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世界の国旗に感謝 [2007年10月28日(Sun)]




  パラオの国旗は「月の丸」。
日本の国旗の影響でデザインができた例です。






この号の71頁から、遠藤ふき子アンカーによる私へのインタビュー
「世界の国旗を見る−旗にまつわる物語」が掲載されています。




「世界の国旗の覚え方」について、以前、小欄の読者である高知県の女性団体役員のTさんと大分県の教員A氏からお問合せがあり、拙著『国旗で読む世界地図』(光文社新書)を進呈しました。

 ところが、今年は、「世界一受けたい授業」(日本テレビ)や「ラジオ深夜便」(NHK)でそんな話をしたこともあり、あちらこちらから講演を依頼され、嬉しい悲鳴をあげています。首都圏のほか、近く盛岡、秋田に伺いますし、来春、大阪でというのも決まっています。

 そのほか、小学生からご高齢の方に至るまで、国旗についてはいろいろ関心があり、質問があるようで、日常的に頻繁にメールやお手紙をいただきます。できるだけ、マメにお返事をしてきましたが、申し訳なくも全部に回答できないでいます。

 そんなさなか、今、書店で発売されている月刊誌「ラジオ深夜便」(350円)に、一時間近い私の話を要領よくまとめてくださっていますので、ご購読をお勧めします。

 また、世界の国旗について話を聞きたいと言ってユーラシア21研究所にやってくる人もいますし、話に来いとお招きくださるグループもたくさんあります。

 私は、東京オリンピックのときに国旗を全部そろえる仕事をしましたし、そのとき以来、あるいはそれ以前から、国旗に教えられ、育てられ、、国旗でどんなに学びトクをした計りえません。世界の国旗には心底感謝しています。

 ですから、この知識や喜びを分かち合おうという方々がおられたら、もちろん、タダででも講義や講演に参上しますので、お声をかけてください。

捕虜第1号 D [2007年10月28日(Sun)]








赤十字を通じ捕虜名を通報

―― 収容所生活で酒巻さんは厳しく自己を律して、たとえば、戦友が死を賭して戦っているのだからということで、湯やベッドを使わなかったり、ストーブに近寄らなかったり、2年間鏡をご覧にならなかった、というようなことがあったようですね。
酒巻 これは個人的なことです。

―― 日本人とは何かを考えるため、恐縮ですが、その個人的なとおっしゃることをあえて伺いたいのです。
酒巻 捕えた敵国軍人の写真を撮って敵国に連絡する・・・・・・規則ではそうなっているわけです。正規にはそうなっていますが、われわれのほうが、写真を撮らせませんでした。それは家族へ迷惑が及ぶのを恐れ、また迷惑を及ぼさないようにと判断したからです。ハワイなどでも、昼間に番兵からタバコをもらって、一晩中タバコで顔を焼いたことがあります。そうしておいて、万一写真を撮られても誰が誰なのかわからないようにしてしまったということもありました。これは個人的な特異なことです。

――ニュージーランドである人が写真撮影を拒否し自殺を図った例がありますが、酒巻さんのような例は他にあまりいなかったのではありませんか。
酒巻 方法を違えていろいろやった人がいたかもわかりません。本来からいえば、やはりお互いにその不幸になったことは割りきって、規則は守らなければなりませんね。これは管理する側も管理されるほうの側も、常識的に国際的に決められたことを守るというのが正常だと思います。ただし、当時の日本人の考え方からいけば、敵国の捕虜になること自体が問題です。しかし捕虜になってしまったら、守るべき秩序は守らなければいけません。国際的な常識は守らなくてはいけません。

―― そうした写真は、結局、日本に送って来なかったようですね。
酒巻 少し見れば私にはわかると思いますが、現実に見ていないのです。撮られないようにしていましたが、いつの間にか写真を撮られて日本に送られていたなら分かりません。

―― 真珠湾攻撃直後に国際赤十字を通じて日本に知らせがあったのは、酒巻さんの名前だけのようです。それで特殊潜航艇で亡くなられたのが9人だけというのがはっきりしたわけですが、写真は来なかったはずです。
酒巻 そうでしょうね。写真を撮らせなかったですからね。私は非常に警戒していましたから・・・・・・。
捕虜第1号 C [2007年10月28日(Sun)]







―― 酒巻さんのお書きになられたものを読ませていただきますと、サイパンから前と、サイパンから後では同じ日本人捕虜といってもずいぶん違うという印象を強く受けます。

酒巻 というのは、軍属とか、ほんの少しの間兵隊になってすぐ捕まってしまったという人たちが、大量に加わったからです。この人たちは戦争中に、戦争にひっかけられた民間人というべきで、そういう人は、軍人の名誉とか、誇りといったそんな考えはなく「大変なところへ連れて来られた」というだけのことでね。軍隊や戦争というものに対して本音では気持よく思っていない人たちですからね。



〔注〕(サイパンでは日本人のムダ死にを防ごうとして)意気込んだ心理戦も思うにまかせなかったが、確認された民間人の死体は意外に少なく、600人足らずだった。全体の40分の1だ。それだけではない。兵隊が2,700人、つまり一割以上が無駄な死から救われた。
 この大成功は軍の上層部を驚かした。そして私たちが信じて疑わなかった日本人の人間性がはじめて具体的に立証されたことになり、私は非常にうれしかった。
<オーテス・ケーリ(米海軍大尉、ハワイ捕虜収容所長、現・同志社大学教授)『よこ糸のない日本』サイマル出版会、35頁>



―― 朝鮮半島の出身者もいましたね。
酒巻 一般的に言えば、彼らは立派でした。もちろんなかにはいろんな人がいたかも知れませんが、朝鮮人で軍人になった人は、むしろ捕虜になってもしっかりしていたケースが多いように思いました。
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