憲政の神々 [2007年11月07日(Wed)]
こちらはホンモノの「憲政の神様」尾崎咢堂。 憲政記念館で撮影。 大手広告代理店の部長だったSという私の大先輩が、ようやくインターネットを使えるようになったといって、「古事記」の天岩戸(あまのいわと)の物語を引っ張り出し、そこに出てくる神々の名を入れ替えたら、「こんな楽しい文章ができた。老人の暇つぶしと思って、ご覧あれ」と私に送ってきた。 随分旨くできてるなと思って調べてみたら、ウィキペディアの「天岩戸」を下敷きにしているようだ。 先輩は是非、おまえのブログで紹介せよと言うことなので、文責はとれないが、とりあえずは単純に面白いので、転載させていただくことにした。小沢代表の狙いをこう読む人もいるのかと、ニヒルな、人生の大先輩に敬意を表する部分なしとしない。 ☆☆☆ ★★★ ☆☆☆ ★★★ 考え方はまるで違うが、M一派の神々たちは、そのまま高天原に居座った。そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりの乱暴を働いた。他の神々は小沢代表に苦情を言うが、小沢代表は「彼らにも国を思う考えがあってのことなのだ」とM一派をかばった。 しかし、小沢代表が機屋で神に奉げる衣を織っていた時、M一派は機屋の屋根に穴を開けて、そこから皮を剥いだ馬を落とし入れ、一人の天の服織女が驚いて梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまった。ここにきて小沢代表はM一派の行動に怒り、天岩戸に引き篭ってしまった。 引きこもり際に、小沢代表は「キミたちが力不足の上、十分働かないから、余はもう嫌になっちゃった」と言った。「別の世に行って住むかもしれない」と言ったとかいわないとか、噂が残った。 高天原も葦原中国も闇となり、様々な禍(まが)が発生した。 そこで、民主党所属の衆参両院議員が永田町や赤坂に集まり、どうすれば良いか相談をした。 そして、鳩山幹事長の案により、様々な儀式を行った。 常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。天の安河の川上にある堅い岩を取り、鉱山の鉄を採り、鍛冶師を探し、八咫鏡(やたのかがみ)を作らせた。別の者には八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)を作らせた、さらに他の二人を呼び、雄鹿の肩の骨を抜き取り、ははかの木を取って占い(太占)をさせた。 賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八咫鏡と布帛をかけ、別の者が御幣として奉げ持った。多くの議員が手を合わせて拝むような格好をした。菅代表代行が祝詞(のりと)を唱え、山岡国対委員長が岩戸の脇に隠れて立った。おき石参院議員会長が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りをして、胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように全議員が楽しそうに一斉に笑った。 この声を聴いた小沢代表は、何事だろうと天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているというのに、なぜ鳩山幹事長は楽しそうに舞い、すべての議員が笑っているのか」と問うた。 一人が「貴方様より貴い神が表れたので、それを喜んでいるのです」と言うと、菅と鳩山が小沢代表の前に鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿がその貴い神だと思った小沢代表が、その姿をもっと良く見ようと岩戸をさらに開けたとき、隠れていた羽田とかいう老人がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。 すぐに渡部老人が注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」と言った。こうして小沢代表が岩戸の外に出てくると、高天原も民主党本部も明るくなった。 党所属議員たちは相談し、M一派に罪を償うためのたくさんの品物を科し、髭と手足の爪を切って高天原から追放した。 このあと、アマテラス、否、小沢代表は2600年以上にわたり、高天原のみならず八洲(やしま)の歴史に名をのこした。 |