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追悼・相馬雪香会長 [2008年11月10日(Mon)]

       



         相馬雪香会長





  鷲田マリさんは、難民を助ける会の西日本担当理事。

  相馬雪香先生の逝去を、心から悼む気持ちが
ひしひしと伝わってきます。

  ■ ■■ ■■□■■ ■■ ■

  相馬雪香会長逝去のお知らせを難民を助ける会事務局から
いただきました。残念です。

  もう一度お目にかかりたい気持ちでいっぱいです。

  ここ数年、私の体力の衰えもあり、
上京する事も少なくなり
相馬先生にお目にかかれておりません。

  悔いが残ります。でも今、
目を閉じると先生のお顔が浮かび
『冗談じゃない〜』と以前にも増して
ハッキリとお声が聞こえて来ます。

  出逢うさまざまな事柄に問題意識を持ち
『冗談じゃない〜』と立ち向かう精神こそ
相馬先生から教えをいただいたと理解しました。

  先生に出会えた事、教えを頂いた事、
舞鶴までおいで頂いた事〜感謝の気持ちでいっぱいです。

  心からご冥福をお祈り致します。
                 鷲田マリ
人生の先輩・石田良介画伯 [2008年11月10日(Mon)]








            


            挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
           掲載させていただいております。禁無断転載。






 小欄でおなじみの石田良介画伯より、
メールをいただきました。

   ▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△

熱帯地方から、寒帯地方へお帰りなさい。
お疲れ様でした。

収穫の多いご旅行ではなかったでしょうか。

 相馬雪香会長がお亡くなりになられましたとのこと、
心からお悔やみ申し上げますと共に、
ご冥福をお祈り申し上げます。

 兄貴が一昨年程前、上越線の田舎の駅を
蒸気機関車が通過していく写真をメールで送って
呉れました。

それを絵にしました。年に数回観光用に走るそうです。

 暖かい国から寒い東京にお戻りになられましたので、
呉々も、お風邪にお気をつけてお過ごし下さい。

▲ ∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△

 蒸気機関車が疾駆するすばらしい絵をこの機会に
送ってくださったのは、
 去り行く相馬会長をしっかり見送れ、
そして少しでも見習え、
せめて力強く人生を生きよ・・・
という暗示でしょうか。

 画伯も、相馬会長同様、
人生の有り難い先輩です。
沖縄の暑さと熱さ [2008年11月10日(Mon)]









  10月27日、稚内(北海道)で初雪、
28日、旭川で初雪。

 北海道は2度とか、3度という。

 そうだ、稚内と石垣(沖縄県)は、
姉妹都市だった、
最南北端の市どおしということだった
などと思いを馳せながら、
11月6日、那覇空港に着いた。

 暑い!

 なんと、気温は30.2度。
11月の気温としては観測史上2番目だそうだが、
翌日は30.8度、8日は30.0度。

 そのあと石垣空港では26度と聞いて、
ほっとした。

 異常気象とはいうものの、
やはり日本は広い。

 空港から、県庁に直行し、
仲井眞弘多(なかいま・ひろかず)知事に表敬、
難民を助ける会の沖縄平和賞受賞に感謝したあとは、
知事も熟知するわが師・末次一郎先生の話しに終始した。

 日没が東京より1時間は遅い感じだが、
知事が就任前(稲嶺恵一知事時代)、
顕彰会の会長として建立した
末次先生の胸像の建つ浦添の国際交流センターまでの道は
帰宅ラッシュで大渋滞。

 何はさておいてもとあせったが、
到着時には真っ暗だった。

 それでも、恩師の紹介で出会った、
難民を助ける会の相馬雪香会長がその翌々日に逝去とは、
なんとも悲しい因縁である。嗚呼!
 再び合掌・・・

 仲井眞知事は「かりゆし」普及に力を入れている。

 以前、小池百合子沖縄北方担当大臣から
いただいたのはあるが、
早速、2つ買い求め、
式典終了後の終了後のレセプションでは
知事も着替えたので、私も当然、それに従った。

 与那国でも、きょうは「かりゆし」で過ごしたが、
羽田に戻ったら14度。

 日本はほんとに南北に長い。

 新海洋法時代、
このことの重要性をかみ締め、
離島の振興をしっかりやらなくてはいけないと
痛感した。

 与那国では、具体的な提案も、
短期、長期の課題や夢もいっぱい語りあってきた。

 異常気温以上に、あつくやさしい、
ウチナンチュウ(沖縄の人たち)の心と心意気に
触れた4泊5日だった。

 少しずつ、小欄でもお伝えしてゆきたい。
相馬雪香会長のこと [2008年11月10日(Mon)]



      


           相馬雪香会長






 沖縄に行って参りました。

 沖縄県から、難民を助ける会(相馬雪香会長)が
第4回沖縄平和賞を受賞する式典に参加したことと、
日本の最西端・与那国町での「まちづくり・タウンミーティング」に
パネリストとして参加するためでした。

「難民を助ける会が第4回沖縄平和賞を受賞」と書いて、
いつもなら、難民を助ける会の後に、自然に、
(相馬雪香会長)と続けていたのに、
これが先生ご存命中の最後の行事だったことに
胸が詰まります。

