オーストラリア政変と国旗 [2007年11月25日(Sun)]
一昨日行なわれたオーストラリアの国会議員選挙で、ラッド党首率いる労働党が保守党に勝利し、11年ぶりに労働党政権となる。最終的には150議席中、83議席を占めるものと思われる。
報道によれば、ラッド氏は外交官として北京に勤務したこともある「知アジア派」で、環境問題にも熱心で「京都議定書」の実施をめざすという、公約を掲げているという。
また、イラクからの段階的撤退も公約し、同盟国アメリカが苦慮している。ハワード首相がブッシュ米大統領の盟友と言われてきただけに、この点も注目すべきであろう。
私が気になるのは、やはり国旗。
この前の労働党政権の時には、英国の自治領という現在のステイタス、すなわち、国家元首はエリザベス女王であり、その代理人が高等弁務官としてオーストラリアに君臨するという形を改め、オーストラリア連邦共和国になるのではないかということだ。
オーストラリアの国旗はもともと公募で選ばれた世界最初の国旗であり、もし、国体が変更になれば、また、公募による可能性が高い。既に、カンガルーやコアラを描いたものを含め、何千ものデザインが提案されているようだ。
南十字星を大きく描いたオーストラリア国旗であるが、国体の変更となれば、当然、カントン(棹側上部)の「ユニオンジャック」は消えることになろう。
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宇多田ヒカルでした [2007年11月25日(Sun)]
昨日、「秋田は女、岩手は男」と題して書いたところ、歌手の藤圭子を、浜崎あゆみの母と書きました。
早速、みなさまから「注意」「指導」「お叱り」をたくさんいただきました。宇多田ヒカルの母でした。
私は本当にお粗末で、25年前まで、森進一と森昌子は、当時既に夫婦だとばかり思っておりました。
時の中曽根首相から「森くんが、歌を通じ社会貢献をしたいと言っている。キミ、一緒にやってみないか」と紹介され、中曽根事務所でお会いしたのが「じゃがいもの会」の始まりでした。
最初の打ち合わせを赤坂プリンスホテルで行い、記者会見もしましたが、お二人はとても親しいし、芸能界のことは何も知らなかった私は、完全に夫婦だと思っていました。
ある日、森進一から「今度結婚することになりました。つきましては・・・」。
このあたりの真相は、まだ内緒にしたほうがいいでしょう。
それで、森内さんと森田さんと言うのが本名だと知ったほどです。高輪のホテルでの豪華絢爛たる結婚披露宴にもお招きを受け、美空ひばりと言う人をごく間近で見、その所作、スピーチの美味さに感心しました。それに比べ、「ミスター」は・・・、まあ、そういう昔話はやめにしましょう。
あるとき、森光子にじゃがいもの会に出演してもらったとき、友人が「あの人が森進一のお母さんだよ」と、私をからかったときは、さすがに、だまされませんでした。
じゃがいもの会は17年間、舞台は森さんが、主催は難民を助ける会でした。ですから、 この間、お二人には何十回も会ったし、二人の森さんが別々に生活し、歌っている今でもお付き合いがあります。
一方、もちろん、藤圭子は知ってました。「15、16、17と 私の人生暗かった」と歌ったときは、わが高校時代のころと真剣に比べたりしたものでした。
それにしても、みなさまからたくさんの訂正の申し入れがあり、驚き、かつ、感謝しています。学者、エコノミスト、政治家、学生、看護師、「妙齢の美女」・・・どんな人が小欄のどこを見てくれているのかも教えていただいたような、私の間違いでした。お詫びして訂正します。
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Posted by
吹浦 忠正
at 08:00 |
人物 |
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