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角館武家屋敷考(続) [2008年04月28日(Mon)]
















「武家にツバキ(椿)の花は植えない」、心は、
「花がまるで首が落ちるようにポロッと落ちる」
という話ではなかったか。

この写真は、秋田県角館町の武家屋敷で。

それにしてもきれいなツバキだった。

桜 along 桧木内川A [2008年04月28日(Mon)]






































 秋田県の中央を流れる桧木内川(ひのきないがわ)
その川堤の桜並木には、きのうきょう、きっと
大変な数の人が押しかけたのではないだろうか。

 ろう(臈)たけた、上品な、成熟した桜の樹木が、
きっと、自然に人の目を吸い寄せ、
見る人を満足させていることだと思う。

 今年は桜前線の北上が本当にはやく、
今いる八ケ岳南麓の海抜1100mの地でさえ、
明日には満開という状況である。

 こうした寒冷地では、いっせいにいろんな花が咲き、
人々を長い冬が終り、一気に初夏に誘う。
桜 along 桧木内川@ [2008年04月28日(Mon)]



























 桧木内(ひのきないがわ)川は秋田県仙北市内で玉川と合流、
さらに県内最大の雄物川に合流して、
秋田市の外港・土崎で日本海に注ぐ。

 その桧木内川、仙北市角館町では、川の両岸に約2キロの
桜のトンネルを作る。

 これが日本の「さくらの名勝100選」に、「当然」選ばれる
美景を見せている。

 今回、私が訪れたのは4月18日、
あと一両日でまんかいという日。

 蕾もまた、満を持しているその「風情がなんともかわいい。

  2キロの桜のトンネルは、
4月3日に訪れた伊豆高原駅の周辺にもある。

 これまた実に美しいが、あちらは、
若木のういういしい美しさ、
桧木内川の川堤のは、どの桜の木も、
戦前からの樹齢を重ねたものと
私には見えた。

 美女と同じで、このろうたけた
風情。こちらも、私にはたまらない。

 今年は、法事、講演、出張などで、
実にタイミングよく、まるで桜の追っかけをしているような
幸せな日々を過ごしている。

雉との出遭い [2008年04月28日(Mon)]








 雉(キジ)と出会った。

 場所は、南アルプス山麓の海抜1000余りのところ。
小欄の挿画でおなじみの石田良介画伯邸のすぐそば。

 以前にも出会ったが、そのときはカメラを持ち合わせず、
慙愧の念が残った。

 爾来、カメラを常に持ち歩くクセがついた。

 「雉も鳴かずば打たれまい」というくらい、
地味なメス(写真上の2羽)は地面と保護色の関係、
ただし、オスは、「背面の色彩は甚だ複雑美麗」と
『広辞苑』にあるほど、なんともいえない美しさを持つ。

 雉は孔雀同様、
これを見る、われらオノコを満足させてくれる。

 1947(昭和22)年に、国鳥に指定されたそうだが、
めったにおめにかかることはできない「お鳥さま」だ。

 これは何かの吉兆、明日も同じ場所に行ってみよう。

 「柳の下にどじょうはいない」?!
 
「やかましい」。

 人間、希望をもってこそ、生きる価値がある。
桜 in 秋田 [2008年04月28日(Mon)]









