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ハワイでの国際会議A [2007年10月16日(Tue)]






 以下は、ハワイで行なわれる国際会議で、冒頭、私が行なう予定の
プレゼンテーション(日本語文)の概要です。


〃★〃☆〃☆〃☆〃★〃☆〃☆〃☆〃★〃


日米協会のエド・ホーキンス会長、
CSISのラルフ・コッサ所長、
アジア太平洋戦略研究センター所長のリー・エンドレス博士、
提督、将軍のみなさま、
そして韓国から自主的に参加された
国際関係アジア戦略研究所のPak Song-Jung博士、
尊敬する紳士淑女の皆様。

International Workshop on Collaborative & disaster(共同安全保障と緊急災害対処)に関する会議の開催にあたり、主催者を代表してご挨拶を申し上げ、日ごろの所感の一端を申し上げさせていただきます。

そのまえに少し、私が代表するユーラシア21研究所についてご説明し、せっかくの機会ですので、あわせて、日頃、私どもが取り組んでいる日露関係と北方領土問題について触れることをお許しいただきたいのです。

ユーラシア21研究所は、日露関係のあり方を大きな柱に、日本財団の特段のご高配をいただき、東アジア情勢、日米関係、日本の安全保障などについて、内外の衆知を集め、政策に反映させてゆこうという目的で、これまでのさまざまな研究会や社会活動などを結集して、今春、創立されたものであります。

ご承知のように、わが国の北海道に隣接する4島、すなわち択捉、国後、色丹の3島と歯舞群島のことですが、は次のような経過で、ロシアの不法占拠が継続したままであります。

これらの4島は、日露両国が国交を開いた1855年以来、日本の領土として認められてきた島々であり、一度も、ロシア人が定住したことのない、わが国固有の領土(Japan’s own properties)なのであります。

ロシア側の占拠については、少し歴史の説明が必要かもしれません。

わが国は1945年8月15日に昭和天皇が全国民を前に初めてマイクロフォンの前に立ち、「ポツダム宣言」を受諾し、これを連合国に通告したことを発表しました。

言うまでもなく、日本と連合軍との戦争、太平洋戦争は1941年末、わが国の連合艦隊が今述べた日露間の係争の地である択捉島の太平洋岸にある単冠(ひとかっぷ)湾に集結し、そこからご当地ハワイの真珠湾に向かい、国際的に孤立したとはいえ、日本が不法なる奇襲攻撃をしかけたことに始まります。

私は先月、戦後62年経って、この地に日本人として公式に初めて訪問することができました。湾は広く深く、しかも霧が多く、当時も人家が少ないということから連合艦隊集結の地として選ばれたものと痛感します。

ハワイに一番近いという地理的な要件もあったかと思います。今ではアメリカとの往復航路はこの北方4島のすぐ東を通り、天気さえよければこれらの島を機内から見ることができます。

その真珠湾には日本軍の攻撃にさらされた戦艦アリゾナとともに戦艦ミズーリも繋留されていると聞いております。1945年9月2日に東京湾に浮かぶこの戦艦上で日本は降伏文書に署名したのであります。したがって、太平洋戦争は「単冠湾から真珠湾に向かい、戦艦アリゾナを大破し、戦艦ミズーリで法的に降伏した」とこういうことになります。

ですから、今回のハワイ訪問にあたり、みなさまのご厚意により、私は明後日、その真珠湾を初めて見ることができそうなのは、単冠湾を見たばかりということからも個人的に大変、感慨深いものがあろうかと、いまからある種の緊張を感じております。

サザンカとツバキ [2007年10月16日(Tue)]

     



 ウィキペディアからの写真です。いずれツバキかサザンカか





 サザンカ、サザンカ咲いた道 たき火だ たき火だ あたろうよ
         
 サザンカは「山茶花」と書く。『たき火』(巽 聖歌作詞、渡辺 茂作曲)のこの歌の2番の歌詞で知られる。

 私は秋田の幼稚園でこの歌を習い、
すっかり気に入ってしまった。ところが、帰宅途中、
進駐(占領)軍の行進に出会い、
いつまで経っても道を渡れない。
とうとうシビレ(痺れ)を切らして歌いながら渡ると、
「ピーッ!」。行進が止まって道を開けてくれた。

 爾来、すっかり親米派になって・・・はウソ。

 父親が早速警察によばれた。
といっても我が家は秋田署のまん前にあって、
当時、さまざまな付き合いがあったらしく、
わが親父殿は、
「4歳児に日本もアメリカも判るか。
待つべきかどうか判断できるわけがない。
ましてウチのガキだ。あたまが言い訳がない!」
とか何とか言ったんだろうが、
それで一件落着したそうだ。

 まあ、天下の進駐軍様なので、
警察も形式的に何かしなくてはいけなかったに
違いない。


 親父はまた、終戦前夜の秋田空襲で
70余名の民間人を殺害したことを赦せず、
私と兄貴を現場に連れてゆき、
この卑怯と非人道性をよく覚えておけという意味のことを
しかと教え込んだ。

 そのせいか、この「神童」は今でもそのとき見せられた
空爆の痕をよ〜く覚えている。

 そして、80余か国を訪問したにもかかわらず
20世紀中には訪米しなかった。 

ハワイもグアムも行ったことがない。

 多少英語の勉強をしようと思ったのは
この空襲への文句を、直接、言いたかった
というのが、少年期のホンネだ。

 それを宗旨かえせたのは、「9.11事件」。
3千人もの民間人が亡くなった。

 事件直後、最初の便でアメリカに飛んだ。
そして、今、私ははじめてのハワイ訪問の機中にある。
私も成長したものだ(と自画自賛)。

 わが人生初めてのハワイ訪問を楽しみにして
眠りつつある。

 閑話休題。
 かくなる思い出があるサザンカは、
4〜8メートルの高さになるツバキ科の常緑木。

 四国や九州の山地に多い。
「晩秋に、紅色や白色の花が咲く。種子からは油をとる。

 細工材・木炭原料」と『日本語大辞典』にある。
 
 ツバキは「椿」。文字通り、「春に咲く木」。
サザンカよりやや背が高い。
赤、白、紅白、八重、一重などさまざまな種類がある。
椿油はツバキの種子から採取するオイレン酸グリセイドを
主成分とする淡黄色の油。伊豆大島や五島列島が主な産地。

 日本では沙羅(沙羅樹、娑羅樹)を
ナツツバキとかシャラノキという。
これは、梵語のサラに由来する
フタバガキ科の大木で常緑樹(インドが原産地)を
間違えて呼んでいるものだそうだ。

 ナツツバキは新潟県以南、
特に四国や九州の山中に生え、
また寺院の庭に栽植する落葉高木で、
初夏に咲く白い花がツバキに似ていることから
この名になった。

 そうそう、ヴェルディのオペラ「椿姫」。
原題は「La Traviata」(迷える女)。

 アルフレッの恋人ヴィオレッタが椿の髪飾りを付けることから、
邦題がこうなったということ。これは名訳かも。
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