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ダル! 日本一!! [2007年10月27日(Sat)]


  勝利の瞬間「おたけび」を挙げるダルビッシュ(時事通信)





 日本シリーズ第1戦はダルビッシュ、川上両エースの投げ合いがすばらしかった。好投した川上の1回の不運は気の毒だが、13奪三振の日本シリーズタイ記録を達成したダルビッシュの気迫の投球が良かった。

 特に、9回、4番ウッズに対する、捕手のサインに2回首を振って、眉間にシワを寄せながらの151キロという直球勝負は見事とというほかない。往年の金田、最近の工藤、明日、ワールドシリーズで投げるであろう松坂を超えそうな、若武者の気迫にしびれた。

「アンチ巨人」の私だから、せめて、中日に「ごくろうさま」とだけは言っておきたい。明日のリベンジに期待しよう。
早稲田で「台湾週間」 [2007年10月27日(Sat)]














  許世楷駐日台北経済文化代表処長(大使)





   白井克彦早稲田大学総長








    玉沢徳一郎衆院議員






 早稲田大学の創立125周年と早稲田祭を記念して、
「台湾文化週間」のもりたくさんの行事が早稲田で行なわれる。

 その初日ということで、
大学に隣接するリーガロイヤル・ホテルでレセプション「台湾の夜」が
開催され顔を出した。

 駐日台北経済文化代表処と
同大学台湾研究所の共催になるものである。

 許世楷同処長(大使)は挨拶のなかで、
早稲田の果たしてきた役割を称え、、
「台湾週間」の一連の行事について説明した。

 その中では、同代表は、
東京財団時代の私との間で一昨年話し合い、
昨年から始めた「日台次世代対話」のミニ版を
明日2時から早稲田で行なうのと、
伝統の人形劇(日本語)を上演することの
意義と素晴らしさを力説しておられたのが印象的だった。

 妙な言い方だが、体調が悪いのに出かけたのは、
ひたすら、許代表との関係からだ。

 如何せん、
大学院で同じゼミの7年先輩というのだから逆らえない。

 挨拶は他に、いずれもかねて懇意にさせていただいている
白井克彦総長と玉沢徳一郎衆議院議員(元防衛庁長官)。

 白井総長は、
「アジアに尽くす研究と人材育成に努めるのが
早稲田最大の責務である」とし、
「学部生の10%を留学生にする」と述べた。

「2年前、早稲田に台湾研究所を創設したのも
その一環である」としてその意義を説明した。

 玉沢衆院議員は
「許代表を始め、自分が在学中出会った台湾からの留学生の多くは
独立志向で、
そのため帰国できなかった」という話をした。

 そのあたりについては、
許代表のさまざまな著書に詳しいが、
同代表は確か30年近く帰国できないまま、
津田塾大学で教鞭をとっていた。

 日本にとって「南の隣国」台湾の重要性は
計り知れない。

 母校がその点をよく理解して対応していることが嬉しい。

 ムリをして出かけた甲斐があったと、
いまさらながら、
先輩のありがたさに感謝している。


カナダ大使の役割 [2007年10月27日(Sat)]




 カロン駐日カナダ大使。先月の還暦祝賀会で。



 先日、ジョセフ・カロン駐日カナダ大使の還暦祝いの晩餐会について小欄で書いたところ、さまざまなリアクションやコメントがあったが、中に、ペンネーム「ツクツクボーシ」さんから、「大使ってどの国でも優雅ですね。どんな仕事をしているんですかね」と、皮肉交じり?のメールが来た。

 権謀術策を駆使して情報合戦をし、相手国の外交を捻じ曲げて・・・などというのは特定の国にはあるかもしれないが、日本とカナダのような友好的な国の間にはまずない。いかに、友好協力関係を維持するかで、お互いか力を合わせるというのが、日常業務であろう。

