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南京の真実・試写会 [2008年01月25日(Fri)]






   試写会に先立ち挨拶する水島総監督と出演者たち。




「南京の真実 第1部・七人の<死刑囚>」の試写会(読売ホール)に
出かけてきた。私はその製作委員会賛同者ということで、
プログラムにも誇りをもって名を連ねさせていただいている。

 水島総さんが脚本・監督・編集をつとめ
エグゼキュティブ・プロデューサーという、
ドキュメンタリー・ドラマである。

 上映時間は3時間、感動のすすり泣きが続いた。

 感動の多くは、当時の最高指導層の人たちがいかに人間的であり、
教養があり、
物腰や態度が立派であるかを
きちんと捉えているところによるのではないか。

いわゆる “A級”として処刑された
松井石根陸軍大将(中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官)、
東條英機陸軍大将(首相、陸相)、
広田弘毅首相(外相)、
土肥原賢二陸軍大将(在満州特務機関長)、
木村兵太郎陸軍大将(ビルマ方面軍司令官)、
板垣征四郎陸軍大将(陸相)、
武藤章陸軍中将(中支方面軍参謀副長、軍務局長)
の死刑執行申し渡しから執行までのおよそ1日を描いた作品。

中には、南京攻略直後の実写フィルムがかなり長時間挿入されていたり、
東京裁判でブレークニー弁護人が
この裁判の不法性を力説する場面が挟み込まれたりしている。

 俳優が、
浜畑賢吉(松井)、
藤巻潤(東條)、
寺田農(広田)、
渥美國泰(土肥原)、
久保明(木村)、
山本昌平(板垣)、
十貫寺梅軒(武藤)であり、
教戒師・花山信勝を三上寛が演じている。

 いずれも個性ある名性格俳優であり、見事に演じている。

 おまけに上映前の挨拶では、いずれも、
水島監督のこの映画制作に賭ける情熱と思いに、
完全に共感しているという雰囲気だった。

 実は水島氏とは今から20年近く前、TBSのプロデューサーとして、
拙著『医師になった難民少女』(中央公論社)を原作に、
ベトナムからのボートピープルで、
日本で最初に医師になったトラン・ゴク・ランさんの話を、
水島氏がテレビドラマ化して以来のお付き合い。

 そのドラマで「吹浦」は恥ずかしくも「山浦」の名で
難民を助ける会の1リーダーとして登場する。

 今回は、水島氏の描き方が「いつになく」しつこくなく、
それだけに与える感動が新鮮で大きなものがあった。

 願わくば、あと20分でいいから短縮されたほうが、
見るほうが助かるのかもしれない。

 たとえば、素人考えだが、能との二重写しは、
途中は全部捨てて、
最後に七人が昇天したところくらいでよかったのかもしれない。

 とにかく深い感動と、
今日、この日本に生を受けている一人としての責任を考えさせられ、
胸に迫るものがあった。

 ケチな私にはめずらしく、「貧者の一灯」として、
感謝の気持ちとともに大枚を醵金させていただいた。

 各地での上映が成功することと、
できれば英訳版が出来ることを期待する。
プーチンはなぜ? [2008年01月25日(Fri)]










「オトコを刺激する情報マガジンR25」ってご存知ですか?

 リクルートが出版している、わりに硬い、週刊誌です。

 そこから取材を受けました。政治欄にこんな形で出ています。

* ********* ● ○ *********

「朕は国家なり!?
ロシアのプーチン大統領は なぜ強大な権力を維持できた!?

1999年に故エリツィン前大統領から権力の座を引き継いだウラジミール・プーチン大統領。今年3月の大統領選には出馬せず、ドミトリー・メドヴェージェフ第一副首相を後継者に指名し、自身は首相の席に移ることが確実視されている(憲法での大統領の三選が禁じられているため)。

しかし、メドヴェージェフ氏はプーチン大統領の腹心中の腹心とされており、大統領辞任後も「プーチン新首相」が院政を敷くのは疑いようがない。それにしてもなぜプーチン大統領は、8年間権力を保ち続けられたのだろうか?