 その報告をする間もなく、
翌日、逝かれました。

 明治生まれの女性の「心」も「真」も「慎」も「芯」も、
教わりました。

 難民を助ける会は1979年の今月、正式に発足しましたが、
その1年近く前から、一緒に、諸準備にあたりました。

 爾来、30年近く、私を息子のように
導いてくださいました。

 本物の息子さんは先生と同居され、
奥様(麻生首相の実姉)とともに、
少なくともここ数ヶ月は介護に
尽くされました。

 8月4日に、難民を助ける会の新旧理事長とともに
両陛下にお招きを受けたときが
公式行事に直接、出向かれた最後でした。

 その一週間後に入院されたのでした。

 日本と日本人のあるべき姿、
日本が絶対にたどってはいけない進路を
しっかりと示してくれました。

「個をもて、而して孤立するな。個人も国家も」。

 思い出はあまりに多く、
いずれ少しずつ、ご紹介します。
         合掌
中井貴恵さんと荒井泰子さん [2008年11月10日(Mon)]





         中井貴恵さん(右)と荒井泰子さん






 尊敬する国際派ジャーナリストのPさんから、
コメントをいただきました。

中井貴恵さんの活動と
荒井泰子さんの奮闘について書いた小欄についてです。

   ▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵

脳障害で左腕手が不自由になった
ピアニスト・荒井泰子さんのこと。

11月2日(日)に書かれていた、
中井貴恵さんの
「大人と子供のための読み聞かせの会」10周年の特別公演に
荒井さんが右手だけでピアノ演奏を披露した下り。

中井さんの活動といい、荒井さんの試みといい
凄いことですね。

ブログからも会場に詰め掛けた人たちの
感動が伝わってきます。

荒井さんの奮闘に敬意を表します。

荒井さんの挑戦と共に
中井さんが継続している
「読み聞かせ」にも強い関心を持っています。

読書離れ、とか
教養の低下の欠陥が
日本でもようやく指摘されてきて
ドイツ各地で行われている
「読書会」を知り
日本でもやりたいなと考えていたところです。

それにしても
連日書かれている文章は、凄い量ですね。

吹浦さんの気迫に圧倒される思いです。

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● 

「質より量」という感じで、
われながらあきれています。

引き続き、ご指導とご愛読を。

なお、中井さんと荒井さんたちとの活動については、
近く、某新聞で詳しく報道されることを
「風の便り」で聞いています。

その際には、また小欄でご紹介します。


相馬雪香会長逝く [2008年11月10日(Mon)]


         


          相馬雪香会長






  難民を助ける会の創立者である
相馬雪香(そうま ゆきか)会長(96歳)が、
一昨日(11月8日)18時20分、老衰のため、
幼少よりこよなく愛した軽井沢の自邸で、
子・孫・曾孫の三代に囲まれて
穏やかに永眠されました。

  8月には、両陛下にお招きをいただき、新旧理事長と
吹上御所に伺い、昼食をいただかれましたが、
それが、最後の東京になってしまいました。

  先月、入院先の軽井沢病院にお見舞いに行きましたが、
もう、会話することが出来ませんでした。

 沢山たくさんご指導いただいた者として、
ご恩返しもできないまま、
ただただ合掌するほかございません。

 謹んでご報告申し上げます。

 なお、通夜ならびに密葬の儀は既に近親者にて
執り行われました。

 後日、感謝の会を予定しておりますが、
日時、場所等の詳細につきましては、
追ってお知らせいたします。


 相馬 雪香先生の現職は以下の通りです。

  認定NPO法人難民を助ける会会長
  財団法人尾崎行雄記念財団副会長
  日韓女性親善協会名誉会長
  社団法人国際IC日本協会名誉会長
  社会福祉法人さぽうと21名誉会長
  日本タンザニア友好協会顧問
  日本レソト友好協会会長
与那国に移住しませんか [2008年11月10日(Mon)]






         与那国町西崎(いりざき)。
     この左側(西)111キロ、
     つまり、東京から箱根までの距離のところに
     台湾がある。2007年3月、海上から撮影。








      


       西崎灯台と展望台。2008年11月9日、撮影。








  



      2008年11月9日、撮影。





  日本の最西端・沖縄県与那国町西崎(いりざき)に
行ってまいりました。

 嵐のさなかで自動車のドア下開きにくかったほどでした。

 このさき111キロのところに、台湾があるのです。

 晴れた日にはよく見えます。なにぶん3千メートル級の山が
ずらりと並んでいる国ですから。

 与那国町は人口1650人。高校がないので、
15歳でほぼ全員が、石垣島、沖縄本島などに行ってしまう。

 もちろんUターンする人もいるが、それを補いつつあるのが、
本土からの移住組。

 ここではIターン、まっすぐこっちにくるということ。
そういう人が結構いる。

 東京・代々木上原とういえば、都内屈指の高級住宅地。そこの
”億ション”を賃貸に出して、こちらで家賃1万円で家を借り、
年中、国内外を旅行しているというAさん、
京都生まれ今日と育ちで東山の邸から脱出して与那国に
IターンしたBさん・・・
 
 私も参加したタウンミーティングでは、積極的に町づくりに向けて
発言し、温泉を掘ろうとか、PRし方を変えたらと呼びかけていた。

 全国で2番目に人口の少ない与那国島、
次回から、”与那国病”の私が気づいた
いくつかの提案をしてみたい。

  以上、与那国のAi-Land Hotelロビーにて。

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