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上坂冬子さんとの誤解 [2009年04月17日(Fri)]












上坂冬子さんの弟さんから、こんな訃報が来た。
まずは合掌。

   ************************************


作家上坂冬子(本名 丹羽 ヨシコ、享年78歳)儀
かねて病気療養中のところ4月14日午前9時50分
 入院中の病院にて胆不全にて逝去いたしました。

 ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます。

通夜告別式の儀は近親者のみにて滞りなく相済ませました
なお勝手ながら個人の遺志によりお別れ会等は執り行いません
ご弔問も固くご辞退申し上げますのであしからず
ご了承の程お願い申し上げます

平成21年4月17日

東京都世田谷区奥沢5-30-8
丹羽 徹

連絡先 オフィス丹羽 [電話] 03-3721-0735
             [FAX]  03-3721-2834

【上坂冬子 略歴】
1.本籍地 北海道 国後郡
1.出生地 東京都 千代田区
1.生年月日 昭和5年6月10日
1.略歴  (略)

    ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

 かねて、癌との闘病生活をしていることは知っていた。

 最後にお目にかかったのは、昨年2月に、銀座で
北方領土返還要求デモに一緒に参加し、
最後尾を歩いたときだった。

 この人が北方領土と関わるようになったのは、5年前、
私どもの「日露専門家対話」にお招きしてからだ。

 モスクワにご一緒していただいた。そのあたりの経緯は
ご本人が『「北方領土」上陸記』に詳述しているので、
ここでは略したい。

帰国後、北方領土を視察したいというので、
「4島交流推進全国会議」の副会長(当時。現・委員)として
推薦したが、北方領土問題対策協会の実施規則に簡単には
合致せず、いろいろ苦労したことが思い出される。

 その後の上坂さんのこの問題への取り組みは
すばらしいものがあった。
ご自身の本籍を国後島に移した。確か67人目だったと思う。

 各地での講演活動も盛んに行い、返還の機運醸成に
大いに参画してくださった。

 我が家にもお越しいただいたし、野辺山(長野県)の上坂さんの
別荘にもお招きいただいた。また、自由が丘の
弟さんのお店でご馳走になったこともある。

 私が、真珠湾攻撃でただ一人捕虜になった
酒巻和雄さんとのインタビューを『聞書き 日本人捕虜』として
図書出版社から上梓したり、酒巻さんがなくなった時には
雑誌『新潮45』に論文の形で書いたときなど
大いに喜んでくれた。

 なんとお二人は昭和22,3年ごろ、トヨタ自動車で
机を並べて勤務していたという関係なのだそうだ。

 ところが、なぜか、私たちとは、どこかでボタンの賭け違いがあったようだ。

 一昨年春頃、雑誌『正論』での田久保忠衛氏との対談の中で、
佐瀬昌盛、木村汎、袴田茂樹の3先生とともに、名指しで批判された。

 曰く「末次一郎先生は立派だったが、この4人は命がけで
北方領土返還に取り組んでいない」。

 突然の誹謗に4人とも唖然とするほかなかった。
そしてそれは、今も同じだ。

 昨年は、「週刊新潮」の「掲示板」欄で、
「奉安殿(戦前、天皇陛下の写真を掲示・収蔵しておく小さな建物)で
今も残っているところを教えてほしい」と
呼びかけられておられたので、
すぐ、@樺太(サハリン)の
ユジノサハリンスク(旧豊原)の郷土博物館の構内と、
A北方領土の択捉島のかつて連合艦隊が集合し、ハワイに向った
単冠湾(ひとかっぷわん)の近くにあるということを新潮社に通知、
「掲示板」欄に、吹浦忠正の名で掲載された。
しかし、上坂さんからは、
何の音沙汰もなかった。ただし、これは急に
病状が悪化したからということもないとは言えないので、
これ以上の追究は控える。

要するに、どこでどうなったか分からないままの訃報なのだ。

元気になったら、是非、説明を伺いに参上しようと、
回復を祈っていただけに、まことに残念。

ご冥福を祈るほかない。  合掌
谷内政府代表を罷免せよ [2009年04月17日(Fri)]




谷内正太郎政府代表.
毎日新聞の誤報であることを祈りつつ、です。










毎日新聞のインタビューに応え、
かねて尊敬している
前外務事務次官の谷内正太郎政府代表が
「個人的には(四島返還ではなく)3.5島返還でもいいのではないか
と考えている。北方四島を日露両国のつまずきの石には
したくない」と述べ、日本が領土交渉で四島すべての返還に
固執すべきではないとの考えを明らかにしたという。

 私は、親しい人を糾弾するに忍びないが、
これでは
谷内さんの政府代表罷免を要求するほかない。

政府代表たるもの「個人的な見解」を公開するのは
理にかなわない。

本人は目下、安倍晋三元総理とともに訪米中で、
20日に帰国するとのことであるが、
まさか、
麻生首相を強くバックアップしている二人が、
日露関係の舵を大きく切り替えるために
アメリカに説明に行っているというようなことは
あるまいとは思うが、正直言って、懸念をぬぐいきれない。