「自身と同じサンクトペテルブルクやKGB出身者を“プーチン号”に乗せ、まとめあげたことが、成功の一番の要因ですね。また、90年代後半、混乱の極みだったロシアには、強力な指導力を持つ、独裁者を待望する声が渦巻いていました。プーチンは、その空気に上手く乗れたんです。だからこそ、権力の座に留まり続けられたのです」(ユーラシア21研究所の吹浦忠正理事長)

よく言われているように、プーチン大統領は、軍事大国から資源大国にロシアを転換させることで、“強いロシア”を蘇らせた。エリツィン時代に栄華を極めた「オリガルヒ」と呼ばれる新興財閥から石油やガス企業を次々と買い叩いて国有化し、側近を新たなトップに送り込んだのだ。

メドヴェージェフ氏の副大統領就任前は、国営ガス企業ガスプロムの会長職を務めていた。だがその一方で、政敵や反体制的なジャーナリストの追放・暗殺疑惑も西側メディアを中心に報道されている。

「プーチン号から落ちた人間は、みんなからひどい仕打ちを受けます。オリガルヒの代表でエリツィン時代に権勢を誇ったベレゾフスキーなども、イギリスに亡命を余儀なくされました」(吹浦氏)

大統領の権力強化はロシアという国家の復権と歩調をあわせて進められた。「朕は国家なり」という言葉は、プーチン大統領にこそふさわしいのかもしれない。(小林ミノル)
多摩川べりを走ろう! [2008年01月25日(Fri)]










 電力会社に勤めながら、安全保障問題の権威である、
若き友人A氏が突然、「柄にもなく」素敵な女性を連れてやってきました。

浅川 絢さんという電力関係の団体で研究員をしておられる方です。

 聞けば、バングラデシュでさまざまな活動をしているNPO
マンディの会でボランティア活動をしているという同僚なのだそうです。

 私は1971〜72年に独立戦争前後の「バングラデシュ日本人会長」。
ほっとけない話ではないですか。

詳しくは、このパンフレットか、HPを見ていただきたいのですが、
要は、チャリティーマラソンParacup2008を開催するので、
小欄その他で、ランナーやボランティアを募集してほしいという話です。

「参加していただいた方に実りある経験を得てもらえるよう、
事務局が鋭意準備をしております」から、
「吹浦さんのお知り合いで、
こうした活動に関心のある方がいらっしゃいましたら、
ぜひお声がけいただければ幸いに存じます」とのメールも来ました。

 どうです。4月20日(日)、多摩川サイクリングロードを
走ってみませんか?

 ハーフマラソン、10キロ走のほか、
10キロ歩きというのもあるそうです。

 ICチップで正確な所要時間も計ってもらえます。

参加費は一般4,500円、中高校生2,000円、小学生無料。

みなさん、ふるってご参加ください。また大いに広めてください。
呼びかけてください。見にだけでも行きましょう。

申し込みの際には「マンディ紹介(浅川)」としていただければ、
この素敵な女性が「こちらでフォローさせていただきます」というのですから、
お申し込みは簡単です。

4月20日、八重桜の季節かな。多摩川べりは春爛漫、最高の気分かも。

 ご質問やお申し込みは、直接事務局か、吹浦に下さって結構です。


 大会のHP
 http://www.paracup.info/2008/
 
 マンディの紹介
 http://www.paracup.info/2008/cooperation/sponser.html
虎屋の羊羹異聞 [2008年01月25日(Fri)]












ロストロポーヴィッチさんと打ち合わせをする筆者。
錦糸町のホテルで。





 外国人と和菓子について、
ブログネーム?「和賀静子」さんから問い合わせを
いただきました。

 友人である、虎屋の黒川光博社長にでも聞こうかと
思いましたが、それは別の機会にとして、
虎屋と言えば羊羹、パりに早くからお店を持っている
「羊羹の虎屋」ですから、
きっと、フランス人も好むのではないでしょうか。

 私が実際に羊羹を提供したのは、
ロシアのゲンナジー・ブルブリス元国務長官と
昨年4月に亡くなられた
チェロのムスティスラフ・ロストロポーヴィッチさんです。

ブルブリスさんは、最近でこそ日本ではあまり報道されませんが、
ロシア連邦初代(エリツィン時代前期)の国務長官であり、
ソ連邦を壊した一人といってもいいでしょう。

エリツィンとはウラルのエカチェリンブルクに縁が深いという
同郷のよしみもあったことからでしょう。

長官時代には権勢を振るい「灰色の枢機卿」の異名を取るほどでした。

姓が「ブルブリス」というのは、
「第一次世界大戦のころ、
祖父がリトアニアからウラルに移り住んだことに由来する」
といっていました。

 もう一人の、巨匠ロストロポーヴィッチについては
今さら説明も不要でしょう。

 この二人が、無類の羊羹好きなんです。

ブルブリスさんとは銀座の天国(てんくに)にテンプラを食べに行ったとき、
「銀ブラ」中に虎屋銀座店の前で羊羹について説明をしたところ、
食べてみたいと言うので、差し上げましたら、
天国でそれを開き、ナイフフォークで1本ペロリ!

