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募金への協力御礼 [2008年05月17日(Sat)]





  ご協力、ありがとうございます。
  舞鶴市内で。






 ミャンマーでは亡くなった人の数の修正が、軍事政権からようやく発表され、
13万人の上るそうです。

小欄でご紹介した舞鶴でもどんどん募金が集まっているようです。

この写真はその一端です。

また、小欄の読者の皆様からは、続々と募金が寄せられ、
同会の柳瀬房子理事長、堀江良彰(よしてる)事務局長(常任理事)から、
「是非、感謝の気持ちをお伝えください」と
伝言がありました。

    ☆⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒★

◆救援・支援活動のためにご協力ください。◆
 
  郵便振替:00100-9-600
  加入者名:難民を助ける会
   ※通信欄に「ミャンマー サイクロン」とご記入ください
   ※領収書が必要な方はその旨をお書きください。
   
 難民を助ける会は認定NGOです。
ご寄付は寄付金控除の対象となります。 
石鹸「とんとん拍子」(続) [2008年05月17日(Sat)]










 昨日、北海道留萌郡小平町の授産施設・寧楽共働学舎の
手作り石鹸「とんとん拍子」を、
同施設を応援している畏友・大沼芳徳氏から
ご恵贈いただいた話を書きました。

 もともと私は「トリセツ(取扱説明書)」を読まないタイプで、
この石鹸もすぐ使わせていただき、
「これはイイ! いいものはイイ!!」と吼えていましが、
私からおまわしした方から、
「中の説明文がとてもいい。それを
紹介しないのは(片手落ち、という差別用語?は使わなかったが)
舌足らず(これも差別用語?)」と連絡がありました。

 私は手を洗ってみてから、感想を書きました。

 きょうは顔も洗いました。

 もちろん、(面の皮が厚いせいか、自慢の)顔は
(ご存知のような)“美貌”を引き続き保っております。

 ただ、説明文によれば、基本的には「洗濯用・台所用」の石鹸のようです。

 それはともかく、
説明文にはこんないいことが書いてありましたので、転載します。

■ ■■■□■■■■■

 食用の良質の豚の脂と苛性ソーダのみを使って石鹸をつくりました。

 良質の石鹸を作るため5週間熟成させています。

 原料:豚脂、水、苛性ソーダ
 製法:釜炊き、(反応熱で約80℃、1時間攪拌)+5週間熟成。

 郵便番号:077−0465
 北海道留萌郡小平町寧楽503−1 共働学舎
 電話:0164−58−1037
ファックス:  同上−1137 

☆ ⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒★

 説明文には、石鹸の歴史にまつわる、こんな話も出ています。

☆ ⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒★

 5000年前、シュメール人が祭壇で焼いて食べていた獣の脂と
木の杯が自然に土に染み込んでいるのに気付きました。

 そして川でその土を使って手足を洗ったらウソのように
汚れが落ちました。

 これが石鹸の始まり。

 その後、10世紀にアルカリを使った現在のような石鹸が
作られるようになったそうです。
毛沢東が言ったとしても [2008年05月17日(Sat)]






  写真は読売新聞電子版より。







 以下に転載する、5月17日11時11分配信の読売新聞電子版によれば、チベット亡命政府のシンボルである「チベット旗」に毛沢東がお墨付きを与えていたということである。

 そう説明したいのはわかりますが、惜しむらくは古紙にでも書いたメモでいいですから、当時の記録でもあってほしいですよ、ダライ・ラマ師。

 そうでなくては、いかにチベット・ファンの私でも、コメントのしようがありません。

 きょうも、浦安市国際交流協会(徳田八郎衛会長)での講演で、チベットの「国旗」についてもいろいろお話してきましたが、こんな重要なことをもう少し、「証拠」を並べてお話くださらないと、かえってマイナスになると私は思います。

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● 

【ボーフム(ドイツ西部)=森千春】ドイツ訪問中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は16日、ドイツ西部ボーフムでの記者会見で、チベット亡命政府のシンボルである「チベット旗」に毛沢東がお墨付きを与えていた、との秘話を紹介した。

 この旗について、中国当局が、「チベット独立」を求める証拠として敵視するのに対し、ダライ・ラマは共産中国建国の偉人である毛沢東を引き合いに出して擁護した形だ。

 ダライ・ラマによると、中国軍のチベット進駐後の1954〜55年、北京に長期滞在して毛沢東と会談を重ねた際、毛沢東はチベット旗について、「中国国旗に加え、(チベット旗も)使い続ければよい」と助言したという。

 ダライ・ラマは「毛沢東は、私を息子のように扱い、私は彼から多くを学んだ」と振り返り、会談の通訳が今も北京で健在であるとの情報を披露した。

 中国は50年代、ダライ・ラマを共産主義体制に取り込んでチベット支配を確立する政策をとっていた。
朝日新聞でも紹介 [2008年05月17日(Sat)]






