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公開非公開の研究会 [2008年07月24日(Thu)]




  7月23日、ユーラシア21研究所で行なわれた「虎ノ門政治外交懇話会」で、意見交換をする、西岡力講師(中央)と、小池百合子衆院議員、岡崎久彦氏。








 わがユーラシア21研究所はさまざまな研究会を行なっているが、今夜は6時から、当研究所のある海洋船舶ビル10階会議室での「虎ノ門フォーラム」。これは、公開のもので、2千円(年会費なら1.2万円)でどなたでも聴講できる。

 ちなみに、きょうのテーマと講師は、「洞爺湖サミットと日露関係」と題して、ノーボスチ通信のアンドレイ・フェシュン東京支局長。

 当方は研究機関ですので、時には非公開のものもいくつかあるし、研究プロジェクトのように、一定の結論が出来たときに発表するというものもある。

 昨日は、非公開の1つ、「虎ノ門政治外交フォーラム」が開かれた。拉致といえばこの人という西岡力東京基督教大学教授(「救う会」副代表)をお招きして、日朝関係を軸とした非公開情報を語っていただき、メンバーと率直な意見交換をした。

 常連は、小池百合子衆議院議員、岡崎久彦元タイ大使(実は、岡崎研究所とユーラシア21研究所は同じフロアの隣り同士)、坂本正弘元中央大学教授、吉崎達彦双日研究所副所長、大貫康雄NHK前欧州総局長、兵藤長雄元ベルギー大使、岡本智博元統幕事務局長などなど。

 拉致問題での日本政府の脇の甘さや核問題での米国政府の意図に関する問題点を指摘する声が多かったが、これ以上は会合の性格上、お伝えできないことをお許しいただきたい。

「救う会」の平田隆太郎事務局長とスタッフの山岸丈良くんはともに、わが師・末次一郎の事務所での私の部下。西岡せんせいともども、よくぞここまでがんばってきたと、褒めてあげたいし、みなさまのさらなるご支援をお願いしたい。
シューマン、リスト、ブラームス [2008年07月24日(Thu)]




              


                ラデツキー将軍
               (ウィキペディアより)





しかし、その名将ラデツキー亡き後、1859年には
支配下にあった北イタリアで、
オーストリアは
サルディニア(ヴィットリオ・エマヌエレ2世)と
フランス(ナポレオン3世)の連合軍に敗れ、
さらに、66年にはプロイセンとの普墺戦争で、
ドイツでの超然たる地位を失った。

加えて、ハンガリー勢力の台頭により、
翌年、オーストリア=ハンガリー帝国となった。

このときの戦争では統一なったイタリアもプロイセンに加担し、
オーストリアとの戦いでは振るわなかったが、
戦勝国扱いで、ヴェネチアを併合することが出来た。

オーストリアはアドリア海への重要な拠点を失ったが、
それでも、スロベニア、クロアチア地方に海軍を維持していた。

クラシック音楽で言うなら、
シューマン(1810〜56)、
リスト(1811〜86)、
ブラームス(1833〜97)が
ウィーンで活躍した時代である。

1889年、ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世が
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を表敬訪問したことを記念して
ヨハン・シュトラウス(息子)作曲したのが、
「皇帝円舞曲」。

原題は「手に手をとって」、英語なら「Hand in Hand」であったが、
「両皇帝の友情の象徴」として、呼び名が改められた。

この曲が編曲され、
1948年に製作したビング・クロスビー主演、
ビリー・ワイルダー監督のパラマウント映画で流された。

クロスビーが劇中で
「奥様お手をどうぞ I kiss your hand,Madame」
(Friz Rotter作詞、Ralph Erwin が作曲,
英語の歌詞はS・ルイスとJ・ヤングが作詞)という大で挿入され、
その曲はコンチネンタルタンゴのスタンダードナンバーとなった。

映画「皇帝円舞曲」の中でも使用されている。
ラデツキー将軍 [2008年07月24日(Thu)]




   ウィーン中心街リンクに向って建つ
  ラデツキー将軍の銅像












1848年のフランス2月革命の影響を受け、
同年3月にはウィーンで暴動が起きた。革命騒ぎは
なんとか治めたが、
宰相メッテルニヒがロンドンに亡命して、
「ウィーン体制」は大きく揺らいだ、
というより終焉したともいえる事態になった。

事実上の最後の皇帝ともいうべき、
フランツ・ヨゼフ1世はこのとき以来、
64年間にわたってその地位にあった。

しかし、その後、この皇帝は長い知性の間に、
祖国の最盛期と、
衰退と、
個人としてのさまざまな不幸を一身に負った。

市街の城壁を廃棄して、
今日、リンク(環状道路)と呼ばれる
一周4キロほどの中心街をまとめ、
近代的な街づくりの端緒を開くことから、
若き新皇帝は国づくりを始めた。(詳細は後に)。