これにはこっちが驚きました。
渋茶を2、3杯差し上げたのはもちろんですが、
その晩の胸やけについては、聞きそびれました。

「スラーヴァ」の愛称で親しまれたロストロポーヴィッチさんは、
小さく袋に入れた虎屋の羊羹が大好きで、
ポケットにいくつか入れて、
しょっちゅう、食べているのです。

日本では錦糸町のホテルが好きで、そこから
「毎朝のように、築地に行って寿司をたべ、あとはこれだよ」と、
悦に入っていました。

 2回目に会ったときは、モチロン、
虎屋の一口羊羹をお持ちしました。
「ブラーヴォ!」といって抱きつかれましたが、
思えば、なんとも「変な外人」ですよね、これって。

『収容所列島』でソ連の強制収容所の実態を描き出して体制批判をした
ソルジェニーツィンを自宅にかくまった
スラヴァの気骨ある人生、骨太の生き方からはいろいろ学びました。

 小澤征爾さんの指揮する新日フィルとドヴォルザークのコンチェルトや
リヒアルトシュトラウスの「ドン・キホーテ」を演目にチャリティコンサートを
行なったときのことです。

「セイジ、出演料は一度全部もらおう。
そして全額をフキウラの会(難民を助ける会)に寄付しよう。
税金はなんとかならんかね、この国では」

「スラヴァ、3人で記者会見して、
堂々と国税当局を中央突破しよう」。

 小澤征爾さんの提案で、私と3人で記者会見をした。

人道的な国際活動に協力するのに
税金を国に収めねばならないのはお二人とも「解せない」と力説した。
もとより、私に異のあるはずがない。

 その間もスラヴァはポケットから羊羹を何本か出しては、
吸い出して食べていた。よほどの好物と見える。

 結果は事実上、私たちの希望通りになった。

逝去からやがて1年、
合掌し、羊羹でも食べながら、あらためて追悼したい。
根室の冬 [2008年01月25日(Fri)]






   車石岬(根室市)。挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
  掲載させていただいております。禁無断転載。




 札幌在住の畏友であり、地域づくりに励む雑誌編集長・大沼芳徳さんから、
こんなメールをいただきました。ありがとうございます。

 問題提起と、風情と、心配事といろいろ
考えさせられました。

 ********** ● ○ *********

 数年前、当会の研修事業(起業家養成)の参加された方の
ブログに以下のような、今年の冬のような話が出ていました。

 根室の言葉が出ていましたのでコピーしました。

北海道庁の機構縮小(根室支庁の再編、つまり消える話)と北方領土返還
の問題が、昨日の根室市の意見交換会で出された
とのニュースが、昨日、テレビなどで報じられていました。

何か、北海道の背に腹はかえられぬ、とばかりに
経済的に干し上がっていく様は身から出た錆では
ありますが、同時にロシアの高笑いが
聞こえてくるようです。


*******************

まぁ、久しぶりにシバレタと思ったら今日は
雪も融け出して道路はべしゃべしゃです。
えーと、融雪剤を撒いたのかもしれませんが・・・。

残念。

もっとこう・・・睫毛も凍って、
鼻の穴もくっついてしまう
あの厳しい寒さを期待していたのに、
やはり札幌では無理なんでしょうね。

でも。この一週間は久しぶりに、
きりりと寒かったのでホットしました。
やはり、冬は寒くないといけませんよ。

オホーツクの方には流氷が来たそうで、
流氷をがりがり割りながら進む観光船「ガリンコ号」や
「オーロラ」も一安心と言うところでしょう。

あの観光船は高いなぁと、私は思うのですが
ツアーのお客様には受けているみたいなので、
まぁいいのかなぁと。


子供の頃、根室に住んでいたので
冬になるとあたり前のように流氷がやって来て、
それを小学校の窓からボ〜ッと見ていて、
毎日のように先生に怒られていました。

絶対に上にのってはいけないと
厳重に注意されるのですが、
流氷はどっしりと厚くて漁師さんなんかは
平気で上にのってましたから、
子供たちものってみたりしてね。

当事はもっともっと寒かったので、
それはもう地球全体が寒かったので、
流氷もたっぷり流れてきてましたが、
今は随分少なく、そして薄くなりましたね。

子供の頃はデパートも無いぱっとしない田舎町だ
と思っていましたが、大人になって思い出すに
根室と言う町は私の人生を変えた町なんですよね。

お魚が身近になって、好きになったのも
根室に引っ越してからでした。

懐かしく思い出したところで
次回は、根室の漁師さんの豪快なお話を
いたしましょう。
北方領土「見解」へのコメント [2008年01月25日(Fri)]





