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教育の真髄 [2008年04月06日(Sun)]









 国際政治ジャーナリストのQ氏から、久々のメールです。

 私のまわりの本物の「憂国の士」の一人です。

 やはり、議論の最後は教育に辿り着くことになりそうな昨今ですから、
共感するところが大きいです。

 ▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲

外務省のチャイナ・スクールは退官後の
再就職を最優先に考えて
中国と企業に受けの良いように動いていると
良く言われています。

困ったものですが
かつての外交官は相当の富裕層がつとめましたが、
今は
試験で合格すれば採用される
一般人、サラリーマンであり、
まして高齢化時代、
70くらいまでは何らかの保障をしないと
信念も揺らいでしまうのも
ある意味で自然の成り行きです。

どこかで中途採用を含めた採用から昇任、退任まで評価のあり方など
公務員制度全体の
見直しが必要です。

また、せめて高校以上で
(日本だけでなく各国、世界の)戦後の外交、国際政治を
教えることも必要でしょう。


教育、国際交流といえば、
大和證券が20年近く進めている奨学生支援制度は
イギリスの大卒者を対象に
1年半の日本語学習と地方でのホームステイ、
そして企業や大学での研修を行うもので
毎年20倍の応募者の中から7〜8人を選んでいます。

昨日は
修了式があり
いずれも流暢な日本語で挨拶しました。

外交官志望、ジャーナリスト志望、NGO志望、芸術の道を志す者など
様々ですが
いずれも視野が広く、逞しく
日本人参加者は皆、
「日本にもこうした若者がいれば」などと
嘆くばかりでした。

こうした若者が一人でも多くなれば、
外交にせよ、
世界への影響にせよ、
随分変わるだろうなと考えました。

大和の奨学生たちを毎年見続けている者には
今の日本の若者と比較して
悲観論に傾く人が多いのは確かです。

問題はどうすれば良いかですね。

80年代のある日
猪木正道先生が
青山学院の教授になられた頃を見計らって
お訪ねした日のことでした。

大学を出る時先生は
数人の学生達に囲まれ
色々な問題を学生達と
笑顔で話し合いながら街に出て行きました。

あれだけの人物ながら
気さくで学生が自由に意見を言う雰囲気を作っていた
猪木先生の包容力、大きさを
思い出します。
赤十字P [2008年04月06日(Sun)]







1891(明治24)年、朝野を震撼させた大津事件の時にも、日本赤十字社は救護員を派遣し、その当時の緊張ぶりからいいますと、最大限に赤十字としての役割を担おうと積極的に進めました。

すなわち、ロシアにおいても赤十字は大きな信頼を確立していたので、切りかかられた皇太子ニコライ(後のロマノフ王朝最後の皇帝・ニコライU世)とその周辺からの信頼を得うるという視点もあっての救護員の派遣であったのです。

 同じ年の7月14日、美子(はるこ)皇后、皇太子――言うまでもなく後の大正天皇のことですが――が芝離宮に行啓され、石黒忠悳(ただのり)軍医総監の創意による「赤十字幻燈演説」をご覧になられました。

「演説」は「演述」とも伝わっています。たまたま私が持っている史料は「演述」となっておりますけれども、「演説」というほうが普通ですので、お配りした赤十字に関する年表には「演説」と書いておきました。

 このごろの学生には幻燈と言ってもなんだかわからないことが多いのです。

私は、1980年頃のことですが、学生に幻燈機を持ってきなさいと言ったところ、その学生はなんのことやらわからないまま、大学の事務局の女性に尋ねたところ、その女性(2008年には50歳にはなっているはず)も何のことかわからず辞書を引くなどして、混乱を起こしたことがあります。

お若い方もいらっしゃると思いますので、解説しますと、スライド・プロジェクターが幻燈機です。スライドというのは動かない映画だと思っていただければいい。1コマずつ送るものです。

2008年の今ならパワーポイントが主流ですから、もっと通用しない言葉になっているのかもしれません。

 これを軍医総監である石黒忠悳が夫婦で上演して歩いたのです。

今日でもその時の幻灯機が残っております。

各シーンをすりガラスに描き、蝋燭の灯を光源に、レンズを使って、スクリーン――といってもシーツか何かの白い布だったでしょうが――に映像を撮しだすのです。

たまたま日赤長野県支部に当時の幻灯機が1つ残っておりましたので、実際にやってみました。スライドも全部残っています。当時、夜は本当に暗かったのでしょう、この装置で多くの人々が幻燈を見ることができたようです。
 この「演説」は、そもそも赤十字はどのようにして出来たのかというところから始まります。

その当時ですから、アンリ・デュナンは出てきません。

ナイチンゲールから説いています。デュナンという人が破産後に行方不明となり、だれも知らなかった時代だからでしょう。
 
しかしながら、赤十字がどうやってできたかということが、それなりにわかるよう、絵も文もとてもよく書いてあります。

48枚1組で、広報資材として実に立派な出来です。上演は最初は軍医総監夫妻がせっせとやっておりましたが、さすがに2人だけでは間に合わないというので、その弟子ができ、孫弟子ができ、全国各地でこういうテキストを印刷して上演していたわけです。

こういうものこそ、しっかりとパワーポイント化しておきたいものです。
桜なら伊豆高原 [2008年04月06日(Sun)]



































 伊豆への出張で予期せぬ出会いがあった。
わが人生でこれほどの桜並木をくぐったのは初めという、
すばらしい場所を見つけたのだ。

  ところは伊豆急行・伊豆高原駅の周辺。およそ2キロに及ぶか。

 伊豆高原駅から城が崎灯台方面に向かってもよし、
大室山方向に向かってもよし。見物客が少ないのもいい。

 まさにわが世の春の風情である。

 帰路、東名高速を世田谷で降りた。

 世田谷区は桜新町をはじめ、野見川の岸辺、
そして目黒区は目黒川の両岸・・・勝手知ったる都内の名所を
ゆっくり走ってみたが、
人間もそうだが、桜の木は老いも若き(木)もそれぞれに魅力的だ。

「さまざまなこと思い出す桜かな」(芭蕉)で、私は桜の花を見ると、いろいろんことに思い至り、なぜかいささか興奮するらしい。

 おかげさまで、出張も十分目的を達成できたし、
今週はきっといいことがあるような気がする。
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