 5月15日付の朝日新聞夕刊に、小欄で何度か紹介した、難民を助ける会のミャンマーでのサイクロン罹災者緊急支援について以下の記事が出ています。
 
大分県のIさん、富山県のY氏から、問い合わせがありましたので、転載させていただきます。

  //☆//☆///☆/★\\\\☆\\\\☆

ミャンマー軍政恐れ、戸別に物資 被災障害者支援の日本NGO

 【ヤンゴン=木村文】歴史的なサイクロン被害に見舞われたミャンマー(ビルマ)で、日本のNGO「難民を助ける会」(AAR、東京)が被災した障害者の支援を続けている。

 最も支援が必要な人々に軍事政権の援助は届いていない。NGOの直接支援を制限する軍政の目をかいくぐり、物資を手渡している。

 「被災10日、これが初めての援助物資です」。ヤンゴン管区フラインタヤーの湿地に立つ家で、脳性まひの少女(14)の母親(41)は、何度も感謝の言葉を口にした。AARが渡したのはコメ8キロをはじめ、食用油などの生活必需品(約3300円相当)。500セット用意した。

 AARは、99年からミャンマーで障害者支援の活動を始めた。ヤンゴン市内に職業訓練校を設け、社会はおろか、家の外に出る機会さえ極端に少ないこの国の障害者に、理容・美容、裁縫といった技術を教えている。また、現地のNGOの運営する障害児施設「子どもの家」を通じて子供たちの支援もしている。

 8日に現地入りしたスタッフの野際紗綾子さん(31)によると、「子どもの家」に通う約200人のうち、被災後に無事を確認できたのはまだ70人程度。多くの家が全半壊したとみられる。直接訪問で安否確認を続けるが、行方の分からない家庭もある。

 障害者家庭の多くが、貧困層。障害者は「前世の行いが悪かった」とみなされ、いわれない差別を受ける。障害児を抱える母親は「家が壊れても収入が途絶えても、近所も親類も助けてはくれない」と嘆く。被災後の物価上昇も彼らを苦しめる。コメや食用油は約2倍、塩は10倍もの値段に跳ね上がった。援助物資なしには食事さえできない。

 追い打ちをかけるのが、NGOによる援助の難しさだ。軍政は村単位で情報網を巡らせており、個人や民間団体が援助物資を配ろうとすると、当局を通すよう求められる。NGO関係者は「これでは必要とする人に迅速に、確実に届くかどうか分からず、援助に二の足を踏む団体も出てくる」と強い懸念を示す。

 AARのスタッフが戸別訪問で物資を渡しているのもそのためだ。一斉配布なら迅速だが、目立ってしまう。物資を手にした家がねたまれて通報される恐れさえある。「一刻も早い対応が必要な自然災害なのに、歯がゆいばかりです」と、野際さんは言う。

 AARは今後も現地スタッフによる支援を続ける。緊急支援への寄付は、郵便振替00100・9・600。加入者名「難民を助ける会」、通信欄に「ミャンマーサイクロン」と記入。問い合わせは03・5423・4511へ。

    ◇

 サイクロン被害に対してはAARのほか、人道支援にあたる日本のNGOを手助けする官民協働組織「ジャパン・プラットフォーム」(JPF)が15日までに5人を現地での支援活動に向けた調査のため派遣している。しかし軍政側は隣国や友好国などからの一部を除き、援助人員の入国を拒んでいる。

 ◇死者12万人の推計も
 ミャンマーを襲ったサイクロンの死者・行方不明者は、軍政によると約6万6千人にのぼっている。一方、国際赤十字社・赤新月社連盟は、死者が最大約12万8千人に達すると推計。被災者は国連などによると、160万〜250万人になるとされる。

   ☆⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒★


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ミャンマーで活躍・野際さん [2008年05月17日(Sat)]








国際派ジャーナリストのPさんから、
以下のメールがありました。

咲く5月16日夜10時からの、NHK衛星第1テレビに
ミャンマーから帰国したばかりの、難民を助ける会の野際紗綾子さんが出演して、
現地での救援活動について、生放送で話をしたことについてです。

