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NHKの現況を憂うA [2008年04月03日(Thu)]




  挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
掲載させていただいております。禁無断転載。







 以前、「あなたはNHKの良心だ。あなたがいる限りNHKを信用する」と吹浦さんに言って貰って大変有りがたく、既にNHKの職務を離れた今でもその言葉を噛み締めています。

 ただ、今のNHK(私の後に続く世代)の現状は恐らく日本全体の世代が抱える問題とある意味で同じように感じられます。

 NHKばかりではなく、日本全体の劣化を真剣に考えねばならないと憂慮しています。

 日本全体で官僚化と萎縮症が同時進行しているように思えてなりません。

 やはり、内部体質や人脈を熟知していだけでなく具体的に指導力を行使できる立場の後輩たちが真剣にならないと改革は極めて困難である、と思っています。

 福地新会長という人は、一般的には優れた経営者であるのでしょうが、やはり、報道やメディアの本質をお分かりいただくには時間がかかるでしょう。

 直ぐに何かを期待するのは酷かも知れませんが、早くも言っていることとやることが一致しないことが、「私たち、日々、現場で報道に当たっている者の目には目立っています」と後輩からのメールにありました。

 また、一般の目には入りませんが、アメリカ型資本主義を単純に信奉する竹中・前総務相らと結んで、トヨタなどが結託した人事が進行しているようです。

 タレント選びのようにテレビに出ている職員の間からの人選となった副会長人事で、今井くんを副会長に推したのが、同じ慶応系で、経団連に出入りしていた竹中・前総務相です。

 また、トヨタ出身の金田氏を理事に押し込み、新体制では専務理事にし、また経営委員会にトヨタ系列の自動車部品会社デンソーの深田社長を送り込み、さらに新体制では2月からNHK経営企画室にデンソーからの社員を出向させています。

 勿論、朝日ビールからも出向しています。

 経営委員会であれNHK執行部であれ、外部の人物が就任してもこれまでは、その出身母体からの出向はありませんでした。

 誰がどういう理由で出向を許したのか、明らかでありません。

 それだけに彼らが何をするのか、NHKの実質的民営化を狙っているのか、NHKを経済効率でしかみない経済界の利権下に置くのか、私たちOBは寄ると触ると憂慮しています。

 50近い、優秀な後輩ジャーナリストからは「NHK内にいても将来展望が開ける可能性があるとは考えにくくなりました。転職先をお世話ください」と手紙が来ました。

 老骨には何もできないとは思いますが、この男をただ、がんばれと励ますだけでは無責任のような気がしてなりません。    (つづく)
NHKの現況を憂う@ [2008年04月03日(Thu)]







 以前、番組出演のため2,3度お目にかかって以来、特段のご厚意によって、多少おつきあいさせていただいてきた、NHKの元幹部の方から、後輩の苦悩を思い、NHK、ひいては日本の将来を憂いての、切々たるメールをいただきました。

 私がなまじコメントをつけないで、原文のままみなさまに開示します。長文ですので、3回に分けて掲載します。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 NHKのOBの一人として、国益のためと思いつつ、恥を忍んで、私の気持ちと現況を率直にお伝えします。貴ブログを通じ、多くの方に理解していただきたいからです。

 今の理事に腰を据えて改革に取り組む胆力のある人間はいないでしょう。私の気づかないところで、いればもちろん嬉しいことですが。

 まず、福地新会長がNHK(の諸制度)をどこまで柔軟、弾力的に運用していくかは
未知数です。

 少なくともこれまでところ、NHK内官僚の路線に乗りながら「安全」と思う範囲でのことを言っているに過ぎません。

 福地新会長と、われわれOBがどこかで会っていろいろ意見交換が出来れば良いのでしょうが、現状では第三者を介してでないと難しいことも確かです。

 ただ言えることはトヨタ(デンソー)、フジフィルム、などなどが乗り込んできてNHKまでもがソロバン勘定に得意な連中が大手を振るって、牛耳るようになると「人はパンのみに生きるにあらず」ではありませんが、日本社会が、やがては、「精神的な価値」を軽んじ、「知の重要性」を忘れた薄っぺらな社会となり10数年後には馬鹿にされながら世界の主流から遠く取り残されてしまうことになるのではないか、とそんな懸念を抱いています。

