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鳩山兄弟での提携話も [2009年03月07日(Sat)]








   読売新聞より。



















   挨拶するベールイ駐日ロシア大使











 鳩山一郎元首相(1883〜1959年)の没後50年祭が
きょう3月7日正午から、都内のホテル・オークラ平安の間で
開かれた。主催者は、
孫である民主党の鳩山由紀夫幹事長、
自民党の鳩山邦夫総務相兄弟の母・安子さん。

 中曽根、海部、羽田の各元首相ら約600人が出席した。

 最初にマイクに向かった由紀夫氏が
「所属する政党は違うが、弟とはもともと仲がいい」と挨拶、
次いで、邦夫氏も
「何で政党が別なのか。やはり一緒にいた方が
いいなあと思うが、そう簡単に新党が作れるわけではないし。
立場が違っても兄とは共鳴しあいながら、
潤いのある世の中をつくるために頑張る」と
兄弟の絆の強さをアピールし、
会場に一瞬の緊張と拍手を起こした。

 来賓として最初にマイクに立った大勲位・中曽根康弘氏は
「(一郎氏は)お孫さんたちが健闘しているのを見て、
さぞかし喜んでいるだろう。国家の混迷の時代に
立派な働きをされるよう、心から祈念する」と
兄弟にエールを送った。

 1956年当時、中曽根氏は
「日ソ共同宣言」への署名を終えた
一郎氏を、ハワイまで出迎えに出かけたこともある。

 このあと、先に「大連立」の仕掛け人役を演じた
ナベツネ氏こと渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長兼主筆が
兄弟による政界再編への期待感を示唆する発言をした。

 次に、ベールイ駐日ロシア大使があいさつ、
さらに、ロシア21世紀委員会の
ルシコフ・モスクワ市長からの
メッセージをモスクワから参加した
ユーリ・チトフ同委員会事務局長が日本語で披露した。

 飲み物が再び注がれたところで、
海部俊樹元首相が
「お二人の見解の相違か、由紀夫さんからは献杯の、
邦夫さんからは乾杯の発声をと頼まれたが、
ここは献杯の発声としよう」と場内を笑いを誘いつつ、
杯をあげた。
 
 午後1時、民主党の小沢一郎代表が来場、
報道陣が色めきだったが、黙って白いカーネーションを
祭壇に献げ、同党の鳩山由紀夫幹事長に
「長居するとご迷惑をかけるからな」とささやいて、
すぐ会場を離れた。

  由紀夫氏は終了後、記者団に
「今すぐ大連立という話にはならないが、
政治の立場で協力し、
大きなことをやれたらいい」と思わせぶりに、
将来の連携の可能性をほのめかす発言をしたという
(全国紙記者)。

  私も久々に大勲位とゆっくり話すことができた。

さきに、転んで骨折した右腕には金属が入っており、
杯を右手で持ちながらも、
左手で、力強く私の手を握り締めた。

  ベールイ大使には、
2月4日にユーラシア21研究所の理事たちを
晩餐に招いてくれたお礼を述べた。しかし、当日は、
理事長たる私が数ヶ月前からの約束で
秋田県横手市に出かけていたため、欠席した。
このことは率直に詫びた。

  5月中旬に来日する
プーチン首相に関する案件については、
チトフ事務局長を含め、
少し具体的な話合いをしたが、
詳細は11日(水)に大使館で詰めることにした。

  こういう会合は、効率的にさまざまな人と
話ができるのが、実にいい。

  これも、50年前に亡くなられた鳩山一郎元首相の
功徳というものかもしれない。

「日ソ共同宣言」そのものには
いろいろな問題なしとしないが、
それは別の機会にとしよう。
岩手の悪口は禁句だが [2009年03月07日(Sat)]













 昔から父は、
「秋田の人間は岩手の悪口を言っちゃぁいかん」
「岩手や青森とはなかよくせいゃ」
とよく言っていた。

「昼酒は飲むな」同様、
いわば家訓のようなものだ。

そして、一人娘(私の姉)を岩手県雫石町に嫁がせてもいる。

この雫石、今でこそ新幹線で1時間もしないで着くが、
それまでは「5辺形の4辺」を行く迂回路で3回乗り換え、
5時間もかかった。

父の言いたかったことは、明治維新に淵源がある。

戊辰戦争の時、秋田藩は32藩から成る奥羽越列藩同盟から
「1抜けた」をやった。

関ヶ原の合戦で家康側につかず常陸63万石を維持していた
ことから恨みを買い、石高を3分の1に減らされて、
ほとんど何もなかった飽田(久保田=秋田)に転封された
恨みが、このときの「しっぺ返し」だったのだ。

隣接する南部(岩手)、津軽(青森)の両藩には、たちまち
攻め込まれた。薩摩の支援でかろうじて佐竹家の本城は
陥落を免れた。

新政府は、佐竹義堯を東北唯一の侯爵として遇し、
岩手の宝庫である、小坂、尾去沢など鉱山の密集する
鹿角郡を秋田に渡した。

「岩手県民が長年、秋田を恨んだワケがわかるだろう」。

 そう言われて育った私が、ここで
相当の覚悟を持ってあえて「岩手の悪口」を言う。

 小沢某の話ではない。

 昨日、県議会で、某の直系である達増拓也知事が
「患者送迎用バスの購入費を認めてほしい」と、
4度にわたって土下座したということについてだ。

国会議員も務めたことのある44歳のこの知事、
なぜ、説得を繰り返さず、問答無用の土下座なのか。

恥ずかしくてその写真を小欄は載せる気にもならない。

みっともなくないのか、こんなザマは。

岩手県民の皆さん全員をあげつらっているのではない。

あくまでも、この人に染みついている、
民主主義のレベルの低さ、
それを周辺や議長が許すお粗末さを批判しているのだ。

達増知事、反論があるなら聞こうじゃないか。
私はかねてあなたには期待していたのに、
本当に見損なった。
春よ来い [2009年03月07日(Sat)]








 昨今の東京は雨模様の天候が多く、
すっきりした青空はさっぱり見られない。

それでも三寒四温というのか、なんとなく、
春が近づいてきている感じがする。

通勤でもコートが短くなってきているのではないか。

小欄でおなじみの石田良介画伯は、
八ヶ岳南麓、海抜1000mほどのところに
群馬県の農家を移築・改築した立派なお邸と
新潟県の土蔵を移した堂々たる
アトリエを構えておられる。

自然の中で暮らし、
「木炭を大量に埋めているからですよ」
とおっしゃるだけではない、
愛情を込めてえさや水を用意しているためだろう、
広大な庭には
さまざまな野鳥やリスが「ここに楽園あり」
とばかり、頻繁に集まってくる。

寒かったせいか、画伯は、
多少、体調を崩されたとのこと。

それでもこんな雪景色を送って下さるのですから、
きっとお元気になられたことだろう。

贅沢な話だが、山麓の春の絵が待ち遠しい。

体調もきっと春と共に完全回復との見通しだという。
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