CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2008年03月 | Main | 2008年05月»
<< 2008年04月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
「日の丸」の説明 [2008年04月25日(Fri)]









世界の国旗については、おそらく30冊くらいの書物を上梓しているはずだが、いつも苦手なのは、「日本」の項目。

1999年8月9日に採択された国旗国歌法でだいぶ整理されたとはいえ、簡潔に説明するのはなかなか難しい。

例えば、今、某出版社から執筆を依頼されているのは、「日本語200字、英語7行で」と言うもので、文字数に大きな制約がある。書きたいことが書けない。「思いあまりて言葉足らず」だ。

とりあえず、初校が出てきた。他の国の国旗の説明から見ると、われながら歯切れが悪い。半世紀以上も国旗の研究にしがみついていて、何をやってきたのか。内容的な進歩もないし、文章の表現力もない。自己嫌悪に陥らざるえない。

連休を使って、しっかり磨き上げてみたい。

    ☆⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒★

日本人は自国を「日出ずる国」と呼んでいたように、国旗「日の丸」はまさに、その旭日を表している。世界で最も古い旗のひとつとされ、千年を超える歴史を持つ。国旗として欧米で最初に使用されたのは1860年代に、欧米列強に和親条約の批准書を携えた政府使節が掲げたのを嚆矢とする。近代法制のもとで「日の丸」は1870年に商船と、軍艦に掲げる国旗としてそれぞれが若干異なったデザインで採択され、1999年の国旗国歌法で改めて国旗として法制化された。

 This flag represents the sun rising as Japanese people called the country “Land of Rising Sun ”. This one is the one of the oldest heraldic devices for more than 1,000 years.  Despite of its long traditions, this flag was first used in the Powers as the national flag in 1860s when Japan sent official missions carrying ratification papers of the treaties. Under modern system of law, two types of flags were adopted as national flags for merchant and navy uses in 1970 by two governmental orders. Finally in 1999, it was officially and legally adopted as national flag of Japan.
「宵待草」考(続々) [2008年04月25日(Fri)]








「まぼろしチャンネル ああ、心の童謡」というHP(http://www.maboroshi-ch.com/edu/ext_37.htm)には、
「宵待草」の曲について、以下のように、
基礎的なことがきちんと出ていますので、
ご参照ください。

★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

 三行詩という短い形式ですが、歌からは次のような情景が浮かんできます。「今夜は来る」といった恋人を待つ女性。

 いつまでたっても男性が来ないので、もどかしいやら、せつないやらで、いつしか自分の身の上を「月見草」の別名を持つ「オオマツヨイグサ」(「宵待草」という呼称は夢二の造語)に例えて嘆きます。

「こよひは月も出ぬさうな」の「月」は男性を指し、男性が来ないことを半ば諦めてこう呟いている…。

 ところがどっこい。

 実は、来ない人を待っていたのは夢二自身だったのです。明治43年、夢二は千葉県・銚子の海鹿(あしか)島で一夏を過ごしますが、その際に「お島」という女性と恋に落ちます。

 月見草の生い茂る海岸で二人は逢瀬を楽しみますが、再びこの地を訪れた夢二はお島さんが他家に嫁いだことを知ります。

 失恋の悲しみに暮れた夢二は、月のない海鹿島の海岸で、もう来ることがないお島さんの思い出にふけったといわれています。この時の経験を元にして、『宵待草』は作られたのです。

『宵待草』の歌碑は、海鹿島をはじめ、夢二ゆかりの地に数多く建てられていますが、今回ご紹介するのは、東京のビジネス街の一角、八重洲にある「みずほ信託銀行本店」前の碑です。

 大正3年10月、夢二はここに自分のデザインした版画・絵葉書・手拭などを販売する「港屋絵草紙店」を開きました。

 間口約2間(3.6m)の店でしたが、可愛らしいものを売る店として人気を呼び、また文人趣味人が集うサロンの役割も果たしたといいます。

 芸術家自身がその作品を商品化し、自分の店で販売したことは、日本の商業美術史上、意義深い出来事だったので、それを記念してこの碑は建てられました。

 実は、『宵待草』の歌には「第2番」があります。

 夢二は女性遍歴の末に昭和9年に亡くなりましたが、4年後の昭和13年に、夢二の人気にあやかって『宵待草』という映画が作られました。

 その際に、映画の主題歌としては『宵待草』が短すぎるとして、夢二と親しかった西條八十***によって新たに第2番の歌詞が作られたのです。

 ところが歌詞の中に宵待草の花が「散る」という表現があり、後日、「月見草は萎むもので、直ぐには散らない」という指摘を受けて、歌詞を訂正するはめに陥りました。
そういったケチが付いたからでしょうか、今日、第2番が歌われることはあまりありません。


