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ケネディ弟の暗殺 [2007年10月22日(Mon)]






 1968(昭和43)年は、
さまざまな出来事が随分錯綜した年だった。

 ビートルズ、ミュージカル「ヘア」の流行もあったが、
何よりもベトナム戦争のピークの年だった。

 戦争はいよいよ泥沼化し、
1月、南ベトナムのケサンで激戦が行われ、
2月、「テト(旧正月)攻勢」を経て、
2月29日、マクナマラ米国防長官が辞任し、
3月、米軍は南ベトナムで反転攻勢に出て多くの民間人が死亡し、
ジョンソン大統領は1期のみで、身を引くことになった。

 4月、公民権運動の指導者であるキング牧師が
ホテルのバルコニーで暗殺され、
フランスでは「5月革命」の騒乱、そして
6月4日、「ベトナムからの名誉ある撤退」を掲げた
ロバート(ボブ)・ケネディ元司法長官が
カリフォルニア州での予備選挙に勝ち、
一挙に民主党の大統領候補ナンバー1になりかけた。

しかし、翌日、ボブは
ロサンゼルスのアンバサダーホテルで撃たれ、
6日、わずか42歳で亡くなった。

 8月21日、ソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍が、
プラハに進駐、
「プラハの春」と称えられたドプチェクらによる改革は
頓挫した。

その直前まで私はプラハにいて、
「ソ連軍は進攻してこない」と見ていた。
何も見えない、何も読めない自分に幻滅し、
ジャーナリストになろうという夢を捨てた。

 その直後、フランスが核実験をし、
5番目の核保有国となった。
11月、ニクソンが米大統領に選出された。

 もう、あれから40年近い歳月が流れた。

 いささか感傷的になったのは、昨日、目黒シネマで
映画「ボビー」を見たからである。

 1968年、あらゆるものが対立していた。
 白人と有色人種、アメリカと北ベトナム、
プラハとモスクワ、
学生と権力機構、
中ソ両国は激しくイデオロギー対立をし、
翌年3月には珍宝(ダマンスキー)島で
武力紛争を起こすまでに
至った。

 国内でも、東大紛争は秋以降ヤマ場を迎え、翌年1月18日、
ついに機動隊の突入となった。

 この時代、私は日々のドラマを凝視していた。
同世代のやることが理解できなかった。

 私は安保改定にも、日韓基本条約にも、
沖縄返還にも賛成だったし、この年の小笠原返還を喜んでいた。
今思っても、少々、問題意識が低かったのか、
覚めていたのか、
火炎瓶を機動隊に投げつけて、世の中が変るとは思えなかった。

 ボビーとは、早稲田に在学中にご縁があった。
怒声の続く大隈講堂で、
講演した。

 わがゼミの指導者である松本馨教授が
モデレータ兼通訳をしていた。

 松本先生は学生に
「とにかく話を聞こう。聞いてから異見のあるものは
それを正面からつきつけよ」
と言っても、多くの学生は聞く耳を持たなかった。
ボビーは「米帝国主義の権化」と罵られ、
音響設備が破壊され、電源まで切られた。

 その後、私は
上級生らとともに「ロバート・ケネディ講演反省会」を
組織し、民主主義を否定する連中に立ち向かったが、
所詮は「蟷螂の斧」に過ぎなかった。

 この映画の面白さは、22人のキャラクターそれぞれが
思惑を持って行動し、悩み、希望に胸を膨らませているさなか、
突然それが断ち切られることの、時代としてのすさまじさを
巧みに描いていることではないだろうか。

 それだけに、民主主義、人権擁護、国家野品位維持の難しさと
暴力、差別、欲望のすさまじさが縦糸横糸になって
率直に描き出されている。そこが興味尽きぬところである。

 私の世代はこの事件を
自分史のように感じられる出来事ではあるが、
そのかげに、こんなにもいろいろな人生があるのだということも、
また、アメリカ社会、個々の運命や生涯、
みんなが持ち続けている希望などを
考える上で、重要なものであると再認識させられる。

 実写フィルムをふんだんに使い、最高級のハリウッドスターを
惜しみなく投入したエミイオ・エステヴェス監督に敬意を表したい。

 私も、今一度、自分の1968年を振り返ってみたい。
早稲田鵬志会の若者 [2007年10月22日(Mon)]



    単冠湾に向かう途中の峠から見た、
   択捉島の散布(ちりっぷ)山





 毎日新聞(10月17日付)にこんな記事が出ていた。

 国後島男児・緊急搬送:交流の縁
「早く元気に」 早大生、異国での治療気遣い贈り物
 ◇やけどのニキータ君宅を訪問
早大生・新谷さん

 この新谷弘治くんというのは、わがユーラシア21研究所の
アルバイト生で、なかなかよく気づく、立派な青年である。
前途を期待したい。

 鵬志会は政治家を志望する学生が多く、雄弁会が衰退後、
早稲田に人気のサークルとされている。

 鵬のような志を抱きつつ、切磋琢磨し、
積極的にいろいろなことをするのがいいと、
かげながら応援している。

 ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 重度のやけどを負って12日、
北方領土・国後島から札幌医科大に緊急搬送された
ニキータ・ルイジョフ君(1歳11カ月)の自宅を
今年のビザなし交流で偶然訪れた早大生らが16日、
お見舞いのぬいぐるみや絵本などを送った。

