その公式記録を開いたが、気づかなかった。注意力が足りなかったと慙愧の念にかられている。

 映画そのものは「自由」に関心のある方には、必見だと思う。


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