 そんな中で、この31日朝、そのカナダ大使館に、インド洋に部隊を派遣している国々の大使たちが、自民、民主両党の国会議員たちを招き、海上自衛隊の給油を中心とした補給活動がいかに有意義なものであるかを、非公開で説明するという。

「日本の外務省が仕掛けた」「米国の差し金でカナダが動いた」、はては「集団的自衛権発動と同じではないか」などと想定して、メディアの方々が問い合わせてきたが、私はもちろん「そんなこと知りません」とお答えしている。

 しかし、「有志連合」がインド洋で「不朽の自由」作戦を展開している以上、その関係国の大使たちが、職務に忠実なのは当然ではないか。

 カロン大使が毎日、赤いマフラーを巻いて乾杯しているだけではないのは当たり前である。日本のメディアはむしろ、在外の日本大使がどういう動きをしているのか、もう少し目配りしたほうがいいように思う。

 第1、G8の一員であるカナダに、日本の大手マスメディアや通信社はどこも記者一人をも常駐させていないのである。
天下の美食家は同世代 [2007年10月27日(Sat)]





 挿画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。





 私は逃げも隠れもしない66歳。ハワイ以来体調振るわず、ブログの更新もままならない状況で、この数日は、病院通いを続けていた。

 思えば同世代の著名人、小泉純一郎前総理はすこぶる元気な様子だが、横綱大鵬、野球の王貞治は大病し、北朝鮮の金正一総書記もいろいろと病気の噂がある。

 私のほうは右のわき腹が痛く、X線やCTスキャンもしたが骨も内臓も「異常なし」。「ポンタールで痛みを止めておきましょう」とは、行きつけのP先生。「頼りにしてます。宜しくね」というほかない。

 それはともかく、今朝の産経新聞でソウルの黒田勝弘「大」記者がまたまた興味深い記事(コラム)を書いていた。先の南北首脳会談で「ハトのから揚げ」が出され、同総書記が韓国の慮武鉉大統領に「タマゴから孵化して正確に14日目がいちばんうまい。1日でも過ぎると味は落ちる」と薀蓄を傾けながら、上機嫌だった、という。

 自国民が飢えと闘っている最中に結構なお話だが、この人の美食ぶりについて、その料理番をしていた日本人シェフの手記に総書記は「ウニの握りなど大好きで」(ウニは「軍艦」にするものと思うのはわが半可通の限界か?)「シェフをわざわざ北海道に出張させ、利尻島の極上のウニを仕入れさせていたほど」と書いてあるそうだ。その本は私も読んだが、縁遠い話なので、とっくに忘れてしまっていた。

 私が思い出したのは、今年5月、利尻島、礼文島を訪問したとき、「残念ですがきょうまではムラサキウニしか出せません。明日がバフンウニの解禁日ですから」といわれ、自分で決めた日程ながらそんなにがっかりしなかったことだ。

 これでは、同世代の「天下の美食家」には到底、及ぶべくもない。「せっかく目黒に住んでいるんだから(?)、せめて、サンマに大根おろしでも付けて熱燗でも・・・」と行きたいものだ。



協力隊の現況と課題 [2007年10月27日(Sat)]



 挿画は、石田良介画伯のご厚意で
掲載させていただいております。禁無断転載




 社団法人協力隊を育てる会(足立房夫会長)の在京役員懇談会が、昨夜、東京・広尾の国際協力事業団(JICA)地球ひろばで開催された。同会創立以来30年余り役員をしていたし、今も参与として関わっているので、久々に出席した。

 JICA(緒方貞子理事長)は大きな転換期に来ている。来年10月、JBIC(国際協力銀行)と合併するからだ。「鼠が象を呑みこくようなものだ」とは同席した青木盛久副会長(かのペルー大使館占拠事件のときの駐ペルー大使)の言だが、予算規模はJBICのほうがはるかに大きい。

