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早春賦 in 八ケ岳<下> [2009年02月15日(Sun)]





































  春の息吹も、昨年秋の残滓も。

  桜さえ、ごく小さな蕾を確認できました。
早春賦 in 八ケ岳<上> [2009年02月15日(Sun)]





































 原稿の整理の合間に、暖かさにつられ、
八ヶ岳南麓の坂道を往復6キロほど歩いた。

 さすがに復路の上り道は少々疲れたが、
早春賦を楽しむこともできた。

 今週はまた寒さが戻るらしいが、
三寒四温、少しずつ春の息吹が
近づいているように思える。

 そして、「あと1ヶ月を無事に過ごすことができれば
新型ウィルスの危険はぐっと下がる」と、
先日、ラジオでなんとかという公衆衛生の専門家の方が
おっしゃっていた。

 おのおの方、ご自愛専一に。
日本一美味い寿司屋の話 [2009年02月15日(Sun)]












 安曇野(あづみの)といえば、
有名なものが3つあります。

  ワサビと道祖神と碌山美術館。あとの2つは
ゆっくり説明しましょう。

 ワサビといえば、私が思い出すのは、
さだまさしさん。 

 3年ほど前、さださんと昼食をともにして懇談したとき、
彼はこんなことを言ってました。

「日本で一番寿司が美味いところってどこだと思います?」

「そりゃ、築地の周辺とか、瀬戸内海沿岸とか、
富山とかかな?」
と私。

「それが今では違うんですよ。米は魚沼のコシヒカリか、あとは
ほら、ササニシキとか秋田コマチでしょう。
酢は自分で醸造するすし屋なんてまずないでしょうし、
鮪はサモワとか、ニューヨークから冷凍で
飛行機でやってきてますよ。
あとは全国からのクール便かなんかでしょう」

「そりゃそうだね」

「すると、ワサビで決るんですよ」

「なるほど。すると伊豆か安曇野・・・」

「伊豆は日本海から遠すぎます。
安曇野はいい線ですね」

「あとは握る人の腕前ですか?」

「それもそうですが、結論から言うと、岡谷です。
諏訪と松本の中間、中でも○○寿司。ワサビは
ワサビ田から抜いて30分が命。

行くときには、さだまさしから聞いたと言って
到着直前に電話してみてください。
その電話を取ってからワサビを抜いてきて、
そりゃ参ったという寿司を出してくれますよ」。

 残念ながら私はまだ○○寿司の
暖簾をくぐったことがありません。

 ところが、先般、そのさださんが
四国の松山ではよく行くという、
××寿司で、畏友・日野二郎さんにご馳走になりました。

 これまた超一級。
瀬戸内海の地場のものを中心にいただいたのですが、
「長生きしてよかった」。

 ただし、そこを知ってるさださんが、
最高といって勧めるのが、
長野県岡谷の××寿司。

 日本海からも太平洋からも岡谷なら2時間余り、
岡谷はワサビの産地というのが、さださんの理屈でした。

 7月23日には、天満敦子さんとさださんの
ジョイント・チャリティ・コンサートを、
難民を助ける会が企画しています。

 同会の創立30周年記念のコンサートです。

 そのときまでにはまたきっと、さださんと
会うことになりそうです。

 ですから、なんとかしてその前に
岡谷に行かねばなるまいと念じています。

 それにつけても暇とカネの欲しさよ・・・・。
安曇野と福岡との縁 [2009年02月15日(Sun)]





  安曇野市堀金地区から見る常念岳(2857m)





「安曇野」ってどうしてこんな難しい名前になったのか、
と仙台市在住の菅原秀樹さんという方から質問がありました。

 また、どうして「あずみの」ではなく「あづみの」なのかという質問を
宮崎県の斎藤雅夫さんから頂戴しました。

 確かに「安曇野」という名前はちょっと珍しいですよね。
 
 昨日、市役所の方からもいろいろ説明を聞きました。それと、
ウィキペディアの説明を合わせてお答えします。

「綿津見命(わたつみのみこと)」を信奉する
安曇一族は、
かつて筑紫を中心に北部九州で海運を司っていましたが、
のちに東遷していまの安曇野に定住したというのです。そのため
お祭りでは今でも船を担ぐのだそうです。

その後、 律令制のもとで信濃国に安曇郡が成立しました。

 ですから、福岡市の東区と安曇野市は
姉妹都市になっているそうです。

「アヅミ」は海人津見(アマツミ)の転じたものとか。

 筑紫地方とよく似た風習としては
馬肉を食べる食文化や地名、
方言(安曇弁)などに残るとされていますが、
今では学者以外には微細なことは
わからなくなっているようです。

