• もっと見る
« 2007年11月 | Main | 2008年01月»
<< 2007年12月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
朝日のほうが右翼? [2007年12月13日(Thu)]






 海上自衛隊の旗を続けて2回も掲載したので、私がなにか右翼みたいに見えた読者もおられたようです。誤解なきよう、明言しておきますが、私はイデオロギー的には中立を標榜しているつもりです。

「支持政党」は「なし」と答えています。今の時代、全面的に託せるような政党はありません。ですから、自民党を批判するときも、民主党を批判することも大ありです。但し、各党所属の国会議員に結構親しい友人・知人がおります。

 めざすは、powerful neutralityです。

 ところで、海上自衛隊の旗について書いた最後に、朝日新聞の社旗についてもふれました。

 そこで、実際に社旗をご紹介しようと思って、ネットで探しましたが、私のPC技術と根気では到達できませんでした。唯一の映像がこれです。

 ついでに、ウィキペディアに大事の背景と社旗について説明がありましたので、よく知られていることですが、念のため、その部分を転載します。

 社旗といい、題字の背景(地紋)のいわれといい、朝日新聞のほうが、私より、ずうっと右翼だと思いませんか?

  ☆・★☆・☆・☆・★・☆・☆・☆・★☆・☆・☆・★

 題字の地紋は、東日本(静岡県以東)と西日本(愛知県以西)で異なっている。

 東京本社と北海道支社の地紋は、1888年に「東京朝日新聞」として東京に進出した頃から使用している「サクラ」。「朝日ににほふ山桜花」の古歌の意味を表わしている。

 大阪本社と西部本社、名古屋本社の地紋は「浪速の葦(なにわのあし)」で、大阪で生まれた新聞であることを表わしている。

 なお、社旗も東日本と西日本で異なっており、東日本は朝の字が左端にあって旭光が右に向かっているのに対し、西日本はその逆となっている。それぞれ朝日が東日本・西日本を照らしている意味からきている。

写真は、夏の高校野球のときに甲子園球場に空中から落とされた朝日新聞の社旗です。

www.hobidas.com/blog/special06/archives/2005/08/index.html - 47k
より転載しました。
社会党が気づかなかった? [2007年12月13日(Thu)]





 旭日旗(海軍軍艦旗)がそのまま海上自衛隊旗になったことに、なぜ、当時(1959年)の日本社会党左派や共産党が強行に反対しなかったのか、という質問が、私より少し若いN氏から、寄せられました。

 私は当時中学生ですから、よく解らないのですが、もしかしたら、彼らは気づかなかったのではないでしょうか。

 どなたか事情に詳しい方がいらしたら教えていただけませんか。

 いや、私は伝統と精神を受け継ぐという面で、それでよかったと思っているのですが、考えてみれば不思議ですよね。旭日旗は、日本の「軍国主義」の象徴のような旗印ですから。

  諸外国にはこれが日本の海上自衛隊の旗というのは、海外での支援活動や遠洋航海訓練で、いまや十分知られ、歓迎されていますから、もちろん、このままでいいと思います。

 でも、ある年齢層の方には、この旗を見ると、きっと、さまざまな思いがあるのでしょうね。

 ちなみにこのデザインの大きな旗は、製作に最も苦労するのです。縫い合わせる赤と白の布の形が個々に全部違うのですから。

 そうそう、朝日新聞の社旗は、ご存知のように、この上半分を左右に分け、東京本社と大阪本社の旗になっているようなデザインです。太陽の部分に「朝」という文字が入っていますが。

海上自衛隊の旗 [2007年12月13日(Thu)]






 成城大学4年生であるWくんから、海軍旗について質問がありました。
「旭日旗とか軍艦旗と呼ばれている旗がありますが、あれは今はどうなっているのですか」というものです。

 答えは簡単です。「今は海上自衛隊旗として使用されています」。

 それではあんまりですので、少々、その沿革を説明しましょう。
正しくは旭日旗です。もともとは1870(明治3)年5月15日「太政官布告第355号・陸軍國旗章並諸旗章」で「陸軍御國旗」として告示されたものです。原寸で表示されていますので、( )でメートル法表示をしておきましょう。

縦:四尺四寸(約134.2cm)
横:五尺  (約152.5cm)
縦横比:1:1.14
円:横の3分の1。朱
日章は旗面の中心(対角線の交点に一致)
日章から16条の光線が放射状に発するデザイン。

 維新戦争のとき、薩長側が、国学者の玉松操という公卿が考案したとされる16弁の菊のご紋章である紅白の旗を密かに製作して保管し、鳥羽伏見の戦いに際しこれを掲げて、「われこそは官軍であるぞ」と示す「錦の御旗」としたのです。これで薩長軍の士気は大いに高まり、逆に佐幕側はかなりの精神的ショックを受けて、威圧されてしまったとされています。
一方、幕府側は、上野の山に立てこもった彰義隊や庄内藩、会津藩などの兵士が「日の丸」の幟や袖章、軍扇などを用いていました。かの河井継之助(長岡藩)が「日の丸」の軍扇を用いたこともつたわっています。

 榎本武揚を総裁として五稜郭(函館)に籠もった最後の幕府軍は「日の丸」を掲げていました。以前、函館市役所の人といっしょに調べましたが、「独立国」を目指していたはずですが、「国旗」は「日の丸」でした。

 海軍では1889(明治22)年10月7日、「勅令第111号・海軍旗章條例」の中で軍艦旗として旭日旗を規定しました。それによると

地色:白
日章と光線:紅
縦横比:2:3
円の中心:旗面の中心(対角線の交点)より、竿側に縦の6分1寄る
日章の直系:縦の2分1
光線の幅:11度4分の1
光線間隔:同  上