 行革で次々と合併を繰り返してきた両機関だが、国際協力関係ということですべてひとくくりになるわけだが、「技術と人」のJICAと「カネ」のJBICの合併となると、出席者の心配は何よりも「文化の違い」だ。いわば、銀行とメーカーがひとつになるようなものなのだから。

 さて、とりあえずは協力隊。

 育てる会はその応援団。全国組織ではあるが、東京、神奈川、千葉の一都2県、静岡、三重、奈良、和歌山、兵庫、京都、滋賀の東海・近畿、さらに、新潟、鳥取、島根、岡山の計14都府県に地方組織ができていない。各支部は、協力隊帰国隊員、NGO関係者、地方自治体、地方政治家、地方紙、経済界、大学、労組幹部などのネットワークの中からこれというリーダーが出て、大きな支援体制が出来てきたのだが、これら14県では、一向に支部組織が誕生しないままだ。

 どなたかわれこそはという方がいらしたら、ご一報いただきたい。

 昨日の会の席上、協力隊の大塚正明事務局長から現況と今後について説明があった。それによると、この15年間で、数字が次のように動いているという。1991年と2006年の比較である。

予 算 132億円   216億円
隊員数 923名   1480名(ほかに365名のシニア隊員)
職員数  76名     50名

 行革が着実に進んでいるということは容易にわかるが、それだけに運営は大変の様子。

 現に、今年になってから亡くなった隊員は4名(内、自殺2名)、メンタルケアとアレルギー対策が重要になってきているという。これで累計64人の隊員が活動中に他界されたが、この数字は一般社会と比べて特段に多いというのは気の毒であろう。ただ、選考され、訓練を受け、管理体制があるという中では、さらに工夫が必要かもしれない。

 1965年の発足以来、協力隊員は3万人を超えた。OBは政界、学界、実業界など各方面で活躍している。日本社会は今、その活用に知恵と努力が必要ではないかとの指摘も大塚局長からあったが、依然、妙案を得るまでには至っていないようだ。

 緒方理事長がトップではあるが、このほど副理事長新任になった大島賢三前駐国連首席大使を中心としたJICAが大きな変革の中で、しっかりと協力隊の舵取りをし、そのさらなる発展を期待したい。

    〃★〃☆〃☆〃☆〃★〃☆〃☆〃☆〃★〃

 育てる会では、初の試みとして会員外の方たちとともに、「秋の交流会」を行なう。

 11月21日(水)18時30分より、日本青年館大ホールで、劇団四季のミュージカル「魔法をすてたマジョリン」の公演を鑑賞する。詳しくは、育てる会へ。電話:0120−973325(フリーダイヤル)へ。

 当日は、ユーラシア21研究所で18時から虎ノ門フォーラムを開催するため、私は終了後の懇親会のみの出席となるが、みなさまにご案内する次第。
捕虜第1号B [2007年10月27日(Sat)]









 真珠湾攻撃の際、特殊潜航艇に乗り組み、捕虜になった酒巻和男海軍少尉へのインタビューを連載する。

  〃★〃☆〃☆〃☆〃★〃☆〃☆〃☆〃★〃

―― また決して余裕ある戦いをしたわけでない英軍に捕われた人たちも、別の意味で相当苦労したようですね。

酒巻 そうですね。そういうことだと思います。私らは私自身が代表で向こうの者と交渉していますね。少しでも向こうの態度が悪い、あるいはそのいい方が悪いとか、また、させようとしていることに問題があるとかいう場合は、いつでもクレームをつけたがるものですから、米軍側も私には相当苦労していたようでした。
 しかし、今になってみれば個々の点では、むしをわれわれのほうが反省しなければならないことが多いのではないかとも思います。

―― 酒巻さんの『捕虜第一号』には、
<「私は日本士官である」。彼は急いでペンを握った。
「私の名は、海軍少尉カズオ・サカマキだ」。彼はあたふたと書き始めた。
「不運なるサカマキは捕虜となったが立派に死んだ。これだけ日本海軍省へ通知して呉れればそれで結構である」
 ・・・・・・私は真珠湾突入を目指した熱血の信念を吐き出し、「アリゾナの将兵達に依って、私の墓地真珠湾の砂浜、あの燃えるアリゾナの前で、射ち殺して貰いたい」と半ばわめいた。
 ・・・・・・彼は慌てて他の質問を中止した。
「殺して下さい」
「殺さない」
熱の籠った私の言葉は、静かにそして強くどっと流れ出た。>
とありますね。米軍側の尋問の仕方には問題はなかったのですか?