*竹久夢二 たけひさゆめじ。画家。詩人。本名、茂次郎(もじろう)。明治17年、岡山県生まれ。38年、早稲田実業学校専攻科中退。独特の美人画と叙情詩文で一世を風靡した。『セノオ楽譜』の表紙絵を多く手掛けたことでも知られる。昭和9年、死去。享年50。

**多忠亮 おおのただすけ。バイオリニスト。作曲家。明治28年、東京生まれ。雅楽を家業とする多家の出身だが、洋楽に専心し、東京音楽学校でバイオリンを専攻した。昭和5年、死去。享年34。

***西條八十 さいじょうやそ。詩人。作詞家。明治25年、東京生まれ。早稲田大学英文科卒。大学で教鞭を執る傍ら、童謡詩人、歌謡作詞家、近代詩人として活躍。昭和28年からは日本音楽著作権協会会長、37年には日本芸術院会員となる。代表作に『かなりや』、『東京音頭』、『東京行進曲』、『青い山脈』、『王将』など。昭和45年、死去。享年78。
「宵待草」考 (続) [2008年04月25日(Fri)]











「宵待草」の曲について、福岡の山本範蔵さまという方から、
「我が家にある宵待草の歌詞です。誰が作ったのでしょうか」
とのご質問をいただきました。

月が出たなら
開けよと
いうてよこした
この手紙
今宵も月は
出ぬそうな

ここまでは先日、小欄で書いた話です。

その後、メールのやり取りをしたところ、山本さんは、日本の抒情歌が大好きで、以前はママさんコーラスの指導をしておられたとか。「今でも、自分で弾き語りをしています」とのこと。同好の先輩であることもわかりました。

「この出版社 まだあるかな?」とまで書いてこられましたが、もちろん、健在でした。

教育研究社発行『ポケット歌集ピアノ伴奏曲集』第4巻(日本音楽著作権協会承認501836号)の158頁に出ている2番の歌詞であるとのことでした。そこで、早速、練馬区下石神井4-19-2の同社に電話(03-3997-0367)してみました。

「この本は最初お原稿が出来たのが30年も前のもので、少し時間をください。調べてみます」と、応対した松下さんという男性が親切に対応してくださいました。

 当方も、携帯番号までお伝えし、しばし、ご連絡をお待ちすることにしました。

 そんなわけで、山本節蔵さま、もう少し待ってください。

★ .。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

この欄だけご覧になった方は、何のことやらと思われるかもしれません。先日、事情を説明したものを書きましたので、以下にそれを再度掲載させていただきます。

〓〓〓〓〓〓〓〓

「『宵待草」(竹久夢二作詞、多 忠亮作曲。1917年)の歌詞については、
以前、私が『歌い継ぎたい日本の歌−愛唱歌とっておきの話』(海竜社)を
上梓したときにも、何人かの方から、ご質問をいただきました。

古いメールの記録を見ましたら、2番の歌詞について、
埼玉県にお住まいの浜田佳世子さん、
富山県にお住まいの宮腰義人さんなどから、
詳しい事情を知りたいと質問メールをいただいていました。

私の知っている範囲で、今一度、お答えさせていただきます。


 ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

1938(昭和13)年、『宵待草』の歌をテーマに、
当時人気トップクラスの女優・高峰三枝子の主演で
映画が制作されました。

待てど暮らせど 来ぬ人の
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬそうな

この時の歌詞はこの一番だけ。あまりに短いと言うこともあって、
竹下夢二と親しかった西條八十が2番を作詞して付け加えました。

  更けて河原に 星ひとつ
   宵待草の花が散る
  更けては風も
   泣くそうな

 ところが、この「花が散る」が植物学的に
おかしいということになったのです。

 宵待草(正しくはオオマツヨイグサ)は
散らずにしおれてしまう花なのだそうです。

 このこともあって、以後、この2番は全くといっていいほど
歌われないままなのです。

 今、市販されているCDで
この2番が収録されているのは、
美輪明宏の盤(kicx496)ぐらいです。

 そこで、西條八十はさらに第二節を補筆訂正しました。

  暮れて 河原に
   星一つ
  宵待草の
   花の露
  更けては風も
   泣くそうな

 あなたはどれがお好みですか?

