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サハリンの治安 [2008年12月19日(Fri)]


       


         ユーラシア21研究所自慢の?世界一の
     マトリョーシカ。28個入り。








 12月9日、
ロシア・サハリン州の州都ユジノサハリンスク中心部の
自宅玄関前で暴漢に刺されて重症を負った
那須隆幸サハリン日本センター所長は、
刺傷直後、自ら助けを求め、
日本総領事館と州行政府の協力により、
ガスプロム社の特別機で札幌に輸送され、
一命を取り留めた。

 犯人は依然、逮捕されていない。

 ただ、警察当局は、事件の状況から、
いわゆる政治テロではないと見ている模様。

 13〜17日まで同地に滞在したが、
これまでに比べ、特段に治安が悪化したとはいえず(つまり、
以前から治安は悪かったということ)、
私どもの「サハリン・フォーラム2008」(1996年以来
通算11回目)は、無事、開催され、
おおむね、予定通り帰国できた。

 那須さんの早期全快を祈る。

 それにしても1年間にサハリンを訪問する日本人は3400人ほど。
サハリン側の期待は大きいが、問題も多い。

読売新聞で相馬会長が [2008年12月19日(Fri)]





    相馬雪香会長がつけている名札に
  「さぽうと21」とあるのは、今、私が
  後継の理事長を務めている社会福祉
  法人さぽうと21(在日外国人を支援するNGO)
  の名誉会長として出席された会合での
  写真だからです。









  読売新聞の[追悼抄]が11月16日付で、
難民を助ける会の相馬雪香会長(11月8日、
老衰のため死去、96歳)について、
あたたかい記事を書いてくれました。

この記事について、私も、
西島大美(ひろよし)記者の取材を受けました。

西島記者はかつて同先生のことを連載した人でもあります。

    ○o。.○o。.○o。.

◆救援活動、父譲りの行動力
 国会近くの憲政記念館で先月20日、
「尾崎行雄生誕百五十周年記念の集い」が開かれた。

衆参両院議長や元首相らがずらりと顔をそろえ、
直前に亡くなった咢堂(がくどう)尾崎行雄の三女・
相馬さんをそろって悼んだ。

聖路加国際病院の日野原重明理事長は
「反骨精神と行動力。咢堂と雪香さんはそっくり」
と話した。

 相馬さんがインドシナ難民の救援活動に乗り出した時、
すでに67歳という年齢だった。
「人生の本舞台は常に将来にあり」という
父のモットーを実践したかのようだった。

 咢堂は藩閥、軍閥政治と果敢に戦い続け、
憲政の神様といわれた。母は、
明治政府高官と英国の大学教授の娘との間に生まれた。

相馬さんは父から熱い血と誠実な生き方を、
母からは厳しいしつけと公平・公正の規範を受け継いだ。

 司馬遼太郎は「アメリカ素描」の中で、
明治の偉人たちの中には共通の気分があるとして、
「質実さと節度、ものを冷静にみる認識力、
公的なものへの謙虚さ、
自助のこころ」を挙げている。

それは明治の末年に生まれた相馬さんの人柄そのもので
あるように思われてならない。

 時代の最先端をいく気風もあった。昭和の初め、
恋人とオートバイで都心や軽井沢を走りまわった。

「私、難民救援と暴走族第1号なの」と
冗談のように言っていた。

困難な恋愛のすえ結ばれた相手は、
大名・相馬家第43代当主だった。

武士道に通じるような古風さと
リベラルな思考、和と洋が絶妙に融合していた。

 世の中はどうなりつつあるのか。

もっと知りたいと常に努力する人だった。

亡くなる直前まで、新聞5紙に丁寧に目を通した。

軽井沢の自室は、スクラップと書物が
天井まで届くばかりだった。

 弱音を吐かない人でもあった。この春、
自宅で転び、腕と腰の骨を次々と折ったが、
「痛い」「苦しい」などという言葉を、
周りの人はついぞ耳にすることはなかった。

 「自分のことは自分で」が信条で、
毎週一人で列車に乗って上京した。

8月上旬、会の活動に理解の深い皇后さまから
招かれたときは、さすがに家族が付き添った。

天皇、皇后両陛下のねぎらいのお言葉に、
相馬さんは珍しく大粒の涙をこぼしたという。

 眠りの中で心臓が動きを止めたとき、
子、 孫、ひ孫25人全員と関係者に囲まれていた。
長男和胤(かずたね)さん(68)は
「生涯を精いっぱい駆け抜けたようだ」と話す。

 いま相馬さんが政治の混乱をみたとしたら、
どうだろうか。

「政治家が良いも悪いも、国民次第。一人一人が
考えて行動しないと」と憤る声が聞こえるようだ。
(文化関連事業事務局 西島大美)
相馬雪香会長の偲ぶ会@ [2008年12月19日(Fri)]


        


          相馬雪香会長









 認定NPO法人難民を助ける会の相馬雪香会長が11月8日、逝去されました。

 このため、来たる12月25日(木)午後1時30分より、憲政記念館(千代田区永田町1−1−1)で「相馬雪香先生を偲び感謝する会」が開催されます。

主催は、相馬先生が創立されたり、長らく役員を務められたり、相馬先生のお考えに共鳴して活動をしている12団体で構成する実行委員会。不肖・吹浦がその委員長ということになりました。

責任の重大さを省みず、30年後指導いただいたせめてものご恩返しとして、頑張りたいと思っています。

当日は、各界の要人など700名以上の方々のご来場が予想されています。会場が狭くて、ご着席できない場合も予想されますので、どうぞ、お早めにお越しください。

小欄の読者でご出席を希望される方には、1時以前のご到着をお勧めします。また、駐車場はございませんし、クロークのございません。コートご着用のままご入場ください。

偲ぶ会は、会費5,000円でどなたでも参加できます。お問い合わせやお申し込みは、難民を助ける会(電話03-3491-4200 坪井、山田)。
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