だとするならば、「谷内発言」は世論への「観測気球」であろう。

前大統領で現ロシア政権に決定的な影響力を持つプーチン首相の
5月11日来日を前にこの危険な火遊びは看過しがたい。

谷内政府代表はさらに、
「(歯舞、色丹の)2島では全体の7%にすぎない。択捉島の
面積がすごく大きく、面積を折半すると3島プラス択捉の
20〜25%ぐらいになる」
とここまで具体的に指摘したというのだから、
外務省が「そういう発言をしたとは考えられない。
事実関係が把握できない」などと打ち消そうとしても、
覆い隠すことは出来ない。

政府は四島返還の立場を崩していないようではあるが、
麻生首相は先の日露首脳会談の際、記者団に
「向こうが2島、こっちが4島では進展がない。政治家が
決断する以外、方法がない」と強調して、
返還運動関係者に冷や水をあびせかけた。

谷内政府代表の発言は同首相の意向を受けてのものと
見るほかない。

「4島返還」以外のこの「当面積による二等分」案などは、
日本側から絶対に口に出してはならない案である。

日本としては、1993年の「東京宣言」で、
「歴史的・法的事実に立脚し、
両国の間で合意の上作成した諸文書及び
法と正義の原則を基礎として解決することにより
平和条約を締結する」とした、
この歴然とした橋頭堡(最後の拠り所)を
自ら放棄することにほかならない。

もう一度繰り返す。

私は遺憾ながら、
谷内(やち)正太郎政府代表の即刻解任を
麻生首相に強く求める。
プーチン来日に思う [2009年04月17日(Fri)]



      




プーチン首相、あなたはなぜ、
なぜ国民に直接話しかけないのか、







 ロシアのプーチン首相が、5月11日から正味一日間、
来日することが固まった。同首相は12日午前中、日本経団連で
経済界代表と会談、昼食会に臨む。

 その後、午後の予定は明確ではないが、
一説には早稲田大学で名誉法学博士号が授与されるとか。
夕方5時から麻生太郎首相と会談し、
そのまま官邸での晩餐会に出席した後、
北京に向う。

 また、全国知事会が主催する約10県の知事との会合や
随行する数大学の学長と日本側の学長たちの会合に
可能性があるとか。

 首脳会談では、
領土問題のほかに北朝鮮のミサイル発射問題や
交渉最終段階の日露間原子力協力協定、
出入国カードの提出に方針を変えたため中断しそうな
北方四島への「ビザなし(旅券なし)」交流や人道支援についても
協議する見通しだ。

 加盟35団体から成る
「日露友好フォーラム21」が要請した、
ホテルオークラでの同首相の講演会(一般対象)は
受諾されなかった。

 同フォーラムは加盟35団体から成るネットワークで、
1998年に創設、櫻内義雄下衆院議長が会長、
末次一郎が運営委員長を中心に、相互交流を活発に推進し、
首脳会談の共同声明でも2度にわたり、
ロシア21世紀委員会(会長:ルシコフ・モスクワ市長)との
積極的交流が謳われたものである。

 ルシコフ市長が当時は改革派の旗手とされ
、対日関係でも積極的な大統領候補の一人と目されていただけに、
プーチン時代になってからのガチガチの保守対日強硬派への転換で
日本側の良識派の失望を買ったことが、
櫻内・末次両氏の逝去とともに大きな原因になって、
同フォーラムは休眠状態が続いていた。

 およそ一般大衆との交流を避ける傾向にあったロシアの首脳だが、
残念ながら、今回もプーチン首相は講演を「逃げた」というのが
率直な印象である。

 日本側はテーマは「日露関係発展の展望」といった
大きなものにし、同時通訳で30分ほどお話いただき、
主要4団体の各1名の代表質問者からの
質問(事前にテーマを提示)にお答えいただきたい
と申し入れしていたが、受諾していただけなかった。

 ロシア側はこの間、盛んに
「ロシアの首相は経済を管轄しており、
経済関係の強化を図るための来日であり、
それ以外は引き受けられない」と
さまざまなチャネルで申し入れてはいた。

 しかし、ロシアがまたプーチン首相が、
日本との間に、真に強力な経済関係を樹立したければ、
国民的な理解と賛同がなければ
経済界としても自ずから限界があることを熟知しているはず。

 さきにロンドンで開催されたG20金融サミットでも、
メドヴェージェフ大統領と麻生首相の会談は、
日本側がより積極的であったにもかかわらず、
会議の休憩時間に立ち話をした程度終わった。
対日関係化以前と促進に向けたロシア側の誠意に
いささか疑問を感じざるを得ない。
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