赤十字誕生への道@ [2008年06月24日(Tue)]
赤十字の標章は、創立者アンリ・デュナンの祖国であり、 その創立に大きく貢献したスイス政府に敬意を払い、 スイス国旗の色を逆にしたもの。 さきに小欄では、6月末から7月始めにかけての2週間は、戦争勃発の「記念日」が続くと指摘した。 きょう、岡山でそれをさらに敷衍し、現代に及ぶ講演をしてきたが、24日は国際赤十字の濫觴にいたる、イタリア統一戦争中、最大の激戦であるソルフェリーノの戦いの行われた日である。 そこで、まず、それに至るイタリア近代史を眺めながら、赤十字誕生への道を探ってゆきたい。 以下は、アンリ・デュナン著『ソルフェリーノの記念(思い出) Un Souvenir de Solferino』(寺家村 博=じけむら・ひろし訳、メヂカルフレンド社)に私が書いた解説をベースにして小欄用にリライトしたものである。 ▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲ 1786年、ソルフェリーノの戦い(1859年)の70余年前の初秋、 30半ばを越えた一人の男がロンバルディア東部のガルダ湖東岸で崩れかけた古城を写生していた。 何ということもない素人の写生だったが、これが村人たちに怪しまれ、画用紙は破られ、官憲に突き出されることになった。 当時のイタリアは、欧州列強の勢力が跋扈し、また、カトリック教会が各地に「領土」を持ち、わずかにサヴォイ家が北イタリアとサルディニア島に多少まとまった、イタリア人の領土を確保している程度だった。 ヴェネチアとオーストリアとの国境地帯となっていたロンバルディア地方では、廃墟ともいうべき古城の写生がスパイとまちがわれるほど厳しい状況下にあった。 男の名はJohan Wolfgang von Goethe――ゲーテ(1749〜1832)、苦悩の旅をイタリアに求めた。 「イタリアの旅が、人および芸術家としてのゲーテにどれほど重要なものであったかは周知のことで、この旅行によって詩人ゲーテは完成し、この旅行あって初めてドイツ古典主義文学は確立された」とドイツ文学者・相良守良氏は自ら翻訳したゲーテの『イタリア紀行(岩波文庫)』の解説で述べている。 分裂していたイタリアの政治状況を一気に変革したのはフランス革命の“申し子”というべきナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世1769〜1821)。イタリアはフランス三色旗への共感を示す緑白赤の縦三色旗の翻えるところとなった。 (つづく) |