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ミャンマーで活動中! [2008年05月10日(Sat)]






難民を助ける会の相馬雪香会長。
96歳とは思えぬ壮健さで、
きょう、5月9日には憲政記念館で
「咢堂塾」の塾生に向って
「世界と日本」について
講義をしたという。









以下は、認定NPO法人難民を助ける会のメルマガからの転載です。

同会ではミャンマー(ビルマ)の首都ヤンゴンに事務所をもち、
かねて、障害者支援活動を実施して来ています。

今年の4月1日をもって、現地スタッフのみでの運営が可能となり、
時々、本部スタッフが巡回するしくみに移行できました。

これにともない、最後の日本人スタッフは、日本大使館に採用され
ヤンゴンに勤務していますが、東京からも、数次査証を持っている
野際沙綾子(さやこ)さんが、ただちにバンコク経由、ヤンゴンに到着、
数少ない日本人救援活動関係者として、活動しています。

みささま、是非、難民を助ける会をささえてあげてください。

難民を助ける会の募金の送り先は:

郵便振替:00100-9-600
加入者名:難民を助ける会


電話:03−5423−4511

あなたの善意をお届けください


▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲

◆◇ 難民を助ける会 AAR JAPANメールマガジン ◆◇
(東京・目黒 相馬雪香会長)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━                                VOL.76
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 国連に公認・登録された国際NGO難民を助ける会は
緊急支援・障害者自立支援 ・地雷対策を中心に
現在世界10の地域、国で活動しています。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ since 1979

【ミャンマー(ビルマ)サイクロン被害 緊急支援】

 5月10日最新情報
■ミャンマーで支援活動を開始!−野際紗綾子が
報告します。

  ■被災地の写真が届きました。

-----------------------------------------

 難民を助ける会では、2008年5月2日深夜から3日早朝にかけて
ミャンマー (ビルマ)を襲った大型サイクロン「ナルギス」による
大きな被害発生の情報を受け、
緊急支援のために急遽スタッフを派遣しました。
 
 5月8日、野際紗綾子が予定通りミャンマー、
ヤンゴン空港に到着。直ちに、

 現地スタッフを指揮し、支援活動に入りました。

 野際より、ヤンゴン市内の深刻な被害の様子が届いています。
 
+++最新情報はこちらから…
http://www.aarjapan.gr.jp/lib/press/press0805-2myanmar.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

□難民を助ける会メールマガジン 第76号 <2008年05月10日>
□編集:難民を助ける会 広報・メールマガジン編集担当:長井
□発行:認定NPO法人 難民を助ける会
     〒141-0021 東京都品川区上大崎2-12-2 ミズホビル5F
     TEL: 03-5423-4511 FAX: 03-5423-4450
□難民を助ける会ホームページ: http://www.aarjapan.gr.jp/
竹の子は福岡県京都郡! [2008年05月10日(Sat)]






福岡県京都(みさこ)郡みやこ町町議の武田光男氏。
もしかしたら日本一の竹の子を育てている人です。







驚くほどの大きさでありながら、
節や下の部分まで、柔らかく、
ゆでただけで食べても、唸るほど美味しいのです。























無所属を貫いて福岡県議5期目を務める
井上幸春くんご夫妻から、
「おっそろしく美味い」竹の子をいただいたことは、
既に小欄でご紹介しました。

竹の子といえば京都と相場が決まっていましたが、
福岡のこの竹の子は優るとも劣らぬ美味で、
本当に「長生きしてよかった」です\(^_^)/。

この竹の子、驚くほどの大きさでありながら、
節や下の部分まで、柔らかく、
ゆでただけで食べても、唸るほど美味しいのです。

お礼状をと思って、宅配便の住所を見て、
「そっだった!」と手を打ちました。

井上くんの住所は、福岡県でも「京都郡」と書いて
「みやこぐん」と読むんだったことに気づいたのです。

これは、菅原道真が大宰府に左遷されるとき、
持って行ったという伝説にでも由来するのではないかと、
想像を逞しくしています。

その井上くん、さすが政治家、
私はともかく、私の周辺の口うるさいグルメたちが
京都郡の竹の子に太鼓判を押したとなると、
「これで地域おこしを!」と、大張り切り。

こんなメールを送ってきました。

これは面白い展開になるかも知れません。
もとより微力ながら、私も協力したいと思います。

みなさん、竹の子は京都、そして京都郡です!!

 ▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲

美味しく召し上がって戴いたとのことブログに書いているのを見て、
小生も大変喜んでおります。

あの竹の子が採れるところは
福岡県下で一番美味しい竹の子と言われています。

しかし、余りにも田舎の竹の子なので世に知られていません。

今、田舎の農産物をどのようにしたらブランド品になるのか、
生産者や役場、県の農林事務所と勉強会をしているところです。

何かいい智慧があれば教えて下さい。

今回竹の子とくれたのはみやこ町町議の武田光男氏です。

現地の竹の子山の写真送ります。

吹浦先生、先般お会いした時に話しましたが、
昭和の元号考えた吉田増蔵はみやこ町(旧勝山町)出身です。

そこで我々は4月29日(昭和の日)、そこで毎年、
何か昭和に関することをしたいと考えています。

ネーミングの問題、また、どのようにしたらいいのか、
先生のご意見をお聞かせ戴けないでしょうか。

出来れば、来年第一回目の式典、並びに講演会を開きたいと
考えています。

今、地方は冷え込んでいますが、
新しい風をおこし文化の香りのする地域作りをしたいと考えています。

何卒先生のお力添えを賜りますようお願い致します。
誤解 [2008年05月10日(Sat)]







「無名戦士の墓」について、学生に訊いたところ、
@ 幕末、姓のない農民兵が徴用され、戦争で亡くなり、埋葬された墓、
A 遺体の破損が酷くて名前を特定できない兵士の墓、
B 遺族が匿名で埋葬を希望することを希望した兵士の墓、
C あまり有名ではない兵士を埋葬した墓、
という答えでした。

それを笑っていた私、この歳をして日本語で誤解していたのを、
家族に指摘されてしまった。

「銘々皿」は、
@ 銘の入った立派なお皿、
A 一人一人に食べ物を取り分けるための皿。

さてはて、恥ずかしながら私は@だと、今朝まで思い込んでいました。

「銘文」「銘記」「感銘」「銘菓」「銘柄」「銘柄米」「銘酒」「銘刀」「肝に銘じる」「銘の物」「銘を打つ」・・・が頭に浮かび、「銘々皿」を誤解していました。

思えば銘の入ったそんな立派なもの、拙宅にあるわけがないのに。

以後、学生の思い違いを笑えなくなった。
敷島パンとドイツ人捕虜<完> [2008年05月10日(Sat)]










     「春爛漫」。剪画は石田良介日本剪画協会会長の
特段のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。







師団長に選ばれた5人の手によって、当時は手に入りにくかった耐火煉瓦が手配され、半田の敷島屋の製粉工場内でパン焼き窯の製作が始まった。

武豊線の半田駅に、毎日ドイツ人捕虜が乗降するのを見て、敷島屋がパンの試作を始めたという噂が立った。

5人のドイツ人は耐火煉瓦の他に、陶器の瓦礫を耐火材の代用品にして、パン焼き窯を完成させた。

小麦粉は敷島屋の極上のものを使い、パンの初焼きが試みられた。

「どうだろう。うまく焼けておればよいが」

善平はドイツ人が窯からコッペパンを取り出すのを見ていた。形といい、焼き具合といい、申し分ないように見える。

善平は祈るような気持ちでコッペパンを噛みしめた。

日本製のパンのように酸っぱくなく、口当たりが細やかで、噛んでいると口の中に旨さが広がってくる。

「よし。このパンなら売り物になる」

善平のこの一言がシキシマパンの起こりとなった。  (完)
敷島パンとドイツ人捕虜C [2008年05月10日(Sat)]






  挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
掲載させていただいております。禁無断転載。







パンを試食した係官は、
「さすがはパンを主食にしているドイツ国民だ。こんなにパンが旨いものだとは知らなかった」と感心して、それからは小麦粉を提供するだけになったという。

ものを作るヒントというものは、どこに転がっているかわからない。

護衛兵の話を聞いた善平の頭に閃きが走った。

「難しいマカロニよりも、小麦粉でパンを作ったほうがいい」 ドイツ人技師の手で発動機の調整が終わると、善平はその礼を兼ねて収容所に出向いた。

「このたびはドイツ人技師と護衛兵を差し向けて頂き、ありがとうございました。おかげで工場の稼動しております」 善平は師団長に礼を言った。

「捕虜をドイツに送還するまで、ただ飯を食わせるよりも、日本の為になればと思っています。役に立てばそれにこしたことはありません」 「ありがとうございます。つきましては私は米に代わるべき主食があれば、食糧難が解決できるとつねづね考えております。聞くところによれば、ドイツ人が旨いパンを焼いているそうで」 師団長が大きくうなずいた。

「私も食べました。さすがは本場のパンの味です。日本の酸っぱいパンなど比べものになりません」

「それならばお願いがあります。私どもから人を収容所に出向かせますから、パンの焼き方を教われますか」

「それは構いません。毎日ここに来てパン作りを手伝ってくれれば、雑役夫として雇ってあげます」

  師団長の好意的なはからいで、半田から2人の小麦職人が収容所に通い、パンの焼き方を教わった。

パンの製法を身につけた2人は、つぎはパン焼き窯の構築方法の伝授を受け、3ヶ月間の実習を終えた。

善平をみたび収容所に出向いて師団長に会った。

「差し出がましいお願いですが、パン焼き窯を築くのに私どもだけでは自信がありません。専門の技師と職人を招きたいのです」 「敷島屋は食糧難の解決に向けて、国策に添った動きをして感謝しております。技師と職人を選んで半田に差し向けましょう」
                     (つづく)
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