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秋きぬ [2007年10月08日(Mon)]



 秋日和と題する、石田良介画伯の一連のスケッチの1つ。

 石田邸のある八ヶ岳山麓では、夜通し、屋根に落ちるドングリの音が続きます。

 10月9日です。さしもの猛暑もすっかりおとなしくなりました。

 今日から本格的な「食欲の秋」、いいえ、「仕事の秋」です。
モミジとカエデ [2007年10月08日(Mon)]





山梨県民の森で、石田良介画伯が撮影。




       
 小欄でおなじみの石田良介邸のまわりでは、
静寂の中にも次第に秋の気配が感じられる。

 木の葉が確実に、黄色や赤になり始めている。
秋と言えば、モミジ。さてはて、カエデとどこが違う? 

 モミジはカエデ(楓)の別称。

 秋に落葉樹が色づくことを上代には黄葉と記し、
以後は紅葉と書くようになった。

 カエデ、ウルシ、ドウダンツツジ、ツタの場合は、
葉の細胞液中のアントシアンが増加して
葉緑素が分解するために葉の色が赤く変化する。

 また、イチョウ、ナラなどの葉はカロチノイドが残るために
黄色に変化する。

 唱歌『もみじ』(岡野貞一作詞、高野辰之作曲)は
「山に紅葉が照り輝く姿と「川」に流れる紅葉という、
古代や平安以来の日本人の美学に沿った歌。

 明治文壇にその名を残す
尾崎紅葉(本名=徳太郎、1867〜1903)が
「モミジ」を意識して紅葉としたのか、
「カエデ」を意識してかはわからない。

 高齢者ドライバーのマークは「モミジ」。
枯れ落ちる姿を象徴しているのであろうか。

「枯れ落ち葉」「濡れ落ち葉」「粗大ゴミ」
「産業廃棄物」「賞味期限切れ」・・・
よくぞ言ってくれたな、ガキども! 

 私は絶対「モミジマーク」は付けまいぞ! 
こんなことは言わせないぞ!

 モミジもカエデも日本の美学の象徴であって
老いの象徴ではない。

 あなたたち、諸姉兄のご苦労あってこその、
日本の平和と繁栄なのだから。
霞か雲か、それとも霧か [2007年10月08日(Mon)]








<大>「蜜柑」の挿画は、石田良介画伯作。特段のご厚意で
掲載させていただいております。禁無断転載。






 山梨県下で視界2,30mの濃霧の中を、
車で市営温泉まで行ってきた。

 行きながら、これは霧か靄か、はたまた霞か
などと考えてしまったら、きになってしょうがない。

 日本画ではしばしば金雲・銀雲を描いて、
独特の情緒をかもし出す。

 また、「弥生の空は見渡す限り霞か雲か」と
古謡『さくら』に歌われているように、
古くから桜の季節には「靄(もや)がかかった」ような
自然現象がおこる。

菊薫る秋も、秋晴れもあるが、
同じような自然現象が詩情を誘う。

これらはいったい、どんな自然現象なのだろうか。

どうやら、霞は春、霧は秋のようだ。

『さくら』に歌われているように、
細かい水滴によるもやもやした状態は
湿度の高い日本にしばしばあらわれる気象。

『拾遺集』」には

「高砂の尾上の桜さきにけり
 外山の霞立たずもあらなむ」(権中中納言匡房(まさふさ))

とあり、『新古今集』の

「村雨の露もまだひぬまきの葉に 
霧たちのぼる秋の夕暮れ」(寂連法師)と、
いずれも『百人一首』」に採られた名歌があるように、
霞は春、霧は秋のものをいう。

 日本式の分類では視程が1km未満のものが霧、
1km以上のものが靄である。

 しかし、基本的には同じ現象であり、
靄も霧も、空気中の水蒸気が凝結して
細かい水滴となり浮かんでいて
視界が妨げられている状態である。

 古来、日本人の美観にかない、
霞が立たないようにと詠いながらも、
日本画には金色や白で構図を整える技法が
古くから用いられている。

 同じように北ベトナムも湿気の多いところ。
「多湿な冬は耐え難い」と
朝日新聞の井川一久支局長(当時)から20年近く前、
ハノイで聞いた。

 そのときは夏だったが、
それでも、驚くなかれ除湿機は
1時間で満杯になるくらいの水分を貯めていた。

 4月下旬からのゴールデンウィークの日本では、
各地に中国大陸から黄砂が飛来し、
まるで霞がかかったように視界不良となる。

 こういう現象は砂漠化の進行で
激しさを増したとはいえ、
昔からあったと思われる。

 ただ、およそ雅(みやび)の世界の人々が
和歌の題材にしたという話はない。

 21世紀的自然破壊のつけか。

 幸い温泉からは無事戻ることができた。
それどころか、途中で視界良好となり、
露天風呂からは満天の星を眺めることができた。
ブラックタイ異聞 [2007年10月08日(Mon)]






 




    10月8日、山梨県塩山市で撮影。





先日、小欄で「ブラックタイの還暦祝い」として、
駐日カナダ大使の誕生日を祝う晩餐会があったことを
お伝えしたところ、
外務省の某幹部がそれを見て、
「匿名なら紹介してもいいよ」と、
こんな「実話」を教えてくれた。

「数年前のことだけどね。
某国の首都でブラックタイ着用のことという招待状をもらった
わが大使。なんと、
葬式用の黒いネクタイで出かけたんですよ。
これ、国家機密かな(笑)」。

 アブナイ、危ない。
国際交流・番外編 [2007年10月08日(Mon)]




