酒巻 これは個々によって違います。捕われた時点、場所、戦況といったことに一応質問が集中しました。私は「それをききたいのなら、私を殺した後できいてください」ということで徹頭徹尾通したものです。しかし、開戦直後のことでもあり、状況が状況ですから、尋問もすさまじいものでした。

―― つまり酒巻さんは何をきかれても一切答えないという態度を通したわけですね。

酒巻 そうです。そういうことになりますね。ですから、それだけで何ヵ月か米軍側と厳しく対立しておりました。そのこと自体は最終的には問題になりませんでしたが・・・・・・。やはり捕虜が徹底してこいう態度をとると尋問した前線の将校がくたばるわけです。欧州のほうではさまざまな心理的なかけひきが研究されたりして、とくにこういうことがあったようですね。それに対し、少なくともわれわれのまわりの日本人は、まず滅多に軍の機密を向こうへ漏らすことはなかったと思います。もちろん、尋問の程度ややり方は相当厳しいですよ。しつこくききます。

―― どんなことをきくわけですか。

酒巻 日本にいたことのある、日本語を話せる米軍の将校、今でいうFBI(連邦警察)の刑事みたいなのが、われわれをすかしたり、おどしたり、なだめたりしながら、ああいえばこういう・・・・・・。これは通常、戦争の場合には当然あり得べきことですが、限界がある・・・・・・やはりもっと紳士的にどこの国でもやるべきです。これを苦にして、命を落とすという者がなきにしもあらずです。とくに日本人の場合は・・・・・・。
 外国人の場合は慣れているからそんなことはないかもわかりません。やるなといっても、ききたがるのは当たり前ですから、答えなければいいわけです。答えなくてもいい、というところがジュネーブ条約で決められていることをよく知っていなければならないのです。ところが応召兵はそれも知らず、とにかく何も知らないんですね。私らは、何もそんなことをいわなくてもいい、裁判ではないのだから、と思っている。

―― 返答しないことによって、不利益を被ったり、営倉入りといったことはありませんでしたか。

酒巻 尋問期間にはある程度厳しい扱いを受けました。多少事例的には忘れましたがね。たとえば、牢に入れるわけです。あくる日牢から出して苦しめるということがあったかも知れません。私自身はないとしてもですね。・・・・・・そういうのが、私のいうもっと紳士的にすべきであるということです。国際条約に則って、紳士的にやらなければということですね。捕虜になっただけでも錯乱していることに、長期間拘禁し、拷問みたいに食事や居住条件を悪くする、そして、強迫的に追及する。それは近代法の厳しく禁ずる一種の拷問です。

―― それだけひどい扱いを受けて追及され、なお、軍事機密を守り通すことができるものですか?
酒巻 そういうやり方をすると答える者がいたからいけないのかも知れません。しかし、少なくとも、相当、軍のメシを食った者はそうされたからといって決して答えてはいません。精神的に圧迫したり、ぐらつくようなことをいったり、それはひどいものですよ。それでもきくほうもプロならこっちもプロの軍人です。営倉に入れられても比較的短かったし、若くてこっちもはりきっていましたから、これもひとつの勝負だと思いました。
 ただ、日本が負け戦さになってからは少々ぐらついてきた人がいましたね。あまりいいたくないが、いっそ早く終戦となったほうが、という考えの人も出なかったとはいえませんでしたね。
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