「アヅミ」はその海人津見の転じたものである
とされているため、
仮名書きでは、「あづみの」が採用されたのでした。
原田直之民謡名人 [2009年02月15日(Sun)]




  「新相馬節」を熱唱する原田直之さん。後列の
三味線は真木夫人。
















    日本歌手協会の水前寺清子副会長。
    この人が公式の場で挨拶するのを初めて
    聞いたが、いやぁ、ご立派!
    態度、話の内容・・・感銘しました。
     失礼ながらこんな美女とも知りませんでした。





 民謡の原田直之さんが、
(財)日本民謡協会(三浦朱門会長)から
「名人位」をいただいた披露パーティが13日、
帝国ホテルで開かれた。

 なにはさておいても、友人として「おめでとう」を
言いに駆けつけた。

 その抜群の歌唱力とともに、「人柄に魅かれずにはおられない」と
集まった約600人が口々に語り合い、
渡部恒三衆院議員をはじめとする来賓各位が述べた。

 とても私のような凡夫の及ぶところではない。

 旅先からの絵手紙はもう何十枚いただいたことか。
 12月に産経ホールで開催されたショウでは、なんと
突然、いっしょに「昴」を歌わされるという、
光栄にも浴した。

 私が関わったチャリティ行事には20回ほども
無料出演してくれたほか、
阪神淡路大震災の時には、三味線を受け持つ真木夫人らとともに、
避難所を回って「流し」をしてくれた。

 頼む私も乱暴だが、快くそれを受けてくれた原田さん、
「何かぼくにできることはないか」と申し出てくれたのだった。

 あの時は震災から3ヶ月目と6ヶ月目の日に、神戸の
ホテル・オークラで、中村紘子さんが
無料のコンサートをしてくれたし、
6ヶ月目のコンサートには秋篠宮様ご夫妻も
お越しくださった。

 奥様の遺影を持って聞きに来てくれた中年男性の姿が
いまも忘れられない。

 そういう大規模のコンサートもいいが、小さな避難所を
小まめ周り、罹災者を周ってくれたのが、
いま、公的に「名人」の称号を授与された原田さんなのだ。

 お祝いの会には、全国から大勢の民謡歌手や民謡関係者、
そして歌謡界の幹部たちが来ておられた。民謡の愛好者が
いかに多いかを如実に示していた。

 私のように民謡の国・秋田で生まれ育ったに関わらず、
秋田民謡は「秋田おばこ」と「生保内(おぼない)節」くらいしか
知らないのは、もったいない、あまりにお粗末だと反省した。

 原田さんはいまや、日本歌手協会理事長、日本民謡協会の役員、
そして「名人」、押しも押されぬ民謡界の第一人者である。

 健康に留意して、さらに精進され、
この日本の伝統文化を一層、輝かせてほしいと期待する。
リンゴの天麩羅 [2009年02月15日(Sun)]




   これですよ、この手前のが「リンゴの天麩羅」。
  ご家庭でおためしあれ。









     蕎麦もよし、ほかの天麩羅も美味、そして建物が
    すばらしかったです。柱、梁、屋根・・・








 安曇野市は信州リンゴの本場。
そこでいただいたのが「リンゴの天麩羅」。

 教育長さんに「天せいろ」をご馳走になり、
蕎麦はさすが本場の味、
それよりも、この「リンゴの天麩羅」には少々驚きました。

 感想?

「好き好きですなぁ」。

 私はリンゴ大好き人間で、
ここ数年、毎朝、リンゴ1個とニンジン2本の
ジュースで、
それだけが自慢の健康を維持しています。

 う〜ん、それでも、きっとなれていないせいでしょうが、
ふわふわした感じがイマイチなのか、
必ずしもお勧めではありません。

 ただ、珍しくて、夜、小欄でおなじみの石田良介画伯や
人気レストラン五陽亭の須貝 浩 シェフに話しましたが、
乗りが悪かったです。

 以前、アイスクリームやバナナの天麩羅を食したことも
ありました。

 そのときは私のほうの乗りが悪かったことを覚えています。

 天麩羅は、キスが一番と思うのですが、如何?
麻生総理、軽挙妄動は×です [2009年02月15日(Sun)]