秋田市の中央に、千秋(せんしゅう)公園がある。

 佐竹藩(21万石)の城址公園だ。

 4月19日、次兄・忠橘(ちゅうきつ)13回忌の法要に
秋田に戻り、
帰省の際にはかならずそうするように、また訪れた。

 お花見の真っ盛り。

「われご幼少のみぎり」から「紅顔の美少年なりしころ」にかけて、
4兄・忠晴とともに、母に連れられて、
毎年、お花見に出かけた場所である。

 海抜30メートルほどの小山であるが、桜の名所であり、
市内全域を眺望できるのもいい。

 わが母校・秋田県立秋田高校の校歌は、
『荒城の月』の作詞者・土井晩翠が作詞し、
『城ヶ島の雨』の作曲家・梁田貞の作曲。

 但し、『城ヶ島の雨』とは、似てもにつかぬ”ピョンコ節”。
どうにも、この校歌は好きになれない。

高校野球のライバル校・秋田商業高校の校歌は
『浜辺の歌』の成田為三。

 さすが、
「秋田が生んだ日本のメロディスト」といわれるだけあって、
その優美さは、こちら側が聞き惚れるほど。

 それはともかく、秋田高校の校歌の冒頭は、
天上はるかに 太平山の 
姿はけだけし 三千余尺
長江流れて六十幾里
海へと馳せ行く 雄物川なみ

というもの。

 その太平山、海抜は1170m。

 私がいまPCに向っている場所とあまり高さが違わない。

 ということは、「天上はるか」なところに、私はいるということか、
変な思いがする。

 何はともあれ、その千秋公園本丸跡の桜の下からから
太平山を臨んだ様子をご覧いただきたい。

 所詮、素人写真に杉ないが、この時期、秋田に行けない
諸兄姉にとっては、
涙なしには凝視できない「いい写真」のはずだ。

 諸兄姉、
この写真を見ながら秋田高校の校歌などを口ずさんでは
ご家族に嫌われますぞ!

角館・武家屋敷考 [2008年04月28日(Mon)]






























    角館の枝垂桜は、このようにして1本ずつ
   しっかり管理されている。







 秋田県仙北市角館町は、
「小京都」として東北観光の一大人気スポットとなっている。

 秋田は、江戸時代は佐竹家の領地であった。

 佐竹家は常陸64万石の領主として、鎌倉時代初期から、
北関東に隠然たる勢力を保持していた。

 しかし、関が原の戦いでは家康方につかず、中立を保った。

 このことが徳川方の反感を持ったとされ、
佐竹義宣が、
この戦のあとに、辺境で
ほとんど未開だった秋田に、
転封させられた。

 お家断絶までに至らなかったのは、
武家としての家柄と格式によるものか。

「5本骨に日の丸」の金扇という佐竹の紋所は、
「日の丸」を使用した最も古い例の1つとされる。

それでも、3分の1の石高に減らされ、
秋田の城では、石垣をほとんど使用できず、
天守閣の構築を禁じられるという「虐待ぶり」であった。

 そのときに、
義宣が常陸の美女を全部連れて行ったから、
今でも茨城県には美人がいないというのは、
完全なウソ(としましょう)。

 しかし、小野小町以来、
秋田に美人が多いと言うのは、
全国的な定評。

秋田に「わき見するな。美人に注意」という交通標識があったのは
ホント。それでも交通事故が多いというのはウソ。

 閑話休題。
 角館を拠点とする佐竹北家は芦名義勝を開祖とする。

 義宣の弟である。

 秋田藩は、転封の恨みを250年引きずったのか、
明治維新ではいち早く「奥羽越列藩同盟」を抜けて、
薩長側に立った。

 当然、周辺の諸藩から、武力進攻を受けた。

 このとき、秋田(佐竹)藩の最前線で、大いに苦戦したのが、
角館に本拠を置く、この佐竹北家。

 そういう歴史を持ちながらも、
角館には不思議なくらい武家屋敷がのこり、
その通りは日本の道百選に択ばれている。

 百万石の金沢の比ではない。

 しかも、それらの庭のほとんどに
見事な枝垂桜(国天然記念物)が育っている。

 私が訪問した4月18日はまだ4分咲きだったが、
今頃は満開かと思う。それはそれは見事なものである。

 かてて加えて、
町のすぐ西を着たから南に流れる桧木内(ひのきない)川の両岸は、
「国の名勝」に指定された2キロに及ぶ、
成熟した樹木による桜並木が「続く。

 われながら故郷・秋田の話になると
どうしてこうも力むのかというほど、
「さらに」と接続詞をつなぎたくなる。

 そこで「さらに」、史跡や記念碑もたくさんある。

@ 菅江真澄(江戸後期の紀行家)終焉の地(碑がある)
A 平福百穂(明治、大正、昭和と活躍した日本画家)の墓、
    碑、そして記念館
B 武家屋敷資料館(何軒かの武家屋敷は見学可)
C 戊辰の役古戦場跡や戦没者の墓
D 小野田直武(蘭画家で「解体新書」の挿画製作者)生誕の地
E 樺(桜皮)細工(国伝統工芸品)

歴史の案内人もいれば、人力車での見物もできる。

詳しくは、角館町観光協会へ。0187−54−2700
Jリーグ考 [2008年04月28日(Mon)]









コンサドーレ札幌、
鹿島アントラーズ、
浦和レッドダイヤモンズ(浦和レッズ)、大宮アルディージャ、
ジェフユナイテッド市原・千葉(ジェフ千葉)、
柏レイソル、
FC東京、
東京ヴェルディ、
川崎フロンターレ、
横浜F・マリノス、
アルビレックス新潟、
清水エスパルス、
ジュビロ磐田、
名古屋グランパス、
京都サンガF.C.、
ガンバ大阪、
ヴィッセル神戸、
大分トリニータ

言わずと知れた2008年のサッカーのJリーグ参加チーム名。
失礼ながら、このカタカナ名前の意味、
どのくらいお分かりですか?