 吹浦さんが、この欄でお書きになられたように、4月10日に、ダライラマ14世の成田トランジットを日本政府が無視しないよう、大多数の日本人が望んでいるのではないでしょうか。

 昨年11月入国した時は入国は認められたものの政治活動はするな、とか、急遽、某集会が変更になるなど日本政府の神経過敏症的な対応が顰蹙を買いました。

 1980年代中ごろだったでしょうか、ご存知の通り語学が苦手で、主として政治畑を歩んできた私ですが、これでも一時、国際報道にも関わったことがあります。

 そのとき、ダライラマ14世が成田にトランジットで立ち寄るが会ってくれないかと、ある方から持ちかけられ、私は部下に指示して短いながらもインタビュー番組を夜のニュースで短く放送しました。

 この時も日本の報道陣はNHKだけ.NHK内でも当時の外信部から中国との関係を気にして否定的な声が聞こえてきたのですが、無視しました。

 勿論、その後中国側から何も動きがありませんでした。勝手におびえていただけです。

 ダライ・ラマ14世や李登輝前台湾総統はもちろんのこと、世界の要人たちが、そしてわけあって政治亡命した人や難民になった人たちが日本で自由に活動できる社会を目指したいものです。

 政治であっても人道は別、人道に国境はない、それが出来てこそ初めて日本は世界から一目おかれ尊敬される国になると確信しています。   (つづく)
赤十字M [2008年04月03日(Thu)]








 日本の赤十字は草創期以来、皇室の絶大な庇護で発展し、今日に至っています。

 明治10年代後半から、日本ではいっぺんに欧化主義全盛ということになりました。奇しくもこれまたクルップですが、クルップ社の東京支社長をしていたイルクネル大佐、それからベルツ博士等々が、戸田伯爵夫人らとともに赤十字を紹介するイベントを始めたのです。

 虎ノ門で赤十字の活人画、これは動かない演劇といいましょうか、絵のように動かないそれぞれのシーン、つまり、紙芝居を生きた人間でやるみたいなものですが、そういうものを上演したりして、啓蒙に努めました。

 活人画というのは、そのころかなり日本では人気のあったものです。そういうイベントに、当時の美子(はるこ)皇后が行啓されています。
 
 その後、日赤の1つの活動として病院経営をやろうということになりまして、博愛社病院ができ、そこにも皇后が行啓しています。

 しかし、この年でさえ、まだ社員の総数が609人です。今日では、おそらく会場のみなさま、ほとんど全員が日本赤十字社の社員ではないかと思いますが、それが、当時はたった609人なのです。

 ただ、そのあとぐんぐん、倍々ゲームという感じで増えていることにご注目いただきたいのです。

 つまり、実際に日本赤十字社が動き出したのは、この明治19年以降と考えていいのではないでしょうか。

 明治20年になりますと、博愛社が皇室の庇護のもとに入り、正副社長の就任が勅許となりました。

 そして、その5月20日に社名を日本赤十字社と改めて、その時は小松宮が外遊をしていたものですから、有栖川宮が総裁となりました。

 佐野が社長、大給、花房義質の両名が副社長に就任をしました。

 それまで皇室は毎年300円ずつご下賜金を与えていたのですが、その後は毎年5千円ということになりました。

 皇室の日赤への貢献は、今日に至るまで、絶大なものがあり、皇后様が名誉総裁、全宮様が名誉副総裁として名を連ね、実際、関係する全国でのさまざまな式典などに、礼装して臨席し、お言葉をのべて励まされます。
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