「異国での治療はさぞかし不安だろう。
早く元気になってほしい」と気遣っている。

 中心になったのは早稲田大人間科学部1年の
新谷弘治さん(20)=埼玉県所沢市。
毎日新聞の記事をインターネットで読み、
「僕を受け入れてくれた家庭かもしれない」と気になり、
名簿を調べて分かった。

 新谷さんは領土問題などをテーマにする
政治サークル「鵬志会」に所属。

 9月21〜23日にビザなし渡航日本側第8陣の一員として
国後島を訪れた際、ニキータ君の家庭を訪ねた。

 母ナタリアさん(28)がロシア風ギョーザやケーキなど
心づくしの手料理を振る舞ってくれた。

 ニキータ君はひざの上に乗ってくる人なつこい子供だった。

 新谷さんはサークル仲間に働きかけ、
タオルや菓子、クマなどのぬいぐるみ、
飛び出す絵本など8000円相当の贈り物を用意。
「ぬいぐるみに名前をつけてね。
『日本の友達』なんてのはどうでしょうか」と
日本語の手紙を添えた。

 一家はこれまでもビザなし交流で訪れる日本人の
ホームステイやホームビジットを何度も受け入れている親日家。

 新谷さんは
「縁を感じる。元気になったら会いたい」と話している。
 
 付き添ってきたロシア人医師によると、
ニキータ君の容体は安定しており、
早ければ3〜4週間で退院できる見通し。

☆ .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 ニキータくんの全快を祈る。
外務省?への不信 [2007年10月22日(Mon)]
 




  択捉島の散布(ちりっぷ)山。9月2日撮影



 北方領土との「ビザなし」交流は、
旧型船による危険と非効率で困難を極めており、
さまざまな政策提言をもとに、
新造船によることにしようと、
政官民で共同作戦を進めているところである。

 そこに突然、
「ビザなし」空路で 中標津−国後、来年に初運航
との見出しで、こんな記事が出てきた。

 以下は10月21日付「北海道新聞」。

 ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

【モスクワ20日藤盛一朗】
日ロ両政府は来年の北方四島との
ビザなし交流で、
中標津空港(根室管内)と国後島メンデレーエフ空港間に
チャーター航空便を運航する方針を固めた。二十三日に
東京で行われる高村正彦外相とラブロフ外相の
日ロ外相会談で基本
合意する。

 中標津空港と国後島間は二○○○年十月、
日本政府チャーター機が政府関係者を乗せて往復した
ことがあるが、元島民の利用が主体となる運航は、
一九九二年に始まったビザなし交流で初めて。

 国後島へは根室から海路で片道に半日かかるため、
航空便就航は高齢者の多い元島民から要望が強かった。
日ロ外交筋は「二○○○年の運航は例外措置。
今回は元島民など、ビザなし交流の担い手の
便宜を図るのが目的」と説明している。

 運航に向けては、
北方四島をそれぞれ自国領とみる主権問題の
対立回避が不可欠で、外相会談で合意後、
双方の政府担当者が専門協議を進める。

 就航時期や運航回数は今後の協議課題。
将来の運航の定期化は、
国際機関の国際民間航空機関(ICAO)が
「国際線」として扱うことになるため、
日本側は領土問題の立場から同意できないとみら
れている。

 また、メンデレーエフ空港は
ユジノサハリンスクなどとの国内線運航に限って
利用されている。

 入国に準ずる手続きを行う施設の開設や、
関連機関の調整が必要となり、
就航準備に時間がかかる可能性もある。

☆ .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 根室在住の友人T氏から早速、新聞の内容とコメントが来た。
 それによると、
@ 返還運動原点の地である根室の長谷川俊輔市長は、
「事前に話もなく困惑している」。
A 関係者が一体となって求めている交流船の新造にも
水を差す提案だ。
B 根室の衰退がさらに進みかねない。
C 根室管内の市町村の結束にヒビが入りかねない。

 また、空港そのものとしてのメンデレーエフ空港の安全性、
国後から他の島に渡る方途の確立もはっきりしない。

「ビザなし」交流は、根室での事前研修が重要であり、
また、それにふさわしい施設もいろいろある。
さらにまた、元島民も圧倒的に多い。
そうした人たちとの交わりも返還運動には貴重な機会になる。

 もし、報道の通りだとすれば、
外務省、内閣府北方対策本部、
独立行政法人北方領土問題対策協会に対する、
全国の運動関係者の不信が募るばかりである。

 少なくとも、私は「4島交流推進全国会議」発足以来
その副会長の任に15年あり、
今もその委員の末席を汚している私たちにも
何の相談もない。

「寄らしむべし。知らしむべからず」は
昔も今も官庁の基本方針なのか。

 願わくば政府・関係筋への不信ではなく北海道新聞の
「いつもながらの」誤報でありますように。
他人の孫の可愛さ [2007年10月22日(Mon)]








 古河市内で見かけた旧家






















先日、茨城県古河市に、
友人の家の赤ちゃんを見に行きました。

「孫には責任がないからむやみに楽しい」という人が多いですが、
友人の孫ともなると、
さらに無責任。もうただただ可愛いと思うのが世の常。

まだ1ヶ月というこの子が成人するころには
日本や世界がどうなっているのかと思うと
いささか深刻になりますが、

とりあえずは、このやに下がった顔。
われながら呆れています。

ついでに、お近くを通ったときに見た、
素晴らしい塀とお花を紹介します。
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