  がけっぷちに残る
 吹けば飛ぶような綿毛・・・
 という題はついていません。
 念のため。






 麻生さん、あまりに反省の兆しが見えない。

 これでは「終わりの始まり」という声が、
あちらこちらから聞こえてきてもしょうがない、
と昨日、一杯やったとき、となりのテーブルから
聴こえてきた。

 同じ昨日の朝日新聞に、
「外国への訪問 首相は控えて」
と題する、麻生さんにとっては
侮辱的ともいうべき投書が掲載されていた。

 世田谷区在住の鈴木雄毅さんという77歳の方
からのもの。

 要点はこうだ。
 
  〜〜〜〜〜〜 ★ 〜〜〜〜〜〜〜

 麻生首相は、定額給付金から郵政民営化問題に至るまで、
多くの不適切発言とその撤回を繰り返してきた。

 今では国民もまたかと苦笑はするが、
ご本人も発言撤回は気にしないらしく悪びれた様子はない。

 大人物なのか鈍いのか、とにかく大したものと
あきれはてている。

 しかし、いったん外国との関係で失言しては
「口が滑ってしまった」では済まない。

 国同士の関係では信頼関係が
もっとも大切なことは論を待たないからだ。

 今回は招待を受けたので仕方ないが、
今後はどうか外国訪問は極力控えていただきたい。

☆ ―――――― ・・・ ―――――― ☆

これほど、「見事に」侮辱する投書は珍しい。

つまり、外国訪問を控えよというのは、
外国からの要人来日でも会うなということであり、
首相としての仕事をするなという話なのである。

そこまで、国民の不信が強いということを
総理は謙虚に受け止めるべきである。

しかし、現実には、2月16日に
ヒラリー・クリントン米国務長官が来るし、
18日にはサハリンを訪問して、
メドヴェージェフ露大統領と会談する。

 アメリカからもきつい要請・要求を
突きつけられるだろうが、
私は特に、後者を心配する。

 北方領土問題での軽挙妄動だ。

「面積2等分」「3島で妥協」
「ハボシコ返還、大きな2島は共同開発」
などという“疑似餌”に食いつくことは
よもやないとは思うが、
「よもや」を重ねてきている人だけに、
心配がないといえば嘘になる。

 2月7日の北方領土返還要求全国大会の際、
控え室でも申し上げ、
先週、そのあたりをしかと説くための
書簡を差し上げたが、あとどうすれば、
枕を高くして眠れるだろうか。

 目をこすりつつ思案している。

 きっと、投書の主・鈴木さんも、
この国家の主権に関わる重要事項を
心配しておられるに違いあるまい。
 
安曇野、日本のふるさと [2009年02月15日(Sun)]

















 常念岳(2857m)と臼井吉見文学館。
 常念岳の左が上高地、奥が穂高岳(3190m)。
 岐阜県との県境となる。
 講演会場の玄関前から。











   日本のふるさとの「早春賦」という感じがした。















 長野県安曇野(あづみの)市教育委員会のお招きで、
市民大学特別講座で講義してきました。

 安曇野は知っていても、さて、安曇野市って?
というむきもあろうかと思います。

 3年半前、2005年(平成17年)10月1日、
長野県の松本平にあって、隣接する
東筑摩郡明科町、
南安曇郡豊科町、
穂高町、
三郷村、
堀金村の3町2村が合併し、新しく、
人口10万弱の安曇野市の誕生となりました。
県内では、長野、松本、上田、佐久、飯田に次ぐ
5番目のじんこうとなったのです。

梓村もという思いもあったようですが、
こちらは松本市と一緒になりました。

「安曇野市という名前は普通は読めないですよね。でも、それ以外には出なかったのですか?」

 松本駅に出迎えてくださった
望月映洲(てるくに)教育長さんたちに訊いてみました。

「どこからも異論なく、満場一致でした。
臼井吉見の『安曇野』が有名大統領からでしょう」

「それにしても、3万前後の人口を持っていた
豊科と穂高は、<豊穂市><高豊市>などがいいという意見を
出さなかったのですか?」。私もしつこい。

「豊科という地名が
もともと昭和の合併のときに
鳥羽、吉野、新田、成相の4町村の合併でできたときの
イニシャルですし、郡をまたがっての合併ですから、
郡の名前を市の名前にするというわけにもゆかず、
読み方の難しさは、
むしろ、一度覚えたら忘れられなくなると
開き直ったのかもしれません」。
 なるほど、なるほど。納得しました。

 それにしても、平仮名では「あずみの」ではなく
「あづみの」と書くのだそうです。

「では、ローマ字では?」
「Azuminoです」
「Adzuminoではないのですね。
これじゃ面食らいますものね」
で一件落着。

 風光明媚、「日本のふるさと」という
キャッチフレーズ
がぴったりの安曇野市でした。
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