私もその報道番組を見ましたが、
合格点をつけたい、しっかりした報告ぶりでした。

若い人が活躍してくれるのは、
7年前に同会の責任者を退いた者としては
本当に嬉しいことです。

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

ミャンマーで緊急支援活動をして戻った
野際さん、
落ち着いて
具体的、かつ配慮に満ちた話で
素晴らしいメッセージを発したと
思います。

「難民を助ける会(助ける会)」が
日頃から徹底している基本姿勢と活動方針が
活用されていると
感じました。

限られた物資、限られた時間、限られた人員の中で
最貧の人たち、障害者を優先し
かつ近隣の人たちも困っている状況に配慮しながらの
支援活動、

それと同時に
飢餓寸前の人たちへの一刻も速い支援の必要性
伝染病の恐れなどを
絶望状態のお年寄りなど
具体的に話しながらの訴えは
説得力がありました。

野際さんが「助ける会」の活動を真摯に考えて
進めているのが判りました。

彼女の話しかたも素晴らしかったのですが

この人ならば
ミャンマーのように入国しにくい国の担当である以上
「いざという時のために複時ビザを取得しておく」のも

当然の備えなのであろうと
改めて感じ入った次第です。

NHKの人事担当者が
横取りするかもしれませんから、
ああいうすばらしい人はだいじにしてやってください。

これはNHKへの注文ですが
あの番組担当者が
番組の中で電話番号を紹介する時間が
短すぎました。

■■■■□■■■■■

最後の部分は確かにそうでした。

あらためてご協力下さる方にお伝えします。

◆救援・支援活動のためにご協力ください。◆
 
  郵便振替:00100-9-600
  加入者名:難民を助ける会
   ※通信欄に「ミャンマー サイクロン」とご記入ください
   ※領収書が必要な方はその旨をお書きください。
   
 難民を助ける会は認定NGOです。
ご寄付は寄付金控除の対象となります。 

 お問い合わせは、電話:03−4523−4511。

 今発売中の、週刊文春のグラビアにも、
野際さん撮影の写真が何枚か出ています。
コメントは会員のみに [2008年05月17日(Sat)]










 みなさまから、いつも多くのコメントを小欄やメルアドに寄せていただき、
ありがとうございます。

 得るところの多いのはもちろん、執筆者としてこんなに励みになることはありません。

 しかし、一昨日、特定の通信販売会社と思われる発信元から、2年ほど前の小欄に、ご商売に結びつく「コメント」を同文で数本、寄せられました。

 そこで、canpan事務局と相談させていただいたところ、canpan会員登録している方からのコメントのみにする方法があるとお勧めいただきました。

 つきましては、当分の間、そのようにさせていただきましたので、あしからず、ご了承ください。

 もちろん、メルアドは従来どおりですので、そちらに、ご投稿(?)いただければ、拝読させていただきます。

 とりあえずのご報告とお知らせです。     吹浦忠正
グリークラブは最高! [2008年05月17日(Sat)]




  写真左上隅が、清水 實先輩。
  下の写真では、最上段左から3人目。















5月11日の小欄で、次のように書きました。

  ▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲

 5月10日、驟雨の中を新宿区立四ツ谷区民センターにでかけ、
「稲門グリークラブ・シニア会」の「第9回定期演奏会」を
「拝聴」しました。

 日ごろお世話になっている清水 實氏(旅行会社経営)が
トップテナーで出演するとなれば、
雨であろうと風であろうと、
おっとり刀で出かけなくてはいけないのも、
この学校の特徴かもしれません。

 何が「大変なところ」かといいますと、
正規の出演者45人、全員が、
67歳の私より年長!なんです。

 最高齢でセカンド・テナー最前列に立つのは、
否、立たれるのは、
1937(昭和12)年に応用科学科をご卒業、
シベリア抑留をも経験された中岡敏雄“超”大先輩。

 私が生まれる前に、早稲田を出ておられるんですから。
94歳。日本化学の役員だった方と聞きました。
               (以下略)

    ○ ●       ○ ●

 これをたまたまごらんになられた、清水 實先輩から、
以下のメールをいただきました。

    ◇          ◇

5月10日の演奏会には悪天候の中、ありがとうございました。

ブログ見せていただき、改めてお礼申しあげます。

中岡先輩のことさすがによくご存知で。

中岡さんは阿佐ヶ谷に住んでおられますので、
私が荻窪の関係上、
練習の帰りは殆どご一緒に中央線で帰ります。(最近土日は
快速が阿佐ヶ谷通過なので困りますが)

奥様もお元気でお一人で札幌にお帰りになったり
動き回っていらっしゃいます。

20年くらいスエーデン織をされており
銀座で先生と一緒の展示会を開いたり、
御夫婦でお元気です。

私の女房も親しくお付き合いさせていただいており、
北海道のお土産があるから阿佐ヶ谷で会わない?なんてことが
しょっちゅうです。

先輩でシニア会の福井会長に吹浦さまのブログを
紹介しておきました。

福井先輩も元気で自分でブログを作っておりますので
その紹介もしておきます。

http://utau.cocolog-nifty.com/blog/

11月22日(土)にサントリーホールで
老いも若手も一緒の記念演奏会があります。

3ステージ構成になり
私も2つのステージにオンステ予定でおります。

またご案内させていただきます。
                      清水 實

   ☆//☆///☆/★\\\\☆

 早稲田大学グリークラブ(現役、通称=ワセグリ)、今年、
ブラジル日系移民100周年を記念して、
ブラジルへの演奏旅行を企図しています。

 この伝統、すばらしいと思います。

 ところで、ワセグリはいつから始まったんでしょうね。
もしかして、ブラジル移民並だったりして?

 11月の演奏会には何と行っても駆けつけたい。

 きっと、大人気なので、
今から入場券を清水先輩に頼むほかなさそうです。
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