 それともご自分で作詞されてはいかがでしょう。

 この件についての、みなさまからのご意見を、ご見解、情報提供をお待ちします。
天満敦子 [2008年04月25日(Fri)]




  天満敦子さんは、今、もっとも「売れっ子」の
  ストラド弾きです。






 私は毎週一回、何らかの芸術に触れる機会を、結果的に持ってきている。

 ほとんどが各ジャンルのクラッシック音楽であるが、時には映画や演劇も、また、先日は邦楽にも行ったし、落語も大好きだ。

そう書くといかにも、ヒマとカネをもてあまして優雅に暮らし、お小遣いがあるようだが、実際は180度、連想の転換を願いたい。友人知人が、なんとご招待くださるのが、大半。それに映画は「老兵」はいつでも千円で楽しめるのです。

 さらに、日本財団コンサートやJT会館のランチ・コンサート。いずれも無料。虎ノ門という交通至便なところにいると、実に楽に、楽しみがやってくるのです。

 昨夜は、自他ともに許すわが「妹」こと天満敦子さんの「待望のデュオ・リサイタル」。紀尾井ホールでの開催である。

 お向かいのホテルニューオータニでは(二審有罪となった)「鈴木宗男を叱咤激励する会」が開かれて、自民・民主両党から伊吹、鳩山両幹事長が、「ゴマすり」をやっていた。こういうことが政治不信を呼ぶことについて、政治家の皆さんはどう考えているのか。永田町の常識は、国民の良識と大きく乖離している。
 
それはともかく、こちらは、岡田博美氏(ロンドンで活躍している男性演奏家)のピアノの名演奏に合わせたアッコの、参ったかと言わんばかりの力演を堪能させてもらっていた。

 CDへのサイン会は長蛇の列。すっと「“身内”はこういうときは遠慮するからね」と言ったら、「“兄貴”、ごめんね。またあとでね」と特大の大声で返事が来た。近くまた一緒に食事でもしようかと企んでいる。

 この日の演奏曲目は、ベートーベン(「春」)、プロコフィエフ(1番)、そしてフランクの計3つのヴァイオリンソナタと「ツィガーヌ」(ラヴェル)、そしてアンコールは3曲。2時間半にわたって演奏した7曲はいずれも時代、曲想、内容、技巧的に異なるものであり、本人の決意と努力の現われとみた。

 この点は素人の私の感想と、尊敬する音楽プロデューサー・中野雄先生、そして作曲家の小林亜星ご夫妻の意見が一致していた。

 難民を助ける会では毎年のように、天満敦子さんのチャリティ・コンサートを開催し、純益の全てを国際救援・支援活動に投じてきた。次回は、難民を助ける会(相馬雪香会長)とアッコ双方の「デビュー30周年」を記念して7月23日(木)、サントリーホールで、「特別ゲスト」との競演を企画している(ようだ)。

 昨年6月に天満さんの所属していた企画会社「コンサート・エージェンシー・ムジカ」が倒産したということを書いた。

 それにしても高澤弘道社長ご夫妻、どうしているのだろうか。私はお世話になりこそすれ、お金の関係はない(その点、社長に見る目がある!)ので、個人的な迷惑を被っていないし、したがって恨みはまったくない。

 昨年3月26日に私が紀尾井ホールで歌ったとき、さすがステージのプロ。四谷のおいしい鯛焼き(ほんとに尻尾の先までびっしりアンコが詰まっていた)を楽屋に届けてくれたのである。その後も一緒に「十割蕎麦」を食べに行ったり、行き来があった。われながら食べものに弱いが、あんなおいしいものをくれた人が、と今でも信じられない思いでいる。

 1年前、小欄では「がんばれ、アッコ!!! ここが踏ん張りどころだぞ!」と書いたが、昨夜は見事にその期待に応えてくれた。さらなる名演奏を期待する。

 そうそう日本財団コンサート、今月は9日と23日に行なわれたが、5月は14日と28日の昼、有望な若手のピアノとチェロの演奏がある。詳しくは、日本財団のHPへ。
| 次へ