 10月7日は、山梨県・勝沼まで「ぶどう狩り」に
出かけた。

 参加したのは、前回小欄で紹介した、
在日難民、中国残留孤児、脱北者、
ミャンマー(ビルマ)の反軍事政権派の難民(以上は無料参加)、
そして、
かつて社会福祉法人さぽうと21や難民を助ける会から
支援金や奨学金を受けたOB・OGたち(有料参加)。

 大型バス2台に分乗して乗り込んだ。

 大渋滞の中なので、到着したときはもう昼ごはんの時間。
ぶどう棚の下での楽しいバーベキュー。

 私は、ポル・ポト時代にプノンペンからサイゴンに逃れた
女性の子供(今は高校生)と
中国残留孤児の3世(今は大学生)などと一緒のテーブル。

 キャベツ、モヤシ、イモ、タマネギ、シイタケ、コンニャクと
豚肉、牛肉。その肉は一人当たり100〜120グラム程度の、
言っちゃあナンだが、イマイチ以下のもの。

 でも、泣けたなぁ。
「ボク、こんなにたくさん肉を食べたことあったかなぁ」。

 私はこのあと、ほとんどキャベツトモヤシしか
食べられなかった。


追伸:
@ミャンマー(ビルマ)出身の人たちは、きょうは全員、
 長井さんの葬儀に参加しています。

Aこの2日間、相談員の人たち手分けして、
一人一人と面談し、
キメ細かい指導と助言を行ないました。





 
国際協力・番外編 [2007年10月08日(Mon)]





 ベトナム、ラオス、カンボジアからのいわゆるインドシナ難民、
中国残留孤児とその子女、
北朝鮮からの脱北者、
ミャンマー(ビルマ)の反政府運動のリーダーで
日本に逃れ難民認定資格を取得した人・・・
が集まった研修会








 水上洋一郎元東京入管局長は日本と外国人の接触の始まりから、
入管行政、はては日本国籍の取得法までをご指導くださった。








 若い小寺毅先生はコーチングという手法で、
さまざまな問題を抱えている研修生を
いっぺんで融和させ、心を開かせる状況にしてくれた。








 研修生は、このときとばかり積極的に手を上げ、
質疑応答は大いに盛り上がった。






 

社会福祉法人さぽうと21が、
おそらく他にはめったにないような活動を続けている。

このNGOは在日外国人の生活を助言し、
支援するというNGOである。16年前、
相馬雪香難民を助ける会会長が理事長になって発足した。
今は、不肖、
吹浦忠正が理事長の任(もちろん無給・持ち出し)にある。

海外での救援活動や国際協力にあたる話が
メディアに出ると、当時はまだ
「日本にだって困っている人がいるのに、
何であなたたちは外国人を助けようとするのか」
というような電話が、2,3本はかかってきた。

「さぽうと21」はそれに対する回答のようなものだ。

「日本にだって困っている人がいる」は事実だ。
みんなで大いに助け合うべきだ。
私も時々、貧者の一灯をささげもする。

 しかし、「日本で困っている人」の中には、
在日外国人もいる。

さまざまな事情で、日本にやってきたが、
支援の手がなんとも不十分であり、
かつ、世界屈指の「差別」の壁を持つ国である。

 難民を助ける会の国内活動を独立させた組織なので、
かれこれ30年近くこうした支援活動をしてきたことになる。

もう、のべ何千人もの人を支援してきたという実績がある。

 10月6,7の両日、支援生約50名が集まって、
年1回の合宿を行なった。

 三菱銀行国際財団の助成を得て行なったものだ。
まずもって深甚なる謝意を表したい。

「さぽうと21」ではどんな人を支援しているのか、
というその顔ぶれが「他にない」点ではないか。
きのうまでご一緒した人たちは、

 ベトナム、ラオス、カンボジアからのいわゆるインドシナ難民、
中国残留孤児とその子女、
北朝鮮からの脱北者、
ミャンマー(ビルマ)の反政府運動のリーダーで
日本に逃れ難民認定資格を取得した人・・・

 みな、深刻な事情をかかえ、
日本語の学習、日本での自立に励み、
多くは、夜間中学、定時制高校などで学び、
そこで断然、学習面で頭角を現わし、
とりあえず入試は突破できた、
何とか進学したいというケースで相談に来る。

 そんな人に
「日本では応援できません。進学はあきらめなさい」
などといえますか。
「キミもガンバレ、オレも精一杯支援するからな」
となってしまうのです。

 その結果、本人や家族にはもちろん、
大学や就職先に感謝され、交流はほとんど生涯に及ぶ。

 このなかから博士号を取得した人、
医師、大学教授、
IT関係ですばらしい業績をあげ学界や企業に貢献した人、
日本と出身国の学術・文化交流を担っている人、
企業の海外進出で抜群の成果を上げた人、
財務部長として企業の大黒柱になっている人・・・

数え上げればきりがない。

 だから、新旧の支援者リストを眺めると、
「わが子、わが孫もかくありたし」と、
相談員たちは嘆息をつく。

あるときは結婚式に招かれて驚いた。
わずか27歳のベトナム難民の結婚式に
日本中が知っている超一流企業の
会長、社長以下幹部がズラリと出席して、
「新郎あってのわが社である」
と、薄型テレビ分野でのこの人の貢献を激賞した。

 日本にこんなNGOが1つくらいあってもいいじゃないか、
と最近は、自負するようになった。

 日本人が日本人のことだけを考えていていい時代は
もうとっくに過ぎているのだ。

 あなたのお力添えを切望している!
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