このときも、イタリアの統一を目指すサルディニアは
オーストリアに挑んだが、
名将ラデツキー(1766〜1958)麾下の
オーストリア軍はこれを一蹴した。

老将軍ラデツキーは亡き後も、そして今も
国民的英雄として慕われている。

リンクにはその馬上の雄姿が
巨大な銅像となって建っている(写真)。

絵はゲオルグ・デッカー(1819〜1894)によるもの。

将軍の名を冠したヨハン・シュトラウス(父)の行進曲は、
毎年元旦にウィーン楽友協会で行なわれる
「新春コンサート」のテーマ曲のようになり、
極東の日本では、
わが東北の片田舎でさえ、
運動会では必ずといっていいほど
聞かされるほど、世界中に広まった。

この曲と、
同じくフランツ・ヨゼフを称えた
「双頭の鷲の旗の下に」(ヨゼフ・ワグナー作曲)、
「星条旗よ永遠なれ」(スーザ作曲)、
そして、わが「軍艦マーチ」(瀬戸口藤吉作曲)を
世界の4大行進曲という人もいる。

ヨゼフ・ワグナーは
オーストリア・ハンガリー帝国後期の軍楽隊長、
瀬戸口藤吉は帝国海軍軍楽隊長であった。 (つづく)
深夜の地震 [2008年07月24日(Thu)]










 深夜の地震、まずもって罹災地の方々に心からお見舞い申し上げます。

 ただ、見方によっては、新幹線も走っていない最善の時間帯に、比較的人口の少ない地域での、深層部を震源とする地震であったことは不幸中の幸いというべきかもしれません。

 震源地付近には近い親戚もおり、友人知人も多く、私が秋田出身であることを知る仲間からは個人的にもいろいろお見舞いのお言葉をいただきました。

 持つべきものはよき友なりです。心から御礼申し上げます。
岩手地震と首相のメルマガ [2008年07月24日(Thu)]



      





「福田内閣メルマガ」というのが、たった今、すなわち、7月24日午前7時5分に着いた。

 当然、岩手県を中心におきた震度6強の地震について何かあるかと思い、開いてみたが、あきれた。

「幸せを実感できるように。福田康夫です」というのが記事内容。本人の休暇とこれからの課題を列挙したのみ。

 どうせ、内閣広報官室ででもいやっているのだろうが、地震があったのは午前0時過ぎ、7時のニュースは地震一色。

深夜は寝ていたので、地震は知らなかった? まさか。
内閣のスタッフはまだ寝ぼけているのかな。
外務省の体質 [2008年07月24日(Thu)]









  国際派ジャーナリストのQさんから、
久々にこんなコメントが来ましたので、
ご紹介します。

  //☆//☆///☆/★\\\\☆\\\\☆

外務省は、(というか日本の官僚一般の特質なのかかも知れませんが)
自分が門外漢のことでも
何でも自分たちで抱え込もうという体質なのか
それとも
その分野の人たちに連絡を取ったり
斡旋する発想や能力が無いのか
それは判りませんが
今年の春
ヨーロッパで恥ずかしい出来事がありました。

それはEUと宗教関係者との国際会合で
2年前から始まったようです。

各国とも大使館から連絡を受け
直ぐに
宗教界の代表が参加するようになっています。

ところが日本は
相変わらず駐在国の外交官だけが出席して
話にならないため
主催者から
「何故、日本の宗教界の代表が来ないのか。
大使館を通じて駄目なのであれば直接、接触する」と言われて
初めて
WCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会の代表が出席しました。

彼は
改めて日本外務省の”無能力さ”に呆れていました。

宗教界の会合でさえ
この有様ですから
何故、心広く出来ないのか
他の分野では
何が起きているか
推して知るべしです。

===================================

 外務省がいつもこういう具合ばかりではモチロンないのです。
また、多くの外交官が日夜献身的に努力をしているのですが、
芸術、スポーツ、NGO、学術などさまざまな分野で
同様の事態があったことを、私はいくつも知っています。

 在外勤務が長く、日本国内にしっかりした人脈が少ないという体質で
あるのはわかりますが、それならば、
自らその弱点を重々自覚し、
平素、
特段の努力を重ね、各界と十分、人脈を構築しておく必要がある
ということではないでしょうか。

 あるいはこれは、外交官に限らず、
お互いみんなが気をつけるべきことでもあるのでしょう。
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