 これによって、陸海軍で「朱」と「紅」の、色が違う旗を定めたことになります。
背景が山岳や平原であることと、大海原であることの違いなのでしょうか。私には両者の違いが、実はよく解りません。

 現在では、陸上自衛隊では8条の、海上自衛隊で16条の旭日旗が使われています。いずれも1954(昭和29)年に復活したものです。


行革のあり方が変だ [2007年12月13日(Thu)]



   大きな雑居ビルの9階、入り口には
 「ボールペン購入に関する入札の公示」が
 張り出されていた。時節柄、そういうことに
 なるのだろうが、こんなことで、
 北方領土が帰ってくるのか、わざわざ仕事を
 増やしているようなものではないかと、
 昨今の行政府全体のやり方に
 ここでも疑問を感じた。









    少数精鋭、一騎当千の諸氏であることは百も承知。
   しかし、「大国ロシアを相手にこれでは玉砕もやむなし」
   との声さえ、返還運動関係者からは聞く。



 独立行政法人北方領土問題対策協会(北対協)が先週末、千代田区紀尾井町から、台東区北上野に移転した。移転理由はごく単純「経費節減」。うわさによると、年間、百万円単位の前半分、削減になるということだ。

 税金の削減はいいことだが、政治や行政の中心地である永田町・霞ヶ関周辺から離れて、これで、活動が拡充できるものなのか、率直に言って不安である。

 要するに、国の借金がべらぼうなことは百も承知二百も合点だが、こういう国家の主権に関わることは安易に考えてもらっては困る。数値目標だけきめて、個々に何とかせいというのでは、子供にでもいえる。意義や中身を吟味し、判断があってこそ政治というものではないか。

 私は昨夜、たまたまその5,6軒先のビルで行われた「変人奇人の会」で無料の講演を頼まれ、「世界の国旗のことならいつでもOK」と言っている身として、喜んで馳せ参じた。

 そのついでというと何だが、北対協の新しい事務所を訪問し、井上理事長に表敬し、今般出版した『ロシアへの反論』(自由国民社、1600円)を謹呈して来た。

 東京と札幌に事務所を置き、19人しかいない「独法」が、「一率15%の人員削減」というのも、私には悪平等としか映らない。こういうことを、どこよりも待っているのが「北の隣国」ではないか。

 ところで、この「変人奇人の会」、パチンコでこの一ヶ月2,30万円は稼いだというインテリ元銀行支店長、内モンゴル出身のよくわからない美女、似顔絵師、皆既日食に夢中なライオンズクラブの会員、東トルキスタン人(新疆ウィグル出身で中国からの独立運動をしている人)、企業のロゴを考案しているデザイナー、技術のことなら何でも来いという中小企業経営者、中国のウラ情報に精通しているエコノミスト、国際的な労働力の手配師・・・文字通り、変人奇人(但し、みなさんかなりのインテリばかり)が集まっていた。

 話すほうも聞くほうも酒(古酒の泡盛、ブレンドした焼酎など)を飲み、寿司とピッツァと白菜の漬物を同時に食べながらという機会は、そうはないが楽しかった。

 帰路、今一度、わざわざ北対協が移転したビルの前を通った。「かくなる上は、われわれ関係者がいっそう、がんばるほかない」と心に帰するものはあったが、私にはこの移転がやはり合点がゆかない思いが強く残った。

 寒風が肌にしみた。 
日本が無視された [2007年12月13日(Thu)]
   





尊敬する国際派ジャーナリストのP氏からのメールです。

 ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

吹浦さんもよくご存知の
Qさんとお会いしました。

豊富な話題で
2時間あっと言う間に過ぎました。

一つ懸念の芽がまた増えました。

Qさんが言うところでは
CSISが
アジアとアメリカ関係を照覧する報告をまとめ
草案の段階ですが、
アメリカの一番の同盟国は中国、
そのほか同盟国として韓国などの名が挙がっているものの
「日本」の名が見えない、と
言うのです。

幾らアメリカ人が薄っぺらな思考
その日その日の発想でしかないと言っても

これは由々しき問題です。

これほどまでに
日本の存在感が薄れているのかと
衝撃を受けています。

Qさんも衝撃を受けており
日米関係、米中関係、米韓関係を
ざっと見回しました。

共通するのは
日本はひたすら、対米追従外交、
今バリ島で開かれている環境会議でも

二酸化炭素排出量の削減で先進国に数値目標を定めるのを
日本は
アメリカに追随して反対する始末。
国内では
政府の財政赤字が深刻、
生活保護、健康保険、失業手当などの削減を続け
政府の基本的な義務でさえも
出来ないでいるのに
「思いやり」予算でさえ
アメリカに遠慮して
大幅削減できない始末。

その上で
シンクタンクに無視されるのですから
馬鹿にされていること
この上ない。

あれだけアメリカと対立している中国が
一番の同盟国?

一方で
こんな馬鹿な
対米追従外交を続けて
一体何の意味があるのか。

「ふざけるな!」と
思わず怒りを覚えてしまいました。

 ☆・★☆・☆・☆・★・☆・☆・☆・★☆・

 さてはて、由々しき事態。

 日米関係については海洋政策研究財団や
平和安全保障研究所がちかく大きな会議を行う予定のようですが、
外務省も、今、人事と予算で停滞しているし、
外交機能は停滞気味です。

 畏友・加藤大使もずいぶん長くなりました。
親しくおつ気合をさせていただいてきた谷内事務次官も満3年です。

 1月の人事で、省内の空気を刷新し、気合を入れて
まず、日米関係の再構築に当たってほしいものです。
| 次へ