日本人のカタカナ語理解力の
標準的なものは持ち合わせているつもりの私ではあるが、
この過半は「意味不明」。

「何を気取ってやがんだ」、
「これで広範なファンを獲得しようってのはムリだぜ」、
「一流選手はみな欧州で稼いでいるんだから」、
「観客数が減るのは当り前」、
「W杯でもあの程度じゃ、J1なんて、所詮、蹴鞠の域だね」・・・

私の周りの、人はよくても口の悪い連中は
こんなことを言ってる。

「私は多少は地方の活性化に役立ってるんじゃないの」と
弁護はするが、悪友どもの意見に賛成する部分が多い。

せめて、分けのわからないチーム名を
何とかしてくれませんか。

どうですかね、この意見。
ジャイアンツ考(下) [2008年04月28日(Mon)]








石田良介画伯邸の壁面を撮影。




読売ジャイアンツ
ヤクルトスワローズ
阪神タイガース
中日ドラゴンズ
広島カープス
横浜ベイスターズ

プロ野球セントラルリーグは、ご存知のこの6チームで
構成されている。

ならばなぜ、新聞は「巨人」という言葉を使うのか。

例えば昨日は、「巨人対阪神は3対2で阪神の勝ち」と書く。
なぜ、「巨人対虎は3対2で虎の勝ち」と書かないのか。

なぜ、紙面のスコアの記録さえ、「読売」ではなく、「巨人」なのか。
「開幕戦、巨人はヤクルトに3連敗」ではなく、あれは
「開幕戦、読売がヤクルトに3連敗」ではないか。

せめて読売新聞くらいは「読売」と書いていいのではないか。

自社独占より、巨人の名で人気を確保したいのか。

これでは看板に偽りありではないか? 如何?

もしかして、同じ新聞系として、
「読売、中日に完敗で、日本シリーズ出場ならず」
とは書けないからなのかなぁ。


ジャイアンツ考<上> [2008年04月28日(Mon)]










読売ジャイアンツがまた、負けた。期待のクルーンの押し出しによる、さよなら負け。
昨夜から、熱烈なるジャイアンツ・ファンの元超一流会社役員と一緒なので、きょうはよほどご機嫌が悪くなると、奥様が予防線を張ってくれた。

私はアンチ・ジャイアンツだから、こんな気分のいい日はない。長嶋が嫌いで原が嫌いというのだから、幸せなのがよくお分かりいただけると思う。

だから、岡目八目で何でもいえる。

あのチームは先発投手を花形にするのがいけない。それも実力以上のスターにしてしまう。
中継ぎ、ストッパーがいてこその投手「陣」なのに。

往年は「8時半の男」宮田がいた。ジャイアンツにはほかにも93セーブをあげた角三男、80セーブの石毛博史、58セーブの鹿取義隆・・・などがいたが、その価値がわかっていないし、これとて、他球団の優れたストッパー陣には比ぶべくもない。

ジャイアンツが勝って、読売と報知が伸びて、サラリーマンが張り切って働くという時代は党に過ぎた。第一、優れた選手がみなアメリカに行ってしまう「残り滓」野球が、セ・リーグであり、パ・リーグだという人がいる。

是にも一理ありそうだと思うと、テレビの視聴率も、野球場への入場者も下がる一方だ。

そうした中で、その中で2チーム合併の「残り滓」を集めた楽天が善戦しているのはうれしい。仙台の燃え方は大変なものだ。経済効果もかなりのものがあろう。

ただこのチーム、惜しむらくは「アウェイ」に弱い。それでも、ここは日本プロ野球の救世主としての期待を担ってほしい。

ジャイアンツ離れが起こらなくては、日本人のイノベーションは達成できない。
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