   択捉島紗那の旧郵便局。戦後も、60年間、郵便局として
  活用されたが、2007年、一部が破壊された。





 2月7日の「北方領土の日」を前に、ユーラシア21研究所では、「北方領土問題への対応について」と題して「見解」を発表しました。

 これについて、多方面からコメントを頂戴しております。引き続き、ご紹介いたします。

☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

簡にして要を得た良い文章だと思います。
私も何時までも今のような関係を続けているよりは麻生前外相の案で妥協してもよいのでは、と考えたことがあります。

正直言ってロシアにはあまり親しみを感じませんし、ロシア時代はともかく、ソ連については反感しかなかったし、今のロシアも信用できそうにないので、面倒になっていたのかもしれません。

しかしロシアが日本にとって大事な国であることは重々分かっていて、いつも忘れずに考え続けてきたことも事実なのです。

歴史を無視した妥協が将来に禍根を残すことはあきらかであり、いろいろ学び、お教えを得て考えを改めました。

戦後吉田茂は、鳩山一郎が功をあせって日ソ間で安易な妥協をするのではないかと心配して、池田に反対運動を起すよう指示していましたが、今の日本政府の責任ある立場の人にも多くの私みたいな人がいると思われます。

このようなアピールを広く行い、日本の主張の正当性を知らしめ、国のありかたとしてそのように振舞わなければ後世の人々から批判されるのみであることを理解してもらうことが、現状ではもっとも緊要なことでしょう。

たいへん良い試みであると思います。
                       平林敏男(中央公論元編集長)

   ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●


北方領土問題への見解をお送り頂きまして有難う御座いました。

不法占拠しているソ連(時代)から現在のロシアに至るまで、不誠実極まりない対応に腹を立てて居ります、且つ、日頃から非常に強い関心を持ち、東京財団虎ノ門道場でも関連テーマの講演は欠かさず伺って居りました。

去る10日の貴フオーラムで佐瀬先生のお話を伺い、「ロシアへの反論」も読ませて頂きました、誠に明快で筋の通った論拠の数々に加えて欧州議会での決議を交えて極めて明確なメッセージでした、共感し誠に勇気付けられた次第です。


貴研究所を始めご関係者の北方領土の返還に向けての地道なご努力の積み重ねに対しまして敬意を払います。一日でも早く返還が実現する事を強く願います。正々堂々と主張すべきは主張する、凛としてぶれない外交をして頂きたいと望みます。

                  坂倉 正彦(鎌倉同人会会員)
講義録「日本の領土」K [2008年01月25日(Fri)]




  択捉島の少年たち。





北方領土には、富士山を小さくしたような山がたくさん並んでいます。すばらしくきれいなところです。

北方領土は資源的にはほとんど見るものがありませんが、観光的にはとてもきれいなところだと思います。

日本が実効支配していませんから自由には訪問できませんが、1991年に日ソ両国の外相による交換公文で一定の条件にしたがう「ビザなし交流」が行なわれています。

北方領土返還要求運動をやっている人とかジャーナリスト、国会議員、元島民といった人たちが限定的に訪問する資格を持っています。

私はその方の全国会議の副会長を15年やってきましたので、これまでに10回ぐらい訪問しています。

「ビザなし交流」というのは、正確には「旅券なし交流」というほうが正しいと思います。日本の領土に行くのですから、旅券は不要です。

そういうことができると言うことは、ソ連とその継承国家であるロシアが、北方4島の帰属が未確定であるということを認めているということになるのです。

この4島が係争の地であるということをお互いが認めているということです。お互いの法律的な立場を損なわないようにしながらいうことで、この「ビザなし交流」をやっているわけです。

これは非常に重要で、かつ平和条約交渉において意味のあることでして、日本人の訪問をいっさい認めないということになりましたら、この問題は解決がいっそう難しくなるのではないかと思います。

それだけに慎重な交流も必要になってくるわけです。
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